いろんなこと

August 15 [Sat], 2015, 22:06
おかまの自称という自傷をやめます、と宣言した記事を、いまだに読んでくれる人たちがたくさんいて、その流れに乗って読み返してみたら、自分のたくましさに、自分で励まされてしまった。

おかま、という記号を受け入れていた日々の悔しさ、とてつもない厭世観は、ちょっとものすごいものがあった。いまだに夜、あの頃のことを思い出して眠れなくなったり、パッと目が覚めたら泣いていたりすることがある。はっきり言って、記号を押し付けてきた人たちにも、便乗して踏みつけてきた人たちにも、めちゃくちゃ怒っている。自分ではじめたことじゃん!と言われたらそれまでなのだが、でも自分ではじめる、というところに行かなければならなかったのは、どうしてかって話である。もちろん、それに屈し、差別に加担してしまった自分のことも、許せないままでいる。

ちなみに、「おかま」という記号への拒絶は、「おかま」という記号に属されてしまう人たち、それに争わないことを選んだ人たちへの拒絶ではない。こうして勝手に囲われたり、弄ばれたり、囲いのなかで対立させられたりする構造、状況そのものへの拒絶なのだ。

それと、前回のブログでは、まだ頭がまとまっていなかった部分もあり、怒りのままに書いてしまったが、「おかま」という記号を貼っていた当時、仕事をくれた編集者さんたちのほとんどは、「アヤちゃんがおかまだから、仕事を頼んだわけじゃないよ」と、導いてくれる、きちんと書かせてくれる人たちばかりだった。記号に甘んじ、道化であろうとしていた自分の姿勢を、叱ってくれる人もいた。それは、読者さんたちもそう。もちろん、記号だけを消費しにくる人も、いなかったわけではないのだが、そういう人たちは、わりとあっさり離れていった気がする。

あの日々を経て、というか、この人生だったからこそ、わかるようになったことも、感じられるようになった痛みもたくさんあって、だんだんと、それが見えてくるようになった。でも、それでも思ってしまうのだ。自分の性別も、性的指向すらもわからなくなるほどの混乱って、必要だった?

だけど自分は、とりあえず、なんとかスタート地点には立てたんだと思う。
自分は、だれがなんと言おうと自分だし、どんな嘲笑にも負けない。肉体も思想もすべて自分のものだから、もう誰にも譲ったりはしない。
なのにこんな生き方、人らしい生き方、したことがないから、わからなくなる。本当にこれでよかったんだろうか。これを、自分は望んでいたんだろうか。

前向きな再構築、リベンジの闘争を、「ホーム・スイート・ホーム」「私帝国」というふたつの連載ではしていくつもりだった。
だがふたりの自分は、見事に揃って、明るい方へは行っていない。一方は沈み、一方はヘラヘラとあらぬところを走っている。なんとなく終わりが見えてきて、自分の心がどうなるかを観察しているところだが、もしかしたら希望なんて、書けないかもしれない。でもあと少しだけ、ギリギリまで、がんばってみようとも思っている。
いつか振り返ったときに、愛おしい日々になってくれたらいいな。
いまはそれだけが、楽しみって感じである。


ご報告

September 18 [Thu], 2014, 22:47

こちらではお久しぶりです。少年アヤです。
最近、“おかま”の自称という自傷をやめるという、個人的におおきな出来事があり、ツイッターではフォローしきれないので、ここに書いておくことにします。

“おかま”の自称をはじめたのは、19歳の春でした。
それまで、多少ナヨナヨしたところのある、少女趣味の男子、として生きていたし、そのスタンスでブログも書いていたけれど、世間からのプレッシャーをずっと感じていていて、それといちいち戦うのに疲れたのと、ラベルひとつで楽になれるなら、という思いで、白旗をあげてしまいました。

「おかま」というラベル、記号のおかげで仕事を得られたり、読者が増えたりと、いいこともたくさんありましたが、それによって擦り切れていく部分のほうが多く、気が付いたらローソンに駆け込んでからあげクンを大漁に買い、ラーメンの丼に盛って一晩中食べたりしていました。結果、17キロも太り、“おかま”として呼ばれたイベントの壇上で、ひとこともしゃべれなくなってしまったこともありました。

ご存知ないかたも多いようですが、“おかま”は蔑称、差別用語です。
わざわざ自称する人(タレントさんとか)が多いのは、うまく逆手に取って世渡りする生き方を選んだ、ということでしょう。そういった姿勢が差別を助長するという指摘もありますが、私は社会構造上仕方のないこと、やむをえない生存戦略だと思っています。個人の選択の善し悪しでははかれない問題です。だから差別って難しい。

