「集団的自衛権行使容認」 「閣議決定」のその後13

September 26 [Fri], 2014, 11:48

9月29日に秋の臨時国会が開かれます。
以下に引用させていただいた新聞の二つの記事から、今度の国会で取り上げられるテーマの一つが、「改憲」「緊急事態条項」「環境権」であることは間違いないと思われます。

7月20日付の記事では、衆院改憲審査会の海外視察の報告書が出る予定とされているので、今度の国会では、これに関する質疑応答もあるはずです。
(ないとなると、これは問題になると思われます。いかなる場合であれ、新聞記事としていったん正式に出されたからには、「報告書」は存在するはずであり、それは当然国民に公開されるべき内容のものであり、新聞は前回の記事の続報としてこれを掲載する義務を負っているからです。昨今では大都市の議会は言うにおよばず、どんな小さな地方の議会においても、議員の活動に関する支出がらみの問題は、非常に大きく取り上げられています。最近の話で言えば、NHKで何度も印象的な映像で引き合いに出された神戸の議員がいらっしゃいましたが、衆院改憲審査会ともなると、もっと大きな話になってくるのでしょう。海外視察期間の議員活動における細かな支出明細は、当然全国民に公開されるように準備されているでしょうから、これに関する質疑応答もあると思われます。再度、繰り返しになりますが、ないとなると、これは問題になると思われます。《前回の記事の信憑性が疑われることになります》)

そして、当然その「緊急事態条項」と「環境権」に関する細かな説明もあると思われます。
海外の憲法を参考にしているらしいので、説明者の一語一句は、大変重要であり、今後の日本の現行憲法を改正するに当たり、どのように明記されるのか要チェックだと思われます。

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2014年7月20日付 読売新聞 朝刊

衆院憲法審査会が訪欧
環境権や緊急事態条項学ぶ

衆院憲法審査会(会長・保利耕輔元自治相)が16日から11日間の日程で、ギリシャ、ポルトガル、スペインを視察している。3か国はいずれも憲法で「緊急事態条項」と「環境権」について定めており、審査会のメンバーは現地の政府関係者らと意見交換している。審査会は帰国後、報告書をまとめる。
視察は、保利氏を団長に、自民、民主、日本維新の会、公明、共産の5党から計7人が参加。ギリシャでは、官僚や有識者と会談し、ギリシャ文明の文化遺産保護を目的に「環境権」が規定されている点などについて説明を受けた。緊急事態条項は、有事や大規模災害時に、個人の財産権などを必要最小限の範囲で制限する規定で、東日本大震災の際に不備が指摘された。
自民の船田元・憲法改正推進本部長はギリシャでの視察後、読売新聞の取材に対し、「環境権については視察した議員から賛同する声が多く上がった。緊急事態条項は、私権制限の線引きが難しいが、理解を得ていきたい」と話した。

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2014年8月8日(金)付 読売新聞 朝刊

「改憲テーマ 秋に絞り込み」
自民・船田氏 野党にも働きかけ

自民党の船田元・憲法改正推進本部長は7日、国会内で記者団に対し「憲法改正のテーマの絞り込みを秋の臨時国会で始めたい」と述べ、野党にも働きかけを始める考えを示した。衆院憲法審査会(会長=保利耕輔・元自治相)で各会派が意見を提示することや、公聴会で国民から意見を聞くことなどを想定している。
 6月の改正国民投票法成立を受け、最初に改正を問うべきテーマとして船田氏は「環境権」や大震災など緊急事態の発生時に首相権限を一時的に強める「緊急事態条項」の創設が対象になりうるとの考えを示した。改正原案については「(2016年の)参院選の頃までに国会に提出したい」と語った。

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「集団的自衛権行使容認」 「閣議決定」のその後12

September 13 [Sat], 2014, 0:09

さて、100年後の日本の姿を見据えて、「3.11はあらかじめ計画されていたことである」という仮説に関してですが、これは、本当に途方もないことなのでしょうか?
実は、そうとも言えない「証拠」らしきものは、あちこちにあるのです。

では、一体誰が「3.11」を計画したのでしょうか?
古代神話で言えば、「神」にしかできないようなこの壮大な計画を立案したのは、まぎれもなく「人間」であり、それも一部のスーパーエリート集団だと推定されるのです。

彼らがよく口にする「失われた20年」。
凡人にはよくわからないこの言葉が本当に意味するところは、何なのでしょうか。

思い出してみましょう。
今から20年前。1994年の日本はどうだったでしょうか。
今では当たり前のようになっている携帯電話やスマホなどという電子機器はおろか、パソコンでさえ、まだ触ったことがないという人もたくさんいたのではなかったでしょうか?
PCが一人に一台ずつが当たり前のようになってきて、インターネットが広がり、誰でもがネット上に自由に自分の「位置」を特定づけ、そこで自由に表現をすることができるようになっていった、というような「流れ」ではなかったでしょうか?

