あの日から、1年が過ぎました。
私は自分が暮らす田舎はなにもないとこだと思ってた。
でも、ものすごく豊かな自然があった事を・・・
あの原発事故以後、いやというほど感じました。
あの大地震の時間がもうすぐきます。
あの日は娘が休みでちょうど掃除機をかけていました。
私はパソコンで楽しく遊んでました。
最初はグラッと揺れ、どうせすぐに終わる地震と呑気だった。
テレビから地震緊急速報が流れ
「おおげさな、なに騒ぐんだ」と思った瞬間に
ジェットコースターに乗せられたような揺れが長時間続いた。
自分の身を守れと言うけど、あんな大地震の揺れの中で
動くこともできないと分かりました。
地震の時は揺れが収まってからでないと身動きできないんです。
あの日夫と息子はいわきに居たから連絡も取れず
電気も止まり、水も出なくなったけど、すぐに元にもどると
最初は呑気だった(状況が分からなかった)
人が便利に使う製品はいざという時はなんの役にも立たない。
そのことも痛感したです、電気・ガソリンが無いことの怖さ感じたです。
電気がない中唯一情報伝えたのは「ラジオ」でした。
ラジオなんか何年ぶりに聞いた私です。
被災してるのは皆同じなのに本当にキャスターの方々や
スタッフの人たちはすごく頑張ってくれた、ありがたかったです。
懐中電灯の中で聞こえるラジオの声が「大丈夫」と感じさせてくれた。
息子と連絡がつき夜中に夫が帰宅した時は
生きてるという事がこんなに嬉しいんだと感じたです。
(被害にあわれた多くの方々、ごめんなさい)
情報は少なく自分の事を考えるだけで手一杯だった・・・
その後に我が県は史上最悪の原発事故が起きた。
原発事故当初、なにも怖いと思わなかった私です。
なにが怖いかも分からなかった。
初期段階でネットの情報見てた息子は危機感じ
ラジオから聞こえる「安全」という言葉を私は信じた。
でも、あの頃1時間で23マイクロシーベルトの放射能があり
ものすごい危険な中にいたと理解するようになったのは
かなり経ってからです、国・東電・県・市は情報隠した。
今も消えることない放射能・・・
あの頃はすぐに無くなると思い込んでた(無知)私です。
あの地震で壊れた原発、津波も被害拡大の要素になったけど
一番被害を大きくしたのは東電の日ごろの原発管理の甘さだと知った。
備えは危機を乗り切るためにしておくものです。
でも一番大事な事を東電も保安院も政治家も無視してた。
二度と同じ過ちを繰り返さないで欲しいと願うばかりです。
この1年なにが正しく、何が間違いなのか?
なにもかも間違いなんだろうか?
なにをどうしたらいいのか?
なにもしないでいいんだろうか?
たくさんの疑問の中過ごしてきた・・・
でも、各地でたくさんの優しさを我が県に寄せてくれた思い
反面辛い現実を突き付けられたという思い
たくさんの事があった、自分が体験してはじめて思い知った。
「あの事故を、あの震災を忘れない」
そう言うけど人は忘れるんです。
奥尻島の大津波の事、火山の噴火のこと、海外の竜巻の事
日本で起きた大地震・豪雨災害・大雪の被害
人は自分に関係ないことは少しづつ忘れてしまう・・・
だけど、原発事故が日本で起き今も被害状況は変わらない事を
けっして忘れて欲しくないです。
政治家はかってに「終息宣言」したけど
県知事がきちんと国と東電に強い態度を示さないからです。
被害者が加害者より弱い?なぜこんなことが許されてるのか。
アホな私でさえ疑問だらけです、震災から1年・・・
私には長い時間だった、これからも長い年月になるだろうな。
もし1年前に戻れたらと誰もが今思っていますよね・・・