公平という名の下に 

November 26 [Wed], 2008, 14:55
論文を書いてて思うことは、どんな情報をどれだけ持っているかによって、
知らず知らずのうちに文章の趣旨が決まってきてしまうということ。

先日、バイト先の人と故郷のスマートインターチェンジ建設について話していた。
これは、すでにあるICのすぐそばに建設が計画されているもので
明らかに税金の無駄ではないかという意見がある。
しかし、地元の新聞社は市政よりで、スマートインターチェンジが必要だということしか
書かないという話になった。

この話をしていて思ったのだが、新聞記者は
賛成派の意見しか”書かない”のではなく、たぶん”書けない”のである。

記者にとって、普段接触することのない市民(例えば、反対を表明している市民とか)に比べ、
毎日の仕事のなかで親しく付き合っている役人からはより多くの情報が手に入るだろう。
すると、建設賛成に傾けて書こうとしなくとも、持っている情報を文面におこしただけで
自然と賛成派の記事ができてしまうだろう。
想像するに、毎日のルーチンワークの中で、
より効率的に情報を集めた結果ではないか。
(地方紙の記者って本当はどれくらい忙しいの??)

よくマスメディア論の参考書などでは、
記者クラブ制度や行政との親密な関係が指摘されるが、
それがどういうことを示唆しているのか、
私ははっきりとは理解することができずにいた。
頭ではわかっているが・・・というやつである。

でも、今回自分でダムの賛否を問う文章を書いていると
私にも同じような傾向が見え隠れするような時がある。
(もちろん論文だから、方向付けはあるのだけれど・・・)

やっぱり足でかせぐ職業。
色んな方向から色んな情報を集める。
その上で、持っている情報を今出すべきか、どの程度出すべきかを考える。

そういうことを忘れずにいられたらいいなぁ〜

ただ、どうしても知って欲しい 

November 14 [Fri], 2008, 15:33
9月に川辺川ダム反対を知事が表明し、
今月は大戸川ダムに対して、4府県の知事が共同で反対を表明した。
これを受け、国交省はダム事業のあり方の抜本的な見直しに取り組むプロジェクトチームを
省内に発足させる方針を固めた。(朝日新聞、2009.11.13)

時代は確実にダム反対へと向かっている。

ダムを反対する理由に、治水・利水など科学的見地にたったものが多い。
川辺川ダムでは、水余りから利水事業が撤退し、発電事業も撤退した。
残るは治水をめぐる問題だけである。

ダムの機能を根本から問い直す方法は
ダムを反対する論理としては、極めてわかりやすく理知的である。
昨今のダム反対の流れも
長年、反対運動を続けてきた人たちからすると、朗報であろう。

”ダム”というと一見私たちには遠く、関係のないことのように思える。
だけど、私たちが日々の生活の中で使っている洗い物の水、洗濯の水、お風呂の水etc...
ふとスーパーで手に取る野菜や工場で使われている水。
これらすべてを供給してくれているのはダムであり、泣く泣く故郷を離れた人々がいたからである。

私たちは当事者にはなれない。
当然、ダムに人生を翻弄されてきた人々の1万分の1しか、
その苦労を感じることはできないかもしれない。

それでもどうか知って欲しい。どうか10万分の1でもいいから感じて欲しい。
そして、無関心であったことがどういうことだったか感じて欲しい。

「村人全員で力を合せて、自分の家や村を守り抜こうとした時期、
どうしてもダムを造らなければならないとしたら、せめて自分たちは自分たちなりに、
みんなで一緒に新しく生まれ変わろうとした時期、
しかし、そのすべては大きな見えざる手によって崩されつつ、
人々はあたかも行く先のアテのない漂流船の上にいるような今日この頃である。」
(萩原好夫『八ッ場ダムの闘い』より)