そこから、アメリカの「アップル」や「グーグル」なども日本の末端にまで周知されるようになり、パソコンは机に向かっていなくても、移動しながらでもネットにつなぐことができる便利な携帯型になっていき、これもまた末端まで「持っていない人が一人もいない」という環境にまで整備することができたのではなかったでしょうか?

ここに蓄積された膨大なデータ。つまり、この「ビックデータ」を丸ごと総括して一気に独占し、それを精査洗練させて、半永久的に財源にしようというのが、この「20年間」の「エリート神たち」の「最終目的」だったのではないでしょうか?

その証拠に、彼らが「ゴミ・クズ」呼ばわりしている様々な人たちの様々な自由な発言や意見は、短期間の間にあまり正当でないと思われる手法で「人為淘汰」されてきました。
彼らエリート神の「クオリティー」に対する要求のレベルは、あまりに高いので、彼らが低レベルと判断するようなものがビッグデータ上に浮遊しているのは、我慢がならないのだと思われます。
しかも、そうした「人為淘汰」は、本来は「表現の自由」を厳しく擁護しなければならないはずのメディア側も、むしろ積極的に加担しているかのように見えるのです。

以前書いた元CIA職員のスノーデン氏の暴露本の内容に関する日本メディアの「沈黙」あるいは「無視」あるいは「黙認」ぶりは、ここに書かれていることをそのまま容認したほうが、これから先の「ビッグデータ戦略」には都合がよいことだからと推測されるのです。

雑誌名は忘れてしまいましたが、最近たまたま目にした記事には、ある大手広告代理店の代表者?が「お前らの書くことに何の価値があるっていうんだ?」と、本当にこのままの字面で印刷されていました。
まあ、そう言われれば本当にその通りではあるのですが、でもその「価値なし」と判断している「ゴミ・クズ」を大量に集めてきて、それを自分たちの都合のいいように「編集」してリ・プロダクションで一儲けしようとしているのは、明らかでしょ?と反論したくもなるのです。

ここで問題になってくるのは、当然個人の「プライバシー権」になるでしょう。しかし、上記に引用した著者のような人たちの心情には、「奴隷的存在に対して、『プライバシー権』なんて、そもそも必要あるのか?」ということになるのでしょう。

自民党改憲草案の中でも、第13条では現行憲法での「個人」という表記を「人」という表記に改めています
わずか漢字一字の違いですが、これは大きな違いになると思われるのです。
そして、日本NSAを創設し、長期政権を目指す自民党の中ではどういう「思い」があるのかを、これは端的に表していると思われるのです。


「集団的自衛権」然り。
「TPP」然り。
「ビッグデータ」然り。

まず初めに「最終目的」があったのです。
あとはただ、それにむけて着々と戦略を練り、それが国民に対する「騙し」であろうが、「裏切り」であろうが、また何十年何百年かかろうが、最終的には自分たちに一番メリットがある「目的」が達成されればいいだけの話なのですから、一個人が何かを感じたり思ったりするという事は、もはや何の意味もないという事になるのです。

もし、意味があるとすれば、彼ら「エリート神」を崇め奉り、ちゃんと服従する事を継続していく決意をする
ということぐらいでしょう。

「集団的自衛権行使容認」 「閣議決定」のその後11

September 11 [Thu], 2014, 7:01

今日は2014年9月11日。2001年に起こった世界同時多発テロ「9.11」から13年目の日です。
「9.11」がどのようにして起こったのかという事に関しては、まだ不明瞭な部分がたくさんあるようですが、9.11のニュースをどのようにして日本で受け取ったかという個人的な記憶は、13年経過した今でも鮮明なままです。

「2001.9.11〜2014.9.11」のパターンは、今や日本での「3.11」にそっくりそのまま繰り返されそうな気配さえあります。
2011.3.11から13年後の2024.3.11に、日本はどのような姿になっているのでしょうか。
2020年の東京オリンピックから4年後の日本の姿。
その予兆は、もうすでに現れ始めているように見えます。

とても信じられないことですが、一部の人が言うように「3.11」が何か月も前から、もしかすると何年も前から「計画」されていたことだとしたら、古代から国づくりの計画のためには、常にそうされてきたように、当然「多大な犠牲」あるいは「人柱」が必要となったのでしょう。
そうした何万人何百万人何千万人もの「多大な犠牲」「人柱」のうえに出来上がった「国」というものの理想の姿は、本来であれば「恒久の安寧を願う平和国家」であってしかるべきでしょう。


