いっしょに

2011年10月11日(火) 12時25分
県民健康管理調査

やっと?きたけど・・・

こんなのに費用掛けるなら

県民全部に「被ばく手帳」を配布すべきです。



細かい説明書き  年配者などは読むだけでも面倒です。



3月11日からの記憶を正確に憶えてる人はいるの?

時間ごとにどこにいた正確に書んです。

皆さんは震災後、何時にどこで何してたか憶えてる?

家族皆で記入するのは簡単で事じゃないぞ。



近眼や老眼や障害ある人が記入するのは

重労働?かもしれないです。

家族の分全部書く人も大変です・・・



食べたものや栽培してた場所や戸外に置いたか

飲料水はなどなど細かく書くんだけど・・・

見ただけでウンザリするのは誰も同じですよね。

でも、正確に記録しないと・・・

後から病発生した時にこれが記録となり

「調査表の結果 因果関係は認められないです」

そう言われるかも?なので正確に記録しないと。

正確な記録するには3月11日からの

空間放射線量を東電も国も上空200メートル?の数値でなく

地上50センチの記録を発表すべきだと思う。

この調査は世界中から注目されてるんだろうか。

低線被ばく調査は世界で初めて?の試みらしいから。

言いたい事は山ほどあるけど・・・

書くしかないのが現実です。

あれほどTVで「健康に被害ない」と言ってたのは

なんだったのでしょうか〜県民は信じてたのに・・・

後から情報が出るたびに 嫌になってきます。

記録再開

2007年05月11日(金) 13時51分
入院中の医師の回診には毎日の普通の回診と

週に一度の医院長と医師一同の回診があった。

私は週に一度のあの大勢でくる回診が嫌いだった。

まるで見世物になった気分にさせられたからだ・・・

「どうですか?」ときかれても怒りの思いしかない私は

「ちっともよくならない、やぶ医師ばかり。

だれが治してくれるんですか。」



と憎まれ口しか言わなかった。

私の言葉はこの頃ははっきり伝わっていなかったかも。

舌が変形して言葉は綺麗に出ていなかったからだ。


私の反応を見る医師や看護士の軍団は苦笑いしてた。

私のような悪態をつく患者はいなかったと思う。

私の取りえといえば「丈夫だ」ぐらいだった。

なのに訳の分からない病になりすぐ帰るはずが

入院することになり、意志と関係なく当たり前の

体の動きは機能停止していき、明日は生きてるのかと

ものすごい恐怖を感じて過ごす時間の長いこと。

死ぬのが恐怖というより、生きてる事が恐怖だった。

毎日問診で医師が

「痛みの度合いを10としたらどのくらい?」

そう聞かれても私はなんと答えていいか戸惑った。

だいたい100パーセントの痛みに耐えてるのに

10のうちどのくらい?といわれても


「10のうち10の痛みです。」


そう答えるしかなかった・・・

問診というのは本当にイラつく質問が多かった。

(今思えば医師は普通の質問してたんだと分かる
でも当時の私は全てに怒りを感じてた)


痛みが出る前は軟体動物のように体がクニャクニャした。

どんな格好しても痛みがなかったのに

突然、体にコンクリートを流し込まれたように

体が硬くなり激痛が走って胸が苦しくなった。

痛いという痛みではなかった、左半分になにかを

刺されるような激痛に耐えかねていた。

痛みをなんとかしてと言っても痛みを消す事はできなかった。

(今も痛みは続いてるけど、痛みも友と認めてる)

入院してたら日々良くなると普通は思うけど

私の症状は違った、入院してから次々にあらゆる症状が出た。

毎日部屋の掃除にくる、おじちゃんが

「つらそうだね、こんな症状の人は見た事ない」

「病気に負けないように。がんばらないと」

「子供のために病気に負けないように」

いろいろ励ましてくれたっけ。

言葉とは刃にもなるし薬にもなる

こんな当たり前のことに病になって初めて気付いた私。

私は他人に対して「刃のある話し方した方が多い」

病になってそんなことに気がついた・・・



記録再開

2007年05月11日(金) 13時50分
今日は2012年2月11日です。



ブログに病の記録残すつもりだったのに

病の記録は2007年4月ごろで止まったまま

あれからずいぶん経った・・・

夫の病(心室細動・大腸がん・腎臓がん)の発病で

自分の記録は後回しになったからだ。

現在夫はがんの再発もなく元気にしてる。

私が自分の病の記録書くとなにか起きるのでは?

