3 

2011年12月09日(金) 17時17分
公園で植物を撮るっていうこと、紅葉を撮るってことは苦手だった。6×8で街撮りに夢中になっていた頃は特に。たぶんフォーマットの問題で、自分の中でしっくりといかなかったんだと思う。だから当時住んでいた実家の周辺も夏休みに遊びに行っていた山奥も退屈で撮影に値する場所じゃなかった。それでも撮るしかない状況〜交通費がままならなくて、でも撮りたくて仕方ないとき〜は頭を切り替えて撮影した。けれどもきれいな葉っぱとか、紅葉と青空とかそういうものにはほとんど惹かれなかったなぁw


FUJIFILM X10 Velvia:20111205,14時37分 東京・善福寺川緑地

エルスケンやアンセル・アダムス、エドワード・ウエストンの展覧会でオリジナルプリントを見て、新宿のカメラのきむらで中古のローライを購入したとき、新しい視野を手に入れた。そのときに僕は風景のほかに近景にシフトすることを覚えた。6×6のその正方形のフォーマットはウエストレベルのファインダーとも相まって画面構成をとても意識させられる。今のコンパクトデジカメみたいにね。画面構成を意識せずには撮れなくて、それがとても新鮮だった。左右逆像だからカメラで見る景色と実際に出来上がった写真が違っていてがっかりすることも多かったけど、その正方形の枠には垂直水平を意識させられたし、だから木の枝とか巨木の根っこの何とも言えないカーブなんかがすごく気持ちよく切り取れるの。当時の僕はモノクロが主流で撮影したフィルムを持ち帰って風呂場でフィルムを現像して。よく風呂場と自分の部屋にフィルムが何本も吊り下っていた。大根やイカのように。良い写真が撮れた時は急ぐあまりフィルムにドライヤーをかけてたな。全く信じられない行為だけど。撮影してからの時間が経ちすぎたフィルムとドライヤーをかけたフィルムは前者が左右に、後者が上下にカーリングするんだよ。重しを置いて伸ばしたところで戻らなくて、引き延ばし機にセットする時やベタ焼きをするときは難儀した。そこに良い写真があるのにもったいないよねぇ。

2 

2011年12月09日(金) 16時43分
学生時代はフジの6×8を持って街撮りに出かけていた。その一眼レフカメラを1.5倍くらいにしたレンジファインダー式のお弁当箱のようなカメラをかばんから取り出して(かばんには実はそのカメラと120のトライX、ときどきPRO400、財布しか入ってないんだw)街の重なりを撮りまくっていた。学校が東横線沿線にあったから毎日通学で使う車内の光景を一生懸命見て気になる街並をチェック、後日片っ端から下車していた。

駅を起点に街並を撮って行くと、だいたいその駅1つで1日が終わるから、仮に通学中に10駅分の気になる街並が出て来たら10日分の撮影が可能になるわけ。来る日も来る日も撮りまくった。撮影の途中でおなかが鳴ったらよく撮影場所の通りすがりのコンビニで肉まんを食べたな。その頃から、時間がない時は歩きながら肉まんやおにぎりを食べられるようになった。普通の街中で通行人と目が合ってもへっちゃらになった。ちなみにその日持参のフィルムがなくなると(だいたい20本くらい)時には渋谷の宮益坂近くにあるカメラ量販店に立ち寄ったりして撮影を続行したりもした。そのお店で6×8で使うフィルム(ブローニーって言ったけど通じなかった)売り場を店員に尋ねたらシートフィルムのコーナーに連れて行かれた思い出がある。淡い思い出だよ)を購入して、青山あたりまで脚を伸ばして国連大学の壁をひたすら撮りまくったりした。まさに不審者だな。


FUJIFILM X10 PROVIA:20111205,14時17分 東京・善福寺川緑地

街中で夢中になって撮影していると、その当時でもときどきは警官に職務質問されることがあった。でも今みたいにかばんの中にナイフを隠し持ってるんじゃないかとかそういうことではなくて、ましてや盗撮とかそういうことでもなく、ただ興味を持って持参のカメラについて聞かれたりするのだ。警察官で写真が好きな人、カメラが好きな人多いんです。そういうとき、なんかホッとしたなぁ。それに引き換え、同じように街中で撮影してる人には全く出会わなかった。学生時代にほかの同期や先生方はいったいどこで撮影していたのだろう。