ところが、現実はそうではないようです。
現行憲法の「第9条」を破壊し、「集団的自衛権」で「他国にまで行って戦争のできる権利」を手に入れ、国内では、増税で国民を苦しめ、性懲りもなく「原発」を再稼働させ、放射能の危険にさらし、「核兵器」の原料を作り出し、武器商人がそれを海外に売りさばき、それと同時に「恩を売る」ため、お金をばらまき、日本をあがめさせ、最終的には、国連で「常任理事国」となり不動の地位を確立する。

これが2024年の「日本の姿」。「3.11」に始まったパターンは、間違いなく、ここに収束していくのだと思われます。

これが、国民の「総意」であり、幸福追求にかなった姿だと言うのならば、個人的には何も言うことはありません。2024年から先の未来も、明るいものであることを願うばかりです。

「毎日使いたい日本国憲法」その4

August 30 [Sat], 2014, 9:59

現行憲法と自民党改正草案の対照において、両方を見比べていると、その中心となる「一点」がまさに「天皇」であり、二つの違いはその「位置づけ」にあることがわかってきます。

現行憲法 第1条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民t統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

自民党改正草案 第1条
天皇は、日本国の元首であり、日本国および日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

この「天皇と国民の関係」、言葉では形容しがたいある種「神秘的」ともいえる関係については、以前このブログの中でも書いた記憶があります。

地元に来られた天皇皇后両陛下の車列をお迎えするため、沿道に並んで今か今かと待っていた時のことです。私たちが並んでいた列の後ろの方から、女性が一人遅れてやってきました。その人はとても不機嫌そうな顔をしていて、まわりでは「いついらっしゃるんでしょうね?」などと知らない人との間でも賑やかな談笑があったりして、とても和やかな雰囲気だったのに、その人はわれ関せず、とりつくしまもないといった感じで立っていました。
いよいよ、天皇皇后両陛下の車列がやってきて、私たちが旗を振りながら大騒ぎしている中、両陛下の車が目の前を通り過ぎ二人のお姿がちらりと見えたその瞬間です。
それまで、私たちのそばで一言もしゃべらず不機嫌そうに立っていたその女性が、目に涙を浮かべんばかりの歓喜に満ちた顔で、興奮したように私に向かって「よかったですねえ。」と話しかけてきたのです。
ほんの少し前まで彼女の心の中にあった何かしらの不機嫌な感情を、一瞬にして「最高の喜び」の感情に変えてしまったこの「不思議な力」は、まさに「魔法のような力」というしかないと、その時は心の底から驚いたのでした。

では、一体なにが彼女の心をそれほど動かしたのでしょうか?
天皇皇后両陛下のお姿を「拝見」したことでしょうか?
もちろんそれはあると思います。現に、私自身もあまりにも美しいものあるいは高貴なものを見ると、涙が出るほどの感動を味わったという経験はあります。
けれど、それはその対象そのものに「原因」があるというよりは、その時の自分自身の「心理状態」の方により多くの「原因」があるように思われます。
何か悲しいこと苦しいことがあった時、思いがけず目の前に「美しいもの」が現れた。心が枯れたり荒んだりして、どこかで「慈愛」や「優しさ」のようなものを無意識に求めていたとします。すると、目の前に突然現れた「美しいもの」に対して、心の求めていた「イメージ」が重ね合わされ、対象そのものがどういうものなのかということよりは、その「印象的なもの」だけで、心が打ちふるえるような感動を味わうということになるのかもしれません。
あくまでも想像ですが、その時の彼女の心理状態もやはりそういったものに近かったのではないでしょうか?
まわりの環境によって何か不機嫌な感情のまま、その場所に来てみた。ところが、思いがけずお二人の姿は、彼女の「視覚」に強く訴えかけ、彼女が無意識に求めていた何かしらの「イメージ」にぴたりと重なり合い、それが、涙が出るほどの感動を与えたというのが、本当のところではなかったのでしょうか。

