「薄氷の殺人」<5点> 

March 20 [Mon], 2017, 0:30


邦題の印象から勝手に韓国映画だとばかり思って観始めたが、中国映画だった。
似たようなプロットの韓国映画もあったように思うが、国が違うとこうも映画の空気感というものは異なってくるものかと痛感した。まあ至極当たり前のことなのだが。
そして、残念ながら、個人的にはこの映画に対してとても居心地の悪さを感じてしまい、面白味を感じるまでに至らなかった。
退屈、淡白、ありきたり、否定をするための幾つかの形容が頭をめぐるが、どれもうまく当てはまらない。

寒々しい空虚感が全編通して満ちている。
湯気が立ち上る料理も、白日に打ち上がる花火も、超絶にダサいエンディング曲も、すべてが寒々しい。
勿論、それこそがこの映画のテーマであり、存在意義だとは思う。
ただし、その寒々しさを受け入れるかどうかで、この映画への価値観は変容するのだと思う。

それを受け入れられなかった者は、この映画が醸し出す寒さと冷たさと空虚さと不潔さにただただ苦しめられる。
主人公をはじめ登場人物たちにも一切感情移入をすることができず、困惑する。
そして、一刻も早くこの映画世界から抜け出したくなる。

“面白くなかった”ので、評価はできない。けれど、この独特な中国映画の存在意義は認めざるをえない。


「薄氷の殺人 白日焰火」
2014年【中・香】
鑑賞環境:VOD(Netflix・字幕)
評価:5点

「映画ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険」<6点> 

March 19 [Sun], 2017, 23:00


実に15年ぶりのドラえもん映画の劇場鑑賞であった。
15年前に観た作品は「のび太のロボット王国」。既に藤子・F・不二雄先生のオリジナル原作ではなく、ストーリーの陳腐さに大きく落胆したことを覚えている。それ以来、新たなドラえもん映画を観ることはなかった。

そして、時は移ろい、時代は変わる。

声優陣は一新され、アニメーションの作画も変わり、時折目にするテレビアニメでは、新しいドラえもんが息づいていた。
旧アニメ版と原作コミックで育ってきた世代の者として、その変容には寂しさを感じはしたけれど、同時に、新しい世代に向けて新しいドラえもんが生き続けてくれることの喜びが勝っていた。
より原作の世界観に近いアニメーション表現とキャラクター描写は、原作ファンとしては非常に好印象だったけれど、既に大人になっていた僕は、新しいドラえもんに親しむことを避けるように十数年を過ごしてきた。

ただし、僕自身の人生と環境も変わる。

ドラえもんから離れたこの十数年の間に、就職し、結婚し、子どもを二人授かった。
当然のごとく、子どもたちはドラえもんが大好きになり、5歳になる長女がついに「ドラえもん映画を観に行きたい」と言ってくれるようになった。
新しいドラえもんから離れ、大人ぶってあまり興味のないふりをしてきたけれど、僕はずうっとこの機会を待っていたように思う。
子どもたちと一緒にテレビアニメも再び観るようになった。

そして、満を持して、この最新作を娘とともに劇場鑑賞した。
そこには、僕が愛してやまないドラえもんがいた。僕以上にF先生の原作を愛してやまないのであろう新しい世代のアニメーターたちが、より一層原作に近いキャラクターと世界観を、最新の技術で表現し続けてくれていた。

ストーリーのロジックにおいて、F先生ならでは科学的考察と小気味よさに溢れた“巧さ”は無かったけれど、題材と顛末には「ドラえもん」というSF作品の真髄を追求しようとする姿勢と気概が見受けられた。
「10万年前の南極」を舞台とし、「氷」という自然現象が持つ要素を生かし、「時間」の超越とそれに伴うドラマとタイムパラドックスまでを描き出す試みは、F先生が描き続けたS・F(すこし・ふしぎ)性に通ずるものであり、とてもロマンティックで、壮大だったと思う。
あとほんの少しのストーリーテリングの巧さと、F先生の原作が持ち合わせていた毒気があれば最高だったと思う。(ニセドラえもんのくだりなどはとても惜しかったけれど)

ともかく、作品そのものに対する満足感というよりも、僕の人生において、改めて「ドラえもん」に触れる機会を得られたことが、何よりも嬉しく、満足感に溢れている。
来年以降も、子どもたちと一緒に映画館に足を運びたいし、この空白の十数年の間のドラえもん映画も今一度観ていきたいと思う。


