8歳の時のこと 手に10セント硬貨を握って
バス停へ駆けて行った 父親の新聞を取りに
よく古く大きなビュイックの運転席で父親の膝に座り
町を走りながらハンドルを握らせてもらったものだ
俺の髪をくしゃくしゃにしながら父は言った
よく見てごらん これがお前の故郷なんだよと
これがお前の故郷の町
これがお前の生まれ育つ場所
これがお前の故郷なんだよ
65年には俺の高校でも緊張が高まり
人種間の争いが絶えず
為す術は何もなかった
土曜の夜 信号機の下に2台の車が止まり
後部座席には銃が
ショットガンの一撃で言葉はかき消された
不穏な時代がやって来ていた 俺の故郷に
俺の故郷
俺の生まれ育った土地に
俺の故郷の町に
今では目抜き通りには漆喰で枠を塗られた窓や空っぽの店ばかり
もうここにやって来ようという者は誰もいない
線路の向こうにある繊維工場も間もなく閉鎖になる
現場の監督が言うには
仕事はみんな出て行くばかりで もう俺の故郷の町には戻ってこないそうだ
俺の故郷には
俺の生まれ育った場所には
俺の故郷の町には
昨夜 俺とケイトはベッドに横になり
出て行くことを話し合った
荷物を詰めて たぶん南へ向かうことになるだろう
俺は35歳で 今では俺にも息子がいる
昨夜 俺は息子をハンドルの前に座らせて言った
いいかい よく見てごらん
これがお前の故郷の町なんだよ
ENGLISH
あっという間にブルース・スプリングスティーンの新作『レッキング・ボール』の本国でのリリースまであと1月となりました。これから数回は、『レッキング・ボール』を聴くヒントになるような曲などを取り上げられるといいなと思います。今日の1曲は、『Born in the U.S.A.』(1984)の最後に収められた、静かだけれど胸を打つ、アルバムが終わった後もいつまでも深い印象を残すような、"My Hometown"です。これは、威勢がいいと思われたアルバム『Born in the U.S.A.』が本当はどんなアルバムなのか、LAオリンピックやロナルド・レーガンの再選選挙に浮かれる1980年代半ばのアメリカの本当の姿はどんなものなのかを語った、どちらかというともの悲しい、胸に突き刺さる曲でした。父親が、おそらくは愛情と誇りを持って息子に見せた故郷の町は、人種暴動と不況によって衰退し、今や父親となったかつての息子は、自分自身の息子と故郷の町を別れを告げるために車で走っている。彼とケイトと彼らの息子はどうなるのだろう?南へ向かう、という表現からはThe Whoの"Baba O'Riley"も喚起されるけれど、同時にブルースの他の作品からは、出口なしの"Seeds"の物語も思い出されます。
ブルースは、『Born in the U.S.A.』ツアーの間、よく"My Hometown"を演奏する際に自分の故郷での思い出を語ったり、より具体的に彼が何を問題にしているかということを語ったりしていました。そして、改めて当時の言葉にふれると、20年近く前のそれが少しも古びていないこと、ブルース自身の信条の変わらなさと、アメリカの現状の変わらなさに二重の意味で胸を引き裂かれそうになります。
「『この歌は、自分の住む場所に対して一緒に責任を分かち合おうじゃないか、という歌なんだ』。こう言って彼は少しためらった。『時々思い出すんだけど、俺は小さかった頃、自分が育った場所に対して本当に愛情と憎しみの両方を持っていたと思う。持ちたくて持っていたんじゃない…俺はそこにいたくなかった。たぶん、何かに縛られているのが恐かったんだ…だけど、みんなのこの町には「ノースウェスト・ハーヴェスト」という組織がある。彼らがやっているのは、とても簡単なことだ。人々に食べ物を与えるということ―この社会システムの不公平、或いは今の政府の経済政策によって締め出されている人達に対してだ。(中略)彼らはここをもっと住みよい場所にしようとしている。もし機会があれば、彼らのことを調べて支援してほしい―ここは君たちのホームタウンなのだから』(デイヴ・マーシュ、岡田徹訳『グローリー・デイズ 80年代のスプリングスティーン』(CBS・ソニー出版、1987年)、277-8頁)
この最初の部分で述べられていることは、殆ど『レッキング・ボール』からのリードシングルとなった"We Take Care of Our Own"のタイトルそのものと言っていいものです。ブルースはこの頃、ここで言及している「ノースウェスト・ハーヴェスト」や、「フェア・シェア」、「フード・バンク」といったコミュニティに根付いた民間の慈善団体にかなり肩入れしていて、先の引用のようによくコンサート会場でもそうした団体への支援を呼びかけていました。自分たちの面倒は自分たちで見なければいけないし、自分さえ良ければいい訳ではない。ブルースは同じことをいろいろな言葉と音楽を通じて、ずっと言い続けているように思います。先の引用のすぐ傍には、以下のような文章もありました。
「(ブルースは)今度のツアーが始まる前にワシントンへ行き、リンカーン・メモリアルからベトナム戦没者記念慰霊碑にいたる『長い道のり』を歩いてみるつもりだと話し、こう締めくくった。『国民を代表しているとされる政府から、今の俺たちの姿のある場所まで、その長い道のりをだ。どこか間違っている。奪ってはいけない人たちから多くのものが奪われているんだ。そして、ここが俺たちのいるべき場所か、ここが俺たちのホームタウンなのか、分からなくなる時がある』」(同上、268頁)