さて、話を元に戻して、現行憲法と自民党改正草案の対照において、「天皇の位置づけ」の大きな「違い」についてです。
戦後の教育を受けてきた私たちは、「象徴」としての「天皇」に心からの尊敬と親愛の情を感じています。それは、これからの未来の日本の姿、「平和」「友愛」「富国」の「象徴」として、唯一無二のなくてはならない「存在」だと感じているという事です。
けれど、自民党改正草案においては、同じ「象徴」という言葉を使いながらも、ニュアンスは少し違っています。主権は「国民」ではなく、「天皇」に戻し、政治に関する権限も少しずつ付加していこうという、どちらかというと時代を逆行して「明治」に戻るようなそんな「匂い」が感じられます。
昨日のニュースでは、来年には「集団的自衛権」が行使できるようにするとはっきり弁明する会見の映像が流れていました。
「戦争ができる国」になり、「国防軍」を創設し、天皇に主権を戻す。
これが、自民党が導こうとしている近未来の日本の姿だとすると、やはり少し首を傾げざるを得ないと思うのです。
戦後70年で培われた民主主義国家「日本」の「前進」の姿ではなく、明治に逆戻りする「後退」の姿にしか見えないのは、私だけなのでしょうか?

「毎日使いたい日本国憲法」その3

August 29 [Fri], 2014, 9:55

憲法の条項の中でも、日常生活において一番身近に感じるのは、個人的には「言論の自由」「表現の自由」に関するものです。
創作を生業とする「芸術家」「小説家」「音楽家」などの方々以外でも、絵を描いたり、歌を歌ったり、文章を書いたり、踊ってみたりという自由活動は、生きている限りどんな人にも経験があり、これに対して何の理由もなしに制限を加えられたりすることはないという事が、日本国内では憲法によって保障されているのです。
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現行憲法 第21条
@ 集会。結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
A 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

自民党改正草案 第21条
@ 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
A 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社することは、認められない。
B 検閲は、してはならない。通信の秘密は、侵してはならない。

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ということで、以下に昨日読んだ本の「読書メモ・感想」を掲載しておきたいと思います。

〈読書メモ・感想〉
『暴露 ―スノーデンが私に託したファイル―』グレン・グリーンウォルド
田口俊樹・濱野大道・武藤陽生訳 
新潮社 2014.5.13刊

原題:“NO PLACE TO HIDE:Edward Snowden, the NSA, and the US surveillance State by Glenn Greenwarld

・アメリカでは9.11後に「愛国者法」が制定された。

・エドワード・スノーデン氏の履歴
 2009年〈デル〉社員として日本に派遣される。
 日本のNSAで上級サイバー工作員となるべく訓練をうけた?
 2011年 日本での勤務を終える。
 2012年 メリーランドからハワイへ転勤。
 2013年5月 てんかんの治療のためという理由で会社に数週間の休暇をとり香港へ
     5月20日 ハワイから香港に到着 ホテル〈ザ・ミラ〉に宿泊
 2013年6月9日 スノーデンの正体の記事が「ガーディアン」のホームページに掲載される。


・スクープされた4大記事
1. アメリカ最大大手通信業者〈ベライゾンビジネス〉に対して、外国諜報活動監視裁判所が全国民のすべての通話記録をNSAに提出するよう命じた件。
2. 2009年に作成されたNSA監視総監の内部報告書にもとづく、ブッシュ政権下の違法盗聴計画のこと。
3. “バウンドレス・インフォーマント”プログラムの詳細。
4. PRISMプログラムの記事。


日本にも関係のありそうなアメリカの法律
2008年 改正外国諜報活動監視法 第702条
「その監視活動が“外国の情報収集の助けになるかどうか”外国諜報活動監視裁判所から“承認”のスタンプさえ獲得できれば、NSAはいかなる外国人でも監視することが可能となる。
諜報対象の人物に対する容疑を証明する必要もなければ、そもそも疑う理由自体があってもなくてもかまわない。」

P.151 2009年
    日本の三沢の諜報施設における運用能力の向上を褒め称えている?


ターゲットにした人物を無人機(ドローン)で殺戮する?
(昨日のNHKニュースで偶然にもSONYが「ドローン」を使ったビジネス戦略を展開するという内容のものが流れていた)

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全体的な印象と感想

エドワード・スノーデン氏は、意外なことに日本ととても関係が深い。
日本滞在が2011年までとなっているが、「3.11」は経験しているのだろうか?
アメリカでは、9.11が引き金となり、「愛国者法」が制定されたが、
日本では、3.11が引き金となり、「集団的自衛権」及び「非常事態事項」のための「現行憲法の改正」が加速化されようとしている。