「映画ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険」
2017年【日】
鑑賞環境:映画館
評価:6点

「アサシン クリード」<2点> 

March 15 [Wed], 2017, 23:45


出張中、深夜。新宿某映画館の大スクリーンに流れるエンドロールを見ながら、「ああ、久しぶりにまあまあ酷い映画を観たなあ」と思った。
どんなに目を伏せても、耳をふさいでも、ついつい溢れかえっている映画評を見聞きしてしまう昨今だったが、幸か不幸か今作においては殆ど事前情報を入れることなく、“マイケル・ファスベンダー主演”という認識だけ携えて鑑賞に至った。
個人的には、このところ極端な酷評に値する映画を劇場で観ることがなかったので、逆に安堵感すら覚えてしまった。

というわけで、人気ビデオゲームの映画化であるということすら鑑賞後に知った始末。(コミックの映画化だとばかり思っていた)
何が悪いコレが駄目と列挙するのも辟易するが、取り敢えず主人公の存在意義が「媒体」という要素に終始し、キャラクターとしての魅力を全く感じないことが根本的な問題だと思う。
勿論、ビデオゲーム作品内では、「媒体」としての主人公キャラにプレイヤーが“シンクロ”してミッションクリアを目指していくわけなのだろうけれど、ビデオゲームの映画化ってそういうことじゃないだろうと思うし、娯楽としてあまりに“下手っぴ”だと感じずにはいられなかった。

原作ゲームの概要を見てみると、“暗殺者”である主人公が潜入し極秘裏にミッションを遂行していく設定が最大の魅力らしいのに、この映画化においては皆無と言っていいほど「潜入感」が希薄なことも、著しく面白味に欠けている要因の一つだろうと思う。
「マトリックス」なり、「ミッション:8ミニッツ」なり、同様のゲーム的感覚を活かした傑作はいくらでもあるのだから、原作ゲームの醍醐味を反映できなかったことは、完全に製作陣の実力不足、いや怠慢だろう。

主人公をはじめとするすべての登場人物たちの行動原理もまったくもって理解不能。
映画内だけで通用する固有名詞と専門用語を羅列するばかりで、本質的な人間描写に整合性がなく、はっきり言って善玉と悪玉の区別すらつきづらい。安直に「厨二病的」と片付けるには、厨二病に失礼だ。


主演のマイケル・ファスベンダーとマリオン・コティヤールは、この監督の前作にも出演していたらしいが、今作を選択したことで彼らの出演が叶わなかった映画企画があることを思うと、非常に勿体無い。
両者とも、現在のハリウッドにおけるトップ・オブ・トップの油の乗り切ったスター俳優なのだから、作品選びの責任の重さを自覚してほしい。
あきらかに“そのつもり”のようだが、勿論シリーズ化には断固反対である。


冒頭で、“鷲”の安っぽいCGをこれ見よがしに見せられた時点で嫌な予感はした。
ああ、やっぱり各方面で激賞されている韓国映画を観に行けばよかったと、項垂れてながら宿に向かう深夜の新宿。


「アサシン クリード Assassin's Creed」
2016年【英・仏・米・香・台】
鑑賞環境:映画館(2D・字幕)
評価:2点

おヒサシネマ! 「ゴーストバスターズ」 

March 12 [Sun], 2017, 9:15


昨年公開されたリブート版のせいか(観ていないけど)、発端となる動機が定かではないけれど、ふいにこの僕自身が3歳の時に公開された娯楽映画を観たくなり、Netflixで観た。
こういう“衝動”に対して、動画配信サービスはとても便利だ。

そして、何年かぶりに観たこの娯楽映画は、そうやって衝動的に、気楽に観るに「ちょうどいい」作品として、今に息づく作品だと思う。
10年前ならただ絶妙に古臭くて退屈な娯楽映画として思ってしまったかもしれないけれど、今となればもはや「この時代の娯楽」として古典的な価値さえ感じる。
こうやって、本当に面白くて、愛される映画は、時代を超えて、その時々で価値観を変えながらも、存在感を放ち続けていくのだろうなと思う。

若いビル・マーレイやダン・エイクロイド、シガニー・ウィーバーは当然目立つが、リック・モラニス演じる色々な意味で“ギリギリ”な会計士が堪らない。


「ゴーストバスターズ Ghost Busters」
1984年【米】
鑑賞環境:VOD(Netflix・吹替)
評価:7点(→)