そんな恐怖がいつも心の中にあった・・・

いつの間にかいろんなことが変わり

中途半端な病の記録のままで4年以上過ぎたことが

嘘のような気もする・・・

時間を巻き戻しながら、また少しづつ記録を書こう。



病になりたくてなる人はいない・・・

なのに病は突然やってくるんです。

あの時の苦しさや悲しさや辛さは消えない。



入院してた初期は病というのは治るものと思ってた。

発病してから今年の5月でだいたい10年?かな。

結局病の後遺症は今も消えないままの私。

でも、あくびができ、くしゃみもでる(笑)

人と話すのも普通になってきてる。

ただ動かず会話してたら元気な人にみえる。

でも、左半身の痛みは続いてる

右半身の温感・痛感は鈍いまま(感覚障害)

右の背中が熱いのも続いてる。

夏になると皮膚の下に虫が這ってる気持ちの悪い感覚。

油断すると左のひざは勝手にカクンとなる。

冬は身体が硬くなり動きがすごく悪くなる。

左手は動かしにくい、指先は思うように動かない。

左耳は膜がはったようにパーンとした嫌な感覚がある。

左の眼は視覚がせまい物が二重に見える。

首の痛みからくる肩の痛みにもウンザリ。

嚥下障害も続いてるけどずいぶん変化はある。

書きだすときりがないけど(苦笑い)