「2008年 改正外国諜報活動監視法 第702条」
は、自国の法律ではなく、アメリカの法律によって日本人でもスパイ容疑がかけられてしまう可能性がある恐ろしいもの。こういうことに関して、日本メディアは当然のことながら、日本国民に詳細な情報を提供しない。
刊行日が、世界同時発売で2014年5月13日となっているが、それから3か月経過した現在、日本での反響はどうだったのだろうか?
いずれにしても、同時発売という事で、これだけの量を短期間で翻訳するのはとても大変な作業だったのではないかと思う。そのおかげで、読者は貴重な情報を世界と「同時性」をもって受け取ることができるようになるので、まさに「スピード」な時代を実感する。そして、いわずもがな、いつもながらのタイトルのセンスの良さである。原題の訳しかたは、映画と同様の驚きがある。

「毎日使いたい日本国憲法」その2

August 26 [Tue], 2014, 0:13

前回の自民党改正草案と現行憲法の比較において、まず「前文」における対照から明らかな「違い」がはっきりと読み取れるとしましたが、今回はその「前文」も含む「目次」そのものを比較してみたいと思います。

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日本国憲法 自民党改正草案
(目次)
前文
第1章 天皇(第1条〜第8条)
第2章 安全保障(第9条〜第9条の3)
第3章 国民の権利及び義務(第10条〜第40条)
第4章 国会(第41条〜第64条の2)
第5章 内閣(第65条〜第75条)
第6章 司法(第76条〜第82条)
第7章 財政(第83条〜第91条)
第8章 地方自治(第92条〜第97条)
第9章 緊急事態(第98条・第99条)
第10章 改正(第100条)
第11章 最高法規(第101条・第102条)


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日本国憲法 現行憲法
(目次)
前文
第1章 天皇(第1条〜第8条)
第2章 戦争の放棄(第9条)
第3章 国民の権利及び義務(第10条〜第40条)
第4章 国会(第41条〜第64条)
第5章 内閣(第65条〜第75条)
第6章 司法(第76条〜第82条)
第7章 財政(第83条〜第91条)
第8章 地方自治(第92条〜第95条)
第9章 改正(第96条)
第10章 最高法規(第97条〜第99条)
第11章 補則(第100条〜第103条)

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自民党改正草案においては、各章の全項目で何らかの変更がなされていますが、特に大きな「違い」は、上記の赤字の部分になります。
第2章が自民党改正草案では「安全保障」、現行憲法では「戦争の放棄」
第9章は、自民党改正草案で新しく「緊急事態」
となっています。
このことから、何がわかるでしょうか?
これはあくまでも個人的な想像ではありますが、自民党改正草案では、はっきりと「国際的有事」を想定しているのではないかということです。(有事を避けるのではなく、有事が起こることを前提としている。)

一方、現行憲法のどこを好ましく思うのかと問われた時、何か「一本」の時空を貫くような「崇高な理念」が著されていて、「戦争の放棄」と「国民主権」をはっきり謳っているところだと前回書きましたが、この対照性から言えば、自民党改正草案は現行憲法の改正ではなく、「戦争を放棄することはない」という全く「真反対」の意味を持つことになってしまうように見えます。

「集団的自衛権行使容認」の閣議決定後の会見の際、首相は「戦争に巻き込まれるようなことは決してない」ということをしきりに強調されていましたが、実は全く正反対の方向性に向かいつつあるのではないかという疑念は残ったままです。

実際、自民党改正草案が「3.11」後にできたことから、憲法学者の中には、「3.11便乗型改憲論」とはっきり述べている方もいらっしゃるのです。
どういうことかというと、あの「3.11」のような非常事態の時にきちんとした対応がとれなかったのは、現行憲法に「緊急事態」に関する条項がなかったためだということで、それならばいっそのこと「3.11」で起こったことを「奇貨」として、これを利用し改正草案の中に「緊急事態」の項目を設け、非常事態における首相の権限を明らかにしようとしたということらしいのです。
しかし、「3.11」から3年半たった現在、この論理立ては、果たして「正当性」を持つのでしょうか?
現行憲法でも、十分に治安は保たれているし、これからも保つことができるという事をはっきりと「証明」しているのではないでしょうか?

不思議なことは、つい1か月ほど前にはオバマ大統領自らアメリカの「軍縮」を示唆するような会見をしたばかりのはずなのに、日本ではそれに同調して「軍縮」の外交政策をとる方向性ではなく、むしろ「軍事予算」を増やし、「軍事力」の向上を世界にアピールするような姿勢をとっているという事です。(昨日の自衛隊の富士山麓での軍事演習など)
アメリカは「軍縮」の方向性をとり、日本は「軍拡」の方向性をとる。
これは、「日米安全保障」においては、どのような意味合いをもってくるのでしょうか?

