2016 --- 2017

January 04 [Wed], 2017, 9:56

 去年がどんな年だったかって、考えると結構混乱する。世界にとっては激動で、うそみたいなことがどんどん起きて、あらすじを書き止めようとすればするほど時代が動き、ノートが「起」で埋め尽くされてしまう。そういう年だった。
 「起」「起」「起」。
 また、「起」「起」「起」「起」。
 この先に、「起」と同じ数だけ待ち構えている「結」は、どんなものだろうと想像すると結構こわいけれど(広大な地雷原のようなものをイメージしてしまう)、なんだかんだ希望は負けないな、というのも同時に感じた年だった。いまはまだ、ロウソクの火みたいに頼りない光かもしれないけれど、これを信じていればきっと大丈夫。
 ただはっきりとそれを口にしてしまうと、鼻息の荒い、あわてんぼうの人たちがやってきて、たちまち吹き消してしまうかもしれないので、たいせつに胸に秘めておこう。

 一方で、時代とは関係のない(まったく関係のないってことはないんだけども)、僕個人の2016年がどうだったかって思い返すと、比較的静かだった。少なくとも、ここ数年立て続けにあったような派手な変化はなく、長い冬のように、雪のなかでジッと春を夢見ているような、そういう年だった。 
 いや、そんなこともなかっただろ、と自分のなかで声がするけれど、一言で言うとすれば、やはりそうなってしまう。
 とにかく一年をかけて、あたらしい本と向き合っていた。それしか記憶がないくらいに。
 ほかの仕事もほとんどせず(不義理をしてすみません)、おかげでなかなかひもじい思いもしたけれど、わりとたのしんでいた。余計なものがたくさんある暮らしより、ずっと自分に合っていたんじゃないだろうか。まあ、ずっと続けたいとは思わないけど。
 本は、昨年末にようやく形になり、ぼちぼち皆さんの元にも届き始めている様子。気がついたら、前著のから2年も経っていたけれど、でも2年かかんなかったらウソでしょ、とも思う。
 とはいえ、いろいろと現実的な不安もあったのですが、トークイベントやらサイン会やらで、久々にたくさんの読者の顔を見ることができて、なかなかハッピーな年末でした。
 直前に、びっくりするほどかなしいこともあったけれど、おかげでだいぶ救われた。現在進行形の言葉や、笑顔が、どれだけ強い力を持つか。そう思ってしまうことも、ある意味では残酷なんだけれど、でもこの世界は、もう僕たちだけのものだから。
 今年は、できるだけ外に出て行こうと思うので、またどこかで会おう。
 すくなくとも、生きている限りはそういう気持ちでいよう。また会おうねーってさ。
 ともかく、今年もよろしくお願いします。

 

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 以下、いくつかお知らせなど。

 1月7日(今週末)には、ヴィレッジヴァンガードお茶の水店にて、新年早々のイベントを行います。質疑応答式で、お客さんの質問にどんどん答えていく形式みたい。
 観覧フリーとのことなので、ぜひお気軽にいらしてください。お茶の水店さんは、デッドストックのファンシーグッズなんかがたくさん売られているので、お買い物するのも楽しいはず。
 終了後にはサイン会も行います。あけおめ、とか言い合おうよ。

 詳細は、担当さんが随時こちらにまとめてくださっています。
 
 ウェブ平凡日記--少年アヤさん「果てしのない世界め」発売&イベントお知らせ

 
 また、青山ブックセンター本店、ブックファースト全店、ヴィレッジヴァンガード各店にて、特典のリーフレットが配布されています。冒頭の詩の別バージョンと、裏面には連載時に描き下ろしたイラストがプリントされています。どちらもなかなかいい。
 
 こうして挟んで使ってください。









オマケ。
元日にひいたおみくじ。なんだかセーラームーンみたいでしょ。



果てしのない世界だっちゃ

December 23 [Fri], 2016, 2:54

新刊、発売になりました。




「ウェブ平凡」で、プロローグと第1章の前半のみ読めるようになっています。

http://webheibon.jp/home_sweet_home/

告知など

December 13 [Tue], 2016, 18:43
本が出来上がりました。

都内では、おそらく16日発売、17日には全国に行き届くとのこと。








“おかま”という記号を脱ぎ捨て、いばらのような環境を這い出て、すっぱだかになってしまった自分の再構築の日々を、小説(ものがたり、というほうがニュアンス的にしっくりくる)という形で切り取っています。

