生まれてから入院まで

October 10 [Mon], 2011, 17:49
あたしは極々普通の家庭に生まれました。
21歳だった母と26歳だった父が結婚し、まんまる1年になったその日に第1子としてあたしが生まれました。
その1年1ヶ月後には弟が誕生し、父・母・あたし・弟の典型的な4人家族になりました。

わがままだったあたしと、おとなしい弟。
姉と弟が反転したような関係ではあったけど、とくにどうってこともなく、本当に普通の幼少時期を過ごしました。

ところが、あたしが小学1年生になった春の事。
右足膝が痛み出したのです。
痛む膝をかばうように歩くあたしは、転びやすく、学校の先生も気にしてくださるほど。
母が近くの整形外科へ連れて行ってくれたのですが、異常はみられず「成長痛」という診断。
そのまま様子をみることになりました。
けれど、その痛みは消えることなく冬になりました。
さすがに両親も気になり、総合病院へ。
それでもやっぱり膝に異常はなく、「親が甘やかしているからだ」と言われる始末。
そこから「まっすぐ歩く練習」と言って、自宅の廊下を毎晩歩かされました。
痛みがあるので足を引きずるあたしは、泣きながら歩いたりしました。

そんなこんなであたしは1年生の就業式を迎え、春休みになりました。
その「まっすぐ歩く練習」はまだ続いていて辛い思いばかりが重なり、春休みになった日に家出をしたのです。
行き先は母の実家。
母はパートをしていたので、あたしは赤ちゃんの時から幼稚園入園まで母の実家でひいばあちゃんに子守してもらっていたのです。
幼稚園に入園して、一年後に保育園に転園。小学生になってからもよくひいばあちゃんに遊んでもらいに行っていました。
なので、母の実家はとても行きやすい場所でした。
一人で荷物をまとめ、母の実家へ行きました。
そして、おばあちゃんと土手でよもぎ積みをしていたときです。
「あたし、死んじゃいたい」とおばあちゃんに言ったのです。
まだ7歳だったあたし。
その時のことは今でもあたしの記憶にもあります。
おばあちゃんは、そんな子供が「死にたい」と言ったことにびっくり。
そして丁度、親戚のおじさんが翌日大きな病院へ行くことを思い出し、あたしも一緒に連れて行ってもらうことになりました。

大きな病院では、診察室に入るなり、歩行を禁止され、車いすに乗せられました。
初めての車いすでうれしかったあたし。少し浮かれていました。
けれど、車いすでレントゲン室へ連れて行かれ、撮影したレントゲンには、右股関節が潰れている様が写っていました。

診断名は「ペルテス病」。
後2〜3ヶ月発見が遅ければ障害が残ったであろうとお医者さんに言われたそうです。

そこから一切歩くのを禁止され、即入院。
まさかそんな病気だとは思ってもいなかった母は、おばあちゃんからの電話であわてて飛んできました。

後から聞いた話ですが、母はその時、病院の屋上からあたしを連れて一緒に飛び降りようかと思ったらしいです。
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