先月の「ホルムズ海峡機雷掃海」の時のように、何か「緊迫性」を帯びた非常事態、あるいは「架空の敵」を自ら工作するような急進的過激的な一部の政治家によって、十分な議論もなされないまま「集団的自衛権」の新3要件に該当する事態が出現してしまうのではないかということを危惧するのです。

いずれにしても、論点は「戦争を放棄」することに対して、本当のところ国民はどう思っているのかという事に尽きると思います。
「二度と戦争するようなことがあってはならない」と言いつつ「安全保障のためには『軍拡』『武器輸出』もやむなし」というわけにはいかないのではないでしょうか。

今回は最後に、かの有名な「第9条」に匹敵するような改正ではなかろうかと個人的に思っているのが、

「第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」

という条項を完全に「削除」しているところ、という事を付け加えておきたいと思います。

「集団的自衛権行使容認」 「閣議決定」のその後10

August 24 [Sun], 2014, 23:10

今日は、高校野球の準決勝戦が行われました。
その裏では、富士山ろくで、自衛隊の軍事演習「そうかえん」が華々しく行われたそう。
今回は、自衛隊に対する日本の意識に変化が出てきたという事で、海外メディアからも多数の取材があったとの事です。
なんでも「離島奪還」のための軍事演習とかで、去年の演習とは打って変わって、本格的な実弾射撃、またオートバイ隊みたいなのも出ていて、観客が「お〜っ!!」とどよめいているニュースでの映像が印象的でした。
別に、ショーだと考えれば、軍事演習もおもしろいのかもしれませんが、それが本当に実行されるという事は、「有事が起こっている」ということが前提なのですから、心底楽しむというわけにもいかないのではないでしょうか。
そもそも、「離島」と言っても、日本にあんな大がかりな陸上部隊が展開できるような島があったでしょうか?「尖閣諸島」の事を指しているのなら、富士山ろくで展開したような大きなスペースを持つ島はいくつあるのでしょうか?
それは、日本国有の島というより、むしろ東南アジア系の近隣国に有する「島」のことを指しているのではないでしょうか?環太平洋で防衛協定が固まれば、法整備をして日本に密接な国の非常事態を支援に行くという可能性はゼロではなくなります。

いずれにしても、軍事予算の増強はますます半端ないものになっています。
「軍縮」のための隣国との外交政策もとらずに、日米同盟の名の元、「軍事力」を増大させ、ほんの数年前まではずっと下位にあった世界ランキングも現在では10位以内に入ってきているそうです。
この軍事予算のために、我々の血税が使われるのです。消費税は、8パーセントから10パーセントに上がり、国民は日常生活で次第に困窮してくるというのに、防衛のための予算はどんどん大きくなり、しかもこのまま「戦争ができる国」として国防軍が創設されれば、「徴兵制」が決まるのも時間の問題でしょう。
つまり、母親の立場になれば、自分の生んだ息子が将来戦地に行って命を落とさなければならないような法律をつくるために、日々働いて国に税金を納めるという事になるのです。
こんな馬鹿げた話があるでしょうか?

再度、警鐘を鳴らすとすれば「軍事演習はショーではありませんから。あれが現実に起こるときは、日本はもう終わっている」という事です。

「毎日使いたい日本国憲法」

August 21 [Thu], 2014, 10:11

さて、憲法改正派からは目の敵のように扱われている現行憲法であるが、そもそも憲法の定義とは何なのだろう。
「憲法」を広辞苑でひくと、
@ おきて。基本となるきまり、国法。
A 国家存立の基本的条件を定めた根本法。国の統治権、根本的な機関、作用の大原則を定めた基礎法で、通常他の法律・命令を以て変更することを許さない国の最高法規とされる。
と出てくる。

「国の最高法規」と言われると、普通の一般人は尻込みする。憲法学者や裁判官、その他司法に関わる特別な人しか扱ってはいけないもの、あるいは神棚に奉って後生大事にしまっておくべき「神聖」なもののようにさえ感じられる。
けれど、それは本当だろうか。
「国の最高法規」を普通の一般人が日常生活の中で当たり前のように使ってはならないというようなことは、どこにも書かれていない。
むしろ、普通の生活の中で当たり前のように使っているが、なくなると大変困るという日用品のように、せっせと使った方がバチが当たらないのではないだろうか。

たとえば、学校や職場でいつもいじめにあっている人がいるとする。相手に向かって『あなたの言動は、憲法第14条 「すべての国民は、法の下に平等であって、人権、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」ということに違反している。あなたの言動は、憲法違反だ。』と言っても、間違ってはいないのである。