「ラ・ラ・ランド」<9点> 

March 10 [Fri], 2017, 23:00


夢に憧れて、夢を持ち、夢を見て、見て、見続けて、ついに夢を叶えた時、夢は終わる。
それは、二人が踊ったマジックアワーのように、限られたものだからこそ、美しく、何にも代え難い。

「LA LA LAND」とは、文字通りロサンゼルス、特にハリウッドを指す言葉である。
そこには夢に取り憑かれ、夢に浮かれるあの街と、そこに住む“夢追い人”の様を揶揄する意味合いも含まれるらしい。
しかし、そんな“周囲”のフツーの価値観などは百も承知。或いは愚かだろうが、浅はかだろうが、跳ね除け、歌い飛ばし、踊り飛ばす。
そんな“夢追い人”として生きようとしている人、または生き続けている人々の「気概」が、このミュージカル映画のタイトルには込められているように感じた。
もちろん僕はハリウッドには行ったことすらないけれど、少なからず何かしらの夢を持ったことがある人間の一人として、彼らのその気概と、必然的に伴う現実の切なさに対して熱くならずにはいられなかった。

そして、夢に生き、一つの夢の終わりを見届けた二人の或る終着点に、刹那的な美しさと、堪らないエモーションを感じずにはいられなかった。
ラスト、別れた二人が邂逅した時、まるで在るはずのない走馬灯のように、彼らが“辿らなかった”人生模様がめくるめく。
そこにはファンタジーのような多幸感が満ち溢れ、これでもかと我々の胸を締め付ける。
他者を遮断し、感慨にふける二人。しかし、彼らの表情に後悔はまったく感じない。
選ばなかった人生が多幸感に溢れていたとしても、それが“=幸福”ではないことを他の誰でもない彼ら自身が最もよく分かっているからだ。
夢を叶えて、夢の終着を見た二人は、そこに必ずしも幸福が付随しないことをとうに知っている。
そして、成就しなかったからこそ、美しさが永遠に保たれる事柄があることも。

この映画の主人公達の人生は、決して美しくはなく、褒められたものではないのかもしれない。
でも、夢を追い続けた彼らに後悔はない。いや、後悔などしていられないのだ。
“ファンタジー”を“非現実”だと認めること。
それこそが、あの場所で夢を追い求めるすべての“ロマンティストたち”に与えられた宿命であり、矜持なのだろう。

決してただ単に「夢」を描いてラララと楽しい映画ではなかった。
もちろんその楽しさと美しさも認めつつ、苦しさや醜さをもひっくるめて、現実と非現実の狭間で、“夢を追う”という生き方を力強く肯定しているからこそ、この映画は素晴らしいのだと思う。


故に、特にハリウッドで生きる「映画人」たちからの賞賛の場であるアカデミー賞においては、最高賞の栄誉に相応しい作品だったと思う……本来であれば。
こういう映画がすんなりと“No.1”に輝く時代になればいいのだけれど。


「ラ・ラ・ランド LA LA LAND」
2016年【米】
鑑賞環境:映画館(字幕)
評価:9点

「つみきのいえ」<7点> 

March 06 [Mon], 2017, 23:28


“つみきのいえ”で、老人がひとり生活している。
パイプをふかし、魚を釣って、日に日に増える水かさから避けるために、また“いえ”を積み重ねていく。
積み重ねていくほどに、住まうスペースは狭小化していくけれど、彼はただ淡々と生活を続ける。

この世界で何があったのだろう。この老人はどんな人生を送ってきたのだろう。
極めて短い映画世界の中で観客は思いを巡らせる。
この優れた短編アニメーションは、限られた世界観の中で、無限の想像を観ている者それぞれに与えてくれる。

水の中に沈んでしまった過去に郷愁を覚えつつ、限られた時間の未来に向けて、老人は淡々と積み上げる。
過去を思いつつ、彼が積み上げているものは、悲しみだろうか、喜びだろうか。

