純真なる者を前に・・ 

2006年06月01日(木) 13時18分
純真なる者を前に、我々はその手を差し出すことができるだろうか。
救いを求めて手を差し出す者に、慈愛の心で手を差し伸べることができるだろうか。

誰しも、心の奥底に抱える、負の部分を正に変えることができる力が
あるのに、何故その力を信じないのだろう。
私もあなたも元は純真なるものであったのだ。
ただ、記憶の隅に追いやられているだけで、確実にその時はあったのだ。
どんな、大聖人でも、どんな大悪人でも。
生まれた時は純真なる心を持っていたはずだ。
幼子の目を見るといい。
曇りもなく、かげりも無く、疑いや、猜疑心、嫉妬心などは無く、
真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに見つめ返すだろう。
誰しも、その目の輝きを持っていたはずである。
無くしたのではない。忘れているだけなのだ。
そして、思い出すことも、取り戻すことも可能だ。
そのことに何故気がつかないフリをしているのだろう。

罪無き者たちへ・・ 

2006年02月15日(水) 13時13分
地球環境の調査をしている学者たちは皆こう言う。
「人類はあと2世代に亘ることはないだろう・・」と。
我々が築いてきた文明というものはいったいなんだったのか?
我々の文明の発達の影には、地球規模の環境破壊があった。
そして、今も進行しているのだ。
自ら破壊した自然環境は、その刃を破壊した者に降り注いでいる。
奇形児、病、そして、精神ストレス。
他人と自分の区別、そして差別化。
その渦の中で、己も区別、差別されている事実。

誰も、将来を悪くしようとは想っていなかったはず。
むしろ、もっとよりよい未来にしようと頑張ってきたはずだ。
その中で、自分の利益の害になることを見ないふりをし、
気づかないフリをしてきただけだ。
しかし、その結果が現在の文明を大きく間違った方向へ進めてしまった。

誰が言えるだろう。「すばらしい世界だろう?」と。
これから未来を担う子供達に、胸を張っていえるのだろうか?
安心してこの世界を渡せるのだろうか?
自ら汚物まみれにしてしまったこの世界を。
今も、怒り、悲しみ、苦痛、嫉み、失望、快楽に渦巻いている。
同じ霊長類同士でも争いが絶えない。

人間が自らの都合がいいシステムを作り出し、今はシステムに人間が
支配されている。
大きな、大きな疑問に気づかないフリをして・・・・。

幼き子供たちの顔を見るがいい・・。
屈託なく、まだ、疑うことも、奪うことも、傷つけることもない子供たちの
笑顔を。
自らの行いが、この子供たちの将来さえ奪っていることに気がついて
いるのだろうか?
誰の責任では無く、あなたの責任だ。そして私の責任だ。
文明世界にいきる人々の責任だ。

あなたは、わたしは、守るべき人を守ろうとして、自らの手で、守るべき人を
抹殺してしまうのだ。
その因果に気がつくのが遅すぎたのかもしれない。
もう、もとのようには戻れないだろう。戻らないだろう。
しかし、それでも、わずかな希望があるとするならば、
それは、大いなる意思がこの世界を浄化せしめた時、
すべてのものが救われるだろう。
新たな世界の始まりを見ることができるだろう。

願わくば、なんの罪もない、子供たちだけでも
次の世界へ導かれて欲しい。
我々の罪を背負うことなく、新しい未来へ。

未来 

2006年01月25日(水) 13時14分
それはずっと続くはずだった。
永遠に続く祝福された道であるはずだった。
そう約束されていたはずだった未来。
すべてのものが光り輝く未来。
そこに居るはずだったものが、たどり着くはずだったものが、
自らの未来を消し去ってしまった。

生命の永遠の営み
すべての連鎖を断ち切ってしまった。
後に残されたのは、空虚だけだ。
そして、存在がなくなっていく。

光と影、そのバランスが整えられていたはずだった。
しかし、光が強すぎた。
強い光は、濃い影を落とす。
そして、いつしか影の虜になった。
光を望みすぎたばかりに。

光を求めていたはずだった。
永遠の光を。さらに強い光を。
光をより感じるために、自らが影となってしまった。
気がつくと、影より出る方法を見失ってしまっていた。

今、影が一掃されるとき、我先にと影から出ようともがくが、
決して出ることは出来ない。
これは、影が光を求めたとき、すでに自らが光という事を捨てているからだ。
暗闇にて、光を求める事をやめたとき、初めて真の光を見ることが出来るというのに。
自らが光であった記憶を取り戻すというのに。