毎日が痛みとの戦いになり、体がうごかせないままだった。

人間の身体とはものすごく精密に出来てること実感した。

夫が病室にくるのが毎日すごく待ち遠しかった。

廊下から聞こえる足音を全身が耳で待ってた。

病室来ると夫はかならず


おー、今日は顔色いいな。

昨日よりまた良くなった感じだ。



この言葉を言われるたび・・・

私は安心した夫が毎日呪文のように私に言い聞かせた。

私は本当にひねくれ者で素直でない性格だけど

あの時は素直に夫の言葉にしがみついていた・・・

患者とはものすごく我儘な生き物なんだと思った。

6年目に入る

2007年05月11日(金) 13時02分
忘れもしない平成14年5月の第二金曜日この日から

私の人生の歯車は狂い始めた。この日は高校に入学したばかりの

息子の学校で総会があり、仕事を休み学校で色んな説明を聞いてきた。

家に帰るとお腹が空いてたので、ありあわせの物を食べはじめた。

この時いくら食べても満腹感が得られずなんだろうと思った。

それに顎の動きに違和感を覚えた。こんなに食べてたらまた太ると思い

はしを持つ手を止めた。そしたら、シャックリが出始めた。



ヒッ〜ク、ヒッ〜ク、ヒッ〜ク


気味の悪いシャックリの音に驚いた。それに止めようとしても

止まらない、なんだろうこんなシャックリ始めてだ。

いつまでも止まらないそうして居る内しばらくしてやっと止まった。

次の日の土曜日に目を覚ますと左手の5本の爪が針を刺されているみたいに

爪だけが痛くなった。なんだろうと思ったが仕事をしてた。

この日は忙しい日だった。お昼も食べる暇がなくやっと夕方になり

食事をしようとしたら、食べ物がうまく噛めない、なんだろう、この変な感じ

爪の痛みも消えない。夫が仕事から帰って来て私が



左手の爪が痛くて、食べ物が飲み込みずらい

なんか変なんだよ。なんだろう。




不安な気持ちを夫に言うと夫は



おまえ、風邪の引き始めじゃないのか。薬飲んで早く寝ろ。



と薬を出してくれた。薬を飲もうと水を飲んだらむせ返った。

咳が止まらない。苦しい。なんで水が飲めないの。

夫は、慌てるからだと背中をさすってくれた。

とにかく、忙しかったから疲れたんだろう、寝るのが一番いいと思った。

日曜日に目が覚めると身体がだるく、爪の痛みが左の5本の指にまで

広がって来た。やっぱり、変だ。夫がおかゆを作ってくれた。

少しだけ食べれたがやはりむせて苦しく思うように食べれない。

日曜当番医にすぐに夫に連れて行かれた。なのにそこの医師は


そんな、症状聞いた事無い、内科でなく

整形外科の当番医にいってください。



と言い当番医を教えられ、整形外科に行き症状を言うと

すぐ、レントゲンを撮られた。医師はレントゲンを見て



なんの異常も無いです。う〜ん

明日まで食べる事が出来なくて指の痛みが消えない時は

脳神経外科に行った方がいいと思います。



この言葉に不安が増して来た。私が脳神経外科に行く・・・

夫はあまり気にするな大丈夫だよ休めば治るから心配するな。

と言ってくれるが、動揺する自分がいた。

その夜、嫌な予感がして入院の準備を自分でした。

それを見てた夫は思い込み過ぎだよ明日には治っているから心配ない。

と私に言うけどなんだか分からない不安が胸に広がるんだもの。

月曜日になっても治らなかった。夫に脳神経外科に母と一緒に送ってもらう。

母が通っていたので母の予約日だった事もあり一緒に行く事になった。

待合室で待っていても左手の痛みは消えるどころか手のひらにまで

広がっていた。医師の問診の後、MR検査になりその結果

延髄梗塞と言う診断、即入院になった。その日から私の戦いが始まった。

すぐ帰るつもりだったが、飲み込みが出来ず、身体の麻痺は左半身に広がり、

左半身に激痛が走る、物を持つことも出来ない、力が入らない

右半身は痛み、温度、が分からない感覚障害がでた。眼は眼震が起き

頭に水が溜まっている感じ、左耳がパーンとはり音が聞こえにくくなり

左顔面の麻痺、言語障害、バランス障害、と身体の機能はすべて

自分の意思どうりに動かなくなった。頭の中はしっかりしてただけに辛かった。

自分で自分を動かせないという苦しみ,飢え、喉の渇き

話しているのに、言葉が伝わらない。これじゃ人間じゃないと絶望した。

6ヶ月も入院しリハビリ、嚥下障害の為に経管栄養のチューブを入れる訓練

歩く訓練、それでも元に戻れないと分かり障害を受け入れるまで時間が掛かった。

あの時に私は死と生と選べたら死を選んでいたと思う。

でも子供が20歳になるまでは生きたいと願った。

後5年生きたいという願いは最近ではすっかり忘れていた。

そしたら、夫の急な病、自分が欲をだしたせいなのかと思った。

最近では自分の障害も身体の一部と思えるようになり

気持ちも元気になり息子にブログを開いてもらい、5年間の病との事を

ブログに書き始めた所だった。なのに思いもよらない夫の急病に

気が動転し自分のせいなのではと昔の約束を忘れていた事を悔やんだ。

私に病気がくればいいのに、なぜ夫にと言葉が出なかった。

でも、悔やんでも悩んでもどうしようもない事が人生には起きる。

泣いても一日過ぎるなら、笑って一日を過ごそうと決めた。

今日から6年目だ。生きてる事に感謝して、夫の良くなることを

信じて笑顔で頑張りたい。

恥ずかしいんだもの

2007年04月25日(水) 12時04分
朝の回診今日は日曜日なのでN医師一人だ。


ここにきてからお風呂に入ってないんだよね。

どうかな、明日看護婦さん達にお風呂に入れてもらうかい。





お風呂・・・

どこで、この部屋で入れるんですか?




