「ハードコア」<7点> 

April 19 [Wed], 2017, 23:55


新宿バルト9、0時近くのレイトショー。クライマックスを“走り抜ける”につれ、脳内メモリが激しく消費されていくのを体感。
誤解を恐れずに言うと、刺激的な映像世界に対する高揚感に相反するように、特に終盤、“欠伸”が止まらなかった。
無論、退屈だったわけではない。脳内メモリが尽きかけ、思考が停止しかけていたのだと思う。

きっと世界中の映画人たちが一度は思いついたものの実行には移せなかった“全編FPS視点”でのアクション映画。
今作のつくり手たちは、その禁じ手とも言える破天荒な映画企画を、時に緻密に、時に強引に、見紛うことなき“新しい”エンターテイメントとしてまかり通している。
何はともあれ、「映画」として成立させたことがまず見事だと思う。

前述の通り、観る人やタイミングによっては、“メモリ”のキャパオーバーで、映画としての許容範囲を越えてしまうことも致し方ない文字通りに「不安定」な作品であることは間違いない。
ただし、決して“全編FPS視点”というアイデア一発に頼り切った映画ではないことも確か。

ある意味「主人公不在」の映画であるため、その分周囲のキャラクターを演じた俳優たちがそれぞれ印象的である。

まず主人公の愛しき妻(?)としてファーストカットで映し出されるヘイリー・ベネットがいきなりエロい。
はっきり言って悪趣味なエログロ映画でもある今作において、この女優が醸し出す淫靡さは必要不可欠な要素だったと思う。

そして何と言ってもこの作品を語る上で外すことが出来ないものは、実は特異な撮影手法などではなく、シャールト・コプリーその人。彼が扮する“ジミー’s”の縦横無尽、奇々怪々、魑魅魍魎な存在感こそが、今作の最大の見所だと言っていい。
盟友ニール・プロムカンプ監督の「第9地区」で鮮烈なデビューを果たして以降、一気に“怪優界”のトップに躍り出たこの人の俳優力はやはり本物だ。


途中、喋ることが出来ない主人公を指して「チャップリンだったとはな」という台詞があるが、これは言い得て妙な巧い台詞である。
完全なる主人公視点により、まさに映画世界を「体感」する今作の体験は、映画の黎明期に“チャップリン映画”を観た当時の観客たちの「体感」に通じるものがあるのではないか………。
とまで言ってしまうと流石に大袈裟だけれど、つくり手たちの意欲そのものは、映画史の偉人たちに対しても胸を張っていいと思える。


「ハードコア Hardcore Henry」
2015年【米・露】
鑑賞環境:映画館(字幕)
評価:7点

予告編

おヒサシネマ! 「沈黙の戦艦」 

April 17 [Mon], 2017, 19:26


先日気まぐれに観た2000年代の“セガール映画”があまりにも酷かったので、スティーヴン・セガールというアクションスターの“存在”を再確認しようと、彼の代名詞ともなった「沈黙シリーズ」の発端である今作を何年かぶりに観た。

スティーブン・セガールのアクション映画スターとしての地位を確立したと言える今作の最大の成功要因は、やはり主人公のキャラ設定に尽きると思う。
“コック”の主人公の素性が、実は海軍きっての最強軍人だったというアイデア一発で、このアクション映画は成り立っていると言っていい。
このキャラ設定にバッチリとハマったスティーヴン・セガールが扮したケーシー・ライバックというヒーローそのものが、この作品の娯楽性の中心である。

したがって、このアクションヒーローのファンとしては、もっと作品として数多くシリーズ化してほしかった。
「沈黙シリーズ」などという名ばかりの呼称ではなく、今作の正当な続編「暴走特急」に続く第三弾、第四弾、第五段……と様々なステージでテロ事件に巻き込まれ、当然のようにテロリストを駆逐するケーシー・ライバックの活躍を観たかったものだ。

何せ“コック”という手に職を持っているのだから、ホワイトハウス篇、日本大使館篇、エアフォースワン篇、サミット篇, etc.「職場」は次々にあった筈だ。


「沈黙の戦艦 Under Siege」
1992年【米】
鑑賞環境:VOD(Netflix・字幕)
評価:7点(↑)

「ワイルドカード」<3点> 

April 16 [Sun], 2017, 1:00


この映画のストーリーラインが描き出したかったことは、うらぶれた人生からの脱却を実は夢見ている裏稼業の男が、不意に現れた“若者”との一夜の交流を通じて、決意と活路を見出していく物語だったのだと推察する。
なにせ、脚本は二度のアカデミー賞にも輝くウィリアム・ゴールドマンである。
きっと本来イメージしていたストーリーラインは、ラスベガスの欺瞞に満ちた輝きの中で、己の腕っ節のみで生きてきた不器用な男の哀愁と、その先に見えた真実の光だったのだろう。
そういうストーリーラインを示す描写や設定は確かに点在している。