以前にも書いたことがあるが、現行憲法の成り立ちがどうであれ、そこに書かれていることには、やはり70年近く経た今でも何かしら心を深く打つものがある。
それは、この憲法が先の大戦で亡くなられた多くの方々の血肉の犠牲の上に成り立っているからだ。これは、「憲法」というより、むしろ「経典」に近い崇高ささえあるように感じられる。

憲法の入り口である「前文」を自民党草案と比較するだけでも、その「違い」ははっきりしてくる。

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自民党改正草案
(前文)
 日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を頂く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
 日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
 我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。

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日本国憲法(現行憲法)
(前文)
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令および詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人類相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

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自民党草案では、「日本国」という一つの国家に重きが置かれている。そして、どこかしら質実剛健、具体的実務的な表し方である。

一方、現行憲法は、同じく「日本国」という一つの国家に重きを置きながらも、視点ははるかに「グローバル」である。政府の行為によって「二度と戦争が起こるようなことがあってはならない」という世界共通の「恒久平和」への切実な希求と、「主権は国民にあり」ということをはっきりと謳っている。

国民が「自分の国を愛する」という事においては、そこには何か一本、時空を貫くような「崇高な理念」のようなものを欲するのではないだろうか。その理念が国民の琴線に触れたとき、自ずからその理念にひざまづき、忠誠を使い、服従することを誓う。

そのような意味からも、現政府の言動には矛盾が多すぎるように思われる。個人的に自民党草案より現行憲法の方が好ましく感じられるのも、そういった理由からのように思われる。


「集団的自衛権行使容認」 「閣議決定」のその後9

August 20 [Wed], 2014, 10:16

昨日の深夜のテレビ番組に自民党の佐藤正久議員が出演されていた。この方は、もと自衛隊の化学科に所属されていて、「架空化学生物」(?)がご専門だったとか。
7月15日に行われた参議院予算委員会での質問にたったとき、「自衛隊は国民のために命を落とすことがあっても当然」と明言し、「集団的自衛権」の正当性を強く主張していたのがこの方である。
あれから約1か月が経過し、当時問題になっていた「ホルムズ海峡の機雷掃海」の話は沈静化しているが、その代わり、8月8日に始まったアメリカのイラクに対する限定的空爆は、いまだに継続されていて、はじめのころの短期収束の見通しは破られた格好になっている。
この中東情勢の不安定に乗じて、同盟国の支援、あるいは国際社会への貢献の名の元に、自衛隊の国際部隊派遣を希望しているのかもしれないが、それでは、7月1日の「集団的自衛権行使容認の閣議決定」の際の「戦争に巻き込まれる恐れはない」という首相の明言に反することになる。むしろ、「戦争に巻き込まれる」のではなく、自ら「戦争に行く」ことを推奨しているかのような発言である。

これからも何度も繰り返すが、「自国を守るための防衛」だけであれば、極論を言えば地上展開する陸上部隊は必要でなくなる。日本の高度な科学技術のテクノロジーを駆使すれば、想定される有事の際は、数個の機器で事足りるというのが理想の部隊なのだ。
それを、「自衛隊員が国家のために自らの血肉を捧げる」ことにこれだけ執着するのは、再び帝国主義軍国主義時代のような大陸における侵略も厭わないという野望のようなものが感じとれるのではないだろうか。

もし正々堂々と自衛隊を「自ら望んで国民の命を守るため戦地に赴くこと」を志願させ、「集団的自衛権」を持った「戦争のできる国」にするためには、「国民の信託」を得なければならない。
そのための現行憲法の憲法改正である。


ところで、日本国憲法(現行憲法)は、大日本帝国憲法を改正したものである。
ゆえに、「憲法改正」は、日本にとって初めてのことではないのである。

現行憲法が公布された時の文は以下の通り。
公布文
公布 昭和21年11月3日
朕(ちん)は、日本国民の総意に基づいて、新日本建設の礎(いしずえ)が、定まるに至ったことを、深くよろこび、枢密顧問(すうみつこもん)の諮詢(しじゅん)及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可(さいか)し、ここにこれを公布せしめる。
御名御璽(ぎょめいぎょじ)
昭和21年11月3日


現行憲法を改正しようとしている自民党の改正草案と、現行憲法の対照のおいては、時系列で言えば、前案のほうが未来志向の案であるように見える。しかし、これは帝国憲法時代の軍国主義をベースにしたものであって、むしろ現行憲法のほうが、グローバルな視点から作られたものであり、国際法にも十分かない、どのような時代においても決して色褪せない人類の強烈な祈願「恒久平和」を保障してくれている。
国民投票法に基づいて、「憲法改正」を進めるならば、憲法に関する国民の熟知は、必須であろう。十分に議論もすすめないまま、時を急がせて「集団的自衛権」を正当化し、戦地に自衛隊を送り、若者が次々と命を落とすようなことがあっては、決してならない。