本の発売を記念して、いくつかイベントやサイン会など、やらせてもらえることになりました。
ひとつめは、詩人の文月悠光さんをお招きして、同世代の書き手としてトークします。

「いま・書くこと・生きること」
青山ブックセンターさんにて。
2016年12月17日 (土)
18:00〜19:30
開場17:30
http://www.aoyamabc.jp/event/imakakuikiru/

書くということ。書いて生きるということ。
その矜持(おおげさかな)とか、覚悟とか、やんなっちゃう話とか、いろいろできたらと思っています。
12月の土曜の表参道、きっと綺麗だろうから、原宿で降りてちょっと歩いてみてはいかがですか。
僕はそうするつもり。


ふたつめはサイン会です。
天下の下北のヴィレヴァンさんにて。
2016年12月23日(金)
20:00〜〜
https://twitter.com/vvshimokita/status/805408577439436800

なかなか近い距離で読者さんに会うことってないので、お互い緊張してしまうかもですが、それも込みで、いまは楽しんでおきたい気分です。ちょっとお話なんかもしましょう。


1月にもチラホラと、イベントなどさせてもらえるみたいですが、とりあえずふたつだけ。また追って告知します。

ぜひぜひ、顔を見にきて&見せにきて。

お待ちしています。

果てしのない世界め

November 29 [Tue], 2016, 21:00

 

 新刊が出ます。小説です。





 16日発売だそうです。
 写真はyuichi tanizawaさん、装丁は佐々木暁さんにお願いしました。
 かっこいいでしょ。くわしくはこちら


 大勢のひとじゃなくていい。
 切実なひとのところへ、いまにも凍えそうなひとのところへ、きっと言葉が届きますように。
 大切な読者と、関わってくれる大人たち、そして最高の友人たちみんなに、この本を捧げます。




 

 ⁂ 少 年 ア ヤ ⁂

まみのこと

November 23 [Wed], 2016, 15:37


 まみがどっかいった。
 おかげでいろんなひとたちが、いろんなかたちでびっくらこいてる最中だ。
 僕は身体じゅうがバラバラになって、それぞれ別のことをしゃべっているって感じで、ちっとも気分がまとまらない。
 もやもやしたまま夜になり、闇のなかに沈みこもうとしても、たのしい思い出がすぐにかなしみをつぶしに来るので、うまくいかない。
 そうしていつの間にか朝になり、まみのいなくなったこの星の、うつくしすぎる朝焼けを、ひとりでながめるはめになる。
 せっかくだから、気持ちの整理もかねて、いくつか思い出を記録しておこうと思う。

 まず、友達とみんなでたらふくイタリアンを食べたあと酔っ払って、渋谷の路上でラインダンスを踊ったこと。
 それがあんまりたのしかったので、きちんとバレエ教室に通ってみようという話になり、いろいろ準備をしていたにもかかわらず、一日目からいきなり休講になったこと。
 まみと僕は、それに気づかず朝イチで教室に行ってしまって、がっくり肩を落としながら、世田谷の住宅街をとぼとぼ歩いた。
 朝のひかりのなかで、立派な家や、おしゃれなアパートをながめていると、がっくりしていた肩がどんどん解けていって、まるでウインドウショッピングをしているみたいな気分になってくる。
「わたし、あの家がいいなーー」
「えー、ドアの色がへんだよー」
 勝手なことを言い合いながら、気ままに歩いているうち、ふたりの好みがぴたりと重なる家があった。
 ここで、みんなで暮らしたらたのしいねとか、酒飲みのくみちゃんが、きっと父親がわりになるんだろうね、とか笑っていたら、どんどんたのしくなってきて、かわるがわる家のまえで、我が物顔の写真を撮りあった。
 そのときの写真が昨日出てきたけれど、まみ、すごい調子に乗ってる。
 満面の笑みで、顔がちぎれそうになってる。