ダムの行方に翻弄された自分の人生とは、一体何たるものだったかを思いつつ
亡くなっていく人々、それでもどうにか自分たちの町を再建したいと病床で思う人々。
ダム問題が長期化されるとそういった状況が起きてくる。

なにもダムのためにがんばろう!何かをしよう!とか、そういうことを言うつもりは毛頭ない。
ただ、ダムについてのニュースが流れたとき、苦しんできた人々がいたことが
どうか頭の片隅をよぎることがあればと願う。

絶滅危惧種 

November 08 [Sat], 2008, 13:39
11月7日、ひとりの日本人ジャーナリストが地上から消えた。
夕方、研究室で勉強していると友人のPC画面に
「筑紫哲也氏 逝く」という記事がネットニュースのトップに表れた。

筑紫哲也氏の成し遂げてきたことの詳細を知るわけではないが、
幼い頃から23時台のニュースは「筑紫哲也のニュース23」だったので
ガン治療のため、TVの画面から居なくなった時には、とても違和感を覚えた。
TVに映らなくなっても、筑紫哲也のニュース23。
嫌な言い方をすれば、少々往生際が悪いと感じたこともあったけれど、
今回本当にもうTV画面には戻ってこないということを考えると、
その存在感の大きさを思い知った気がした。

鳥越氏や田原氏などがコメントを寄せていたが、
この世代の次の世代にジャーナリストと呼べる生き物がいるのだろうか?

『ガンを生きぬく』の放映時に
「ガンになると、ガンに多くの栄養素をとられてしまうため、
栄養を行き渡らせなければならない部分にまで回らない。
現在の日本はガンに侵されているのと同じだ。
古い世代にも新しい世代にも栄養を行き渡らせることができなくて混迷している」
と語った。

屍はやがて土に返り、肥料となる。
このガンに侵された現代の日本において、
新しい芽が出る日が来るだろうか?

野遊びの歌 

October 10 [Fri], 2008, 21:47
『この台地人のたたずまいとこの風景の壊死のなかに、
また今まさに起きている現実の反人間的な情景の片々に
野を駆ける神々の音を聞かないやつはだれだ。
いかなる力といえども止めることができるはずがない人間の営み
――土を耕し種を蒔きさらに働いて収穫をする、
人を愛したりして妻子ができ、さらに土をつくりつづけもっと多くの人々と出会う――
この行為を止めることをかつていかなる権力も遂にはあきらめなければならなかったというのに、
いまは地上から潰えた野槌たちが集いうたう野遊びの歌さえも阻もうとするのはだれだい。」
                                         (島寛征 『野遊びの歌』)

成田闘争を闘った人の手記です。
ある時、作者が背の高い草が生い茂る野原に、一人たたずむ祖母を見つけました。
何をしているのだろうと見ていたら、祖母がこのような歌を歌っていました。
しばらくすると、作者が立っていることに気づいた祖母は振り向き、微笑みます。
その祖母の目にはうっすらと涙が湛えられていたと。

私は農業を営む家に生まれたわけではないので、土を耕す苦労や
それを慈しむ心を真に理解することはできないかもしれませんが、
そうした土地を奪われる人々の思いがよく表れている一文だと思い、
メモ程度ですが、載せてみました。

農業を生業としている人たちにとっての移転はその他の人々が移転することとは
また別の意味があるのでしょう。だから、
「他の土地を用意しました。」
じゃ済まないことを肝に銘じておかなければならない。

どんな職業もそうかもしれないけれど、想像力って実に大切なものなのかも。
相手とは歩んできた道が違うことが当然なのだから、
埋められない感情、真に理解できない部分は
想像力で埋めるしかない。
国側が補償するとき、もっと想像力豊かだったら、
こじれずに済んだ問題がたくさんあったかもしれないのに。

崖の上のポニョと宮崎作品 

September 30 [Tue], 2008, 19:35
ポ〜ニョポ〜ニョポニョとかなり遅れてですが、
『崖の上のポニョ』を見てきました
ダチョウ倶楽部のりゅうちゃんが
「崖っぷちのボニョ」と言われていたことにテレビの前で大うけしていた今年の夏