この部屋のお風呂では無理だから

寝たまま介護用のお風呂に入れてもらうしかないな。

皆で入れてくれるから、入ってみるかい。





その時に2日前の事が思い出された。

妹が着替えを手伝ってくれていた時、点滴につながれて居る私は

いつも看護婦さんに点滴をはずして貰い着替えていたので

妹に看護婦さんを呼びに言ってもらった。しかし来てくれたのは

男の看護士さんだった。思わず、私と妹は


着替えるんで看護婦さんにたのんだんだけど・・・


といったら


大丈夫、慣れてますから心配しないでください。



と言われ私は嫌だと言えずに男の看護士の前で着替える事になった。

私はまだ女なのだ。不自由な身体というのはこうゆう事になるのか。

絶対に治らなきゃこんな恥ずかしい思いはしたくない。

あの時この男の看護士といた看護婦は主任だと後で分かった。

上にたつ人なのに患者の気持ちが分からない人だった。

私は老婆では無いのだ。まだ女なんだ。恥ずかしいものは恥ずかしいんだ。

だから私は医師に



お風呂は入らなくても大丈夫です。

毎日身体は拭いて貰ってますから。




そうかい、無理にとはいえないしね。

気が向いて入りたくなったらいつでも頼めるからね。




と言うと部屋を出て行った。N医師は一番私の話を聞いてくれる。

3人の中では一番安心できる。私がむせて苦しんでいた時に

ただ一人背中をさすってくれた医師だものな。

たまたまそうしたのかもしれないが

その何気ない行為が患者にはとてもうれしい事なのだ。

夫が来てくれお風呂の話しをしたら



まぁ、風呂なんか入んなくてもいいよ。

いまの状態で風呂に入って喉渇いたら悲惨だもんな。




そう言われればそこまで考えてなかった。

喉が渇いても水飲めないんだ。やっぱり医師は駄目だ。

そこまで考えていなかっただろうな。

夫はよく私の状態を理解している自分でも気ずかない事まで

夫の指摘は鋭い。身体の痛みこわばりはちっとも良くならない。

眼の眼震もなおらない、飲み込みも出来ない、ダルマ状態

なのに頭の中はしっかりしている。この理不尽な状態から

いつになったら抜け出せるんだろう。

夫が私の身体を優しく起こしてくれクッションを背中にあてて座らせてくれた。



どうだ辛いかもしれないけど

我慢して少し起きてような。



と言って私の隣に座って支えてくれた。

私は夫にもたれながらうれしい気持ちでいっぱいになった。

こんな身体になっても夫は変わらない。




もし、私が居なくなったら再婚してもいいよ。



そう言う事言う日がくるなんて想像した事なかったな

私は夫より8歳も若く夫が先に逝くもんだと勝手に決めていたもんな。



なにくだらない事言ってんだ。

再婚したら、おまえ絶対俺の事呪い殺すに決まってる

俺は知ってるから絶対そんな危ない事しない。




こいつは私をこんな風に思ってんだとカッチーンと来た。

でも、確かにそうかも・・・・

二人で手をつないで夫に寄り添うなんて久しぶりだな

いつまで私はこうして一緒に居られるのかな?

