私が住む岡山市では来年2月から生ゴミが有料化、それに伴ってゴミの分別がより厳しくなることを考えると頭が痛い毎日です。
私は阪神大震災によって壊れた大半の家財道具を処分して以来モノに対するこだわりが薄くなり、以後simple lifeを心がける毎日、ゴミの分別もそれなりに実行しているので慌てることはあまりありませんが、毎日介護に通っている高齢の母は戦争を体験しているせいか、あくまで個人の特質か、モノに対する執着がとても強くあらゆるものを蓄財していて周囲の目からみたらゴミの山に埋もれているようです。
母がまだ自分で動けるうちは私がゴミ袋を作りゴミ置き場に捨てるとあとで必ず袋を持ち帰るということを繰り返していましたが、寝たきりになった現在は母に知られないように外回りの不用品を解体したりしてゴミ袋を作るのを日課にしています。
母の頭の中には「捨てる」という文字がないのではと想像するくらいにすべての空箱や包装紙、何十年も前の薬類、壊れた電化製品などが処分を免れています。
母がまだ元気なときに身の回りを片付けるようどれほど懇願したかわからないほどですが助言は全く受け入れられず、寝たきりになった最近では介護の人々が介護しにくいほどのベッド周りになり、みんなで有無を言わさずベッド周りだけ片付けたのが1年ほど前。
ゴミ事情を話しても理解できる年齢を超えている母なので母の見えないところで毎日せっせとゴミ袋を作っています。
さて本日はアゴタ・クリストフ著『悪童日記』をご紹介します。
著者は1935年ハンガリーに生まれ、1956年ハンガリー動乱時に夫と共に西側に亡命、スイスのヌーシャテルで幼子を抱えて時計工場で働きながらフランス語を学びながら文盲を脱しフランス語で書いた初めての小説が本書です。
その続編『ふたりの証拠』、『第三の嘘』で完結した双子の残酷な物語は全世界の読者に衝撃的な読後感を与えました。
私はこの三部作を10年ほど前に読み、最近また書庫から取り出して再々読しました。
このブログでも『昨日』のレビューを著者の簡単な経歴とともにアップしていますのでよかったら読んでください。
http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/143
21歳という多感な年齢でハンガリーから亡命し、母国語を廃して不本意な敵語であるフランス語を話さなければ生きていかれなかった著者の文学は「亡命文学」というジャンルで呼ばれています。
『悪童日記』から『昨日』まで常に亡命者を主人公としていますが、著者の描くそれは亡命者に限定しない普遍的な人間の孤独がテーマになっているように思います。
本書『悪童日記』では特定された地名や人名は意図的に排除され、語り手である双子の主人公「ぼくら」の冷静な目を通して映しだされた「事実」のみが徹底的に抑えられた文章で綴られ、すべての想像は読者に委ねられています。
ということでハンガリーと想定される戦時中の場所を舞台に激しい空襲を逃れて「大きな町」から「小さな町」に住む「おばあちゃん」のもとへ預けられた双子の兄弟が過酷な環境の下、徹底的に感情を排除し、自己を閉ざすことで「生き抜く」という唯一の目的に向かう物語です。
「ぼくら」は人生の不条理、人間の心に潜む醜さ、憎しみや悲しみなどの現実に目を背けることなく淡々と日記に記すことで過酷な現実を乗り切る糧にします。
淡々と簡素に書かれていればいるほど日記の文章を通して「ぼくら」の置かれている人生のすさまじさが苦しいほどに心にまっすぐ向かってきます。
「悪童」という名に秘められたすさまじいまでの悪事に見え隠れする逞しさと真摯な生き様は平和の中で生きる自分の基準からはとてつもなく大きくはずれていながらその中にシンプルな純粋な生を見ることができます。
受け止めるにはあまりにも過酷な経験を通して人々は「忘却」という能力を駆使して経験そのものの記憶を排除することを潜在的に選ぶといわれていますが、「どんなことも絶対に忘れない」という厳しい選択をあえてした「ぼくら」の強さは圧倒的な力をもって迫ってきたのでした。
そして衝撃的な結末で物語の幕が下がります。
何度読んでも新たな思いが溢れる作品です。
未読でしたら是非どうぞ!