私たちのできること 

2006年01月24日(火) 12時56分
世界規模で、環境破壊が訴えられてどのくらいたつだろう。
しかも、その破壊はすべて先進諸国によるものだ。
もちろん、私たち日本もその一つ。
そして、今発展途上であった、国々が私たちと同じ先進諸国の
仲間入りをしようと、焦っている。
それらの国々がさらに環境破壊を繰り返したとしたら、
あと数年ももたないだろう。
しかし、我々はそれを止めることは出来ない。
なぜなら、私たちはもうすでに、圧倒的に環境を破壊し尽したからだ。
それらの国々が、貧困にあえぐ国々に「ずっと貧困のままでいなさい」
と言えるのだろうか。
彼らが、富める国を目指し、経済を発展させ、その為に資源を環境を
破壊するのなら、私たちはその壊れた環境や、資源を守らなくてはならない
私たちの文明を捨ててまでも。
私たちは、もう気がついているはずだ。
どれだけお金があろうと、どれだけ食料に溢れようと、どれだけ物を手に入れても、
絶対に「満足」などしないということを。
なぜなら、そこある「満足」は一時的な物でしかないからだ。
人間が本来求める「心の満足」には程遠いからである。
物質文明をもはや捨て去るときが来ている。
私たちはもう目を覚まして、声を大にして皆で言わなければならない。
人間の本質の中にある「善」の求める心の声を。
私たちが本来求める「世界」を作る声を。
お金や、有り余る物質は捨てさり、ずっと捨ててきてしまった心を
取り戻さなければならない。
今の世界では子供たちも、大人たちも未来に夢をもてないのだ。
行き詰まりの世界に来ている。
言いようの無い、閉塞感、不安感、、、ほら誰も安息感、安らぎ、癒しを
感じてはいない。
それは、私たちの本能が、今の社会を拒絶しているからである。
私たちの心はすでに判っているのだ。「今の世界は過ちであると」

さあ、私たちは進まなければならない。
正しい道へ。教えなければならない。迷い戸惑う者達に。
そして、自らの足で歩かなければならない。
私たちの罪は重い。ゆえに、世界中の誰よりも、何よりも
懺悔しなければならない。なによりも自分自身の為に。

今なら、まだ間に合う。間に合うのだ。
恐れることはない。なぜなら私もあなたと歩む友だからだ。
そして、その友はさらに多くなり、あなたを私を救ってくれる。
そして、わたしも、あなたも友を救うのだ。

さあ、行こう。次の世界へ・・・・・・・

あなたは・・? 

2006年01月12日(木) 18時45分
何に今気を病んでますか?
何が心配ですか?
何で悲しいですか?
何が苦しいですか?
何が嫌ですか?
何に不安を感じてますか?

沢山の悲しいこと、不安なこと、辛いこと、理不尽なこと。
何故自分が。。。何故自分ばかり・・何故私だけ・・。
そんな想いで心が壊れそうになっていませんか?
そんな想いで心が張り裂けそうになっていませんか?
でも、すべての答えはあなたの中にあるのですよ。
あなたの心の中にあるのですよ。
ウソだと思うなら、今あなたを苦しめている苦難が
全く他人のことだと思って御覧なさい。
友人から相談された事だと思って御覧なさい。
我をなくした、真実の答えが導き出せるでしょう?
あなたが同じ悩みを友人や、親しい人に相談されたら、
真実の答えを話せるでしょう?
あなたが、あなた自身を苦しめているのですよ。
我をなくし、執着をなくし、心穏やかに、感情に振り回されずに
一つ一つの問題をゆっくり、じっくり考えてみて御覧なさい。
ゆっくり、じっくり、ですよ。
焦っても答えが出るわけでも、楽になるわけでもありませn。
じっくり、ですよ。
すべては自分自身に聞くのです。
心の声で、自分の心に。
「何故悲しいの? 何故辛いの?何故苦しいの?何故嫌なの?」
悲しみの全体から、少しずつ細部に向かって問い続けるのです。
そして、すべてを問い尽くしたら、そこから今度は細部の答えを
出していくのです。
「じゃあどうするのが一番いいと思う?」と。
このとき、直感で浮かんでくる答えが、一番正しい答えです。

