池田屋事件とその周辺
2010.06.13 [Sun] 10:25

池田屋事件と言えば、新選組を一躍有名にした事件です。
この事件で長州藩や土佐藩脱藩浪士等、多くの大物志士達が亡くなりました。長州藩はこれをきっかけに禁門の変に続きます。




古高俊太郎(近江出身)は小道具屋・桝屋の養子となり桝屋喜右衛門と名乗り、志士達を援助していました。その場所が新選組に知られ捕まります。場所は四条木屋町すぐを左に入った所にありました。
現在は和食屋「志る幸」になっており、そこには@勤皇志士・古高俊太郎邸跡の石碑があります。


↑@「勤皇志士・古高俊太郎邸跡」(地図@参照)



さて、池田屋事件ですが…
小説やドラマでは古高らがすごい陰謀を企んでおり、それを拷問の末、新選組が自白させ池田屋がわかったというのが定説なのですが、どうやらそれは違うようです。

「木戸孝允日記」によると池田屋の集いは拉致監禁&拷問されている古高俊太郎を救うための会合だったと書かれています。かなり意味が違ってきますね。新選組は2グループに分かれて会合場所を探索していました。実際のところは場所もわかっていなかったのでしょう。


旅館・池田屋は三条通にありました。普段は土佐藩の定宿だったそうです。
以前はパチンコ屋でしたが、現在は「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」になっています。なんかかなり派手です。少し前にぼや騒ぎがあり、新聞の見出しが「平成の池田屋騒動?」って書かれていました。その店の前に「A維新史蹟・池田屋騒動之址碑」があります。


↑池田屋前、現在は居酒屋に。



↑A「維新史蹟・池田屋騒動之址碑」(地図A参照)



祇園祭の宵山の日、池田屋に集まっていた志士達は30余人。その中で宮部鼎蔵(肥後)、吉田稔麿(長州)、広岡波秀望(長州)、望月亀弥太(土佐)、石川潤次郎(土佐)、福岡祐次郎(伊予)、大高又次郎(播州)等が亡くなりました。

土佐の石川潤次郎(土佐勤王党の一人)は偶然、望月亀弥太に会いに来ており事件に遭遇しています。長州の吉田稔麿はそうとうな人物だったようで、誰もが彼の死を残念がっています。彼らが生き残っていたらどうなっていたかって考えてしまいますね



その時神戸では…
折角始まった神戸海軍操練所&神戸海軍塾ですが、望月亀弥太(彼も土佐勤王党の一人)が池田屋事件に関与していたことも一因となり、たった1年で廃止されることになります。望月亀弥太の死は坂本龍馬や勝海舟も残念がっていました。


古地図で池田屋を見ると、丁度青色で囲った真ん中辺りに池田屋はありました。この周辺は一連ずっと宿屋だったんですね。



↑古地図で見る旅館・池田屋
 
コメント
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2010.06.14 [Mon]
梅太郎
「志る幸」の利休弁当って扇形にかたどられたかやくご飯が入ってるお弁当ですよね。値段が高そうなんで今まで入ったことが無いんですよ〜。一度は食べに行きたいですが…


「池田屋」は初めて見たときびっくりしました。結構繁盛しているなぁという印象でした。会社員がお昼休みに普通に入ってました。なんかメニューの名前がすごいですよね(笑)。
2010.06.14 [Mon]
桃源児
志る幸、ここで利休弁当を食べたことがあります。
結構、高かったけど、上品で美味しかったです。
白味噌の味噌汁が独特の味わいでした。
池田屋、居酒屋になってから二度ほど、ここで食事しました。