BUMP「LAMP」について 

2006年11月03日(金) 18時12分
「止まらぬ涙を乾かす為」にランプをつける僕
「なけなしの勇気」で火をともします。
何故こうなったかと言えば
「思いつく限りの夢や理想を詰め込んだポッケに穴が開いていた」からだし、
「もらえる限りの愛や安心を入れたカバンをひったくられた」からです
「なきそう」だし「くたばりそう」だ。

そしてランプに火をともそうとする
するとランプのせいが現れる
「ハロー僕は君の中に潜んでいた情熱のランプだよ」
そいつは僕が落としたり、ひったくられた道を照らしてくれると言う。

そしてランプの精と僕との会話。

「君が強く望みさえすれば 照らし出そう 暖めよう。 歩く為の勇気にだってなるよ。」
「約束しろよ ハートのランプ もう一度僕を歩かせてくれ 」
「変だな僕は君自身だよ自分が信じれないのかい」


ランプの精=僕自身 
ランプと=自分の心だったんです。
心を燃やす=やる気・勇気・力 なんです

「僕」もそれに気がつくわけで、「君が僕に呼びかける声」でもなく
「僕が君に呼びかける声」でもなく「僕らが僕らに呼びかける声」になっています
ランプの精と一体化するわけです。
ランプの精(自分に眠る情熱)の声が
「ようやく聞こえた」ランプの精は自分自身の情熱だと言うこと、
自分にも情熱が宿っていることに「やっと気付いた」
「自分自身知らなかった自分自身」にも気づいた。


「僕の中の情熱のランプ」に今にもマッチは芯にふれます。火がともるのです。

BUMP「天体観測」について 

2006年10月23日(月) 17時27分
藤くんが言うにはこの曲はこれは「星」の歌ではなくて
「雨」の歌だそうです

「午前二時フミキリに 望遠鏡を担いでった」
何故午前二時なんだろう??
午前二時とは、丑の刻だそうです
丑の刻とは、午前二時を中心とする約二時間を指します。
また、「丑」には「紐」等の意味もあり、
そこから、「芽が種子の中に生じてまだ伸びることができない状態」を指すこともですきます
つまり、「午前二時」とは
この「芽が種子の中に生じてまだ伸びることができない状態」を指す暗喩です
この芽がこの物語の主人公(僕)なんでしょう

では、この望遠鏡とは何を表すのか。
基本的に望遠鏡とは、遠く。それも空などの「手の届かないモノ」を見るモノである。
つまり、望遠鏡を担いでいるのだから、それがこの先に必要になっていると考える

「二分後に君が来た 大袈裟な荷物しょって来た」
「二分」とは春分と秋分を表す。漢字で書いたときのみですが。
これが春分と秋分を表すとすると、この単語で伝えたかったのは
「朝と夜の時間が同じ」という事でしょう
望遠鏡が綺麗に活動する時間はだいたい春の場合、午後八時〜午前四時、
秋の場合は午後六時〜午前六時前までで、
これは光の関係上「夜」にしか望遠鏡が使えない事を表します
また、「昼」とは基本的には「日の出から日没」を表す。
「太陽」を物理的な光ではなく、「希望」等の適当な表現に直すと、
「それがあるうちは望遠鏡は正常に機能しない」事になる。
つまり、「希望を捨てた事により機能する」という事になる。

「始めようか天体観測 ほうき星を探して」
無論この主人公の目的は「星を見る事」
この星を「届かない目標」と考えます
なんかプラネタリウムに出てくる星と表現が似てますね、
そして今探しているのは「ほうき星」である。
ほうき星とは、流れ星とは別物で、ほうき星の正体は石や砂粒が混じった氷の塊である。
つまり、流れ星と酷似したほうき星を此処で出す事により、「願いそうも無い願い」を表す。

「深い闇に飲まれない様に 精一杯だった」
「闇」とは光が存在しなければ始まらない。
何故なら、闇を闇と認識するにはある程度の光が必要だからである。
深い闇をブラックホールと喩える。
即ち「深い闇」とは光すら脱出不可能。というか、自分の場所に光が届かない場所を表す。
今は光とは希望を表しているから、「希望の届かない場所に行かないように精一杯だった」