「集団的自衛権行使容認」 「閣議決定」のその後8

August 17 [Sun], 2014, 11:31

先月の新聞に以下のような記事が小さく出ていた。

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2014年7月20日付 読売新聞 朝刊より

衆院憲法審査会が訪欧
環境権や緊急事態条項学ぶ

衆院憲法審査会(会長・保利耕輔元自治相)が16日から11日間の日程で、ギリシャ、ポルトガル、スペインを視察している。3か国はいずれも憲法で「緊急事態条項」と「環境権」について定めており、審査会のメンバーは現地の政府関係者らと意見交換している。審査会は帰国後、報告書をまとめる。
視察は、保利氏を団長に、自民、民主、日本維新の会、公明、共産の5党から計7人が参加。ギリシャでは、官僚や有識者と会談し、ギリシャ文明の文化遺産保護を目的に「環境権」が規定されている点などについて説明を受けた。緊急事態条項は、有事や大規模災害時に、個人の財産権などを必要最小限の範囲で制限する規定で、東日本大震災の際に不備が指摘された。
自民の船田元・憲法改正推進本部長はギリシャでの視察後、読売新聞の取材に対し、「環境権については視察した議員から賛同する声が多く上がった。緊急事態条項は、私権制限の線引きが難しいが、理解を得ていきたい」と話した。

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そして、今月に入りこれの続報と思われる記事が、以下の内容である。

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2014年8月8日付 読売新聞 朝刊より

「改憲テーマ 秋に絞り込み」
自民・船田氏 野党にも働きかけ

自民党の船田元・憲法改正推進本部長は7日、国会内で記者団に対し「憲法改正のテーマの絞り込みを秋の臨時国会で始めたい」と述べ、野党にも働きかけを始める考えを示した。衆院憲法審査会(会長=保利耕輔・元自治相)で各会派が意見を提示することや、公聴会で国民から意見を聞くことなどを想定している。
 6月の改正国民投票法成立を受け、最初に改正を問うべきテーマとして船田氏は「環境権」や大震災など緊急事態の発生時に首相権限を一時的に強める「緊急事態条項」の創設が対象になりうるとの考えを示した。改正原案については「(2016年の)参院選の頃までに国会に提出したい」と語った。

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上記の二つの記事をまとめると、2014年7月11日から16日まで、衆院憲法審査会の保利団長をはじめとする自民、民主、日本維新の会、公明、共産の5党によるスペイン、ポルトガル、ギリシャ視察があった。
今日は、2014年8月17日なので、ちょうど帰国から1か月が経過。
たぶん、報告書も出来上がっている頃なのだろう。
次の秋の臨時国会で最初に問うべき憲法改正のテーマは、「集団的自衛権行使容認」に関わる「戦争放棄・自衛隊」というテーマではなく、上記の「環境権」「緊急事態条項」ということらしい。
つまり、「環境権」「緊急事態条項」が「戦争放棄・自衛隊」の問題よりも重要視され、先に論議されることになっているらしい。

では、その「環境権」「緊急事態条項」というのは、どういう内容のものなのだろうか?
「緊急事態条項」の方は、有事や大震災の際の首相権限に関するものだという事は、なんとなくわかるが、「環境権」の方は、皆目わからない。

「環境権」をインターネットで検索すると、正式な定義と思われるものは次のように出てくる。
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「環境権」とは、新しい人権の一つで、良好な環境の中で生活を営む権利のことを指す。日本国憲法第13条の「幸福追求権」を根拠に主張され、学説としてほぼ通説としての地位を確立している。
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これから、想像できるのは、水質汚染、騒音、公害から環境保全するための権利ということぐらいで、何か別にもっと深い意味が込められているのだとすれば、それは、この権利を改正の中入れようとしている方々に、もっとよく説明してもらわなければならないだろう。

わからないのは、この「環境権」がなぜ「戦争放棄・自衛隊」の問題よりも優先されるのかという事。
再びメディア統制で、プロパガンダ、偽りのイメージ戦略をもって、「集団的自衛権=戦争のできる権利」ということから国民の視線をそらして、目先の幸福追求のために違うテーマで覆い尽くそうとするようなことがあっては、決してならないと思う。

そして、安倍内閣は、来月9月第1週に発足以来初の内閣改造を断行することを明言した。
秋の臨時国会に向けて、おそらく「憲法改正」のテーマが明らかになっていくだろう。
注意深く、見守りたいと思う。