長い道のりは、英語で"long walk"と記されています。もしかすると、2007年の『Magic』に収められた"Long Walk Home"の風景というのは、80年代からずっとブルースの中にあったのかもしれない。20年経っても歌わなければならない風景として。"Long Walk Home"もまた、故郷の町、家を愛情と憂いを込めて歌ったものでした。彼はまだ長い家路を歩いている最中、帰りは遅くなるから、起きて待っていなくてもいい。でも、先に眠っていてもいいよ、という言葉からは、どことなく希望が感じられる。彼がいつ、どのように辿り着くかは誰にも分からないけれど、少なくとも待ってくれている人がいるのだから、きっといつか辿り着くような気がする。
けれど、『レッキング・ボール』には"Death to My Hometown"という重苦しいタイトルをつけられた1曲があり、私はこれを目にした時から、少し落ち着かない気持ちでいます。もしも、故郷が死んでしまっているのだとしたら、歩いて辿り着いた先には何もない、ということなのだろうか。一体、この曲にどのようなことが歌われているのか、気になって仕方がないけれど、同時に知るのがとても怖いのです。しかし、現実的に言って、精神的な面まで含めて、かつての「故郷」というのは確かに本当の意味ではもう戻らないものかもしれない。だからこそ、レッキング・ボールで自ら今の状態に終止符を打って、新しい故郷を作り出さないといけないというところまで、大胆にもブルースは示唆しているのかもしれない。
たぶん、今の世界で最も難しいことは、ヴィジョンを示すことではないかと思います。ここが良くない、と指摘することは、殆どの人にできるだろうけれど、それならどうするべきか、を思い描ける人、そしてそれを口にする勇気がある人はきっととても少ない。その通りになんて十中八九ならないし、そのことで批判を受けるのは辛いことだから。でも、ブルースはそういう役割をずっと背負い続けているようにも思えます。2000年以降は特にはっきりと、具体的に。
アルバムを聴いてみたら、私の言うことはまったく見当違いだったということになるかもしれないけれど、予想を裏切られるというのもまた一興です。みなさんの予想やご期待もぜひアルバム発表までお聞かせください。
バス停へ駆けて行った 父親の新聞を取りに
よく古く大きなビュイックの運転席で父親の膝に座り
町を走りながらハンドルを握らせてもらったものだ
俺の髪をくしゃくしゃにしながら父は言った
よく見てごらん これがお前の故郷なんだよと
これがお前の故郷の町
これがお前の生まれ育つ場所
これがお前の故郷なんだよ
65年には俺の高校でも緊張が高まり
人種間の争いが絶えず
為す術は何もなかった
土曜の夜 信号機の下に2台の車が止まり
後部座席には銃が
ショットガンの一撃で言葉はかき消された
不穏な時代がやって来ていた 俺の故郷に
俺の故郷
俺の生まれ育った土地に
俺の故郷の町に
今では目抜き通りには漆喰で枠を塗られた窓や空っぽの店ばかり
もうここにやって来ようという者は誰もいない
線路の向こうにある繊維工場も間もなく閉鎖になる
現場の監督が言うには
仕事はみんな出て行くばかりで もう俺の故郷の町には戻ってこないそうだ
俺の故郷には
俺の生まれ育った場所には
俺の故郷の町には
昨夜 俺とケイトはベッドに横になり
出て行くことを話し合った
荷物を詰めて たぶん南へ向かうことになるだろう
俺は35歳で 今では俺にも息子がいる
昨夜 俺は息子をハンドルの前に座らせて言った
いいかい よく見てごらん
これがお前の故郷の町なんだよ
ENGLISH
あっという間にブルース・スプリングスティーンの新作『レッキング・ボール』の本国でのリリースまであと1月となりました。これから数回は、『レッキング・ボール』を聴くヒントになるような曲などを取り上げられるといいなと思います。今日の1曲は、『Born in the U.S.A.』(1984)の最後に収められた、静かだけれど胸を打つ、アルバムが終わった後もいつまでも深い印象を残すような、"My Hometown"です。これは、威勢がいいと思われたアルバム『Born in the U.S.A.』が本当はどんなアルバムなのか、LAオリンピックやロナルド・レーガンの再選選挙に浮かれる1980年代半ばのアメリカの本当の姿はどんなものなのかを語った、どちらかというともの悲しい、胸に突き刺さる曲でした。父親が、おそらくは愛情と誇りを持って息子に見せた故郷の町は、人種暴動と不況によって衰退し、今や父親となったかつての息子は、自分自身の息子と故郷の町を別れを告げるために車で走っている。彼とケイトと彼らの息子はどうなるのだろう?南へ向かう、という表現からはThe Whoの"Baba O'Riley"も喚起されるけれど、同時にブルースの他の作品からは、出口なしの"Seeds"の物語も思い出されます。
