果てしのない世界め

November 29 [Tue], 2016, 21:00

 

 新刊が出ます。小説です。





 来月中頃の発売だそうです。
 写真はyuichi tanizawaさん、装丁は佐々木暁さんにお願いしました。
 かっこいいでしょ。くわしくはこちら


 大勢のひとじゃなくていい。
 切実なひとのところへ、いまにも凍えそうなひとのところへ、きっと言葉が届きますように。
 大切な読者と、関わってくれる大人たち、そして最高の友人たちみんなに、この本を捧げます。




 

 ⁂ 少 年 ア ヤ ⁂

まみのこと

November 23 [Wed], 2016, 15:37


 まみがどっかいった。
 おかげでいろんなひとたちが、いろんなかたちでびっくらこいてる最中だ。
 僕は身体じゅうがバラバラになって、それぞれ別のことをしゃべっているって感じで、ちっとも気分がまとまらない。
 もやもやしたまま夜になり、闇のなかに沈みこもうとしても、たのしい思い出がすぐにかなしみをつぶしに来るので、うまくいかない。
 そうしていつの間にか朝になり、まみのいなくなったこの星の、うつくしすぎる朝焼けを、ひとりでながめるはめになる。
 せっかくだから、気持ちの整理もかねて、いくつか思い出を記録しておこうと思う。もちろん自分ひとりのためだけれど、ちょっと自慢したいってのもある。
 
 まず、友達とみんなでたらふくイタリアンを食べたあと酔っ払って、渋谷の路上でラインダンスを踊ったこと。
 それがあんまりたのしかったので、きちんとバレエ教室に通ってみようという話になり、いろいろ準備をしていたにもかかわらず、一日目からいきなり休講になったこと。
 まみと僕は、それに気づかず朝イチで教室に行ってしまって、がっくり肩を落としながら、世田谷の住宅街をとぼとぼ歩いた。
 朝のひかりのなかで、立派な家や、おしゃれなアパートをながめていると、がっくりしていた肩がどんどん解けていって、まるでウインドウショッピングをしているみたいな気分になってくる。
「わたし、あの家がいいなーー」
「えー、ドアの色がへんだよー」
 勝手なことを言い合いながら、気ままに歩いているうち、ふたりの好みがぴたりと重なる家があった。
 ここで、みんなで暮らしたらたのしいねとか、酒飲みのくみちゃんが、きっと父親がわりになるんだろうね、とか笑っていたら、どんどんたのしくなってきて、かわるがわる家のまえで、我が物顔の写真を撮りあった。
 そのときの写真が昨日出てきたけれど、まみ、すごい調子に乗ってる。
 満面の笑みで、顔がちぎれそうになってる。

 深夜にとりとめのない会話をしていたら、突然エヴァンゲリオンの話題がヒートアップし、ふたりしてコスプレ衣装を衝動買いしたこともある。まみは綾波レイ、僕は碇シンジをえらんだ。
 けれどいざ届いたものを着てみたら、全身タイツのように股間が浮き立ち、そのくせお腹まわりだけ妙に生地がたるんでいて、まるで発情したムーミンみたくなってしまった。
 ちなみにまみは、巨大な白イルカになっていた。それはそれで似合っていたけれど、綾波レイかと言われたら全然ちがう。
 ふたりで写真を交換し、膝から崩れ落ちるほど笑った。

 まみの誕生日にディズニーランドに行く途中、みんなで東京駅で買ったお弁当があまりに美味しそうで、どうしても我慢できなくなり、ガラガラの電車のなかで食べてしまったこともある。
 もぐもぐと小ぶりな天むすを頬張りながら、こんなこと、いまどき小学生だってしないよねーって笑う目尻のしわがすごくきれいで、でも着ていたのはバラみたいに真っ赤なワンピースで、怪しげなサングラスまでかけていた。
 ランドに着いてからは、誕生日のひとにだけ配られるメダルをうれしそうに首からさげ、クルエラ・デビルの派手なかぶりものをかぶり(一日いたけれど、あんなのまみしか買ってなかった)、ほかの誰よりもおおきな声で笑う。
 いつも、いつもそうだった。浮かれるということも、派手に装おうということも、全力で、まっすぐにやろうとするひとだった。
 そういうまみの笑顔につられて、みんなも笑顔になる。
 照れとか、戸惑いとか吹っ飛ばして、すごくピュアなところに、みんなを連れていってくれる。
 そこにいったら楽しいかもって、強く信じさせてくれる。

「おかしくって、涙がでそう」

 キャンデーズが、「微笑がえし」のなかでそう歌っていたけれど、いま直面しているまみとの別れは、まさにそういう感じだ。
 史上初というくらい泣かされているし、さんざん心を掻き乱されているけれど、どうしてもたのしい思い出に、涙が回収されてしまうのだ。
 いったい僕にとって、まみってなんなのだろう。もちろん、最高の友達であることに間違いはないのだけれど、もっとしっくりくる言葉がある気がする。
 仲良くなって以来、実はずっとそのことを考えつづけていたのだけれど、ここ数日、まわりの大人や友人たちが託してくれた言葉から、やっと答えをみつけることができた。

「まみさんはね、あなたのことを、いつもいつも気にかけていたんだよ」

 年下であり、書き手としては後輩でもある自分と、つねに対等であろうとしてくれていた彼女の姿勢に甘えないように、こっそり背伸びをしたり、わからないことでも知ったふりをしていたこともあったけれど、もう認めないといけない。
 僕は東京では、自分がまみの弟なんだと思ってた。
 そしてそういう関係性を、とても気に入っていた。

