倫理学教授

July 24 [Wed], 2013, 21:09
共産党の活動に関わりはじめたころ、毛沢東は恩師楊昌済の娘と恋仲になった。毛沢東より八
歳年下で、やがて毛沢東の年播旧の妻となる場欄慧である。
けい
楊開慧は、 一九〇一年に長沙郊外の牧歌的な美しい村で生まれた。繊細で感受性の強い少女
は、父親が一一年にわたって日本、イギリス、ドイツに留学して倫理学、論理学、哲学を学ぶあい
だ、学者の家系から出た母親に育てられた。 一九一三年春に帰国した父親は西洋の考え方を持ち帰
り、男子学生たちと食卓を囲む際に娘を同席させた。当時では考えられないことである。美しく優
雅で、ときに憂いを漂わせ、 一方で考えをはっきりと述べることのできる少女は、若い男子学生た
ちが憧れる存在となった。
楊開慧の父親楊昌済は毛沢東の知性を高く評価し、有力な人々に書簡を送って、「ここで貴殿に
鄭重に申し上げます。二人.毛沢東ともう一人の学生察和森.は国内の逸材で、大いに将来性に
さい わしん
富むものであり……必ず二人を重視されることを望みます」と、毛沢束を推薦した。 一九一八年に
北京大学の倫理学教授となった楊昌済は、毛沢東の最初の――成果のない――北京滞在のあいだ、
毛を自宅に招いて泊めてやった。当時、娘の楊開慧は一七歳で、毛沢東は彼女にかなり熱を上げて
いたが、開慧はそれに応えなかった。後年、彼女は次のように回顧している。
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