観る人によって、老人の表情は、無表情にも、憂いているようにも、微笑んでいるようにも見えるだろう。


「つみきのいえ La Maison en petits cubes」
2008年【日】
鑑賞環境:VOD(Netflix)
評価:7点

「海月姫」<6点> 

March 04 [Sat], 2017, 14:05


とても愛らしい映画だったとは思う。
原作漫画は1巻しか読んでいないが、キャストのビジュアル面をはじめとして最大限忠実に漫画の実写化に努めている。
ただそれ故に、あとほんの少しだけ映画表現としての巧さが備わっていたならば、この映画は青春映画としてもファッション映画としてももっと快作に仕上がったのではないかと口惜しさが残る。

コメディ漫画の世界観をキャスト陣はビジュアル、テンション含めて見事に表現している。それについては、核となる“尼〜ず”の面々のキャスティングが素晴らしかったのだと思う。
もはや「名女優」という枠にカテゴライズされてもおかしくない池脇千鶴の贅沢過ぎる配役に始まり、ビジュアルの合致を存分に活かし塚地武雅並の安定感を見せた馬場園梓(アジアン)、ファッションにも精通した篠原ともえのバラエティー性は映画の題材的にもマッチしていた。
そして何と言っても太田莉菜。「69 sixty nine」以来のファンとしては、彼女がまさかの役どころを怪演していることも嬉しかったが、“まやや”というキャラクターに隠された要素を知らなかったので、クライマックスの顛末は何故この役が太田莉菜だったのかが一目瞭然で、ただただアガりっぱなしだった。(まあネタとしてはベタベタだけれど)
この“尼〜ず”の面々が入り乱れるシーンの一つ一つは笑いが絶えない。ただそれぞれがコント的で、個々のキャラクターが持つドラマ性まで踏み込めていないことも事実。
もちろん、奇妙な面々の可笑しささえ表現できていればいいのかもしれない。けれど、終盤の展開を踏まえると、もっと個々が待つ葛藤や人間性に踏み込んだ場面があった方が、“チーム感”が高まり、ラストの円陣はもっともっとエモーショナルになったろうにと思えてならない。
126分というコメディ映画としては結構な長尺を有しているにも関わらず、そういった人間描写が物足りないことは、映画的な巧さがなく稚拙なのだと思う。

あと、これは言っても致し方ないことだとは思うけれど、“女性にしか見えないキャラクター”を男性が演じるのはやはり無理がある。
菅田将暉は「綺麗」だったし、静止画で捉えたならば原作漫画のキャラクターのビジュアルを表現できていた場面も幾つかはあったと思う。
しかし、実写で動きがつくとなると、やっぱり男は男だし、それをあれほど密接に関わっている人達が気づかないのにはどうしても拭い去れない違和感を感じ続けなければならなかった。
まあコレは本当に仕方ないことだ。それが最大のウィークポイントになることは前提の上での映画化なのだろうから、もはや何も言うまい。

そして、この映画が愛らしい最大にして唯一無二の理由は、言わずもがな能年玲奈(2014年時点)という女優の存在そのものである。
能年玲奈演じる主人公“月海”が、すべてのシーン、すべてのカットにおいて愛らしいからこそ、この映画は愛らしいのだ。
女優として上手いとか下手だとかそういう一般的な評価は彼女には相応しくない。
能年玲奈が能年玲奈であったかどうか、この女優に与えられる評価の付け方はそうあるべきだとすら思う。
「あまちゃん」を観ていなかった僕は、先日観た「この世界の片隅に」に続いて、今更ながらこの女優の特別さを思い知っている。

決して優れた映画ではなかったし、評価が低く、売れなかった映画であることも納得はできる。
ただしだ、能年玲奈、いや「のん」という女優の若き日の貴重な時間を切り取った映画としては、とても大切な作品になるかもしれない。


「海月姫」
2014年【日】
鑑賞環境:VOD(Netflix)
評価:6点

「ドクター・ストレンジ」<6点> 

February 23 [Thu], 2017, 23:30


マーベル・コミックのクロスオーバー作品である“マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)”のシリーズ第14作目にして、“フェイズ3”の2作目なんて聞くと、もはやファンですら混乱してしまいそうで、完全に一見さんお断りの雰囲気を醸し出している。
ついに「魔術師」まで登場してしまっては、この世界観のリアリティーラインが一気にぶっ飛びそうだが、その「異質」さが、逆に一見さんを“アリ”にしてくれているようにも感じた。
故に、特にMCUシリーズのファンにとっては、大いに賛否が分かれる作品に仕上がっていると思う。