「君の震える手を 握ろうとした あの日は」
震えてるのはきっと寒さの所為だけじゃないんですね。
これもなんかスノースマイルと解釈が似てる
まぁ単純に世間体があるが故に、表に出れない。
それが哀しくて泣いているんでしょうね。
それと手を繋ごう(握ろう)としているので、それと協力しようとする
しかし、それは自らも「光の当たらない場所」に放り込む事と同意義であり、それが出来なかった。

「静寂を切り裂いて いくつも声が生まれたよ」
静寂とは、何も音が無い事を表す単語であり、
その「声」がするまでは全く音が無かったと考える
その中で「声」を生み出す。
「声」というのは人間しか出せないとさえているので、僕と君は人間であると考えられる。

「明日が僕らを呼んだって 返事もろくにしなかった」
明日が呼ぶ。即ちこれは進歩を表すのだろう。
この場合星を「光」とするのであれば、その希望を見えなくする
(明日になるという事は夜が明けるという事なので)と考える。
それに対して「返事もしない」のだから、その進歩を拒む。
即ち「新しい事への挑戦」を絶つという意味と取れる。

「気が付けばいつだって ひたすら何か探している
幸せの定義とか 哀しみの置き場とか」
幸せに定義は存在しない。
何故ならそれは主観によって決定するものであって、正解は存在しないからである。
道徳的に考えると正解はあるのかもしれませんね
これと同様に「哀しみの場所」も存在しない。
これは「哀しみ」という感情表現自体が主観的表現であり、
それを置く場所(即ち表に出さない方法)も人それぞれなのである。
それを探すという事は無意味以外の何物でもない。でも考えてしまう

「知らないモノを知ろうとして 望遠鏡を覗き込んだ
暗闇を照らす様な 微かな光 探したよ」
「知らないモノ」=「探しているモノ」
その後に「光を探す」と言っているので、更に光とも=の関係にある。

「そうして知った痛みを 未だに僕は覚えている
「イマ」というほうき星 今も一人追いかけている」
「そうして」と言っているので、その痛みを知った原因は「知らないモノを知ろうとした」事にある。
尚、この歌詞は過去形なので、昔の事を思い出していると解釈できる。

「背が伸びるにつれて 伝えたいことも増えてった
宛名の無い手紙も 崩れる程 重なった」
敢えて「年齢」という事を言わなかったのは、体だけ大人になったが、その分伝えたい事も増えた。
つまり、成長したのは外見の「体」であって、精神の方は成長していない。
「宛名の無い手紙」は、宛名が存在しないと解釈するのが普通。
つまり、自分自身と=なのである。それが崩れる程重なったのだから、よほど“君”に伝えたい事があった。
しかし、“君”に伝える手段を知らないタメ、手紙は重なる一方である。

BUMP「天体観測」について 続き 

2006年10月23日(月) 16時59分
「僕は元気でいるよ 心配事も少ないよ
ただひとつ 今も思い出すよ」
此方から手紙を出せないのだから、向こうからも此方の状況が分からない筈。
手紙というのは、両者の情報を交換する手段なので、片方だけが一方の事情を知っている方が珍しい。

「予報外れの雨に打たれて 泣き出しそうな
君の震える手を 握れなかった あの日を」
予測もしなかった雨(ほうき星を隠すモノ)に降られた“君”。
“君”は願いを叶えたかった(叶わない願いなのだが)のだから、それが原因で泣き出す。
その震える手を握れなかった。即ち「外に出たいという願いが叶わなかった」ので、“僕”も同情したいが、そうなってしまうと自分の存在すらも危うくなる。
それ故に、手を握れなかった。

「見えてるモノを 見落として 望遠鏡をまた担いで
静寂と暗闇の帰り道を駆け抜けた」
その光はもう近くにあるにも関わらず、それを見落とす。
見落とした理由として考えられるのは3つ。
@ 光が小さい
A 光に近付きすぎている
B 周りが光
@は、その探している光そのものの力が無い事を表す。
この場でこの表現を用いる事により、「私達はつまらない希望にすがって生きている」と言える。
Aは、光に対して近付きすぎ、対象が見えない。
つまり、@とも多少なりの関係はある。
遠くにあると思い込んでいた光が、望遠鏡から目を離した瞬間に、自分にと飛び込んでくる。
Bはそのまま。
周りが光である事を認識するには、少しの闇が必要である。
しかし、これは「静寂と暗闇の帰り道」という表現から「闇が存在する」事が明らかとなり、否定できる。
つまり、結論としては「その光は小さく、その光に近付きすぎているために、それが見えない。」
その光が見つけられないまま、静寂に落ち着き、また遠くを見るために望遠鏡を担ぎ出す。
静寂に落ち着いたという事は、“君”が消えたという事。

