†アレン君って・・・† 

February 27 [Wed], 2008, 20:36
敬語ってところがなんか可愛いし、顔立ちもいいし、カッコいいよねぇ〜wwwwww




しかも、方舟の奏者でしょ〜??




wwwwww




続き気になるなぁ。。




エクソシストは復活したっぽいけど、ノアはどうなんだろ・・・・




復活してほしいなぁ。。。




だってさぁ、ジャスデロとデビットの出番少なくないっっ???!




wwwwww

●今年も運命の11/1がやってきます 追悼サイレンススズカ 

February 16 [Sat], 2008, 18:02
サイレンススズカ



1998年のあの日から9年の月日がたちました。
無事ならまだ13歳であり,種牡馬として活躍していたことでしょう。



まだ競馬に関心を持ち始めた頃にナリタブライアンというトップホースがいて,管理する大久保正陽師(大久保龍志師の父)は出走の度に「無事にレースを終えてほしい」とコメントしていました。
私はこれほどの馬に「レースをするだけじゃダメだろうに」と思ったものですが,あの悲劇をみると,その言葉に重さがあることを気付かされました。



競走馬にとって速く走ることは自らの命を懸けたも同然なのですよね。
傍観者は気楽に思っていたが,考えが変わりました。



今年はインフルエンザで競馬の開催ができない事件もありました。
本当に当たり前の事と思っていたことが当たり前ではないことを再認識させられた。



競馬と馬達に感謝するのみです。



この話は最近でた雑誌(どの本か忘れた)に出ていたエピソードですが,Wikipediaにも載っていたので引用しておきます。
サイレンススズカの出生

1993年の種付けシーズンに、当初生産者は母ワキアにバイアモンを二度種付けしたが、二回とも受胎しなかった。そこで同年春のクラシック戦線で産駒が大活躍したトニービンを配合しようとしたが、ワキアが発情した日のトニービンの予定は既に埋まっていた。繁殖牝馬の発情の機会は、一度逃すと次がいつになるかわからない。そこで、当時まだ産駒がデビューしておらず種牡馬としての実力は未知数であったが、社台スタリオンステーションが推薦したサンデーサイレンスを種付けした。


後に主戦騎手となる武豊騎手はデビューから乗りたい馬だったが,先約があったため叶わず悔しがったそうです。
そして香港遠征から自ら橋田師に頼み騎乗することになった・・・と。



11/1はサイレンススズカのことに思いを馳せて過してみたい。

+.゜文化祭+.゜ 

February 11 [Mon], 2008, 6:01
文化祭01日目↑

先輩達の発表、、

めちあ すごかッた!!

02年の先輩の劇も

かなリ良かッた‥(>∀<)

もウ01回見たい(●´∀`)

明日わダンス発表!

成功しますよおに(>人<)

CCRツーリング! 

January 29 [Tue], 2008, 10:04
毎年の恒例行事になりつつある「日本海クラシックカーレビュー」見学を兼ねての小ツーリングの為、
実は今年も、糸魚川へ行っておりました。



9月も初旬の出来事ですので、おそろしく遅いUPですよね。すんません・・・



今更ですので、もし興味があれば、ざざ〜っと画像だけでも見てやっておくんなまし・・・(^^;)



↓朝の6時に、M100エランさんと待ち合わせして出発。
M100エランさんとは、今回が初めてのツーリングになります。




↓いきなりですが、会場の様子。




↓懐かしい?年ばれる?そんなの関係ナイ?(笑)




↓歴代のロータス車達。








↓こちらは大英帝国の2台・・いや3台。




↓今年はF3000のマシーンが2台展示されており、エンジンを掛けるサービスもありました。
私たちは時間の都合で聞けず・・・残念!




↓CCR見学後は、恒例の温泉付きツーリング!
最近のツーリングは、日帰りでも”温泉付き”が当たり前になってるので、
トランクには洗車用のタオルの他・・・常に自分の体を拭くタオルも載せてあります。(笑)




↓ツーリングの途中で記念撮影!