1 

2011年12月09日(金) 16時12分
今朝、武蔵野市は雪が降ったみたい。昨日から毛布で寝ていたのを冬がけに変えたからか、寒さは全く感じなかったよ。DVDの鑑賞中は常にエアコンが作動してるしね。
雪のことは置いておいて、このところ、おおよそ大きな木があるところや植物がたくさん植わってる公園はどこもかしこも紅葉してる。これは都内近郊の話なんだけれども。紅葉を撮りに行く、というよりも紅葉している街を撮りに行くんだけれども、このところ世間では物騒な事件が起きているから上下黒っぽい服でカメラをぶら下げてふらふらしてると不審者と間違われかねないよね。ただでさえ、人々が往来していたり街の風景が面白いと感じてること自体が他人からは不審に映るご時世なんだから。世間の写真家の皆さんもきっと仕事しずらいに違いない。


FUJIFILM X10 PROVIA:20111205,13時58分 東京・杉並

ある日の僕。
今日はお昼頃に起きた。外は暖かな日差しだけれどもフローリングの床は冷たいから今日も相変わらずの晩秋が続いているわけだ。デスクには昨晩観た映画のパッケージと来年行う展覧会のアイデアのラフ、そしてカメラ。ベッドからやっとのことで抜け出して裸足でバスルームに直行、熱いシャワーを浴びる。起き抜けのシャワーが習慣化してからお湯を浴びないと身体が起動しない感覚。10分くらいで服を着て、カメラをぶら下げてふらっと街に繰り出した。電線を見上げると絡まった葉っぱがやっぱり紅葉していて、この身近な環境で秋を感じさせてくれるのだ。

スーパーカーとわたし。 

2011年12月06日(火) 21時10分
映画で言ったら「ミシェル・ヴァイヨン」「60セカンズ」が好き。「キャノンボール2」も好き。
友人がメイキングをつとめた「SS エスエス」もいい線いってると思う。
「デロリアン」より「ナイト2000」の方が好きだし、それよりも僕的には「007」シリーズも大事にしたい。ドラマは「ナイトライダー」と「西部警察」しか思い出せないし、プレステにしろアプリにしろ意外とレースものやぶつけて壊し合う類いのものも好きだ。
いわゆるスポーツカーのボディの魅力は流線型だと思うけれど、最近は角張ったタイプのボディが好きになりかけていて、流線型は新幹線よりもジェット機の方がグッと来る。しかしながら、あのキラキラと光るボディの光沢と4本の車輪を持つ完成されたまとまり感はおよそ車輪を持つ他のボディの追随を許さないほど魅力的だ。BIG1ガムを買ってもらっていた幼少の頃の僕の目的はもちろんスーパーカーだった。

カウンタックでもなくフェラーリでもなく僕が憧れたのは国産のガルウィングの車で(たぶん日産でもトヨタでもないからマツダとかじゃないかと思うんだけど)その理由はクラスの人気者たちがこぞってランボルギーニとフェラーリ、ポルシェやシボレーなんかに心奪われていたから。弱虫の僕は「日本にもこんな車があるんだぜ」的にみんなが気づかないところで密かに愛好している少年だった。


FUJIFILM X10 PROVIA&NX2:20111205東京・杉並

ポルシェに惹かれるようになったのはずっと後だ。ポルシェにある種の崇光すら覚えたのは京セラが発売していたコンタックスのボディデザインがポルシェだった。ちなみに今から10年前に発売になった富士フィルムの「FinePix6800Z」というデジカメもポルシェデザイン。その後鞄や眼鏡、時計やラジオまでありとあらゆる高そうな削り出しデザインの多くがポルシェデザインだと知った。
ある種の畏怖の念さえ感じるポルシェに思いがけない場所で、思いがけない姿で出会ったのは昨日の話。美しいボディデザインのいたるところが裂傷を負い、ほぼ廃車と化したターボ3.6。ウェブ検索によると希少車で拝めることもあまりないらしい。そんな車が青空と優しい西日の中で静かに鎮座していた。美しいだけの容姿に傷をまとったその姿を愛でることが出来るのは僕が大人になった証拠だろうか。

You moreユーモア 

2011年12月06日(火) 11時35分
京都の嵐山が例年より2週間遅れて紅葉したという。昨日の夜中にどうしても寝付けなくて、携帯電話のニュースサイトにアクセス、文字情報で知った。他にもAndroid端末のセキュリティー問題、セシウムの拡散問題、ロシアのプーチン政権のニュース、あらゆる情報を知った。ネットラジオからは地元コミュニティーFMの洋楽mixが心地良く流れている。自身に起きている将来という名のやっかいな問題に目をつむって溢れるニュースの取捨選択をうまくやれば、今年も何とか乗り切れるはず。キーワードはやっぱり「我に返らないこと」だ。