しかし、残念ながら結果としては、この映画においてそういった芳醇なドラマ性は生まれておらず、全編通してチグハグでバランスの悪いアクション映画に終始してしまっている。

その原因が、イメージはあるものの緻密な人間描写の構築まで至ることが出来なかった老脚本家にあるのか、ドラマシーンの演出力に欠いたB級アクション映画監督にあるのか、はたまた良い意味でも悪い意味でも“筋肉バカ”である主演俳優にあるのかは定かではないが、まあ何とも残念な映画に仕上がってしまっていることは間違いない。

監督はサイモン・ウェスト。世間的にはB級アクション映画専門監督というレッテルを貼られており、その認識に間違いはないと思うけれど、個人的には1997年の「コン・エアー」以来、決して嫌いにはなれないアクション映画監督の一人である。
主演のジェイソン・ステイサムとも、「メカニック」「エクスペンタブルズ2」と、相性の良い仕事ぶりを見せてくれていただけに、今作に対してもB級アクションならではの良い意味で“雑多な娯楽性”を期待していた。
実際、アクションシーンの見応えは確かにあったと思う。
“銃”を絶対に使わないというキャラ設定を活かした主人公のアクションシーンにはキレがあり、銃を使わないからこそ生じる残虐性とそれに伴う“痛々しさ”が特徴的だったと思う。

ただし、アクションシーンに限らず総てのシーンが短絡的かつ散文的で主人公の行動原理に説得力がまるでなかった。
「主人公がどういう人間なのか」という肝心な部分が、極めて曖昧で掴みきれない。
勿論、敢えてそういう主人公造形をする作品もあるけれど、結果として本質的な魅力を欠いてしまっていることは、脚本、演出、演技の総てにおいて力量が足りていないということだろう。

詰まるところ、今作においては脚本、監督、主演俳優の“食い合わせ”が悪かったということだと思う。
全く別の座組が実現していたならば、もっと良い映画になり得た可能性はあった……かもしれない。


「ワイルドカード Wild Card」
2014年【米】
鑑賞環境:VOD(Netflix・字幕)
評価:3点

予告編

おヒサシネマ! 「アドレナリン」 

April 12 [Wed], 2017, 21:38


続編「ハイボルテージ」を観てしまって、ついつい再鑑賞。
「馬鹿映画だ」「阿呆映画だ」と連呼しつつも、やっぱり楽しいんだから始末が悪い。
そして改めて観返してみると、馬鹿映画であることは間違いないけれど、娯楽映画としての趣向は細やかに凝られているなと再確認した。

アドレナリンを出しっ放しにしないと死んでしまうという馬鹿設定を最大限に活かし、ありとあらゆる方法でテンションを上げ続ける主人公のアクションが楽しい。
主演のジェイソン・ステイサムの独特のアクションスター性があってこその作品であることは言わずもがなだが、今作におけるもう一人の功労者は、ヒロイン役のエイミー・スマートだ。
このヒロインが見せる、ときには主人公をも凌駕するハイテンションもといサイコーの“アヘ顔”こそが、この馬鹿映画のハイライトだと言っても過言ではないだろう。

そうして辿り着く衝撃的なラストシーン。
このラストシーンは、決して大袈裟ではなく、アクション映画史に残る名場面となり得ているのではないかと思える。ラストカットで既に“瞬かれている”続編への予感も含めて。


「アドレナリン CRANK」
2006年【米・英】
鑑賞環境:VOD(Netflix・字幕)
評価:7点(↑)

予告編

「アドレナリン:ハイ・ボルテージ」<6点> 

April 09 [Sun], 2017, 1:40


相変わらず「馬鹿」過ぎるテンションに面食らう。ギリギリ良い意味で。
前作の衝撃的なラストカットから間髪をいれず始まるこの続編、正直色んな意味でイカれている。
あまりにも劣悪な状況下での心臓移植手術シーンから始まり、すべての設定、展開が、“悪ふざけ”のオンパレード。エログロ展開は完全に前作以上。
もしも、前作を踏まえずに今作を観たならば、いきなりの暴走ぶりに対してひそめた眉が戻らないだろう。