アメコミ自体への造詣が深いわけではないので、当初は「ドクター・ストレンジ?何だそれ?」といったところだったが、MCUにベネディクト・カンバーバッチが参戦となれば、当然劇場に足を運ばぬわけにはいかない。
そして、傲慢で屈折した性格を持つ天才外科医なんて役どころが、カンバーバッチにマッチしないわけがなく、髭を蓄えた白髪交じりの魔術師の立ち振舞も、他のマーベルヒーローとは一線を画す格好良さがあった。
ある意味では、そのビジュアル的な娯楽性を達成できている時点で、アメコミ映画としては「成功」と言ってもいいのかもしれない。

しかしながら、これまでのMCUシリーズ各作品において(すべてとは言わないが)ストーリーテリングの巧さとエンターテイメントとしての手際の良さによって高揚感を与え続けられてきたファンとしては、少々稚拙なストーリー展開に思わず眉をひそめてしまった。
冒頭からクライマックスに至るまで、終始ストーリー運びが唐突に感じた。
天才外科医だった主人公が、交通事故を起こし、天職を失い、絶望し、彷徨い、偶然に怪しい呪術の存在を知り、学び、魔術師になる。その一連の流れがあまりに短絡的で、都合いい。「そういう運命だから」という一言で済ませようとするような乱暴さすら感じてしまう。
主人公をはじめとする各キャラクターの行動理由についての描写も非常に薄い。
何やらわけの分からぬ固有名詞を連発してそれっぽいことを述べて、強引に事を運んでいるように見えてならなかった。

ラストの主人公が勝利するくだりは、魔術師らしい“とんち”が効いていて小気味よかったが、あのような展開がまかり通るのならば、それを活かしてもっと巧いストーリーテリングが構築できたのではないかと思える。
序盤の都合のいい展開も、時空を超越した魔術師の仕業だった〜なんてオチであれば、楽しかったのにと口惜しさが残った。

とはいえ、前述の通りMCUシリーズの中でも個性的な作品であることは間違いない。
ストーリーの稚拙さはあるが、場面場面の愛らしさを含め、奇妙で歪でかわいい映画と言えなくもない。

「魔術師」の登場に対してリアリティーラインの崩壊を危惧したけれど、考えてみれば、古来より「科学」と「魔術」の境界線は紙一重であり、実は今もそれは変わりないのかもしれない。
ならば、科学の粋を集めたアイアンマンと魔術師のドクター・ストレンジが同一世界に居たとしても全くおかしくはないのだろう。


「ドクター・ストレンジ DOCTOR STRANGE」
2016年【米】
鑑賞環境:映画館(2D・字幕)
評価:6点

「脳内ポイズンベリー」<6点> 

February 17 [Fri], 2017, 23:33



似合っているような、似合っていないような、主演女優の赤いニット帽姿がかわいい。
これまで無愛想で男勝りな役柄を演じることが多かった主演の真木よう子が、“柄でもなく”ガーリーな主人公を演じている。
決して、上手い女優ではないので、イメージを脱却する好演をしていると手放しでは言い難く、“頑張ってる感”が終始漂っている。
けれど、その様が、女優としての人間性と演じているキャラクター性をひっくるめて、かわいい。
そう思うことが出来たならば、とても楽しいラブコメとしてこの映画を楽しむことが出来るだろう。

三十路を迎えた主人公。脳内では“5人”の感情が、恋愛観、人生観を議題にして終始議論を繰り広げている。
同時期に公開された“ピクサー映画様”の「インサイド・ヘッド」との題材の類似性はとても興味深い。
安易に「パクリ」なんて言う人もいるが、こういうことは意外とよくあるもので、「偶然」と許容し、両作品を見比べて楽しむことが映画ファンとしての健全なスタンスだと思う。

勿論、正真正銘“ご立派”な傑作である「インサイド・ヘッド」には、映画作品として到底及んでいないけれど、日本人らしい価値観と人間性を表現した今作も、これはこれでユニークだったと思う。
個々のキャラクターにおいては、「インサイド・ヘッド」の“ヨロコビ”たちよりも今作の“吉田”たちの方が、個人的には愛着が持てた。
「インサイド・ヘッド」が主人公の脳内キャラクター描写においてそれぞれが司る「感情」をシンプルに究めたことに対して、今作の場合は、“理性”、“ポジティブ”、“ネガティブ”等と一応の役割は与えられているが、それぞれが人間らしい弱さや脆さをも持ち合わせ、議論が紛糾していく様が面白かった。
実際、人間の頭の中なんてものは、大人になればなるほど決してシンプルには括ることができない醜くも滑稽な「打算」や「逃避」が渦巻くものであり、そういう意味ではとても的を射た描写だったと思う。

