十一月の雨 

February 20 [Wed], 2008, 4:14
小雨がパラつきだした十一月朔日。名古屋城堀を囲む官庁街。事業の細かい事務仕事と姪の原稿のゴーストライトが重なって、なんとも気忙しい2・3日、この雨に煙る静かな通りが優しく映る。
大戦後、まずは自動車道路から整備したのでは、と思える名古屋の中心街。ここからは五分も歩けば鯱鉾が見えてくる。尾張名古屋は城で持つ。私の気力は仕事で持つ・・?
みなさまの所にはまた深夜にでも。

残暑お見舞い申し上げます 

February 15 [Fri], 2008, 13:52
もう夏も終わりですね・・・  でも、まだ暑いですね(^-^)
(photo by 堀出 恒夫)

まぁまぁかな・・・(>∪<) 

February 08 [Fri], 2008, 15:48
(*´∇`)ノ⊃`ノ 二 千 ヮ☆

今日ゎ学校で席替えをした。

場所的にゎ後ろから2番目の窓のところだからいいけど、

周りの人がね;;;

仲がいい子がいない。+゚(゚´Д`゚)゚+。

いっつも端っこになるんだけど、中がいい子は反対の端っことかでめっちゃ離れる(ノωQ`泣)

なんでかな〜???

<上司>との<禁断>の<恋>に泣いた女(万葉を旅する・36) 

January 19 [Sat], 2008, 1:56
味間野に 宿れる君が 帰り来む 時の迎へを 何時とか待たむ(狭野茅上娘女<さのちがみのをとめ>巻15−3770)

天平11年(739年)、当時、神祇官(神祭りをつとめる役人)だった中臣宅守(なかとみのやかもり)が女官の狭野茅上郎女と恋に落ちた。二人は今日の上司と部下の関係にあった。恋愛は禁じられていた。勅勘(天皇の怒り)に触れた宅守は越前に流されてしまう。

この事件は、当時人々の関心を集めた。宅守の離京に始まり、その長い道中、また越前に到着してからの歌というように、二人が贈答した歌が語り伝えられ、「万葉集」に<53首>が残されているという。凄い。選者がよほどよかったのだ。大伴家持だろうか。彼も恋愛の名手だったらしいから。

冗談はともかく、味間野は福井県武生市の中に、今もある。当時は越前の国。頭書の一首も宅守が配流地で暮らし始めてから、娘女が贈ったもの。配流の地が味間野。国府とは今の武生(たけふ)で味間野は8キロ東へ行ったところという。

娘女の歌は、いつというあてもないのに、ただひたすら待つ。悲しさに満ちている。その心の空虚さが痛々しい。だから余計、人々の共感を呼んだのであろう。
最近は<味間野苑>という公園ができ、二人の恋を賑々しく伝えているという。だが中西進が関心を持ったのは、その公園の隣、味間野神社。<継体>天皇の<宮跡>で継体天皇を祭っていること。

継体天皇は古代史の<謎>を秘めた英雄だ。味間野近くの<三国>から身を起こして大和に入ったと<伝説>にある。
謡曲の「花筐(はながたみ)」は継体天皇を主人公にしているが、<照日の前>という女性の思慕を語っている。茅上娘女とは逆に女が味間野に残された。別離の悲しみを主題にしたのは共通。

ところが火山が主張したいのは、これからだ。この継体天皇、仁徳天皇の父・応神天皇から5世の孫とされているが、実は怪しい。
天武天皇が編纂させた「日本書紀」によれば「仁徳天皇の子孫は6世紀初頭の武烈天皇で絶え」(直木孝次郎「日本の歴史」第2巻・中央公論社・10頁)この継体天皇が「越前から迎えられた」ことになっている。

この時、「大連(おおむらじ)の大伴金村、物部アラ鹿火(かび)、大臣(おおおみ)の巨勢男人(こせのおひと)らの力によって河内の樟葉(くすは)で即位した」と「日本書紀」。
でも直木孝次郎は「事実かどうか疑わしい。おそらく継体天皇は大和の諸豪族に推戴されたのではなく、自分の実力をもって大和に存在した対抗勢力を打ち倒し、約20年の闘争の後ようやく天皇になったものと思われる」(「日本の歴史」10頁)。