前作は謎の“中国毒”によって常にアドレナリンを出しっぱなしにしておかなければ心臓が停止するという、文字通りの暴走馬鹿映画だったが、今作は謎の中国フィクサーによって無理矢理心臓を抜き取られ、“充電式”の人工心臓を移植され常に感電し続けなければ死んでしまうという超暴走馬鹿映画。

この映画に携わるすべての人間が“悪ふざけ”を楽しんでいるが、誰よりもそれに興じているのは、他でもない主演のジェイソン・ステイサムだろう。
アクションスターとしては現役トップスターであろうこの英国人俳優が愛されるのは、どんな映画においても「全力」で挑むからだろう。寡黙で屈強な殺し屋を演じることにも、一転して馬鹿すぎるジャンキー野郎を演じることにも、一切躊躇がない。
彼がテンションを上げっぱなしのイカレ野郎をてらいなく演じているからこそ、この馬鹿映画は成立しているのだと思える。

二作目にしてもはやお約束の「公開○○○シーン」も健在。しまいには既にクセになっちゃってるヒロイン役のエイミー・スマートちゃんが、馬のアレを見て興奮するシマツ。

「馬鹿な映画だなー」と何度呟いたか分からないが、同時にニヤニヤが止まらないことも事実。
前作も“どーかしてる”テンションの映画だったが、それを越えて完全に頭がイカれている領域。ここまでされては、ただ笑うしかない。


「アドレナリン:ハイ・ボルテージ CRANK: HIGH VOLTAGE」
2009年【米】
鑑賞環境:VOD(Netflix・字幕)
評価:6点

予告編

「パッセンジャー」<8点> 

April 06 [Thu], 2017, 23:59


“Starring  Jennifer Lawrence Chris Pratt”
エンドロールのクレジットで、先ず表示されたのは主演俳優二人のクレジットだった。
それはハリウッド映画において大して珍しくないことのように思えるかもしれないが、往年の娯楽大作ならいざ知らず、昨今の映画において、「〜の主演映画である」という情報を、エンドロールでわざわざ真っ先に伝えてくる作品は記憶にない。

製作陣が意図的にそのクレジットで表したかったことは、詰まるところこのSF超大作が貫いた“スタンス”であり、即ちこの映画が“スター・システム・ムービー”であることへのてらいのなさだと思う。
昨今の価値観に合わせるならば、“スター・システム”という姿勢は、安易に主演のスター俳優に頼っただけの映画だとも捉えられかねないため、極力避けるのが普通だ。
しかし、この映画は、主演俳優の絶大なスター性を臆面もなく全面に押し出し、美しさと格好良さを表現することに対しての「逃げ」がない。
結果として、美しいスター俳優同士の共演が、ハリウッドの古き娯楽大作にも通ずる堂々たるエンターテイメント性を醸し出していたと思う。
ジェニファー・ローレンスはすべてのシーンが尽くエロ……いや艶っぽいし、クリス・プラットは無精髭が伸びっぱなしだろうが尻を丸出しだろうが格好良い。それぞれの振る舞いがそれだけで娯楽要素になり得ている。

と、ここまでであれば、この映画は結局のところスター俳優の華やかさを追求しただけの作品で、ストーリー性には乏しい映画だと思われるかもしれない。でも、実はそうではない。
“スター俳優の華やかさ”は、このSF映画が「娯楽超大作」としてのバランスを成立させるために必要不可欠な要素だったのだと確信する。
もしこの映画のキャスティングにおいて、もっと地味で堅い印象が“売り”の俳優をチョイスしていたならば、重々しく破滅的な全く別物の映画に仕上がっていたことだろう。

なぜならば、このSF映画の持つ「罪と赦し」にまつわるストーリー性とテーマ性は、想定外に深く辛辣であるからだ。

もっと堅実なキャスティングによって、このストーリーが孕む人間の業を深掘り、丸裸にしたならば、それはそれで傑作に成り得たかもしれない。
ただ今作の製作陣はそういう選択をしなかった。華やかなキャスティングによる娯楽性を優先したのだ。
そしてその選択は決して間違いではなかったと思える。
この物語が伝えるべき人生観と哲学性を表現しつつ、娯楽大作として様々な観点から楽しみがいのあるエンターテイメントに仕上がっている。
そしてそれは、主演の両ハリウッドスターが華やかさだけではなく、演技者として押しも押されもせぬ実力を備えているからこそ成し得ていることだ。
両者が演じたキャラクターの瞳にふいに垣間見える“狂気性”がそのことを雄弁に表している。