 深夜にとりとめのない会話をしていたら、突然エヴァンゲリオンの話題がヒートアップし、ふたりしてコスプレ衣装を衝動買いしたこともある。まみは綾波レイ、僕は碇シンジをえらんだ。
 けれどいざ届いたものを着てみたら、全身タイツのように股間が浮き立ち、そのくせお腹まわりだけ妙に生地がたるんでいて、まるで発情したムーミンみたくなってしまった。
 ちなみにまみは、巨大な白イルカになっていた。それはそれで似合っていたけれど、綾波レイかと言われたら全然ちがう。
 ふたりで写真を交換し、膝から崩れ落ちるほど笑った。

 まみの誕生日にディズニーランドに行く途中、みんなで東京駅で買ったお弁当があまりに美味しそうで、どうしても我慢できなくなり、ガラガラの電車のなかで食べてしまったこともある。
 もぐもぐと小ぶりな天むすを頬張りながら、こんなこと、いまどき小学生だってしないよねーって笑う目尻のしわがすごくきれいで、でも着ていたのはバラみたいに真っ赤なワンピースで、怪しげなサングラスまでかけていた。
 ランドに着いてからは、誕生日のひとにだけ配られるメダルをうれしそうに首からさげ、クルエラ・デビルの派手なかぶりものをかぶり(一日いたけれど、あんなのまみしか買ってなかったぞ)、ほかの誰よりもおおきな声で笑う。
 いつも、いつもそうだった。浮かれるということも、派手に装おうということも、全力で、まっすぐにやろうとするひとだった。
 そういうまみの笑顔につられて、みんなも笑顔になる。
 照れとか、戸惑いとか吹っ飛ばして、すごくピュアなところに、みんなを連れていってくれる。
 そこにいったら楽しいかもって、強く信じさせてくれる。

「おかしくって、涙がでそう」

 キャンデーズが、「微笑がえし」のなかでそう歌っていたけれど、いま直面しているまみとの別れは、まさにそういう感じだ。
 史上初というくらい泣かされているし、さんざん心を掻き乱されているけれど、どうしてもたのしい思い出に、涙が回収されてしまうのだ。
 いったい僕にとって、まみってなんなのだろう。もちろん、最高の友達であることに間違いはないのだけれど、もっとしっくりくる言葉がある気がする。
 仲良くなって以来、実はずっとそのことを考えつづけていたのだけれど、ここ数日、まわりの大人や友人たちが託してくれた言葉から、やっと答えをみつけることができた。

「まみさんはね、あなたのことを、いつもいつも気にかけていたんだよ」

 年下であり、書き手としては後輩でもある自分と、つねに対等であろうとしてくれていた彼女の姿勢に甘えないように、こっそり背伸びをしたり、わからないことでも知ったふりをしていたこともあったけれど、もう認めないといけない。
 僕は東京では、自分がまみの弟なんだと思ってた。
 そしてそういう関係性を、とても気に入っていた。

 ニュアンスが難しいのだけれど、なにもかもを包みこむ、聖母のような姉ではなくて(そんな聖化、きもすぎるし)、わんぱくなサザエさんみたいな感じだ。もしくは、ちびうさから見たうさぎちゃんかな。ああ、こっちのほうがしっくりくる。
 照れくさいからはっきりと確かめあったことはないけれど、葛藤していることの根元がたぶん似ていたし、書くことで越えたいものの正体も、やっぱり似ていたように思う。そういった血の流れによって、深いところで繋がっているんだと、すくなくとも僕のほうは感じてきた。
 もちろん僕は、まみほど真摯じゃないし、きれいでもないんだけどね。パニくるとすぐにうんことか漏らすし、それに対する罪悪感もない。おまけに人望もない。
 そしてまみのまわりには、同じくらいにピュアでまっすぐな、最強の仲間たちがついていて、その輪のなかにすっぽりとおさまっているまみの姿にいつもあこがれていた。
 自分もはやく、そんなふうにならなきゃと、どこか焦っていたくらいに。