何をいいたいか。最近<万世一系>という言葉が<氾濫>している。実は怪しいのだ。直木孝次郎は続ける。

「継体が大和の磐余に都した翌年、九州で筑紫の国造(くにのみやつこ)磐井の乱が起った。新羅と通じ、火の国(熊本県・佐賀県)、豊の国(福岡県と大分県の一部)を根拠としたというから、かなり大きな反乱であったことは事実だろう。磐井はけっきょく敗死するが、もし勝っておれば、継体天皇を大和から追い出してみずから皇統をついだかもしれない。磐井が筑紫で生まれた応神天皇の子孫と称する可能性もあった」。

直木孝次郎は当時、京大助教授、著名な歴史学者。いい加減な主張ではない。
なお大伴金村はわが愛する旅人、家持のご先祖。物部と並ぶ豪族だった。だが欽明の御世に失政があり、大伴氏は没落した。復活したのは壬申の乱で大功があったからだ。

戦後の石浜さんの活動(2) 

January 10 [Thu], 2008, 12:37
戦後、石浜(石濱)さんは、活発な伝道活動をしましたが、その中でも、特筆すべきは、トラクトの作成とラジオ伝道があります。

石浜さんは、聖書を純粋に研究した上で、分かりやすく人に話すこと、分かりやすく人に聖書の言う概念、信仰について話すことができた方です。深い聖書知識、面白く親しみやすい語り口の二つが相乗効果で働いて、トラクトにしても、ラジオ伝道にしてもそれを読んだり、聞いたりした方が福音を知る機会となったようです。

ラジオ伝道は、大阪に居られたバットさんが録音係、話すのが石濱さんで、後に他のブラザレンの関係者の伝道者が語るようになりました。録音された内容は、ラジオ関西から放送され、朝早い時間帯や遅い時間帯に放送されたため、電磁波の影響を避けられたので、一応日本全国で雑音混じりながら聴くことができたようです。とはいえ、電波の出力がそこまで強くないので、山間部などの条件の悪い地域では聴くことができなかったようですが。また、昔は北朝鮮や中国などの各種放送(妨害電波やプロパガンダ放送)の電波出力も弱かったので、結構な範囲で聞こえていたようです。

今は、この放送は、高原剛一郎さんという方がされているようです。比較的語り口は柔らかで、共感を呼ぶスタイルですが、個人的にはぜひ聴こうというような思いになれない点もなくはありません。現在は、インターネットでコンテンツがダウンロードできるような工夫をされていますが、個人的には、私の目指す方向性と少し違ったものを感じるので、少し違和感があります。教会にいけない方に、お勧めしますか、といえば超入門コースとしては、あるいは信仰に興味を持ってもらうためにはお勧めますが、本が読めるなら、他の本を読まれたらいかがですか、いくつか面白い本がありますよ、とお勧めすると思います。

ただ、石濱さんの放送は、非常にひょうきんと同時に考えさせるような内容だったように思います。

カタツムリ&メダカ 

December 29 [Sat], 2007, 19:06
   







その後のカタツムリとメダカちゃんですが




カタツムリは毎日パクパク野菜を食べ今日も元気!



メダカはというと5匹中3匹が死んでしまいオス2匹に。



けれど、3匹目に死んでしまったメスは卵を沢山産んでくれたので



赤ちゃん水槽には10匹の稚魚がいます(^^)可愛いよ〜




それとパパさんの実家に行く日に友人からジャガイモを頂いたのですが



その袋の中に小さいカタツムリが入ってました〜〜〜



気付いたのは帰宅してから。。。




冷蔵庫のジャガイモの袋を取り出したらね。ジャガイモの袋の底に入ってた!



もしかして???と思い台所に置いていたら蛇口にグングン登りはじめ生きてるぅ〜



冷蔵庫で14日間も生きてたなんてスゴイわ〜〜〜



これには子供達も大喜びでした(^^)

ハロウィン、迫る! 