撮影中は、特にお仕事とは敢えて区別する自身のライフワークとなる写真撮影(出来ることならそれを趣味とは呼びたくない。趣味にしては大金も人生も賭け過ぎてるから)は本能でシャッターを切っている。自分にとってのユーモアのセンスを最大限に発揮して撮影する。撮影前に特に写真のテイストは決めないけれど、日頃接するニュースや話題、コンテンツの数々がこの感覚に大きく作用する。

「その写真にユーモアはあるか」

人に見せることを前提にする写真は少なからず見る人に何かを伝えるべきだと思う。ただ伝えるだけではなく、それを効果的に伝えるべきだと思っている。食事の写真ならまずそうに見えるよりは美味しそうに見えるべきだし、見たまんまの感動を伝えたければ、見たまんまの姿をとらえたときの感動を効果的に伝える努力をするべきだ。写真には見る人が感動する共通項が存在する、なんて書いたら商業写真をやっている弊害だと言われてしまうだろうか…。


FUJIFILM X10 PROVIA&NX2:20111205東京・杉並

「その写真にユーモアはあるか」は僕が写真学校を出て、必ずしも写真を組み写真で見せることが出来ないことを知って標榜するに至った、僕の普遍的なテーマだ。「きれい」であること、「美味しそう」であることに加えて写真で見せること、見てもらうことを、もし、見る人に強要しているのだとしたらそこには「悲しみ」や「怒り」よりも僕は「驚き」や「可笑しさ」「楽しさ」を提示したいのだ。そんな気持ちを抱えたまま僕はまたカメラを持ち歩くのだ。

紅い落ち葉に秋爛漫。 

2011年12月05日(月) 20時58分
秋の善福寺川緑地にロケハンに行って来た。今回は秋冬のファッションブック用のカットのためのロケ地選び。久しぶりのロケハンで久しぶりのスナップショット。

自転車で20分ちょっと、五日市街道をひたすら駆け抜け、高井戸の陸橋を超えてすぐのところに大きな橋がある。橋を挟んで下流側は和田堀公園、上流側が善福寺川緑地だ。善福寺川に沿うように広がる、善福寺川緑地は杉並区の成田東から成田西、荻窪までの細長い公園で園内にはいくつかの広場と川を眺めるように設置されたベンチ、あずまやなどもあり木々に囲まれた静かな場所だ。自転車を降りた僕は首からカメラをぶら下げてふらふらと歩き回る。時刻は午後2時過ぎ。西日が緑を明るく照らし出し、空は抜けるように青い。吹付ける風は冷たいけれど地面の落ち葉をなで、ファインダーの表面に埃っぽい微粒の砂を付着させる。向こう岸の公園で遊ぶ子供たちの声、こちら岸では犬の散歩とジョギング、ベンチにたたずむ老夫婦。絵に描いたような平和な光景。自動車の走行音はもはや川のせせらぎと牧歌的な光景に遠くの方へと追いやられ、僕は土と砂利を踏みしめて靴底の音と感触を楽しんだ。

ふと目を留めると紅い落ち葉。季節はすっかり秋爛漫だ。


FUJIFILM X10 PROVIAモード:20111205東京・善福寺川緑地

ランドリー 

2011年12月03日(土) 5時17分

FUJIFILM X10 PROVIAモード:20111202東京・吉祥寺

駅前のロータリーからサンロード商店街を抜けてぶつかる五日市街道は、駅を挟んで対峙する井の頭通りと比べるとはるかに生活に根ざした道で、井の頭通りと同じようにバスが通る。吉祥寺付近におけるその道沿いにはたくさんの商店と駐輪場、駐車場、神社、消防署、スーパーやコンビニなどが点在している。道幅は狭いけれど一応、場所によってはガードレールに区切られた歩道があるし車の通りも人通りも結構ある。その通りの脇道にとても魅力的なコインランドリーを見つけた。覗き込むと整然と並んだ洗濯機と乾燥機。節電とは言いながらイルミネーションが灯る街は華やいで来たとはいえ夕方4時を過ぎると街は暗くなる。今日は雨天だからいつもよりも暗くなるのが早い。だけどそのコインランドリーはこうこうと蛍光灯の光が部屋の中を均一に照らし出し、学校や駅とは違う安心感を利用者に与えている。だけれども僕が覗き込んだときにコインランドリーの利用者は誰1一人おらず、1台の乾燥機だけが稼働していた。中の衣類をぐるぐる回すその音の大きなこと。人がいなくても人がいる形跡はあるので妙な安心感が生まれる。コインランドリーの奥には私道があり、道は大きな住宅とその奥のアパートの前で終わっている。通り抜けられないとわかった僕はその道を引き返すしかなくて体を反転させた。一瞬にして表通りは裏通りへ、僕にとっての裏道は写真のメインステージに変わった。