 こうして書いていると、喪失感が、現在認識しているよりもずっとおおきいことに気がつく。けれどぽっかりあいたその穴にだって、いまは笑いが吹き荒れるんだ。
 作り笑いなんかじゃないよ。むなしい笑いでも、くるしい笑いでもない。
 ほんとのほんとの、大笑い。
 そのうち、なぜ逝ったーーっ!と叫びたくなったり、ズーンと落ち込んだりするのかもしれないけれど、関係ない。すくなくとも、いまこの瞬間の自分には。
 
 まみ、まみって最高におもしろかったよ。
 きっと人間が滅んだって、地球が爆発したって同じ。おもしろかった。超たのしんだ。誰にも奪えない、変えられない、消えていかない事実。そして、価値。
 これはちょっと、すごい財産だと思うんだ。

 ちなみに、形見分けにはいくつかのアクセサリーと、机にあったケータイ大喜利のボールペンをもらっといた。
 聞きづらいんだけど、もしかして投稿してたの?
 そんときの記念品なの?

 うけるなあ。ほんと、超うけるよ、まみって。
 
 


偶像と実像

October 08 [Sat], 2016, 15:29

 子供のころからずっと、自分の顔が嫌いだった。
 それは二年前、限界まで脂肪を脱ぎ去り、自分史上もっともうつくしくなってからも変わらなかった。
 だから僕は、うつくしく練り上げられた、ほとんど実像とはいいがたい自撮り写真を愛した。
 いまここにいる自分を、存在しないことにするために。

 そんな僕には、自撮り以外の写真なんて受け入れられるはずがなかった。旅行先なんかで、せっかく撮ってくれた人の前で、こんなのは自分じゃないなんて、言ってしまったこともある。
 いまにして思えば、二年前の僕は急に自分を縛っていた記号や価値観やなんかが消えて、強烈にすがれるものが欲しかったのかもしれない。それが自撮り写真という偶像だなんて、アイドルに理想の自分を投影し、崇拝していた頃となにも変わっていないじゃないか。
 
 成長しない自分に落胆しながら、ふらふらと迷走を続けていた僕を変えてくれたのは、友人たちだった。
 あるときはデジカメで、あるときはチープなインスタントカメラで、嫌がる僕をしぶとく撮影しつづけてくれたのだ。
 友人たちは、僕のことをうつくしいとも、うつくしくないとも言わない。
 ただただ、「いい顔だ」と言ってくれる。

「いい顔」

 それは、顔そのものや、まして写り方のことじゃない。美醜のことでもない。
 生き樣、人生そのものを肯定してくれる言葉だった。
 だったら僕はもうすこしこの顔を、これまでの人生が滲んだこの顔を、愛してみてもいいんじゃないか。

 もちろんすぐにではなかったけれど、だんだんと、そう思えるようになった。

 昨日から参加している「アイドル展」には、そんな友人のうちのひとりであるフォトグラファー・尨犬晃との合作で参加している。
 偶像にすがっていた過去の自分から、いまの自分に至るまでのゆるやかな変化を、僕の表情から、彼女のレンズから、読み取っていただけたらと思う。
 まちがえて印刷したての写真を触ってしまって、指紋がついてしまっているのにも注目だ。


 ちなみに、
 偶像に拘泥し、自撮りをしまくっていた日々のことを後悔なんてしていないし、これからもたまにはすると思う。
 だって、たったひとつしかない自分の顔だもの。
 一秒後には無くなってしまうかもしれない、顔だもの。
 だから、あの頃は自撮りをしまくってすみませんでしたなんて言わない。
 言うわけがない。



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『続・アイドル展』

2016年10月07日(金)〜19日(水) 
12:00〜20:00(最終日〜17:00)※木曜日休廊
新宿眼科画廊
http://www.gankagarou.com/sche/2016/201610idol2016.html

(たまに在廊する予定なので、もし会えたらお話ししましょう。待っています。)

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関係ないけれど、最近よく行くところ。
いつもツイッターで言っている「四角い森」とはまたべつ。
P R
プロフィール
  • ニックネーム:少年アヤ
  • 性別:男性
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既刊
「尼のような子」(祥伝社)
「焦心日記」(河出書房新社)

◯新刊
「果てしのない世界め」(平凡社)


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