どうか、苦難をただ苦しいものとしてとらえないでください。
その苦難を乗り越えた先にはかならず幸せがあるのですから。
そして、どうか安心してください。
その苦難から逃げ出さない限り、そして、自分の力だけでは乗り越えられない
時には必ず、救いの手が差し伸べられます。
私たちは決して一人で生きているわけではないのですから。
常に私たちは大いなる愛で守られています。
だから、どうか安心してください。
心の命ずるままに生きてください。
耳をすまして、心の声を聞いてください。

何をなすために。 

2006年01月06日(金) 19時39分
私たちが今、この場所にいるという事。
私たちは何をなすべく今ここにいるのでしょうか?
全く無目的にいるわけではない。
何かをなすべくいるはずなのだ。
ただ、まだそのなすべき事が思い出せないだけなのだ。
もともと人間として生まれたときから、なすべき事を背負って
この世に誕生する。
そして、人生の長く、短い時間をかけてそのなすべき事を見出し、
達成する。いや、達成しようと努力をする。
だから、どんな人も、必ず生きていくことには「意味」があるのだ。
それは決して「物質的な物」を得ることではない。
そして、誰からも指示されることでもない。
すべてはその人の「心」にあることなのだ。

究極を言えばすべては「愛」なのではないか。
愛とは、特定の誰かのみを愛することではない。
すべてのもの、自分、家族、親族、知人、地域の人、日本人、世界の人、
そして、すべての自然、生きとし生けるものすべてを愛する事。
死した者たちもすべて「愛する」という事なのではないだろうか?
今、この「愛」の不足が、世の中をおかしくしている。
純粋な愛を混濁させているのは物質であり、文明なのだろう。
目に見える物質でしか愛を表せない、愛を信じれない。
物質がすべてになってしまっているのではないだろうか。
だが、それは真実ではない。
真理でもない。

何も持たない者は、決して弱者ではなく、強者なのかもしれない。
私たちの尺度で、「物質文明にまみれた」尺度では到底理解できない
強者。いや、幸福な人。
何もなかった時代のほうが、心豊かだったといわれるのはなぜか?
子供たちも、生き生きとしていたのはむしろ、物質が無い時代だろう。
今、みんなそのことに気づいていながら、「物質」の執着から逃れられていない。

いっぺんにすべてをそぎ落とすことはできないかもしれない。
少しずつ不必要なものをなくしていけばいい。
そう、少しずつ・・。

新しい年に。 

2006年01月05日(木) 18時42分
新しい年です。
今年は日本経済がかつて無い程成長をするとか。
もちろん成長するといっても株価等の話。
日本の民族、そして、私たちの心はかつて無い程荒廃している気がする。
個人主義とエゴイズムの塊に成り下がってしまった私たち。
個人主義とは他人を無視して好き放題することではないのに。
この個人主義が、悲しいことに家庭にもはびこっている。
子供の自由、親の自由という言葉を前面に出して好き放題。
子供は子供の、親は親の責任があるのに。
親が責任をとろうとしないから、それを見て育った子供も責任を取らない。
人を傷つけても、殺めても、責任すら感じていない。
20歳を超えても、働きもせず、生きる目的さえ見出せないニートと呼ばれる
人たち。
当たり前のように、明日がきて、当たり前のほうにご飯が食べれて、
当たり前のように寝るところがある。
これはどれも決して「当たり前」などという事は無いのに。

狂信家は「日本は一度滅びたほうがいい」という事を言うが、
滅びるのではなく、一度人間としての原点に返った方が良い。
暮らしそのものを限りなく質素にしたほうがいい。
物質的なものが溢れれば、溢れるほど、心は枯渇していく。
魂が枯渇していく。
限りある資源を使い倒して、余剰な物質を作ってどうするのか?
そもそも、そんなに物質は必要なのか?
きっと、いらない。いらないんだよ。
それよりも、もっと必要な物があるんだ。
それは、心。人間の心。そして、人間であるが故の想い。
物質的には貧しくても、心は豊かだった時代がある。
自然と、すべてのものに感謝していた時代がある。
私たちは文明を一度捨て去るべきなのかもしれない。

子供達に・・ 

2005年12月21日(水) 11時27分
大人たちが守るべき子供を襲い、保護者である大人を子供が襲う。
いったい、何故こんなことがおきてしまっているのか?