裏道 

2011年12月03日(土) 3時12分
裏口、あるいは裏通りっていう場所は視覚的にとても魅力に満ちていると思う。裏道にある建物の裏口なんかは表に置けないものや隠しておきたいもの、邪魔なものが一堂に会していたりして乱雑であり、ゆえに場所によっては個性的でそこを撮影するとすごく面白いのだ。それを写真にしたときにどうなるのかと言えば、本来の裏口を前面に押し出されたその光景では前面が表となり、後方に見える普段の表通りがその写真の中では裏になる。そうすると私たちが日常生活をすごす馴染みの場所の違った側面が現れ、私たちがどういう時代を生きているかの1つの指標になる。そもそも写真にでもならない限り、その写真の前に立ち止まってしげしげとその光景を眺めでもしない限り、私たちは冷静に自分たちのすごしてる場所について考察することが出来ないんじゃないだろうか。
カルチャーの面でも表の文化と対峙する裏文化は面白い。例えば娯楽で言えば風俗、キャバクラやホストクラブ。それにイベントの裏側。芸能人の記者会見から結婚式、講演会、販促イベントやテーマパーク、ありとあらゆるモノ、場所に裏側が存在する。普通に生活していては触れることが出来ない事柄に仕事をとおして接し、知ることが出来るのは役得だと思う。


Fujifilm X10 PROVIAモード:20111202東京・吉祥寺

劇的風景。 

2011年12月01日(木) 10時30分
たくさんの人が好きか、あるいはいつまでも飽きずに眺めることが出来ることの1つに電車やバスの車窓からの風景があるだろう。右から左、あるいはその逆に流れる景色はいつもの見慣れた景色でもいろいろなことを発見出来るし、そこから派生する考えや妄想で退屈な時間を過ごさずに済むことも結構な頻度であると思う。

電車やバスの車窓に人々が魅了される構造の1つの要素として「劇場型」であるから、という意見はとても多い。もしくはそれがその理由でなくとも「劇場型」という単語で語られることは多い。窓をスクリーンとして考える、または窓とスクリーン、窓と舞台、には共通点が多い、という具合に考えるとしっくり行くからだと思う。実は僕もこの考え方が結構好きなのだ。
他の人はどうか知らないけれど、僕が風景と対峙する時、この原理が僕の中で働くと撮影してることが多い。眼前の景色、情景を平面的に捉えられたときに、それはつまり「写真」として見えたり「画面」として見えたりすることで「絵」「画」としてスッときまるのだ。
撮影した、された写真を眺めるときに全体を見て、細部を見て、細部の質感を堪能して、再び全体に戻ってくる、というふうに鑑賞することがPCの画面でも展覧会場でも写真集でもあるのだけれど、それと同じことを撮影する前と撮影した後にその現場でやってることもしばしばあって、そういうときは眼前の風景をさも写真を眺めるように、美術品を眺めるように眺めてしまう。わぁ、素晴らしい景色!というように感動する人はたくさんいても、自分にとって好きな写真を眺めて、そのツボっぷりに思わずニヤついてしまうのと同じように眼前の風景にツボってニヤついてしまうと、そこに共通点を見出せない人にはおかしくなったと思われかねない。カメラを持って街中でそういう風景に出会っても、電車に乗ってそういう風景に出会っても基本的には同じ反応をするので、その都度うれしさをかみ殺すのだ。

山梨に行ったときに出会ったこの景色も、そんな気持ちで撮影した。「日本の未来はこの先にある。ただ、今はまだ準備中だけどね」そんな感じ。早期実現を目指す未来の乗り物と同じ色の奥の看板が現実的で素敵だし、本来奥行きのある景色なのに手前の鉄柵が平面的に見える要素になっている。看板の絵空事と現実の風景の正反対さはSF並みだ。


Nikon COOLPIX P7000:20111013山梨
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スチールカメラマンです。写真と文章をとつとつと。誰かのためと言うよりは100%自己のためかな。
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