「宗助だ〜いすき〜」
と純真でかわいいポニを微笑ましく見ることは確かにできたのですが、
「もうあの宮崎は帰ってこないのか・・・」と少し淋しくもなりました

”風の谷のナウシカ”や”天空の城ラピュタ””もののけ姫”のような
人間の驕りと自然を描く天才宮崎はもう帰ってこないのですか?
子どもにも大人にもそれら社会的なこと、意図していることを
感覚的に伝える力を持った作品群を創ってきたのに・・・

最近はめっきり家族愛のようなものに走りがちな気がする。
ハウルだって、戦争の場面は出てくるけれど、どこを最終目的としているのか
いまいち印象が弱い。

神秘的な力と強靭なリーダーシップ
それを支える純真で無垢な心を持った少女を描かせればピカイチだったのに。
でも、子供たちの視点ではまた違ったことを感じてみているのかな?
ちょうど自分が小さかった頃、トトロを見て何かを感じたような感覚を。
まぁ、上映終了する前に映画館で見ることが出来てよかった

それよりコミック版『風の谷のナウシカ』をオススメしますが
映画版ナウシカは2巻まで。
その後の物語を7巻にわたるコミックで
ぜひ若かりし頃の天才宮崎を感じてください商品がありません。

体力 

September 25 [Thu], 2008, 10:57
がんばれ自分
耐え切れ自分

「情報は溢れかえっているが、むしろ情報を読み解く力は衰えている」
昔、先生に言われた言葉。

膨大な情報量に耐え切る知の体力。
それを支える好奇心。

やっぱり文章書くのってある程度の体力がいる。
自分のやりたいこと、やっているはずなのにね(笑)

論文書いていると興味ないことも書かなければならない部分が出てきてつらい。
でも、きっとこれを越えれば、また何かが見えてくるはずだから。

人の話を聞かない人の良い所 

September 21 [Sun], 2008, 15:32
「人の話を聞きなさい」
そう父によく言われて育った。
実際、実行できているかどうかは別として。

企業の面接でも、
「親によく言われたことは?」と質問され、こう答えると面接官がなんかチェックしてたな・・・
”素直さ”の項目とかだったんですか?コミュニケーションとか(笑)??

先日、久しぶりに全然人の話を聞いてない人に出会いました。
研究者の方で、自分の言いたいことをガツガツと話し、せかせか動き回って資料を出し、
私が話をしても、その事例には興味がありません。
僕はそのことは知らないけど、でもこれは・・・とさ〜と流され、また話が始まります。
話題もどんどん移り変わる。

でも、私はこういう人が結構好きです。
自分の興味があることを純粋にやってきたのだと感じるから。
きっと自分の好きなこと、やるべきことを確信している感じがして羨ましいから。
確かに人の話を聞いていない人だけれど、自分の興味の対象に対して、
純粋で直向で情熱的な人なんだという側面が見え隠れして、とても魅力的。

自分の好きなものや情熱を傾けるべき物事を見極めるのって本当に難しい
と私は感じるから。

だから、久しぶりにこういう人に出会えて、なんだか楽しかった〜
そして、自分のネットワークを惜しみなく使って、その人と私を繋げてくれた人も
とても魅力的だし、感謝したいと思った一日でした

何に感化される人間か?? 

September 20 [Sat], 2008, 17:04
「学生時代にやり残したことをこの期間にやって、
4月から立派な社会人としてやっていけるようにしてください。」

就職が近くなって、企業に呼び出されたりすると人事の偉い人にこの手のことを言われたりする。
「就職したら旅行とかいけなくなるから今のうちに」と、先輩社員に言われたり。

仕事したら、何もできなくなりますよ〜と言わんばかり(笑)
言いたい気持ちもすっごいわかるけど・・・そうはなるものか。

学生時代にやり残したこと。
旅行・遊び・勉強etc...

