今月14日、神戸ワールド記念ホールで行われたWBC世界バンタム級タイトルマッチで長谷川穂積選手が1回KO勝ちし、9連続防衛という快挙を果たしましたね。
日本ジム所属選手の連続1回KO防衛は史上初、4連続KOは具志堅用高氏以来の31年ぶりの2人目だそうですね。
私はボクシングには興味がほとんどなく試合を観ることもありませんでしたが、島田紳助司会のあるお笑い番組に出演されていた長谷川選手にとても好感が持てたので、それ以来動向が気になっていました。
世界一のボクサーだという紳助のほめ言葉にはにかむ様子が初々しくて、とても百戦錬磨を闘い抜くような男とは思えない印象。
これはフライ級の内藤大助選手にもいえることで、テレビのトーク番組などでのお2人は王者というタイトルには程遠く恥ずかしがりやで気が弱い男という印象でした。
試合後の会見ではパンチを1つも受けていない無傷の顔で、フェザー級への意欲も見せていた果敢な姿勢に驚くばかりでした。
ということで、本日はボクサーが主人公の作品をご紹介したいと思います。
吉村昭氏著『孤独な噴水』
今から40年以上前37歳のときに執筆され、1964年に講談社から出版されたのが最初で、その後回を重ねて1996年には文春から文庫化されています。
「この小説を改めて文庫にするに当って、私なりの強いためらいがあった。
三十一年前に書いたものだけに、文章に或る種の衒気があり、気恥ずかしさをおぼえたのである・・・
三十七歳は青春とは言えないが、私には、この小説が青春の所産であったように思えるのである」
本書が文庫として再デビューしたときのあとがきに記した著者ご自身の言葉です。
長年の吉村ファンを自認している私はほとんどの作品を読んでいますが、この作品は後半の円熟期に書かれた多くの作品とはかなりの雰囲気的な隔たりのある作品でした。
その隔たりの正体を著者は「青春の所産である或る種の衒気」と書いておられますが、あくまで冷徹な作家の目を持ち続けていると思われる著者にもこのような若さからのエネルギーを筆にぶつけた時期があったことを改めて知った作品でした。
本書執筆以前の1959年に執筆して芥川賞候補となった『鉄橋』はひとりのボクサーの自殺の背景に潜むものに題材を得た作品で現在は『星への旅』というタイトルの短編集に収録されています。
若い頃ボクシング観戦を趣味としていた著者がボクサーを主人公としたヘミングウェイの作品に刺激されて上梓した『鉄橋』のあとの作品が本書です。
昼は玩具工場で働きながら理不尽な境遇への鬱屈をボクシングというトレーニングに見つけ、徐々に才能を開かせていく若いボクサー・常見を主人公に、賭博癖のある父親や知能に障害を持つ姉、出奔したにもかかわらず病を得て戻って病床に伏す卑屈な母親、搾取にしか目がない弱小ジムの会長、陰険な先輩などが絡んだ不幸と劣悪な環境をこれでもかと配置しながら物語が進んでいきますが、それでも歯止めが効かないかのかのごとく、先輩による恋人の強姦、母親の連れ子である姉と父親との相姦など、著者のエネルギーが負の要素へと一気になだれ込んだような不幸てんこ盛りの作品に仕上がっています。
著者らしくボクシングに対する事前のアプローチのしっかり行き届いた作品になっていることには感服しますが、あまりにも多くのものを詰め込みすぎている感が免れませんでした。
それでも著者特有の冷徹な筆致が垣間見え、まさしく著者の作品であるという印象は受けましたが、私にとって吉村作品に対して珍しく違和感の残る作品でした。
日本ジム所属選手の連続1回KO防衛は史上初、4連続KOは具志堅用高氏以来の31年ぶりの2人目だそうですね。
私はボクシングには興味がほとんどなく試合を観ることもありませんでしたが、島田紳助司会のあるお笑い番組に出演されていた長谷川選手にとても好感が持てたので、それ以来動向が気になっていました。
世界一のボクサーだという紳助のほめ言葉にはにかむ様子が初々しくて、とても百戦錬磨を闘い抜くような男とは思えない印象。
これはフライ級の内藤大助選手にもいえることで、テレビのトーク番組などでのお2人は王者というタイトルには程遠く恥ずかしがりやで気が弱い男という印象でした。
試合後の会見ではパンチを1つも受けていない無傷の顔で、フェザー級への意欲も見せていた果敢な姿勢に驚くばかりでした。
ということで、本日はボクサーが主人公の作品をご紹介したいと思います。
吉村昭氏著『孤独な噴水』 今から40年以上前37歳のときに執筆され、1964年に講談社から出版されたのが最初で、その後回を重ねて1996年には文春から文庫化されています。
「この小説を改めて文庫にするに当って、私なりの強いためらいがあった。
三十一年前に書いたものだけに、文章に或る種の衒気があり、気恥ずかしさをおぼえたのである・・・
三十七歳は青春とは言えないが、私には、この小説が青春の所産であったように思えるのである」
本書が文庫として再デビューしたときのあとがきに記した著者ご自身の言葉です。
長年の吉村ファンを自認している私はほとんどの作品を読んでいますが、この作品は後半の円熟期に書かれた多くの作品とはかなりの雰囲気的な隔たりのある作品でした。
その隔たりの正体を著者は「青春の所産である或る種の衒気」と書いておられますが、あくまで冷徹な作家の目を持ち続けていると思われる著者にもこのような若さからのエネルギーを筆にぶつけた時期があったことを改めて知った作品でした。
本書執筆以前の1959年に執筆して芥川賞候補となった『鉄橋』はひとりのボクサーの自殺の背景に潜むものに題材を得た作品で現在は『星への旅』というタイトルの短編集に収録されています。
若い頃ボクシング観戦を趣味としていた著者がボクサーを主人公としたヘミングウェイの作品に刺激されて上梓した『鉄橋』のあとの作品が本書です。
昼は玩具工場で働きながら理不尽な境遇への鬱屈をボクシングというトレーニングに見つけ、徐々に才能を開かせていく若いボクサー・常見を主人公に、賭博癖のある父親や知能に障害を持つ姉、出奔したにもかかわらず病を得て戻って病床に伏す卑屈な母親、搾取にしか目がない弱小ジムの会長、陰険な先輩などが絡んだ不幸と劣悪な環境をこれでもかと配置しながら物語が進んでいきますが、それでも歯止めが効かないかのかのごとく、先輩による恋人の強姦、母親の連れ子である姉と父親との相姦など、著者のエネルギーが負の要素へと一気になだれ込んだような不幸てんこ盛りの作品に仕上がっています。
著者らしくボクシングに対する事前のアプローチのしっかり行き届いた作品になっていることには感服しますが、あまりにも多くのものを詰め込みすぎている感が免れませんでした。
それでも著者特有の冷徹な筆致が垣間見え、まさしく著者の作品であるという印象は受けましたが、私にとって吉村作品に対して珍しく違和感の残る作品でした。
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