「そうして知った痛みが 未だに僕を支えている
「イマ」というほうき星 今も一人追いかけている」
そうして知った痛み(君を消した事)に悔いるために、今生きている。
「イマ」という限られた時を生きている。その時を追いかけている(存在している)

「もう一度 君に会おうとして 望遠鏡をまた担いで
前と同じ午前二時 フミキリまで駆けてくよ」
またその「本音(君)」に逢いたくて、また遠くを見るために望遠鏡を担ぎ出す。
「自分の本音を失った時、人間は無になる」

「始めようか天体観測 二分後に君が来なくとも
「イマ」というほうき星 君と二人追いかけてる」
例え、“君”が存在しなくとも、記憶には残る。
その時の考え方、思想なども、全てとは言えないが覚えている。
つまり、本音は「イマ」を生きている。

*この記事は他の掲示板で書かれていたのを管理人が手を加えたりして編集したものです

BUMP「くだらない唄」について 

2006年10月23日(月) 16時46分
最終的に絵は心の中に描かれたのではないかと思いました。
かかれた絵自体はどっかにいってしまったのかもしれませんけど
閉じこめたその景色は心の中で仕上げられ、しっかりと心に残ってるんじゃないでしょうかね

続ではでてくるタンポポについては
丘の花は黄色にしよう 神様タンポポをさかせて→実際は咲いてない

それと「今夜だけ魔法を唱えてくれ」の部分は
「願いを叶えてくれ」じゃないのはなぜでしょうか?
他に「願いを込める」とか。
願いが叶うことを願ってない。というか叶わないとどこかで分かってる。
じゃあなんで願うの?って感じなんですが。
願いって叶わないと本質的には意味がないですよね?
願うことでどこかで自分を楽にしたいと言う気持ちがあるのでしょうか。
現実と妄想の間で揺れてる感じがします。

@自分を忘れて欲しくないからタンポポを咲かして欲しい。神様に願う。

A時間がたって自分が大人になるのに耐えられない。大人になりたくない

Aにならなければつまり大人にならなければ@をやろうとする必要がない。
あれ?じゃあ大人にならなきゃ全てオッケーじゃん。
むしろ@ってのは大人になることを助長してるんじゃないの?
っていう矛盾に気付いて(目が覚めて)最後の方に狂ったのかもしれません。

どこかで神様に願えば叶えてくれるっていう気持ちがあったのかもしれません。
現実的ではないけど、未来どうなるかなんて分からないっていうことがそういう気持ちを増幅させてる。

BUMP「スノースマイル」について 

2006年10月23日(月) 16時16分
この曲は「ラブソングではない」、という人もいます
それもとてもわかりますね
「愛の歌」っていうわけじゃないと思うんだけど、愛を感じます

歩いている落ち葉の音も
2人のtきはオーケストラに聞こえる
そうゆう夢物語を思いつつ彼女は消えてゆく。
(ちなみに「スノースマイル」=「雪の笑顔」=「消えゆく笑顔」という解釈があるそうです)

*今考えたんですけど、雪のない歌ならタイトルからも雪を取ってしまえ。「スマイル」
雪はなくとも笑顔は残る。 そう、歌詞と一緒です。
「笑顔」という「思い出」は「ポケットに」残るのです。*

↑ここの部分は書いた人のをうつさせてもらいました
本当に私もそう思ったので、

「冬が寒くて本当によかった」と思ったのは
彼女(君)と別れる寂しさを冬の寒さのせいにできるからだったのかもしれません

BUMPの「プラネタリウム」について 

2006年10月23日(月) 16時07分
この曲はたぶん恋の曲だと思います

一人暮らしで恋をしている自分のすんでいる四畳半
寂しさに四畳半の部屋を広げたくなる
好きな人の名前をつけた星をつくるために実在しない穴を開けてみる
他の穴とあまり変わらない大きさかもしれない