ノックの音がしてM看護婦が来て私達を見て

物凄く驚いた様子で検温おねがいします。と言って出て行った。

なんなんだ、あの人は本当にあの人嫌だ。



なんか凄い感じ悪かった。あの人なんだよ

いつも私に不親切なの、この前なんてトイレの手伝い頼もうとしたら

いきなり部屋の戸閉めて出で言ったんだから。

あの人意地悪なんだ。




あんまり気にするな、夫婦なんだから

なにも問題ないだろう、見せ付けてやればいいんだよ。

彼とケンカでもしてるとイライラするだろう

看護婦さんだってただの人なんだよ。




夫の言うとうりなのかもしれない、看護婦さんもただの人。

ここに来てあんまり看護婦さんに期待しすぎていた事に

初めて気が付いた。皆ただの人なんだ。

天使とかじゃないんだ。




医師の言い訳

2007年04月24日(火) 14時16分
朝の回診の時に私は昨日のMR検査について医師に文句を言った。


あの機械の中で窒息するかと思いました。

あんなに飲み込み出来ないって私言ってたのに

死ぬかと思いました。



するとA医師は



そう言われてもね・・・



私の表現がオーバーだといってる感じに聞こえる。

N医師は



出来るだけ短い時間でやって貰ったんだけどね

MRに入って貰ったのは小脳梗塞が起きているんじゃないか

と言う疑惑があってね、小脳と言う所に梗塞が起きると

運動機能が働かなくなる事が多いから

でもその心配は無かったんで他の場所にも

梗塞は起きていなかったから良かったですよ。

多発性梗塞だともっと大変だからね。





私は何を言ってるのか分からなかった。勝手な言い訳に聞こえた。

多発性梗塞、小脳梗塞、なんの事だかさっぱり分からない。

私はそんな事より昨日の恐ろしい体験の文句で頭がいっぱいだった。




私は二度とMRには入りませんから

あんな機械の中で苦しむのはもうごめんです!





医師たちは私の言ってる事きいてるのかしら

三人でなんか言っている。私の言葉通じているの。

医師は患者の事本当に考えてくれているのだろうか

私はここに居てこれからどうなっていくんだろ。

医師が居なくなっても気持ちは落ち付かない。

今日は土曜日なので夫が午後早くに来た。

私は今朝の回診の事を夫に話した。




小脳梗塞、多発性梗塞だのって私を脅かしているみたい

もう沢山だよ。違う病院に行くこと出来ないの。




そこへ妹も来た。話を夫から聞きながら妹は



あのね、あたしも色々聞いて調べて見たんだけど

ここだから延髄梗塞見つけたのかもって言われたんだよ。

機械もここが一番いいって話す人もいるし

とにかく梗塞が出来た場所は難しい場所なんだよ。




そんな所に看護婦さんが来た。妹が



昨日の話先生に聞きたいんですけど。

先生はいますか?



