先週木曜から、素晴らしいショーの数々を見ているのだけれど、
現在怒涛のように「ファンタスマゴリア」の脚本を改定しているため、きちんとした感想がアップできません。
ゆっくり時間をとって、先週今週拝見した素晴らしいアーティストのことを書きたいと思います。
・バロンなかざわ君(初のソロ公演)
・バーバラ村田さん(@ヘブンアーティストTOKYO)
・anyangoさん(全世界唯一の女性ニャティティ(ケニアの楽器)演奏者)
また、たくさんの素晴らしい方々とあって、楽しい週でした。書ききれない!
こちらもおいおいあらためて。
さて表題は、「ファンタスマゴリア 」(12月に出演・演出のショー)の中に出てくる歌です。
今週はショーの構成と訳詞に取り掛かっており、いかにニュアンスを短い言葉の中で表現するか、
格闘しております。
常々ショーのアイデアは「水もの」だと思っております。
降りてくるときは降りてくるけれど、ないときはない。
おとといから今日にかけては怒涛のように「絵」が襲いかかってきて(イタコかいな)
そのつど、「降りてきた人の気持ちで脚本を増補改訂する」わけであります。
今回は「平行する世界」がテーマ。
あるビルをめぐる人々の物語を、また違う角度で語っています。
「信頼できない語り手」という、推理小説の手法がありますが、
語り手が物語を語るにあたり、「どこかを都合よく誇張/隠ぺいする」場合があるということを前提とした
手法です。
これをもちいた作品には「アクロイド殺人事件」「藪の中」などがあります。
自分に都合のいい物語。
それはだれしもがつむいでいる物語なのではないだろうか。
声高に叫ばれる平和論、教科書通りの歴史と並行して、
人々の様々なー時に引き裂かれるように悲しく、とくに躍り上がるほど嬉しく、なぞと矛盾に満ちた物語があるはず。
「こうであったらいい」という思いが、いつしか何かを生み出す不思議。
そんな隙間を書きたくて、今日もわが町、浅草をふらふら。
舞台となるビルは1934年から変わらずここに。
しかしそれ以外のほとんどは焼け落ちていた。
隅田川は去りし日もその日も変わらず、流れていた。
あるものとないものの境目は何だ。
とどまるものと流れるものの境目は何だ。
突然、「紅蓮の炎よ 幾万の命よ」という歌が聞こえる気がした。
けれど風景はかわらず
ケーキ屋のISOさんはケーキ30パーセントオフをしていて、平和な景色。
ああ
このずれが、平行する世界なのだ。
いつにない集中力で、ただいま構成中。