↓目的地の「くわどり湯ったり村」で、ひとっ風呂浴びて外へ出ると・・・
いつの間にか試乗会の開催中!
さすがにエリーゼは大人気で、何度往復してた事やら(笑)
オーナーさんは大変でしたが、でも乗った人はみんな満足そうで、もうニコニコでした!








私はsugiさんと師匠の御好意で、s4とsport300を運転させてもらいましたが、
いやはやどちらも加速は強烈!!
たぶんこの時あたし、顔の筋肉が緩んで笑った感じになってたと思います・・・
sugiさん、師匠、どちらの車も貰っていいですか?(笑)



ま、こんな感じで、楽しい一日を過ごさせて頂きましたが、
幹事のsugi1000さん、
お仕事忙しい中、事前に下見をしたり”しおり”を作ったりと、今回も本当にありがとうございました。
感謝しております。



来年も又お誘い下さいね。



あっ、それからもらったDVDは何度も見ましたよ。
もー最高でした!ウキィ〜〜!!

面白画像 〜トイレ〜 

January 15 [Tue], 2008, 4:55
丸見えやん!(笑)

大学院合格。 

January 03 [Thu], 2008, 14:08
この話題について、いつ、ここにて報告しようかと考えましたが、
通知が送られてきてから、ちょうど2週間過ぎましたので、記事にします。

私は、この10月最初の土曜日に、受験しました。
大学院の受験です。

だからゆえに、
この夏から、10月にかけての特に週末に、更新が滞ることがあったのは、
受験に際しての「研究計画書」の執筆に専念したり、
受験直前の試験勉強に時間を割いたりして、
という、理由があったからだったのです。

私が受けたのは、早稲田ではありません。
社会福祉系の大学院を受験したのでした。
過去問を取り寄せたら、福祉の知識がないと答えられないような問題ばかりでしたので、
一度も福祉系の学校に行ったことのない私は、
慌てて、図書館で、社会福祉概論系の書物を借りて、短期間で読み続け、
専門用語は、メモして、それを必死になって、頭に詰め込んで、覚えようとしました。

この時、役に立ったのは、難しく書かれてある社会福祉概論系の本よりも、
昨年の介護福祉士受験の時に使ったテキストの方が、
平易な説明だし、結構役に立ちました。
介護福祉士受験の時には、ほとんど使わなかったテキストが、
こうして使うことになるなんて、思ってもみませんでした。

一夜漬けにもなっていないまま、試験に臨みました。
試験は、社会人入試で受けたので、論文のみでした。
福祉と地方自治体の役割とか、福祉そのものの出題ではなく、政策的な出題だったので、
割と書きやすい方だったかなあと、思いました。

でも、学食の海老マヨを昼食に食べながら、不安で仕方なかったのです。
試験問題合格者のみ、午後の面接試験であったからです。

待合室で待ってる時間が、長く感じ、自分だけ落ちて、
自分だけ、退室しなきゃいけない事態になったらどうしようとか思って、たまらなかった。

筆記試験合格者が前に貼り出され、前の方へ見に行こうかと、意を決して立ち上がった時、
面接の声がかかり、気持ちも落ち着かないまま、面接に臨んだのでした。

面接試験…、まったく覚えていない。
それでも、たくさんの教授に囲まれ、頭が真っ白の中、
詰まることは度々、自信ない時は声が極端に小さくなったりと、
散々でしたが、精一杯、答えたつもりでした。

こんな感じで、帰りはがっくり肩を落として、帰ってきました。

合格発表は、翌週火曜日。
キャンパスに貼り出され、合格者は郵送されるそうである。
仕事もあるので、わざわざキャンパスまで見には行けず、郵送を待つことにした。

ところが、
こういうものは、速達で急いで送られてくるものなのに、
翌日水曜も、翌々日木曜も、結局来なかった。
やっぱり、もうダメだったんだと、あきらめ、
4月からは、社会福祉士の勉強のための、専門学校なり、通信なりに取り組もうかなあと思った矢先でした。

そう思ってもうすでにあきらめ、金曜、遅い時間に帰宅した。
すると、ポストの中に、大きな封筒が…、大学院からです。

面接は散々だったし、所詮大学院なんて自分の能力じゃ無理だって、もうすでにあきらめていたのに、
それなのに、封筒が入っていたのですから。

この状況、前にも一度ある。
4月の介護福祉士の時と全く同じ状況。でも、あの時と違って、今回は全く自信ない。
でも、封筒のA4判のデカさを考えると…、などと、色々な思いを持って、開封した。

開け口から、こっそり中を覗き込む。
そうしたら、いきなり、『合格証』、という文字が飛び込んできた。

「えぇ〜!! 大学院に合格しちゃったの〜?!!」
もうびっくりです!
すでに諦めていて、4月からの次は、何をしようかまで考えていたのですから、
もう本当に、嬉しいです!

