インド日記2011その11:リサイクリングセンターで5 2011年11月8日
ゴミの仕分けをしていたら、ゴキブリが出た。
みんなが騒いだ。
ある人が、"大丈夫よ、私たちに危害は加えないんだから。
ただそこらじゅうを歩き回って、いつも何か食べてるだけ"といった。
別の子が、"そうそう、私たちみたいにね!いつもいつも、何か食べて。。。何でも食べて。。。"
私たちはみんなで苦笑した。
そうだよねー、ほんとにゴキブリと私たち、そんなに違わない。
ただ欲求のままに生きていたなら。。。
着飾ったり、所有したり、見栄を持たない分だけゴキブリの方がましかもしれない。。。
識別力を持って、愛と思いやりを持って、
スピリチュアルな生活を送ってこそ、人間としての尊厳がある。。。
私たちは、おいしいものを食べるためなら、
高いお金を払っても、長く待たなくてはいけなくても苦にならないほど、それを求める。
でも、お腹いっぱいになって(すぐになってしまう)もういらなくなると、
それはゴミとなり、腐敗し、悪臭を放ち、嫌われる。
どんな美しく、おいしく、いい香りのものも、いつかそうなる。。。
ゴミと向き合いながら、しみじみ感じた。。。
時にはうれしい?!ゴミもある。
ラベンダーの精油の使い残しを見つけ、テーブルにまいたり。
テンプルからのゴミなのか、アーユルウ゛ェーダホスピタルからのゴミなのか、
祈りの儀式でくべられるカンファー(樟脳)やハーブ類が大量に出てきたこともあった。
ひとつひとつ小袋を開けて、中身を出す。
何かの種、木片、クローブ、ターメリックなんかもあった。
これと一緒に燃やしたら、ゴミの供養になって、空気も清まって、
ホーマ(火の儀式)になるね、と笑った。
ごみ捨て場にも美はある?!
一方で、聖なるテンプルの中で神に献身の歌を捧げているからといって、
必ずしも美しいシーンであるとも限らない。
リサイクリングセンターでの仕事を終え、髪を洗い、白いサリーに着替え、
清らかな体と気分でテンプルへ。
今日は前の方のよい場所を確保できた。ラッキー!
と思っていたら、いつも泥まみれで枯葉拾いをしているおばちゃんが割り込んできて、
私は仕方なく後ろに下がって譲った。
(その人はとても熱心に仕事してそれはすごいのだけど、
ちょっと物忘れがひどくていろんなことが分からなくなってしまうことがよくあって、
泥まみれのままテンプルにきてしまったりする)
そして、私がうっとりと歌に酔いしれていると、
別のおばちゃんとともに、しょっちゅう今は何ページのどこを歌っているのか?と聞いてくる。
枯れ葉のおばちゃんからは虫がたくさん出てくるし、
何故かその日のリードボーカルは調子外れだし、金切声で血管が切れそうになって歌ってるし。。。
私は大きくイラつくとか、嫌だとかは感じなかったけれど、
自分の一定の静けさが"乱された"と感じた。
そして、リサイクリングセンターでのことと共に、
本当にこの世界は醜いものがいっぱいだ、と思った。
この世界は、醜く、汚く、臭い。
でもその一方で、
この世界がどんなに美しいか、
おそろしいほどの美しさも知っている。
自然も、虫も、動物も、人間も、神々も。。。
この世界は、美しくて、醜い。
それはいつもある。
醜いものから美しいものへ。
美しいものはいつか醜くなる。。。
私はただそうなのだ、と認めて受け入れるしかない。
いつも父のようにアドバイスをくれるインド占星術師に、
"この世界はすごく美しい。そしてすごく醜いです。"というと、
"そうだよ。けど醜いってことがなかったら、
どうして美しいってことが分かるんだい?
悲しみがなかったら、
幸せだってことがどうやって分かるんだ?"といわれた。
悲しみや辛さがなくても、いつも幸せを感じられたらいいのに。
私たちは、風邪を引いて咳が止まらなくて苦しいときだけ、
楽に呼吸できる幸せを感じる。
でもすぐに、またその幸せを忘れて、呼吸していることさえ忘れてしまう。。。
世界の美しさ、醜さ、幸せ、悲しみ、
どんな面を見ても、いつも内なる静けさにいられますように。。。