 ニュアンスが難しいのだけれど、なにもかもを包みこむ、聖母のような姉ではなくて(そんな聖化、きもすぎるし)、わんぱくなサザエさんみたいな感じだ。もしくは、ちびうさから見たうさぎちゃんかな。ああ、こっちのほうがしっくりくる。
 照れくさいからはっきりと確かめあったことはないけれど、葛藤していることの根元がたぶん似ていたし、書くことで越えたいものの正体も、やっぱり似ていたように思う。そういった血の流れによって、深いところで繋がっているんだと、すくなくとも僕のほうは感じてきた。
 もちろん僕は、まみほど真摯じゃないし、きれいでもないんだけどね。パニくるとすぐにうんことか漏らすし、それに対する罪悪感もない。おまけに人望もない。
 そしてまみのまわりには、同じくらいにピュアでまっすぐな、最強の仲間たちがついていて、その輪のなかにすっぽりとおさまっているまみの姿にいつもあこがれていた。
 自分もはやく、そんなふうにならなきゃと、どこか焦っていたくらいに。

 こうして書いていると、喪失感が、現在認識しているよりもずっとおおきいことに気がつく。けれどぽっかりあいたその穴にだって、いまは笑いが吹き荒れるんだ。
 作り笑いなんかじゃないよ。むなしい笑いでも、くるしい笑いでもない。
 ほんとのほんとの、大笑い。
 そのうち、なぜ逝ったーーっ!と叫びたくなったり、ズーンと落ち込んだりするのかもしれないけれど、関係ない。すくなくとも、いまこの瞬間の自分には。
 
 まみ、まみって最高におもしろかったよ。
 きっと人間が滅んだって、地球が爆発したって同じ。おもしろかった。超たのしんだ。誰にも奪えない、変えられない、消えていかない事実。そして、価値。
 これはちょっと、すごい財産だと思うんだ。

 ちなみに、形見分けにはいくつかのアクセサリーと、机にあったケータイ大喜利のボールペンをもらっといた。
 聞きづらいんだけど、もしかして投稿してたの?
 そんときの記念品なの?

 うけるなあ。ほんと、超うけるよ、まみって。
 
 


偶像と実像

October 08 [Sat], 2016, 15:29

 子供のころからずっと、自分の顔が嫌いだった。
 それは二年前、限界まで脂肪を脱ぎ去り、自分史上もっともうつくしくなってからも変わらなかった。
 だから僕は、うつくしく練り上げられた、ほとんど実像とはいいがたい自撮り写真を愛した。
 いまここにいる自分を、存在しないことにするために。

 そんな僕には、自撮り以外の写真なんて受け入れられるはずがなかった。旅行先なんかで、せっかく撮ってくれた人の前で、こんなのは自分じゃないなんて、言ってしまったこともある。
 いまにして思えば、二年前の僕は急に自分を縛っていた記号や価値観やなんかが消えて、強烈にすがれるものが欲しかったのかもしれない。それが自撮り写真という偶像だなんて、アイドルに理想の自分を投影し、崇拝していた頃となにも変わっていないじゃないか。
 
 成長しない自分に落胆しながら、ふらふらと迷走を続けていた僕を変えてくれたのは、友人たちだった。
 あるときはデジカメで、あるときはチープなインスタントカメラで、嫌がる僕をしぶとく撮影しつづけてくれたのだ。
 友人たちは、僕のことをうつくしいとも、うつくしくないとも言わない。
 ただただ、「いい顔だ」と言ってくれる。

「いい顔」

 それは、顔そのものや、まして写り方のことじゃない。美醜のことでもない。
 生き樣、人生そのものを肯定してくれる言葉だった。
 だったら僕はもうすこしこの顔を、これまでの人生が滲んだこの顔を、愛してみてもいいんじゃないか。

 もちろんすぐにではなかったけれど、だんだんと、そう思えるようになった。

 昨日から参加している「アイドル展」には、そんな友人のうちのひとりであるフォトグラファー・尨犬晃との合作で参加している。
 偶像にすがっていた過去の自分から、いまの自分に至るまでのゆるやかな変化を、僕の表情から、彼女のレンズから、読み取っていただけたらと思う。
 まちがえて印刷したての写真を触ってしまって、指紋がついてしまっているのにも注目だ。


 ちなみに、
 偶像に拘泥し、自撮りをしまくっていた日々のことを後悔なんてしていないし、これからもたまにはすると思う。
 だって、たったひとつしかない自分の顔だもの。
 一秒後には無くなってしまうかもしれない、顔だもの。
 だから、あの頃は自撮りをしまくってすみませんでしたなんて言わない。
 言うわけがない。



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『続・アイドル展』

2016年10月07日(金)〜19日(水) 
12:00〜20:00(最終日〜17:00)※木曜日休廊
新宿眼科画廊
http://www.gankagarou.com/sche/2016/201610idol2016.html

(たまに在廊する予定なので、もし会えたらお話ししましょう。待っています。)

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関係ないけれど、最近よく行くところ。
いつもツイッターで言っている「四角い森」とはまたべつ。

もけら もけら

September 23 [Fri], 2016, 4:14

最近の仕事で気に入っている、平凡社の「こころ」に書いたエッセイ。
小さい頃から大好きだった絵本「もけら もけら」について。
気持ちを込めて書いたので、見かけたらぜひ読んでほしい。


khaos

July 17 [Sun], 2016, 1:42





photo

July 15 [Fri], 2016, 15:23

いまは自撮りよりも、友人が撮ってくれた写真のほうが好きだ。











撮ってくれたのは、フォトグラファー、bahhaこと尨犬晃。
P R
プロフィール
  • ニックネーム:少年アヤ
  • 性別:男性
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生きて、文章を書いています。

既刊
「尼のような子」(祥伝社)
「焦心日記」(河出書房新社)

◯もうじき新刊もでます。
「果てしのない世界め」(平凡社)


ほかにもエッセイ、コラム、小説など
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