東北春めぐり紀行(エピローグ) 

2006年05月22日(月) 11時45分
盛岡市内からインターチェンジで岩手山ともお別れ。
バスは東北自動車道路に乗り一路、宮城県仙台空港へ向かった。バスガイドさんが、このツアーの始まりの福島空港から一連の旅を振り返る。
幸いにも、全工程において概ね天候に恵まれ観光すべきところは全て見れ
満開の桜も堪能して、本当に楽しいツアーであったと思う。

ホテルの出発は3日間とも早朝7時40分出発と強行軍で
遅刻者もなく、観光地の出発時間も全て定刻発車。
バスガイドの案内説明は、標準語と東北なまりを上手くミックス。
ツアー客への気配りはそつなく...若いのになかなか見上げたもので
こんな旅なら、また旅したい症候群になりそうなツアーであった。

我等夫婦が、このツアーで一押しのホテルは『ホテル安比グランド』
もう一度訪ねるならば、『奥入瀬渓流』をゆっくり歩いてみたい。

ツアー第一日目のホテル到着時間当てクイズは1名の方が
ズバリ的中。賞品は、奈々ちやん一押しの一品”いちご煮”と
はがきに書いた手作りの表彰状。。。実に”こ洒落たガイドです”
【ちなみに、うちへ帰り”いちご煮”の炊き込みご飯...超美味なり。】

走行時間、約2時間30分の16時50分頃には無事、仙台空港到着。4日間でバスの走行距離1300km以上を無事遂行の運転手さん、
真面目で控えめ、イケ面の添乗員さんに感謝の御礼。流線型の屋根と吹き抜けの広々とした内部空間でゆっくり気長に出発待ち。定刻19時00分を約10分遅れて仙台空港をフライトし伊丹空港へ。20時20分無事、伊丹空港到着。モノレールに乗り換え、
家に着いたら、仙台空港で買った”笹かまぼこ”でまずいっぱい。

これにて、3泊4日の東北春めぐりは完了した。
 

東北春めぐり紀行(石割桜) 

2006年05月22日(月) 11時30分
南部鉄器センターから10分ほど走り、
1時40分頃には盛岡地方裁判所前に到着。

石割桜:岩手県盛岡市内丸9
盛岡地方裁判所の構内にある石割桜は、
盛岡のお国自慢をするとき、「石割桜こそ日本一の名桜」などといって、
よく取り上げられる珍しい桜です。
巨大な花崗岩の岩の狭い割れ目に直径約1.35メートル、
樹齢が360年を越えるといわれるエドヒガンザクラが生育しているのです。
客観的なデータからいうと、幹の太さも樹齢も、
残念ながらこれという日本一の記録は見当たりません。
しかし、巨大な花崗岩と調和した威厳ある美しい姿と珍しさでは、
日本一といっていいのではないでしょうか。
この石割桜にもかつて危機がありました。
昭和7年に盛岡地方裁判所が火災に遭い、
石割桜も北側の一部が焼けましたが、
幸い全焼を免れ翌春には再び花を咲かせたのでした。
現在は保護管理も良く、毎年見事に開花を続け、
たくさんの人の目を楽しませています。
ここは南部藩主の分家にあたる北監物の庭園であったといわれ、
明治初期には桜雲石と呼ばれていたようです。
1923(大正12)年、国の天然記念物に指定されています。
(パソコン検索による)ツアー客&添乗員&ガイドさんの記念撮影横撮のポーズ。エゾヒガン桜の幹は大きな花崗岩の割れ目をから伸びている。樹齢350年前後と推測され、
幹まわり4.6m樹高10.8mと巨大で今や、支え無くして樹立困難。盛岡地方裁判所に隣接する岩手県議会議事堂もおまけの一枚。石割桜も見学し記念写真も撮り全てのツアー観光は終了。

バスは2時10分過ぎに仙台空港へと向かった。

東北春めぐり紀行(最後の昼食) 

2006年05月22日(月) 11時15分
角館を出発して1時間ほど走り12時30分ごろには
昼食場所のおみやげ店の南部鉄器センターに到着。

南部鉄器センター:