当初、“デートムービー”推しの安直な国内プロモーションを目の当たりにして、鑑賞意欲が大いに削がれたのだが、某映画評の冒頭で「賛否両論」という情報を聞くにつけ、一転して食指が動いた。
“賛否両論のSF映画”は、大概の場合観ておいて損はない。その持論は幸いにも的中した。
そして、結果として“デートムービー”としてのプロモーションはある意味的を射ているのだと思う。
このSF映画で描かれるストーリーは極めて特異な状況のように見えるが、実のところとても普遍的な男女関係の機微や不自由さを孕んでいる。
美しい二人の美しいデートシーンにうっとりすると同時に、男女関係における地獄のような居心地の悪さを感じることも必至。
この映画を共に観ることで、二人の付き合い方には波紋が広がることだろう。
それが二人にとって良い方向に繋がるか、悪い方向に繋がるかは知ったこっちゃないが、二人の将来を推し量る上では重要な材料になり得るだろう。
これこそ“デートムービー”と呼ぶに相応しいではないか。


「パッセンジャー Passengers」
2016年【米】
鑑賞環境:映画館(字幕)
評価:8点

予告編

「沈黙のテロリスト」<1点> 

April 05 [Wed], 2017, 23:58


下げきった低いハードルの更に下をくぐらせるような映画。
アクションスターの栄枯盛衰は宿命だとは思うが、やや肥えた体ででっぷりと座するシーンばかりのスティーブン・セガールを見ていると、年老いて致し方ないこととはいえ、彼自身のアクション俳優としての意識の低さが表れているように思える。

シルベスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーら往年の大アクションスターらが、低迷期を乗り越えて、年相応の魅力を加味して復活し、今なおハリウッドでの存在感を放ち続けている様と比較すると、やっぱりスティーブン・セガールは彼らには敵わない存在だったのだなと再確認せざるを得ない。

まあ、そのセガールを差し置いて、トム・サイズモアが主人公だという時点で、どうかしている映画ではあるのだけれど。


「沈黙のテロリスト Ticker」
2001年【米】
鑑賞環境:VOD(Netflix・字幕)
評価:1点

「プリデスティネーション」<9点> 

April 02 [Sun], 2017, 23:55



<<ネタバレ注意!!>>



「お袋でも分からないな」

冒頭、顔面の大怪我により形成手術を受けた“男”が自嘲気味につぶやく。
あまりにもさりげなく発せられるこの台詞が孕む意味と闇の深さを知ったとき、全身が粟立った。

“タイムトラベル”を描いた映画としてすべての整合性が取れている作品だとは言わない。綻びは当然あるし、独善的で強引なストーリーテリングだと言えばその通りだろう。
極めて“いびつ”な映画である。だが、その歪さこそがこのSF映画が持つ真価であり、揺るがない独自性だと思う。
普通の人間が無意識レベルで携えている倫理観や禁忌すらも大胆に超越して描きつけられる“SF”。まるで見てはいけないものを見てしまったような驚きと当惑が堪らない。

「自分の尾を永遠に追い続ける蛇」というフレーズがまさに象徴的なストーリー展開は、明らかな「矛盾」を生む。
しかし、その「矛盾」そのものが堂々巡りとなり、物語の帰着を許さない。
一つの疑問に対する答えがまた別の疑問を生み、繰り返され、最初の疑問に戻ってくる。まさに時空の螺旋。観客も登場人物同様に時空の狭間に閉じ込められる。
と、これ以上の言及は未鑑賞者の興を冷めさせてしまうので控えなければならない。


当惑のまま、すぐに観返したくなり、再鑑賞に至った。

「お前や私のような細身の顔」

「恋に溺れた経験は?」「一度だけ」「なら分かるだろ」

「不思議だよな この顔を見ると人生を壊した男を思い出す」

「娘もその父親も過去の亡霊だ」

「俺を爆弾魔かと?」「かもな」「お前かも」

冒頭の台詞を皮切りに、劇中で繰り広げられるあらゆる台詞にこの物語の真意が込められていた。


惜しむらくは、ただ一点。
主演のイーサン・ホークの初登場は、“バーテンダー”として現れるべきだったと思う。
“掴み”として、最初のシーンが必要だったことは理解できるが、あの時点で彼の「顔」まで出す必要はなかった。

「俺たちには この職しかない」

というメインタイトル前の台詞を“リピート”させてラストシーンを締めたなら、この作品の特異な構造はもっと際立ったのではないかと思う。

まあしかし、そんなことは些末なことだろう。
そういう鑑賞者個々人の考察も含めて、様々な感情が思い巡らされることが今作の最大の魅力だと思う。
サラ・スヌークという驚異的な才能、監督スピエリッグ兄弟の確かな映画的センス、綻びを補って余りあるストーリーテリングの力、このSF映画が掘り出したモノの価値は、極めて大きい。