December 14 [Fri], 2007, 19:57
注文したハロウィンのパーティーグッズと、Christinaのハロウィンの衣装が届きました〜♪
それぞれ違う運送屋さんやったのに、5分のニアミスで到着(笑)



生徒が帰った後に、さっそく部屋の奥で着てみました。
・・・・この時点でちょっとイタイ先生。
ヤバイ!(笑)コレ着たら絶対みんな引くぞーーー!!!
イタイ先生になりそうです。
いえ、メイドとか萌ぇ〜ではないんですが、ヤバイです。
でもええやん!ハロウィンやし!仮装パーティーやし!!!



月曜の寝る前に、あ!ハロウィンの衣装注文しないと!
と思って、お目当てにしてたのをインターネットで買おうとしたけど、
その途中で、コレだー!と思えるカワイイのを見つけ、予定変更。
でもコレが大人気みたいで、どこのサイトも売り切れてて、けっこう探しましたー=3
やっと見つかって、すぐ届けてくれるトコやったので助かりました☆



よし!金・土でなるべく準備してやるぞー!
上手く写真が撮れたら、パーティーの様子をアップしたいと思いますヾ(@゜∇゜@)ノ

西郷隆盛を今問うことの意義 

December 08 [Sat], 2007, 16:12
前回『王道のすすめ』を掲載することの目的について少し触れましたが、今西郷隆盛を問うことの意義について、以前書いた文章を再掲載しておきたいと思います。

 南洲とは西郷隆盛の雅号です。西郷隆盛は奄美大島他二度の遠島の経験があり、自らの雅号を南洲(南のしま)としたのです。この人物は誰でもその名前を知り、上野の銅像でも親しまれていますが、その人物評価は一定しておりません。崇敬の対象になる一方で、逆に毀誉褒貶の対象にもなっています。その人物像はほとんど謎であると言ってよいでしょう。
 私は現在の日本にとって彼の人物を解明することは、急を要する問題だと思いますが、以下なぜそうなのかを記していきたいと思います。
 明治のクリスチャン内村鑑三は、日本のことを西欧に紹介した著作『代表的日本人』において、冒頭で西郷南洲を取り上げ、「維新革命における西郷の役割を十分に記そうとすれば、革命の全史を記すことになります。ある意味で一八六八年の日本の維新革命は、西郷の革命であったと称してよいと思われます」と言っています。内村鑑三はクリスチャンとしての直感でこのように言っているかと思いますが、西郷南洲の言動とその果した役割を綿密に検証していくと、この表現が非常に妥当なものであることが分かります。
 また明治から昭和にかけての言論界の巨人徳富蘇峰は、大正十五年の西郷南洲先生五十年記念講演会において次のように言っています。
「国民がその国の偉人、その国の豪傑、そういう人々を尊敬し、嘆美し、従って崇拝することの出来る間は、その国民は、まだ血が通っている国民である。他にいろいろ弱点があっても、欠点があっても、醜態があっても、幾らか取柄のある国民である。」
 大東亜戦争敗戦までの日本人は確かにこうでした。日本人は危機に際して常に西郷南洲を想起してきたし、国民全般の意識において崇敬されてきました。しかし現在はどうでしょうか。大型書店の歴史のコーナーを覗いてみれば、西郷南洲を正面から扱った新刊本はほとんどない状況です。敗戦を境に我々日本人の意識は、大きな変貌を遂げ、西郷南洲という人物を理解できなくなってしまったのです。徳富蘇峰の表現を借りるなら、血が通わない国民になってしまったということになります。ここに言う血が通わないとは、歴史・伝統との断絶と言い換えることが出来るでしょう。
 また徳富蘇峰は言っています。
「しかしながら、偉人を偉人とせず、豪傑を豪傑とせず、崇拝、嘆美、称讃、欽慕というようなことを、一切除外してしまうような国民になった時には、最早これは済度し難きものであると思います。私は、南洲翁を慕うという国民の心が実に有難い。こういう心がある間は、日本はまだまだ大丈夫である。これが無くなる時には、恐らくは国が亡びる時と思います。」
 なんと予言性の高い言葉でしょう。現在我々が直面している多くの問題が、これを示唆しています。いまや新聞やニュースで目にする事件・政治・社会現象などに、多くの人が日本の衰亡の兆しを感じ取って、不安を抱いているのではないでしょうか。
 実は明治の初期において、すでに西郷南洲がこれを予見していたことは、『西郷南洲遺訓』を読めば分かります。遺訓において西郷南洲は次のように言っています。
「広く各国の制度を採り、開明に進まんとするならば、先ず我が国の本体を据え風教を張り、そうして後、しずかに彼の長所を斟酌するものぞ。そうせずしてみだりに彼に倣ったならば、国体は衰頽し風教は萎靡して匡救(ただし救う)すべからず。終に彼の制を受けるに至らんとす。」
 確かに大久保ら西欧外遊組の敷いた政治路線は、日露戦争の勝利や効率的な近代化などの政治効果を挙げましたが、逆にその性急な近代化は我が国の本体を傷付け、これを脆弱なものにし、流入してくる西欧文化の奔流に流され、結果大東亜戦争の敗戦によってその本体をへし折られることになりました。以後の日本は西欧、特にアメリカに制せられ続けているといっても過言ではありません。西南戦争は、その文明史的意義を一義的に定めることはできませんが、こうした流れへの抵抗という側面が確実にあります。
 では我々日本人はどうすればよいのでしょうか。小手先の改革や小賢しく立ち回ることで克服できないことは眼に見えています。もちろんこの上西欧を見習った改革を行うことは倒錯も甚だしいとしなければなりません。やはり西郷南洲が言うようにまず我が国の本体を据え風教を張るところから始めなければならないでしょう。そのためには、その前段階として、我が国の本体、国体を明らかにする必要があります。その鍵を握るのが、西郷南洲であり、その彼が中心となって進められた明治維新という革命なのです。そこに今西郷南洲の史伝を世に問う意義があるのです。(つづく)