でも「消えそうなくらい輝いてて」という部分に
自分にとってあの人はとても大きな存在だということが示されている

一番眩しいあの星の名前⇒⇒好きな人の名前
ということで自分の部屋にあの人の星を閉じこめる
でも自分の部屋にある星では背伸びすればたやすく届いてしまう、

届いて欲しいでも届かない
消えそう、でも消えない

「この星は君じゃない 僕の夢 本当に届くわけ無い光 でも消えてくれない光」
というふうに心の複雑さが表れています

泣きそうなくらい好きになってしまっている
そうゆう恋心が揺れるのを描いた歌なんではないかと思います

BUMP「乗車権」について 

2006年10月22日(日) 19時15分
乗車権って人間の汚い部分を詰め込んであるような 気がします。
歌詞の中にもあるんですけど、乗り遅れるだろうとか自分の為ですし
「空席に鞄置いてんじゃねぇ」とかよく見かけるし迷惑じゃん。
「我先に群がり・・」とかもやっぱりなんか醜いコトバ

歌詞に出てくるバス(人間の汚い部分)が夢の先に連れてってくれる。
で、その後にどうだろうって善いとも悪いとも言ってない
だから主人公はこのバスに乗ることが善いか悪いかも知らずに
乗ろうとしてる
強く望むこと⇒夢だからそれが結果論として乗車券となり、その望みの先に連れてって
くれる。

それでも夢を果たそうとする人間が後を絶たない
行列を作ってまで自分の夢を果たそうとする人間の汚い部分。
次に主人公は取り敢えずと言ってると思う

人が群がる所に行こうとするのも人間の汚い部分。
人を蹴落としてまでバスに乗ろうとするその姿勢も汚い部分。
どうせ大層な望みですらなくとも叶えようとする。
それも汚い部分。

そして深く考えると
「乗車券」は、ただ乗車する事が出来る紙
つまり、ただ夢の先を見るために必要なもの
「乗車権」は、本当の夢を見るために、乗車し夢を見れる権利
つまり、本当に夢を思うものが持つことの出来るもの

「乗車権」があれば、自分が夢に対し努力した結果が見れる。
でも、「乗車券」の方は、ただ夢を見ることしか出来ないんです。

そしてこの曲に出てくるバスは化け物で、
バスに乗る人(強く望む人)の「夢」を喰って走る
腹ペコって事はまだ誰の「夢」も喰っていない状態
喰いすぎたって事は乗った人の「夢」を喰いすぎた状態と言う事です。


でも他の考えをすると、
バスというのは夢をかなえるために使うものとして
あらわされています
まじ本当に自分の持った夢であれば
自分で自分の力でかなえようとするはず、
だからバスに乗る人は自分の夢がまだちゃんとした形になってないだけで
わわりに流されてどうでもいい夢でもかなえようとバスに乗っていくんだと思います

BUMP「アルエ」について 

2006年10月22日(日) 19時13分
☆豆知識☆
アルエというのは漫画「新世紀エヴァンゲリオン」
の登場キャラクター、綾波レイのイニシャルRA
またはAREから由来しているそうです。


僕にはとても可愛く見える君。
でも、なんで一人なんだろう?何で笑わないの?何で泣かないの?
僕が側に居てもいいかい?いや、これから一緒に居るよ。
君の心を見せてよ。やっぱり君の素顔が素敵だ。
君が笑ったときのその笑顔は君が生きている証拠。
だから、君らしく生きていこう。 ということを歌ってると思う

BUMP「Title of mine」について 

2006年10月22日(日) 19時09分
自ら一人を望んだけど、やはり人に触れていたいと気づく。
それを恥じるけど、気づくと君に触れていたいと思う自分がいる。
この感情は何だぁ!?

それは「孤独を 望んだフリをしていた」だけで、
ホントは人に触れていたかった
「その手に触れて いつか離れる時が来るのが恐かった」だけだった

最後には「誰も居なくて 一人なら、こんな歌を唄う俺の生きる意味ひとつもない」
と一人では生きていく意味はないという気持ちを持って終わっています。

この曲は、藤君が本音で書きすぎて歌うのを嫌ったそうです。

BUMP「ベンチとコーヒー」について 

2006年10月22日(日) 19時06分
「藤原から直井への誕生日プレゼント曲」らしく、歌詞中の俺=藤原、おまえ=直井らしいです。
歌詞も実際の藤原の1日らしいです。
「ダメな俺」を歌うけど、こんな1日も「オマエ」は笑ってくれるんだろうなぁ。こんな思いもお見通しなんだろうなぁ。
いつもの顔でコーヒー飲んで隣にいてくれるんだろうなぁ

ということだと思いますッ

*他サイトのコメをみて参考にして書いたりしてますッ