でも、その嬉しさから、親や、今の指導教授、職場の上司の施設長、同じ社会人学生の方…、
と報告するたびに、あの嬉しさから、2週間たって今、
本当に私の能力で、大学院でやっていけるのか? 勉学・研究についていけるのか?
色々と自信がないと思うと、少し不安でもあります。

パー!パーよ!! 

December 18 [Tue], 2007, 19:06
 9月7日 じゃ。

 いやァ今日は台風で学校が2時間で終了いたしました。
 うれしいやらむかつくやらでもうなんか気持ちドッキングしちゃったよ。
 ・・・ドッキングっていうと兄ふんじゃったのヤンキー君だね。
 見たいなァ兄ふんじゃった・・・・。兄が凄いいろんな意味で。本当。
 
 学校から友の車に乗せてもらって帰ってきました。ありがとう、友よ。
 その後いいとも!見て、午後から「そろそろTOP変えよう〜」っと思って描いて
 いざ投稿ってなったらPCフリーズしてパー!だよ!パー!!!くそっ
 ・・・もういいや・・・ふふ。明日描くから・・・・。がんばだぞ。
  

 今日のDのげきジョー楽しかった。美川さん凄い。

ペルシャ詩文芸の周辺(その2) 

December 13 [Thu], 2007, 12:16
「kakuさんへのゲスト訪問、あるいはコメントの続き」
           ペルシャ(イラン)における詩文芸の原点(その2)
 kakuさん素晴らしい質問をして戴き有難うございます
アケメネス朝ペルシャの基礎を築いたダリウス王は情け容赦の無い残酷な王といずれかの本に書かれていたとのことですが、私の記憶するところでは多分ギリシャの歴史叙述家ー紀元前5世紀の「歴史の父」と呼ばれるーヘロドトス(Herodotos)生没年未詳がその著書「歴史」・・・中央公論・世界の名著ー責任編集村川堅太郎野の中でかなり詳しく記述されています。
 この本はヘロドトスが若い頃エジプト、リビア、トラキア、の各地を歴訪し、実証的学問を対象とした最初のギリシャ人でペルシャ戦争と、その背景を主題とする「歴史」Historiai(9巻)はギリシャ散文史上最初の傑作と言われています。その中でペルシャ・ダリウス王のことをかなり残酷な王として全面的ではありませんが語っています。
 歴史書は昔から「負ければ賊軍」の通り致し方ない事だと思います、しかしこの「歴史」のなかで著されていること柄は現代を形図くる哲学的要素を浮き彫りにしている観があります。
 私が考えますに長い々人間の歴史のなかで民族の真実、生き方を語るものは一片の骨董品(アンティーク)でも無ければ歴史学者が書き連ねる虚偽でもない、それは事実としてある神への詩(聖典)であり民の中にある詩的感情であろう。イランの詩をみるとまさに人間精神(心)が選択した縮図を読み解くことができる。イランの民族的宗教詩である紀元前15世紀〜紀元前12世紀までに作られたと考えられるゾロアスター教の教典である「アベスター」をみると、そこには脈々と伝わる民族感情がある。
 それは唯一神アフラマズダーを至高神として崇めながら宇宙の歴史と拮抗する善悪二原理の対立、闘争の過程として解釈する「二元論」・・・この世は善の神の支配するものと、悪の神の支配するものとの闘争・・・に基づく倫理的色彩の極めて強い教理を展開させ、その基礎の上に終末論、救済者論、悪魔論などの壮大な体系を発展させた。その影響は古代、中世の旧大陸に広く波及しユダヤの宗教、ギリシャ哲学
の発達に作用したほか古代後期にはその教理がグノーシス的キリスト教異端諸宗派やマニ教などに取り入れられた。