厚生労働省に 物申す! 

December 04 [Tue], 2007, 2:47
昨日 私が勤めている病院で 厚生労働省の監査がありました。 師長の支持で 私が 院内を廻ったのですが どうもその人だけなのかも知れませんが 横柄な態度で 我慢なりませんでした。
 ふと こんな人間が 偉そうに出来る様な組織だから 色々と問題を起こしても 平気でいられるんだ! と思いました。 嫌味で 「今 色々と大変ですね!」と言ってやりました。 でも 意に介さない様で 只 一言「あぁ〜」と言ったきりでした。 まったく 自分には関係無いって感じで 信じられませんでした。 きっとこんな人ばかり いるから 同じような問題を繰り返し 反省も後悔もなく 居られるんだと思いました。 厚生労働省の方々へ   私達 一般市民と1番関わりのある 省庁であり それも 困った時・弱った時に関わってきます。  その事を 認識・意識し 1人1人の立場に立って 接して下さい。 桝添さんが いくら頑張っても 官僚・職員達の 意識が変わらない限り 良くは成らないと 思います。  宜しくお願いいたします。

メル友ヵもォン 

November 30 [Fri], 2007, 1:26
李音とメルしたい仔集まれェ↑↑

李音ヮたくさんの仔とメルしたいなァ↑↑

でも条件あり!!絶対条件だからこれォ守らなかった子にゎ天罰が下る・・・・(笑本気

              条件

    〓 レディースねェ

    〓 小、中、高等学生ねェ

    〓 絶対返信してくれる仔ねェ(10日以内に)

    〓 fan凹〓仔ねェ

    〓 悪用ォ絶対絶対絶絶対対しない子。

      ↑↑↑↑以上です。↑↑↑↑

これだけの条件ォ守れる仔ヮ、コメに、内緒で(内緒にしないとみんなにメルアド分かっちゃうからァ。)

メルアドかいてねェ。

李音が送りますゥ!!それとも先に送りたいって仔ヮコメ残して。

李音ヮ絶対に悪用しません!!!天に誓います((ヮら
P R
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