看護婦さんは医師に聞いてみますからお待ちください。

といって医師に伝えてくれ、妹、夫二人で話を聞きにいってくれた。

戻ってくると二人は言葉を濁すみたいに



あの医師の話し方なんだかむっとするよね。



妹が言うと夫は



医師なんてあんなもんだよ。



私がどうなっているっていってたと聞いても二人で話している。

もうどうなるんだろう、私はどうなるの。




おまえは辛いかもしれないけど・・・

今は頑張るしかないんだよ、焦っても仕方ないんだよ。





前にも言ったけどちょっとづつしか回復しないって話

憶えてるよね、その人だってリハビリ頑張って仕事復帰したんだから

おねえだってやるしかないんだよ。あんな医師見返してやるくらい

良くなろうよ。あたしも手伝うから。





私は回復するんだろうか?二人にこれ以上聞く気になれない。

聞いても答えはしないんだろうな・・・

なんで私こんな病気になったんだろう。健康だけがとりえだったのに。

夫はなにもなかったように私に話しかける




息子が部活始めたんだぞ。それも何始めたと思う

空手なんだよ。空手。




えーなんで野球じゃないの。



妹が驚いた声を出した。夫は



友達に誘われたんだって言ってたな。

いつまで続くかみものだぞ。




あの子が空手部に入るなんて驚いた。あの子にそんな事続けていけるんだろうか。

心配になってきた。空手なんていじめにあったらどうしょう。

思わず私は



なんで止めなかったのよ、いじめられたら

どうすんのよ、私はこんなだし動けないのに。




夫と妹は笑い出した。



高校生にもなっていじめられる訳ないじゃない。

よくそう悪い方に考えがいくね。




おまえってほんとに悲観的にしか物事見ないよな。



夫もあきれていた。二人のお陰で息子の事思い出した。

子供がいるんだ私には今弱音吐いていられない。

娘と息子に会うためにも治るんだ。







どうなるんだろう私

2007年04月23日(月) 12時02分
看護婦さんが部屋に連れてきてくれて寝かせてくれた。


大丈夫ですか、お疲れ様でした。



優しく声を掛けてくれる。私は




大丈夫じゃない、死ぬところだったんだよ。

唾が飲み込めないから息が出来なくなりそうになったんだから。




看護婦さんにいっても言葉が理解されなかったみたいだ。

言葉、自分でははっきり話しているつもりなのだが

人に通じ難くなっている。言いたいことだらけなのに

話をするのも疲れる。私どうなるんだろう。

看護婦さんは


なにかあったら呼んでください。


と言って部屋を出て行った。

一人になるとさっきの苦しかった事が思い出された。

あんなに苦しいのにどうする事も出来なかった。

私は二度とMRに入らないと決めた。

もう二度とあんな思いするものか。私の怒りは収まらず

医師の無責任さに腹を立てていた。

もっと私の事考えてくれてもよさそうなものなのに

三人してこうなる事誰も思いつかなかったんだろうか?

本当に無能な医師ばっかりだ。

夫が来て私は怖かったMRの話をした。

夫に話しながらとても疲れている自分に気がついた。

話すのが疲れる、身体もますます言う事利いてくれなくなってる。

夫に色んな事頼んで置いた方がいいのかな。



あのね、あなたと子供達の簡易保険タンスの引き出しに入っているから

それと預金証書はあの場所に判子は・・・

言いたくないけど私のへそくりはあの場所にあるから。



この時私は死を本当に身近に感じていた。

(後にへそくりの事言うんじゃ無かった。と物凄く後悔する事になった。)

この時夫は私に向かって



何くだらない話してんだよ。バカだな。

おまえが居るからそんな事聞く事ないよ。



と言って私の話を聞いていない感じだった。

夫は私に毎日同じく



昨日より調子良さそうに見えるよ。



と言ってくれる。この言葉は私には魔法の言葉に聞こえる。



うそつき。私は良くなってない悪くなっていく一方。

私は、もうだめかもしれないって今日は思い知らされたんだよ。




それだけ、言えれば死にやしないよ。

色んな事思い付くんだから心配ないよ。

おまえは殺しても死ないタイプだよ。



この夫私をバカにしてんのかしらと思いつつ

なんだかホッとしてくる自分がいた。

いつも自分の事ばかり考えてる私、そんな私を気遣う夫

逆だったらどうなっていたんだろう。

私は夫にこんなに優しく心遣い出来るのかな?

夫に心配掛けないようにしたいと思いながら

いつも心配ばっかりかけている私。

早く、早く治りたい、気持ちだけが焦るばかりで

身体はどんどん死に向かって逝ってる感じがする。

どうしようもない不安をぬぐいきれない。

生きたい、生きたい、強く思う事にした。



MR大嫌い

2007年04月22日(日) 11時31分
MR検査に行くために看護婦さんが迎えに来た。

車椅子に移動、この車椅子に乗るまでが一苦労

点滴に繋がれどうしの右手、力の入らない左手で身体を

移動する事がこんなに大変だなんて信じられない事が現実なんだ。



看護婦さんに行きますね。



と言われてアッと忘れ物に気が付いた。




テッシュとゴミの袋を持って行かないと

私の大事な物、忘れたら困る。





そうそう大事な物だったね、持ちましたよ

行きますね。大丈夫ですか。





ゆっくり押してね、頭がふら付いて変な感じがするから。




はい、このくらいのスピードでいいですか?