 二原理の対立「二元論」が何故発生したか、まず第一に気象条件(漆黒の闇夜と灼熱の太陽の昼)・・二原理発生のキーワードのもとそこには紀元前3000期ザクロス山脈に沿って存在したシュメール、アッカド、バビロニヤのセム族系農耕民に対して南下してきたインド・ヨーロッパ語族である騎馬民族インド・アーリアン人との戦いが起因する。・・・新バビロニヤはペルシャ人やメジナ人に征服されたがその民族闘争の過程の中でそれを象徴するものとしてゾロアスター教的善悪論が基底にある、至高神アフラマズダーへの献身と真理(善)虚偽(悪)という二元論を基本に据えてこれを盾に預言者ゾロアスターはアケメネス朝の国家宗教として纏め上げながら覇権システムを創り上げました。騎馬戦、道路整備、駅亭(キャラバンサライ)、裁判制度、官僚制度、を使って帝国を広げていった、それらを受け入れ確立したのは王家やその宮廷であり、そこにギリシャ的ポリス(都市社会)とアジア的部族社会が差が色濃く流れている。そこに殺戮の世界が展開されたと思われます。
 以後ペルシャ人(イラン人)の全ての事象のなかに民族的宗教詩としての意識がその底に流れアケメネス朝ダレイオス一世は「アーリアン人の血統をひくアーリアン人」と自称しています。
[注]アーリアンとは高貴の意味です又イランはアーリアンのペルシャ語読みです、ですからイラン=高貴の国となる訳です。
 ペルシャ詩の中で頻繁に使われる「シャーハンシャー」(王の中の王)は王族専制支配の基本ここに置いている証でもあります。現代に至ってもイランの各家庭にはコーランは無くてもフィルドシーの6万対句からなる王書(シャーナメ)は必ず一冊あることからも推察できます。ところでイラン人から見た日本人は自分たちと同様「万世一系の国」でありイランはアラブの被害者日本は第二次世界大戦の西欧からの被害者とみてきはめて親日的です。
 神への聖典か民族的宗教詩を選択するかは農耕民族と騎馬民族の運命観の違いでありますが騎馬民族としてのイラン人を見ていると農業労働を好まない、行き当たりばったり、個人主義、プライドが高い、ホシピタリティの押し売り、宿命論者、・・男性の女性への嫉妬心が極めて強い、日常会話では「ファルダ―」(明日、明日と言って物事を先送りが使われる)、芸術的感情を好み、詩的言語表現は巧みである、論理では考えられない表現は天下一品である。常に民族のなかに詩的感情を温存しながら、幾多の民族的危機を乗り越えてて現在に至っている。詩が国を救った観がある。大規模な侵入と征服・アレキザンダー、アラブ、蒙古、タタール、チィムール、の侵入そして現在は西洋諸国と心と物の戦いを展開している。
kakuさんご質問の答えになったでしょうか?

「俳句」           俳人―外(ほか)

     新月や アラビア砂漠に 泉湧く

「写真」ダレイオス一世の戴冠式 浮彫 王のうしろは皇太子クセルクセス ペレセポリス

ローカルタウン誌の記事   馬頭の山中の小砂子焼きの登り窯 

December 07 [Fri], 2007, 7:26
昨日
栃銀で貰ってきた地元タウン誌の記事の中で取り上げていた小砂焼きという
馬頭の街の奥深く県境の付近にあって昔、水戸藩の溶鉱炉を造る耐火煉瓦製造が小砂子(こいさご)焼きの起源という登り窯をご覧ください!



登り窯                大壺   焼き物教室の素焼き












馬頭は現在那珂川町に合併しています

貸切車12-37 

December 03 [Mon], 2007, 8:19
ソウル便の連絡バスで鳥取−米子空港間を走っていた日野グランデッカです。
古いバスですが、乗り心地はいいバスでした。
この連絡バスもすでに廃止になり、ソウル便自体が存続の危機を迎えています。。

撮影 平成18年10月22日 米子空港
P R
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