一つには大人が、大人として生きていないからではないだろうか?
大多数の大人が、自立していない(経済的ではなく、精神的に)
からではないだろうか?
きっと、子供はそのことを見抜いている。
そして子供は大人を信用しなくなる。

私たち大人が今していることはなんでしょう?
子供たちに、そしてそのまた子供達に胸を張って言えるでしょうか?
「君たちの為に世界をよりよくしたよ・・」と。
大人たちが沢山のことを学ばなければ、子供たちに伝えることは出来ない。
決して、教育とは「学校」で学ぶことだけではないはず。
親から子へ 伝えるべきことは沢山あるはず。
例えば、心の豊かさ、真の愛情 生きる事。
決して学校で教わることではない事が、一番大切なことなのではないでしょうか?

真実はどこにあるのだろうか? 

2005年12月21日(水) 11時14分
今、日本は景気回復に向かっているのだそうだ。
でも、私たちの生活自体は何も変わっていない。
私たちの情報はすべてTVや新聞などを通して入ってくる。
しかし、この情報をすべて鵜呑みにしてもいいのだろうか?
もはや、私たちの世界では情報は欺瞞や、詐欺に満ちた情報でしかなく、
本当に伝えられなければならないことは伝わってこない。
知らされていない。
一握りの特権階級の人たちの利益を守るために。
これでいいはずがない。
もっと知らなければならない。
私たちの生きる世界というものを。
そして、国というものを。
インターネットという物を通じて情報は広く、大量に入ってくるようになった。
しかし、その情報も「真実と虚偽」を見極める能力を伴わなければ、
むしろ有害でしかないのでは?
私たちはもう一度、「生きる」という原点に立ち返り、考え直す時期にいます。
生きるとは?目的とは?そして死とは?
これらのことを考えて、考えて、答えが出なくても考え続ける。
そして、本当に自分に必要なものはなにか?を考える。
考え続けて、行動する。
それは皆が一人一人するべきことではないでしょうか?

紙幣とはなんだ? 

2005年12月13日(火) 19時53分
紙幣とはなにか?
言われるまでもなくお金である。
お金があればなんでもできると思っているヒトには
おそらくその一生をかけて得ようとするものである。
が、紙幣とは?国が作成した紙なのである。
この紙に相当の物品と交換ができますと国が補償したものなのだ。
が、この国の紙幣システムが破綻したら?
ただの紙切れになってしまう。
そもそも、この紙幣というシステムを構築したのは誰か?
そして、紙幣を集めることを人生の第一として、教育を行ってきたのは誰か?
この紙幣システムが崩壊するとは誰も考えないのか?
確かに我々人間が生きるということは、食料が必要であり、燃料(エネルギー)が必要であり、
そして、暖かい毛布も、雨や雪をしのげる家屋が必要である。
それを得ようとするならば、紙幣が必要となるだろう。
本来、人間が生きるために、最低限必要なものは自然から頂戴できるものばかりではないか?
生きていく糧というものは、決して紙幣ではないはずだ。
この紙幣を他人よりも少しでも多く得ようとして、いったいどれだけ人間としての尊厳を
失っているのだろう。
愛すらも紙幣に変えてしまう、紙幣の為に他の生命を奪う、そして、騙し、脅し、卑屈になり、
どんな手段を用いても紙幣を得ようとする。
その大量の紙幣を集めた先になにがあるのだろうか?
汚れてしまった魂は紙幣では浄化できない。
実際、この豊かになったといわれる私たちの国、日本。
豊かになったというのは「紙幣が多くなった」というだけで、
心豊かになっているものではない。
現に、紙幣や、物質が豊かに、豊富になればなるほど、人間の魂は崩壊し続けているではないか?

今一度、人間の本質、自然界の摂理について考えなければならないのではないだろうか?
もう気がついてもいいのではないだろうか?
紙幣を集める=経済のシステムは一部の人たちの為に構築され、多少の甘い汁を吸わされ、
その味を忘れられなくて、紙幣集めに猛進する。しかし、この大多数の紙幣(富)は
このシステムを作り上げた一部に人間たちのもとへ集まっていくだけなのだと。
私たちの人生は一部の人間から与えられるパンくずの為に、擦切らしていっているのだと。
このことに気がついて、自分、社会、世界をよくよく考えなければ、
私たちがよりどころとしている国家そのものが崩壊するのだということを。


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