よく旅行できなくなるから、行っとけ!とか言われるけど、
それほど旅行が好きなわけじゃないし、一人旅とか好きじゃないし、日本好きだし。

遊びといっても、大人数で騒ぐのもまぁ好きだけど、どちらかというと
一対一で飲んだりするのが好きだし。
学部を卒業する時に、社会人になる子たちと十分遊んだ気がする。

勉強はもっとしておけばよかったと思う。
確かにやり残したことかも。
でも、知りたかったこと全てを網羅するのは不可能だし、
『生きているうちは一生勉強』とすると、これも今だけのことではないし
まだ修論もあるし。

そうすると特にこれといって、今こそやらねばならないことが思いつかなくてむしろ焦る

景色・本・ヒト
大体このどれかにヒトは感動するんじゃないかな?と教えてくれた人がいる。
そう考えると、私は旅行で美しい風景を見るより、本を読んで何かを感じたりするより、
人の生き方や信念としているものを見たとき、確かになにより感動し、
充実した時間を過ごしたと感じることができる。

就職するまでの間に私がやっておくべきことは
時間を共有すると意識が高まったり、充実した時間を提供してくれる人と
ゆっくりと話すことかもしれない。

でも、就職してもいい出会いがきっとあるはずだから
志が高く、尊敬すべき人にたくさん会うことができればいいとも思う。

川辺川ダム 42年の時を経て 

September 11 [Thu], 2008, 15:55
命運を争った期間42年。
道路整備及び周辺工事に2千億円。
移転した住民、対象者の全戸。

熊本県相良村に建設が計画されていた川辺川ダムに対して、
今日、熊本県知事が建設反対の意向を表明した。
(2008.9.11付 日経新聞夕刊・朝日新聞夕刊一面)

42年間の歳月を経て、予算の3千億円のうち2千億円を使って、
あとは本体工事をつくるだけという状況まで来ていたのに、
造らないという決定を下した浦島知事の決断はすごい。

2007年には発電事業も撤退し、治水効果しか持ち合わせていなかった川辺川ダム。
『東の八ッ場、西の川辺川ダム』と称され、無駄なダム建設事業の象徴だった。
地方財政が疲弊するなか、背に腹はかえられないということか。

ダム事業が正式にストップされれば、新たな治水計画の策定や
水没予定地の今後についてなど、様々な問題が浮上してくるだろう。

それでも今後のダム政策の、
今後の日本の新たな一歩となるといいと思いました。

辞書を引く 

September 09 [Tue], 2008, 12:57
最近、広辞苑を引く機会が多くなりました。
論文を書いていて、「あれ?」と思い、辞書を引いてみると
今まで何気なく日常使っていた言葉が、自分の思っていたニュアンスと
違っていたりして、ドキっとします。
無知に対する恥ずかしさというか、恐怖さえ覚える・・・

そんな辞書は人との言い争いの仲裁役でもあるわけです。
「いや、これはこーだ」
「あの漢字はこう書くはず」
「それは方言だ」などなど・・・
お互いが不確かな記憶のままの議論ほど、出口のない会話はない。
しかし、辞書を引くと
「あぁ、そうか・・・」と自分が間違っていても、もうそれ以上何も言えない。
なんと絶対的な存在なのか(笑)

「日本語のほとんどが一冊に込められているのに、広辞苑て安くない?!」
とある人に言われた。
そういわれてみると今まで、辞書の値段なんて気にしたことがなかったけれど
これまで一つの言葉を説明するための言葉を紡ぎ出してきた人々の苦悩を思うと
破格かもしれませんね。

でも、言葉は生きているので、使われないと意味がないから
一冊の本の値段としては少し高いけど、一生物としては安い!
という今の価格でいいのか
P R
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