少女漫画を原作としたラブコメとして楽しみがいのあるポップさは認めたい。その一方で、最終的に主人公が選び取る人生観や恋愛観において、もう一本踏み込んでくれたならば更に良作になったとも思う。
ピクサーが同様のアイデアを採用するくらいだから、プロットそのものはやはり魅力的である。だからこそ、最終的な顛末の描き込みの部分で差が出ていることは明らかだ。

まあ個人的には前述の通り、ファーストカットから映し出される主演女優の“たわわ”な魅力に煩悩が鷲掴みだったわけだけれど。


「脳内ポイズンベリー」
2015年【日】
鑑賞環境:VOD(Netflix)
評価:6点

「スノーデン」<9点> 

February 15 [Wed], 2017, 1:00


遠隔会議の大画面に大写しにされる上司の顔面の威圧感、向かいのビルディングに巨大に浮かぶ主人公の影、乱視のような投影、不穏さと居心地の悪さを想起させるコンピューターの背景音……作品全編において御年70歳の大巨匠の映画術が冴え渡る。
監督オリバー・ストーン。この人もまた老いて尚益々精力的な映画人であることを思い知った。

そして、“エドワード・ジョセフ・スノーデン”を描き出すことにおいて、彼以上に相応しい映画監督はやはり居なかっただろう。
かの国の大いなる混沌を伴う政権交代により、ロシアからの“贈り物”としての「強制送還」も現実味を帯びてきている。
このタイミングで、この題材を、このような方法で描き出した今作の「意義」は、あらゆる側面で大きい。

映画という表現方法においては、それがノンフィクションであれ、ドキュメンタリーであれ、映し出されたものがそのまま「真実」だとは思わないように個人的に意識している。
映画が作品として優れていて、傑作であればあるほど、創作と現実の境界をしっかりと認識するべきで、その境界を曖昧にしたまま情報を鵜呑みにしてしまうことは、危険で愚かなことだと思う。

だから、この映画で描かれたエドワード・ジョセフ・スノーデンという人物の実態が、そっくりこのままだとは思わない。
もっと脆く危うい人物かもしれないし、逆にもっと完全無欠な人物かもしれない。
または、過剰なまでにナイーブなギークの青年に過ぎないのかもしれないし、もし生きる環境が違っていたならばスティーブ・ジョブズにもマーク・ザッカーバーグにもなれた天才なのかもしれない。
それは、スノーデン氏本人、もしくは彼と直接関わり合った人にしか分かりようがないし、彼のことを知りもしない人間が推し量ることはあまりに無意味だ。

ただし、彼が起こした「行動」と、それに対する世界の「反応」は事実である。
その「事実」それのみを知って、この事件が露わにした真実と影響は、極めて重要な事だと改めて思った。

「諜報機関を持つ国ならどの国でもやっていることだ」
と、時の最高権力者は見解を示した。
そこには、ある種の開き直りと、そうする他無いじゃないかという本音が入り交じる。
実際、スノーデン氏が明るみに出した事実に対して、世界はその善悪の判別を下せていない。
それは即ち、彼の行動が「正義」なのか否か結論付けられていないことを表している。

そもそも「正義」とは何か?「正義」ではないとするならばそれはイコール「悪」なのか?それとも「別の正義」なのか?

エドワード・ジョセフ・スノーデンが“起こした事”の本当の「意義」は、その“答えが出ない問い”を世界に投げかけたことに他ならない。
そして、彼がこの先どのような人生を送るのか。オリバー・ストーンが紛れもない「今」を描いたからこそ、我々はこの先もその現実のドラマを追うことができる。
示された事実を受け取り、たとえ明確な答えが出なくともその是非を考え続けること。それが、これからの時代を生き続ける我々の責務だと思う。


「スノーデン Snowden」
2016年【米】
鑑賞環境:映画館(字幕)
評価:9点
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映画の善し悪しは、結局、「好き」か「嫌い」かだと思う。 つらつらと語ってみたところで、詰まるところ、それ以上でも以下でもない。 それで良いのだろうと思う。