ブルースは、『Born in the U.S.A.』ツアーの間、よく"My Hometown"を演奏する際に自分の故郷での思い出を語ったり、より具体的に彼が何を問題にしているかということを語ったりしていました。そして、改めて当時の言葉にふれると、20年近く前のそれが少しも古びていないこと、ブルース自身の信条の変わらなさと、アメリカの現状の変わらなさに二重の意味で胸を引き裂かれそうになります。
「『この歌は、自分の住む場所に対して一緒に責任を分かち合おうじゃないか、という歌なんだ』。こう言って彼は少しためらった。『時々思い出すんだけど、俺は小さかった頃、自分が育った場所に対して本当に愛情と憎しみの両方を持っていたと思う。持ちたくて持っていたんじゃない…俺はそこにいたくなかった。たぶん、何かに縛られているのが恐かったんだ…だけど、みんなのこの町には「ノースウェスト・ハーヴェスト」という組織がある。彼らがやっているのは、とても簡単なことだ。人々に食べ物を与えるということ―この社会システムの不公平、或いは今の政府の経済政策によって締め出されている人達に対してだ。(中略)彼らはここをもっと住みよい場所にしようとしている。もし機会があれば、彼らのことを調べて支援してほしい―ここは君たちのホームタウンなのだから』(デイヴ・マーシュ、岡田徹訳『グローリー・デイズ 80年代のスプリングスティーン』(CBS・ソニー出版、1987年)、277-8頁)
この最初の部分で述べられていることは、殆ど『レッキング・ボール』からのリードシングルとなった"We Take Care of Our Own"のタイトルそのものと言っていいものです。ブルースはこの頃、ここで言及している「ノースウェスト・ハーヴェスト」や、「フェア・シェア」、「フード・バンク」といったコミュニティに根付いた民間の慈善団体にかなり肩入れしていて、先の引用のようによくコンサート会場でもそうした団体への支援を呼びかけていました。自分たちの面倒は自分たちで見なければいけないし、自分さえ良ければいい訳ではない。ブルースは同じことをいろいろな言葉と音楽を通じて、ずっと言い続けているように思います。先の引用のすぐ傍には、以下のような文章もありました。
「(ブルースは)今度のツアーが始まる前にワシントンへ行き、リンカーン・メモリアルからベトナム戦没者記念慰霊碑にいたる『長い道のり』を歩いてみるつもりだと話し、こう締めくくった。『国民を代表しているとされる政府から、今の俺たちの姿のある場所まで、その長い道のりをだ。どこか間違っている。奪ってはいけない人たちから多くのものが奪われているんだ。そして、ここが俺たちのいるべき場所か、ここが俺たちのホームタウンなのか、分からなくなる時がある』」(同上、268頁)
長い道のりは、英語で"long walk"と記されています。もしかすると、2007年の『Magic』に収められた"Long Walk Home"の風景というのは、80年代からずっとブルースの中にあったのかもしれない。20年経っても歌わなければならない風景として。"Long Walk Home"もまた、故郷の町、家を愛情と憂いを込めて歌ったものでした。彼はまだ長い家路を歩いている最中、帰りは遅くなるから、起きて待っていなくてもいい。でも、先に眠っていてもいいよ、という言葉からは、どことなく希望が感じられる。彼がいつ、どのように辿り着くかは誰にも分からないけれど、少なくとも待ってくれている人がいるのだから、きっといつか辿り着くような気がする。
けれど、『レッキング・ボール』には"Death to My Hometown"という重苦しいタイトルをつけられた1曲があり、私はこれを目にした時から、少し落ち着かない気持ちでいます。もしも、故郷が死んでしまっているのだとしたら、歩いて辿り着いた先には何もない、ということなのだろうか。一体、この曲にどのようなことが歌われているのか、気になって仕方がないけれど、同時に知るのがとても怖いのです。しかし、現実的に言って、精神的な面まで含めて、かつての「故郷」というのは確かに本当の意味ではもう戻らないものかもしれない。だからこそ、レッキング・ボールで自ら今の状態に終止符を打って、新しい故郷を作り出さないといけないというところまで、大胆にもブルースは示唆しているのかもしれない。
たぶん、今の世界で最も難しいことは、ヴィジョンを示すことではないかと思います。ここが良くない、と指摘することは、殆どの人にできるだろうけれど、それならどうするべきか、を思い描ける人、そしてそれを口にする勇気がある人はきっととても少ない。その通りになんて十中八九ならないし、そのことで批判を受けるのは辛いことだから。でも、ブルースはそういう役割をずっと背負い続けているようにも思えます。2000年以降は特にはっきりと、具体的に。
アルバムを聴いてみたら、私の言うことはまったく見当違いだったということになるかもしれないけれど、予想を裏切られるというのもまた一興です。みなさんの予想やご期待もぜひアルバム発表までお聞かせください。
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