私は阪神大震災によって壊れた大半の家財道具を処分して以来モノに対するこだわりが薄くなり、以後simple lifeを心がける毎日、ゴミの分別もそれなりに実行しているので慌てることはあまりありませんが、毎日介護に通っている高齢の母は戦争を体験しているせいか、あくまで個人の特質か、モノに対する執着がとても強くあらゆるものを蓄財していて周囲の目からみたらゴミの山に埋もれているようです。
母がまだ自分で動けるうちは私がゴミ袋を作りゴミ置き場に捨てるとあとで必ず袋を持ち帰るということを繰り返していましたが、寝たきりになった現在は母に知られないように外回りの不用品を解体したりしてゴミ袋を作るのを日課にしています。
母の頭の中には「捨てる」という文字がないのではと想像するくらいにすべての空箱や包装紙、何十年も前の薬類、壊れた電化製品などが処分を免れています。
母がまだ元気なときに身の回りを片付けるようどれほど懇願したかわからないほどですが助言は全く受け入れられず、寝たきりになった最近では介護の人々が介護しにくいほどのベッド周りになり、みんなで有無を言わさずベッド周りだけ片付けたのが1年ほど前。
ゴミ事情を話しても理解できる年齢を超えている母なので母の見えないところで毎日せっせとゴミ袋を作っています。
さて本日はアゴタ・クリストフ著『悪童日記』をご紹介します。著者は1935年ハンガリーに生まれ、1956年ハンガリー動乱時に夫と共に西側に亡命、スイスのヌーシャテルで幼子を抱えて時計工場で働きながらフランス語を学びながら文盲を脱しフランス語で書いた初めての小説が本書です。
その続編『ふたりの証拠』、『第三の嘘』で完結した双子の残酷な物語は全世界の読者に衝撃的な読後感を与えました。
私はこの三部作を10年ほど前に読み、最近また書庫から取り出して再々読しました。
このブログでも『昨日』のレビューを著者の簡単な経歴とともにアップしていますのでよかったら読んでください。
http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/143
21歳という多感な年齢でハンガリーから亡命し、母国語を廃して不本意な敵語であるフランス語を話さなければ生きていかれなかった著者の文学は「亡命文学」というジャンルで呼ばれています。
『悪童日記』から『昨日』まで常に亡命者を主人公としていますが、著者の描くそれは亡命者に限定しない普遍的な人間の孤独がテーマになっているように思います。
本書『悪童日記』では特定された地名や人名は意図的に排除され、語り手である双子の主人公「ぼくら」の冷静な目を通して映しだされた「事実」のみが徹底的に抑えられた文章で綴られ、すべての想像は読者に委ねられています。
ということでハンガリーと想定される戦時中の場所を舞台に激しい空襲を逃れて「大きな町」から「小さな町」に住む「おばあちゃん」のもとへ預けられた双子の兄弟が過酷な環境の下、徹底的に感情を排除し、自己を閉ざすことで「生き抜く」という唯一の目的に向かう物語です。
「ぼくら」は人生の不条理、人間の心に潜む醜さ、憎しみや悲しみなどの現実に目を背けることなく淡々と日記に記すことで過酷な現実を乗り切る糧にします。
淡々と簡素に書かれていればいるほど日記の文章を通して「ぼくら」の置かれている人生のすさまじさが苦しいほどに心にまっすぐ向かってきます。
「悪童」という名に秘められたすさまじいまでの悪事に見え隠れする逞しさと真摯な生き様は平和の中で生きる自分の基準からはとてつもなく大きくはずれていながらその中にシンプルな純粋な生を見ることができます。
受け止めるにはあまりにも過酷な経験を通して人々は「忘却」という能力を駆使して経験そのものの記憶を排除することを潜在的に選ぶといわれていますが、「どんなことも絶対に忘れない」という厳しい選択をあえてした「ぼくら」の強さは圧倒的な力をもって迫ってきたのでした。
そして衝撃的な結末で物語の幕が下がります。
何度読んでも新たな思いが溢れる作品です。
未読でしたら是非どうぞ!
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