MR室についてからはもっと大変だった。

この前の時と違い身体が思いどうりに動かないので

車椅子からMRの細く高い台に移る事が

こんなに大変な作業になるとは思わなかった。

皆に支えられやっとの事で横たわり口の中の唾を

テッシュに出し身体がずれないように固定され




じゃ、始めますから目を閉じていてください。




真っ暗な暗闇に吸い込まれていく、相変わらず物凄い音

この音大嫌い。まるでとんかちで鉄を叩いている音みたいだ。

耳栓しててもうるさい。早く終わるといいんだけど。

この前入った時に比べるとなんだか長く感じられた。

こんなに長かったけ・・・苦しい感じがする。

それに飲み込めない唾がどんどん口に溜まってきている。

嫌だ苦しい、どうしようどんどん唾があふれて来る。

まだ、終わらないの、拷問のようだ。

息が出来なくなりそう、落ち着かなくちゃ、冷静になんないと

暴れてしまいそうな自分に必死に言い聞かせる。

大丈夫もう終わる、唾の事考えちゃダメ

楽しい事思い出さないと。


永遠に終わらないような気がする。

こんなにMRに入って苦しいなんて思わなかった。

このまま息が詰まって死んでしまったらどうしよう。

いいかげんに終わってよ!

誰も私が苦しんでいる事に気が付かないんだ。

私だってこんな苦しい事になるなんて思ってなかった。

もう、このまま死ぬのかもしれない

MR検査で窒息死・・・なんて事ないよね

とにかく気持ちをしっかり持とう。もう終わるはずなんだから。

口から唾があふれて来たけど・・・もういい

よだれとなって頬を流れていくのが分かるけど

もういい限界だ。みっともないなんていってられない。

医師はこうなる事分からなかったんだろうか?



ご苦労様、終わりました。




やっと出してもらえた。すぐにテッシュを指さし取ってもらう。

むせかえる私を見て驚いた様子の技師さんたち

私だってこんなに苦しいなんて想像しなかった。

飲み込みが出来ないということの恐ろしさが身にしみた。

医師に対しての怒りが込みあげて来る。

看護婦さんが迎えに来てくれ皆に手伝ってもらい

車椅子にやっと移動した。

私はもう疲れ果てていた。



やらないと決めた

2007年04月21日(土) 12時02分
朝の回診の時N医師から



昨日話たこと考えてみましたか?



と聞かれた。私は



もう少しこのままで喉が動くの待ってみます。



そうですか。もう少し様子をみますか。



はい



私はやっぱり決められなかった。恐怖心のほうが空腹より強いからだ。

妹が言う事は正論なのだと分かっていても嫌なものは嫌だ。

N医師が



もう一回MRに入ってもらいますから

明日あたりにお願いします。




そう言うと出て行った。

MRか、なにか良い変化が出たら良いんだけどな。

午前のリハビリ今日は男の人だ。

喉のアイシング、深呼吸、色々とやった後、私が




背中を揉んでください。




とお願いしたらその人は




私はそういう事はしないですよ。




と冷たく答えて出て行った。

なんなんだ、あいつは・・・最低

あの娘だけが親切心からやってくれただけって訳なの。

後にその男の人が担当の中で一番上の人だと分かった。

上に立つ人のほうが嫌な人が多い事も憶えた。

患者という立場は最悪だとなにかに付けて思い知らされる。

午後からはT先生のリハビリ

深呼吸、首の体操、この首の体操がバカらしかった。




首を右に曲げて、左に曲げて、前に曲げて、後ろに曲げて

斜め上の天井を見て、斜め下の床を見て、首を右に回して

左に回して、肩を上に上げて、おろして。





やらされている私はなんでこんな簡単な事ばかり

繰り返しさせられるのか意味がわからなかった。

ちゃんと出来ているのにとずっーと思い込んでいた。

(かなり後になってからなにも出来ていなかった事を知る事になる。)

不満が募るばかりだった。食べれるようにならないのはなぜ?

リハビリなんになんだろう。私はここでなにをしてるんだろう。

T先生は帰る時必ず




トイレは行きますか?




