この度の東日本大震災により被害を受けられた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
あゆかわ荘は、たくさんの皆様にご心配いただき、本当に感謝しております。
電話やブログへのコメントなどたくさんいただきましたが、連絡できずにいて申し訳ありませんでした。
震災から三週間が過ぎてようやく落ち着いて来ましたので、連絡を下さった方々への個々のお返事の前にこの場で大まかな報告をさせていただきます。
震災当日、私は自宅にいましたが、大きな揺れに恐怖を感じすぐさま外に飛び出しました。
まだ揺れが続いているなか、津波が来ると思い実家の母親を助けるために車で迎えに行こうと思いましたが、あまりの揺れのひどさに身動きがとれませんでした。
そうこうしている間に、道路沿いのブロック塀が倒れたり、道路が陥没したりしました。揺れが収まってすぐに下のほうから一台の車が登ってきて「3メートルの津波が来るぞ!!」と言いました。
私は慌てて坂の下に住んでいる母を迎えに行きました。
丁度玄関の前に出ていた母を車に乗せ、急いで戻ってきました。
その頃、高台になっている自宅の周辺は、車で逃げる人、歩いて逃げる人でいっぱいでした。
私は、津波が来るのかなあ、ここにいて大丈夫かなあ、もっと高いところに逃げたほうがいいかなあ、と心配しながら海を見ていました。
すると静かに波が押し寄せて来ました。
それからのことは正直あまりよく覚えていないのですがとにかく何度も何度も波が押し寄せて来て、家も車も船もあらゆるものが持って行かれました。
港の堤防は崩れ、清崎の海の底が見える程の恐ろしい引き波を余震が続くなか、日が暮れて暗くなるまで茫然と見ていることしかできませんでした。
当日、主人は石巻の日和大橋(北上川の河口)付近で仕事(船のドック)中、長女はその対岸の薬局で実習中、そして次女は高校からの帰宅中かも知れず、安否がわかりませんでした。
川の近くにいた主人と長女は津波から逃げられただろうか、バスに乗っていたかも知れない次女は無事だろうか、とにかく無事でいてほしいと祈ることしかできませんでした。その日の夜は家が流されてしまった親戚たちと集まって、余震が続くなか6畳間に懐中電灯の灯りを点けたまま寝ました。
翌朝起きて見ると、自宅の前の道路は電信柱や流された家などがあり、通ることができなくなっていました。
すると、主人と同じ職場の人が訪ねて来て「俺より先に出発したのに(主人は)帰っていないのか」と言われたとき、ああどこかで津波にのまれてしまったのかなあと思いました。
避難所でじっとしているような人ではないので、もし生きているなら少なくとも今日のうちに絶対帰って来ると信じていました。停電になってしまったし、道路も寸断されてしまったので、無事を祈ることしかできませんでした。
しかし、夜になっても帰って来ませんでした。
ああ今日帰って来なかった、駄目だったのかなあ、と思ってしまいました。
夜寝ていると玄関があく音が聞こえ、まさかと思い玄関へ行くとなんと主人が入って来たのです。
石巻から途中川のようなところをイカダに乗ったりしながら12時間以上もかかってやっとの思いで帰って来たのでした。
そして地震の直後に長女、次女とメールのやりとりをしたと聞かされ子供たちも無事だったのだと心から安心しました。その日の夜は、地震以来初めて眠ることができた夜でした。
地震の直後から停電と断水になり、携帯の電波も圏外になってしまいました。
数日間は給水車も来なかったので、買い置きの水とろうそくと懐中電灯で過ごしました。
一週間目頃から配給で食料が一般家庭でも配られるようになり、助かりました。
今現在も停電と断水は続いておりますが、配給やボランティアの方々から頂いた食料のおかげで我が家は食べるものには不自由のない生活をさせていただいております。
また携帯の電波のほうは通じるようになりましたが、まだ安定しておらずときどき圏外になるような状態です。さらに、携帯の充電は停電しているため役場まで行かなければできません。
ただ役場には災害時公衆衛星電話があるので、携帯の充電をさせてもらっている間、電話を頂いた方に順次折り返し電話をさせていただいているところです。
(※災害時公衆衛星電話は、非通知になっています)
民宿に関しては修繕が必要なところがあるため、当分の間は休業になるかと思います。
なるべく早く修繕したいとは思いますが、結構な費用がかかることが予想されるため、今のところ目処は立っておりません。また、主人の仕事のほうもどうなるのかはっきりしていないし、民宿を休業することによって収入がなくなるという問題もありますが、何よりも今は大学生と高校生の二人の娘を学校に通わせることを優先したいと思っています。このような状況ですが、頑張っていきたいと思っておりますのでどうぞよろしくお願いします。
長々と書いてしまいましたが、一番嬉しかったのは、電波が通じたときにたくさんの電話やコメントで心配のお言葉や励ましのお言葉を頂いていたことを知ったときです。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
これからも私たち家族をどうぞよろしくお願い致します。