「オープン・クェスチョン」を 自分にぶつけてみる 

January 14 [Tue], 2014, 15:48
問題を解決するためには、自問自答してみるのも効果的だ。自問自答−つまり、自分に質問をして自分で答えるということだが、その質問にはふたつの種類がある。

ひとつは、「道路での撮影について、警察の許可はとれたか?」「パンフレットのデザイナーは、もう決まったか?」のような質問で、これは「クローズド・クェスチョン」といわれるもの。答えがイエスかノーかのひと言で終わる質問である。

それにたいし、こちらの考え、意図、抱えている問題の解決法などを筋道立てて説明しなければならない質問がある。たとえば、「道路での撮影について、タレントの追っかけやヤジ馬を整理する警備態勢はどうするつもりなのか?」「パンフレットのデザイン素材は、人でいくのかモノでいくのか?どういうターゲットを狙って、どういうコンセプトでいくのか?」といった質問で、こちらは、「オープン・クェスチョン」とよばれている。

たとえば、あなたに質問してくる相手が優秀であればあるほど、その質問は「クローズド」のままではすまない。かならず、「オープン」によってたたみかけてくるはずだ。頭のいいビジネスマンは、基本的に相手も有能であるという想定をする。だから、常に「オープン」に対応できる答えの用意をおこたらない。

その用意を完璧にしておくためには、自分に「オープン・クエスチョン」をぶつけてシミュレーションしてみることだ。そうすると、自分の気づかなかった思わぬ不備が発見されたりする。

「難問の解決策」が見つかる 最善の方法とは 

December 25 [Wed], 2013, 8:14
アルキメデスは、風呂に入ったとき、湯舟に満たされた湯があふれでたのと同時に自分の身体が軽くなっだのを感じて「浮力の原理」を発見した。ニュートンは、故郷のリンカーン・ウールスソープで、生家の庭に生えているリンゴの木から実が落ちるのを見て、「万有引力の法則」を発見した。そして、キュリー夫人は、たまたま夜の実験室に入り、闇のなかで不思議な光を放つ物質があるのを知って「ラジウム」(ウランと共存。医薬品にも用いる)を発見した。

いずれも、あまりに有名な発見のエピソードである。小学校や中学校の先生は、これらのエピソードを語って聞かせるたびに、「このように、発見というのは、偶然から生まれているんです」と、お決まりの言葉で結んだものだ。その言葉を何度もくり返し聞かされたものだから、「偶然は発見の母」なのだと信じ込んでしまったところがある。

しかし、いま思えば、それは、とんでもないミス・コンセプトであったことがひしひしとわかる。いったいどこのだれが、湯舟から湯がこぼれた分、自分の身体が軽くなっただけで「これは、浮力だ!」と思い、リンゴの実が木から落ちただけで「これは、万有引力だ!」と気づき、ビーカーのなかで光る物質があっただけで「新発見の物質かもしれない!」とひらめくことができるというのだろうか?

そう、これらの発見は、けっして偶然の産物などではない。アルキメデス、ニュートン、キュリー夫人が、常日頃から、「体積とは何か?」、「物理現象の基本とは何か?」、「新しい物質とは何か?」ということを休まずに考えつづけていたからこそ、発見の形になったのだ。もちろん、考えつづけたことだけがすべてではない。「これは発見だ」と気づく鋭いセンスも、かなり重要な要素に違いない。

仕事がうまくいかない時は 「逃げる」 

November 18 [Mon], 2013, 10:22
集中するための習慣術の最後は、スランプからのエスケープ法である。仕事相手の契約不履行があったり、自分のミスによって会社に大損失を与えたりしたときは、どんなにガッツのあるビジネスマンも、がっくりと落ち込む。そして、そのいっぽうで、ほかに抱えている仕事をなんとか大成功させようとして、下請け業者に無理な注文をだしたりする。しかし、一発逆転を狙うのは、林のなかからグリーンを狙うようなもので、さらなる泥沼への道を突き進むことになる。

そういう大スランプのときは、もうダメだという絶望感と何くそという焦りから自分の気持ちをそらしてやらなくてはならない。ただし、タイガースの応援やゴルフでウサを晴らそうなどとは考えないことだ。タイガースが巨人に、こてんぱんにやられ、ゴルフではバンカーで大叩きなんてことになったら、ウサを晴らすどころか、ストレスが毒素のように身体に充満するばかりだ。

そんなときは、どうせリフレッシュなどはできないといったんあきらめ、心が空っぽになるような単純作業をすることをおすすめする。つまり、リフレッシュではなく、精神的エスケープである。

親しくしている某編集者は、熱を入れた企画か通らなかったりすると、いったん編集者であることをやめて黙々と経費の精算を始める。5時間でも6時間でも、デスクの前に座って電卓をはじきつづけるのだ。彼によれば、経費の精算は、単純作業で気がまぎれるというだけではない。イヤなことを思い出していると計算を間違えるため、自動的にイヤな思いが追い払われるのだという。