聞いてくれ連れて行ってくれる。親切はありがたい。

私は今なにもかも嫌で仕方が無い。我儘なんだと思っても

自分がこんなに苦しいのはなぜなんだと言う思いから

なにもかにもめちゃくちゃにしてしまいたい気持ちで一杯になってる。

なのに身体は思いどうりに動かないもどかしい思い

夫、妹、子ども、皆に迷惑かけているのも辛い。

いつになったら先は見えてくるんだろう。

暗闇から助けてくれるのは誰なんだろう

こんな病気聞いた事ないしこの病院は私を助ける気があるんだろうか?

気が滅入ってくるばかりだ。

妹が来てくれ



医師になんて言ったの?


やらないって言った。


・・・・・


なにも言われなかった。妹は



考えて答えだすしかないか・・・

あんまり言ってもあんたには逆効果になるからね。



夫はおまえのしたいようにするしかないしな。


と言うと身体を拭いてくれながら言った。

いつまでこんな日が続くんだろう。

家に帰れる日は来るんだろうか。






考えるだけで怖い

2007年04月20日(金) 11時28分
N医師から言われた話が頭から離れない。

言ってる事がよく理解出来ないせいもあるんだけど・・・

今日の担当は私が好きなH看護婦さんだ。思い切って聞いてみる



今朝、N医師に栄養の取り方の一つとして

鼻からチューブを胃までいれで栄養剤を入れて見ないか

って言われたんだけど、いったいどんな風になるの?




すると彼女は私に向かってこう言った。




えっ、経管栄養の話出たんですか。

私達が看護学生の時体験したけど、あれってひどく大変ですよ。

私は勧めないけどな・・・なんとか口から食べれるといいのにね。





この言葉は私に恐怖を植え付けた。

やっぱり、嫌だ。なんとかしないと気は焦るけど

身体は言う事を利いてくれない。

食べ物は喉に痞え息が出来ないほどむせる。

飲み込みはやっぱり出来ない。

どうしたらいいんだろう。頭の中がこの問題を処理出来なくて

他の事なんにも考えられない。

リハビリも昨日の優しい人じゃない。この娘はやり方は同じだが

ぬくもりを感じる事が出来ない。

わたしが、背中をもんでくれる?と聞いたら


えっ、背中揉むんですか?


と聞き返され、仕方ないという感じで背中を押してくれた。

ちっとも気持ち良くなかった。

喉のリハビリのT先生にも聞いてみた。



そういう話は私は・・・ちょっと。


と話を濁された。どうしたらいいんだろう。

妹が来てくれた。妹に



経管栄養っていうのやって見ないかって言われたんだ。

でも、絶対嫌だ看護婦さんも大変だっていうんだもの。




でも、医師が言ってるんでしょう。

やりもしないで、嫌だって話ないでしょ、あんたはなんでも

やって見るべきなんだよ。もし、それでお腹が一杯になったら

それこそ良い事じゃない。考えるべきだよ。

看護婦も余計な事いったりして、まったく!




あんたは自分がやるわけじゃないから

簡単に言うんだ・・・




変わってやれるなら変わってやりたいよ

でも、でき無い事いっても仕方ないじゃない。

少しでも良くなる可能性があるなら

あんたは、グズグズ言わないで医師の言う事も聞くべきだよ。




妹が帰った後夫が来た。話をすると夫は



無理にやれとはいえないよな・・・

もう少し落ち着いて考えてみるか。

嫌だと言う気持ちが強いと無理強いは出来ないもんな。




夫は私の気持ちをなだめてくれようとしてる。

私はどう決断するべきなんだろう・・・・

恐怖心が消えない。

こんな事なら意識なんか無くなってしまえばいいのに

何もかも分かるってこんな残酷な事無い。

このまま半年ぐらい眠って目が覚めたら

全部うそだったんだよ、ドッキリだよてっことになんないかな。

現実から逃げ出した私がいる。
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