そもそも、どんな人を“おかま”と指すのか。細かく色々あるみたいですが、おおまかに言えば、身体と心の性に違和感がある人、性自認は男性でも、女性性の強いゲイの人などです。
私は、強いていえば後者でしたが、女言葉を使ったり、女の子になりたいと思ったことはありませんでした。しかしそれでも、男らしくない、ナヨナヨしている、少女趣味だというだけで、男子は「おかま」と笑われてしまう。そしてそのうち、追い詰められていくのです。
つまり私は、自分は自分だ、と言い切る力を、世間から完全に削がれていたのだと思います(あえてこういう言い方をしています)。

ですが、自称と引き換えに、笑顔で踏みつけてくる世間(バカの集合体)に疲れたのと、こういう生き方を選ぶことで、そうしなかった誰かの立場が苦しくなることに(自分は)耐えられないので、やめることにしました。

私は男子です。フリフリやキラキラの大好きな、男子です。

こう言うことが、抑圧うんぬんもそうですが、なにより自分に対して出来なかった。自分は男だ、と宣言することに、強い罪悪感があった。



上記した、社会的な理由だけでなく、そもそも、ナヨナヨした男子、という状態に追い込まれなければならなかった理由が、もうひとつあるのですが(というか、そっちのほうがでかいのかも)、それは本に書きましたので、読んでいただければ幸いです。「少年アヤちゃん焦心日記」、河出書房新社より発売中です。一年間、見るつもりのなかった自分が次々と迫ってきて、私に書けってささやいた。
(当ブログを元にしたエッセイ集「尼のような子」もおねがいいたします。)

セクシュアリティについてですが、どうやら、ゲイだと断言するのはむずかしいみたいです。というか、セクシュアリティの断言なんて、私はしたくないのかもしれません。だって、人ってうつろっていくものだから。いまはとりあえず、女の子も男の子も素敵だと感じている、という感じでしょうか。


長い葛藤でした。しかし、ようやくひと段落がつきました。
でもそれは、完全なる解決、解放だとは到底思えない今日このごろで、たった一人が自由に生きることって、こんなに難しいのだなあと痛感しています。自由になりたい。明るいところを目指したい。


こんなぼくですが、今後もどうぞ、ごひいきに。


追記:新連載、ホーム・スイート・ホーム、はじまりました。家を出て、記号を剥いで、素っ裸になってしまったぼくの、再構築の記録です。




ご挨拶

February 08 [Sat], 2014, 3:30


このたび、当ブログが祥伝社さんから書籍化されることになり、無謀にも全編書き下ろしを行いました。
思えば、当時は本当に言いたかったこと、役割やキャラクターを越えて書きたかったことを、充分に表現できてはいませんでした。力不足だったのもあるし、臆病だったというのもあります。
もちろん、今も完璧とは言えませんが、今回の書き下ろしを通し、少しはそんな無念さを晴らせたのではないかと思っています。



8000千にも及ぶ記事たちは、一部を残し、一旦封印することにしました。
それは、過去を否定することでも、覆い隠すことでもなく、これからも人生は続いて行くという宣言のつもりです。それなりに愛おしい、7年にも及ぶ愚かな奮闘の記録は、きわめてプライベートなものとして、後生大事に保管し続けていくことでしょう。

7年間ご愛読くださった皆さん、声をくださった皆さん、本当にありがとうございました。
今後ともよろしくお願い致します。




2013年の秋、気絶しそうな絶望のなか、逃げるように旅立った時間旅行。

尼のような子、3月3日 桃の節句 おんなのこの日(仏滅)に、発売です。

「韓流依存、叶わぬ恋、ニート生活、某俳優への愛憎、下半身トラブル、アイドル信仰……
孤独で清純な魂を抱えこの世を彷徨う少年アヤの果てしない迷走の記録。行き着く先はどこなのか。
ブログを基に全編書き下ろされた苦しくなるほど鮮やかな追憶。束の間の時間旅行…」


amazonでも予約がはじまっています。
少年アヤ「尼のような子」


写真は森栄喜さん、装丁は坂脇慶さんにお願いしました。


お知らせ

September 10 [Tue], 2013, 1:00
P R
プロフィール
  • プロフィール画像
  • ニックネーム:少年アヤ
  • 性別:男性
読者になる
ツイッターhttp://twitter.com/omansiru

最新コメント
miho
» いろんなこと (2015年08月26日)
みこ
» ご報告 (2014年09月18日)
ひさ
» ご報告 (2014年09月18日)
ももか
» ご挨拶 (2014年03月01日)
カテゴリアーカイブ