このエスケープ法も、けっして悪くはないが、長時間デスクの前に座っているのは、腰にも内臓にもよくない。立って身体を動かしながらエスケープする、何かいい方法はないだろうか?たとえば、机の整理なら、いらない本や書類を抱えてゴミ箱に運んでいったり、机を拭いたりという労働がともなう。疲れたついでに、腰を伸ばしたり屈伸したりの軽い運動もできる。

趣味は人に自慢できる ものでなくてもよい 

October 01 [Tue], 2013, 15:32
オン・タイムの話ばかりしてきたが、オフ・タイムでのリフレッシュも、仕事に集中するための重要な要素であることはいうまでもない。しかし、昔ながらの仕事人間は、概してリフレッシュの仕方がへ夕だ。某建設会社の部長氏は、オフ・タイムの息抜きは非常にに重要、というところまではわかっている。

だから、オフ・タイムには、さまざまな「息抜き」をすることを心がけている。ソバ打ち、ゴルフ、水彩画のほか、最近はジャズボーカルの学校にも通っている。手帳を見せてもらうと、毎週の土・日が、そのいずれかの教室で埋まっているのだ。

しかし、まるで「007」のようなオールラウンドぶりなので、かえって何を求めているのかがわからない。そこで、「このうちの、どれがいちばん、好きなんですか?」と聞いてみたところ、部長氏は、やけにムズカシそうな顔をして首をひねった。ややあって、その口からもれたつぶやきは、「いやぁ、どれなんだか。どれも、疲れちゃうよね」。

私の「診断」では、この部長氏は、何か特別の息抜きがなくてはならないという強迫観念に駆られただけで、実は、ソバ打ちもゴルフも水彩画も歌も、まったくピンときていない。好きでもない趣味を無理にやったりすると、仕事より疲れる。彼が、息抜きどころか、それらのせいですっかり疲れてしまったのは、当たり前だったのである。

彼において、いちばんいけないことは、人に自慢できる趣味、いかにも趣味らしい趣味をもとうとして、見栄を張ろうとしたことだろう。趣味は、心底、自分の好きなことでなくてはならない。どんなにカッコ悪いものでも奇妙なものでも、自分が好きであれば、それでいいのだ。趣味とは、あくまでも自分一人をなぐさめるものであって、他人の批評を必要とするものではない。

一度ノッたら とことんノッ続ける 

September 01 [Sun], 2013, 0:26
織田作の例は極端だとしても、集中力が体調や気分によって大きく左右されるのは、だれについてもいえることだろう。だから、モーレツにやる気がわき起こったときは、空腹も疲労もものともせず、やれるところまでトコトンやってしまう。そんな「ビッグイニング」があってこそ、ようやく予定の仕事がこなせるというのもよく聞く話だ。

たとえば、いまは亡き名匠、深作欣二監督が語った「仁義なき戦い」の撮影裏話によれば、その撮影は、まさに「ノッたら最後までノリつづける」というものだった。ふつうなら、撮影は、シーンごとに休みが入る。しかし、深作監督は、その中断によって俳優のボルテージが下がるのを嫌い、休みなく、ぶっとおしで撮影をつづけたという。

すると、菅原文太や松方弘樹などの俳優陣は、疲れがたまって神経がトガり、しまいには凶暴になってくる。じつは、そのシリアスな怒りの顔、声こそが、監督の狙いだった。あるときは、24時間眠らずに撮影したあげく、監督は、俳優たちに酒を飲ませたという。かくして俳優たちの目は、ますます血走り、異様な眼光を帯びて、ホンモノの切った張っだのムードが生まれたという。深作監督は、「あれはもう、一種の狂騒状態のようなものだった」といっていた。

仕事が最もはかどる時間、ダレる時間 

May 14 [Tue], 2013, 18:56
堀場氏がいうように、一日に何時間か集中できさえすれば、それは何時であってもかまわない。その時間帯は、人によってまちまちだし、その日によってもまちまちだろう。

ただ、人には、それぞれのバイオリズムに応じて、とくに集中しやすい時間帯というものがある。その時間帯を見つけておくと、仕事の計画を立てるうえで大きな助けになる。

某主婦向け雑誌の編集部に、毎日かならず4時に食事をとる編集者(男性)がいる。「それは、遅い昼飯なのか、早い晩飯なのか?」と聞くと、本人も「わからない」と答える。

ともかく、自分にとっては、夕方の5時から9時までの4時間がもっとも仕事がはかどる時間なので、それを中断させないためにそうしているのだという。

したがって、彼の場合は、毎日の夕食は9時半になる。そのため、7時半ごろから鍋を囲んでの飲み会があったりすると、どうしても食欲が進まず、ほかの人に鍋を平らげられてしまうそうだ。