尼崎安四

November 24 [Sat], 2012, 16:07
20日のデイリースムースにMyaku14号が紹介されている。
これには中尾務さんが歩くひと宮本常一が、歩くひと高木護を見いだしたという文章を寄稿しておられる。
高木護の本は未来社から沢山出されているが、それを推したのが宮本常一だという話である。
このことを中尾さんが知ったのが、雑誌板第V期第9号2005年1月の特集弘文堂列伝のために弘文堂出身で未来社の編集者でもあった影書房の松本昌次を取材した時だったそうだ。
この文章のコピーを先日頂戴して、久しぶりに板をとり出し件の自伝的長編の破綻、その他富士正晴と松本昌次の関わりからを読んでみた。
松本が富士に依頼した自伝的長編ある時代の群像を書きあぐねて結局は投げ出してしまうことや竹内勝太郎の形成が出版されるまでの経緯が詳しく書かれたとても興味深いものだった。
そして、眼にとまったのは尼崎安四について富士が書いた文章にこれはこの世の人ならずがあるということ、早速調べてみると聖者の行進昭和五十三年中央公ミに収録イナズマイレブン 同人誌されていた。
それを現在読んでいる。
どうも富士の理解を越えるというか解しがたいところがあったようだ。
彼の思想形成の大筋を≪立川文庫修行、呪術精嵩揶黷ゥら、中学時代の剣道へ行き、剣道への失望から、仏教へ行き、仏教学校での幻滅より文学へ行き、やがて宗教と文学の統一をはかっているような感じのある竹内勝太郎に近づくために三人のグループに入ってゆこうとする。
≫と富士は見ている。
剣道熱中時代には風呂を焚く薪を割るのに木刀を用いた話や、≪わたしの外出中にやって来て、仕方がないからわたしの弟の中学生をつれて散歩に行くと池があって、どういうわけか死んだ鮒が幾尾か浮かんでいた。
雨上がりなので洋傘をもっていた安四は、それで上から鮒をつく、別に力をこめてつくようではないが、尖がプスリとささる。
呆れてみていた弟に、正夫さん、やってみるかと渡した。
弟がエイッと力をこめてついても、鮒の屍が逃げるばかりで全然ささらない。
太田さん尼崎の前姓はあら剣道の名人とちゃうかと弟があとで話した。
彼がつくと鮒は動きもせず、難なく洋傘の尖がささるとぞっとしている。
こうなれば丸太を木刀で割るということなど何でもないことであろう。
≫とエピソードを記している。
エピソードといえば、京大英文科の卒業間近になって卒業することに意義が見出せなくなった安四は、最後に残った英語の試験をすっぽかしそうなので富士と彼の細君が教室までくっついて行って試験場に入るのを見届けたにもかかわらず、別の入り口から逃亡してしまったそうだ。
何とも不可解な人物である。
この尼崎安四について上田三四二が書いていると何処かで読んで、それがなんという本なのか分からなかったのだが、昨日、田内静三詩集のコピーをお願いした時に祝婚ではないかと教えてもらった。
それなら何度も見かけているなあと思ったところだ。
上田がどのように書いているか、明日オークと海文堂で探してみよう。
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