「プリデスティネーション Predestination」
2014年【豪】
鑑賞環境:VOD(Netflix・字幕)
評価:9点

予告編

おヒサシネマ! 「ボディガード」 

April 01 [Sat], 2017, 22:53


全盛期は間違いなくハリウッドのトップ・オブ・トップに君臨していたケビン・コスナー。
彼のスター俳優としての存在感が極まっているのが今作だと思う。
ストーリーテリングは王道の更に中心をいくようなベタ中のベタではあるが、ケビン・コスナーのスター性が、この映画を唯一無二の作品に昇華させている。

長らく斜陽期を過ごしていたとも言えるケビン・コスナーだが、ここ数年は注目作での渋い存在感が光り始めてきており、この世代の映画ファンとしては嬉しい。
良い作品が巡ってくれば、“アカデミー助演男優賞”なんて新たな栄誉の可能性もあるのではないか。


「ボディガード The Bodyguard」
1992年【米】
鑑賞環境:BS(吹替)
評価:8点(→)

「X-ミッション」<2点> 

March 29 [Wed], 2017, 23:55


1991年のヒット作「ハートブルー」のリメイクというが、正直おこがましい。非常に浅く、薄っぺらいアクション映画だった。
今作の無名俳優たちに、「ハートブルー」のキアヌ・リーヴスとパトリック・スウェイジと同等の“華”を求めることは酷だしせんないことだとは思うが、やはり何をおいても主人公キャラクターの二人の魅力があまりにも無さすぎた。

主人公はエクストリームスポーツYouTuber上がりの新人FBI捜査官という設定にオリジナルから改変されている。
「YouTuber」という設定で時代性を出したかったのかもしれないけれど、調子に乗った危険行為の挙句、巻き込んだ友人を死なせてしまうなんていう愚かなプロローグをいきなり見せられて、正直引く。
そんな愚行のせいでいくら傷心していても同情できないし、そんな状態で僅か数年でFBI捜査官に転身するなんてくだりにも、リアリティがまるでなく馬鹿馬鹿しく思える。

そんな主人公と共鳴し、立場上許されない友情と信頼を育んでいく犯罪集団のリーダーにもキャラクターとしての説得力が無かった。
とある崇高な思想でエクストリームスポーツの限界点に挑み続けるキャラクターだということは理解できるが、その描かれ方はただただ破滅的にしか見えず、人間としての魅力を感じることが出来ない。
このキャラクターに対して、主人公の捜査官も、我々観客も、犯罪者という立場を度外視した「憧れ」を抱かさなければ、そもそもこの映画は成立しないと思う。

「ハートブルー」がヒットしたのは、初主演で初々しいキアヌ・リーヴスのスター性と共に、パトリック・スウェイジが扮した“カリスマ犯罪者”に確かな魅力が備わっていたからだろう。


一方で、そういった人間ドラマを覆い隠すように全面的にプロモーションされていたエクストリームスポーツによるアクションシーンに見応えがあったかというと、それも正直弱い。
あらゆるエクストリームスポーツの限界点をクリアすることで不可能犯罪を可能にする犯罪集団という設定が、このリメイク企画の最大のウリだったはずだが、実際にそれらのシーンが描かれたのは主人公が直接操作に絡む前の序盤のみ。
特に主人公が実際に潜入捜査に関わってから以降は、カリスマ犯罪者が、ただ純粋に人間の限界に挑戦することのみを目的とするシーンの羅列のため、物語の推進力が著しく低下していたと思う。

それに、当初の触れ込みでは「CG無し」ということだったので、現実世界のエクストリームスポーツのプレイヤーたちがすべてのアクションシーンを見せてくれるのだろうと期待していたのだが、実際は明らかに現実離れなシーンが多く、CGも大いに多用されていたように見えた。

そして、ラスト。死にゆく友を見送る様は「ハートブルー」と同じだが、いかんせん人間ドラマ的にもアクション的にも求心力が皆無のため、その様はただただ希薄に見える。
詰まるところ、愚行で始まり、愚行で終わる映画にしか見えなかった。


「X-ミッション Point Break」
2015年【米】
鑑賞環境:VOD(Netflix・字幕)
評価:2点

予告編
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映画の善し悪しは、結局、「好き」か「嫌い」かだと思う。 つらつらと語ってみたところで、詰まるところ、それ以上でも以下でもない。 それで良いのだろうと思う。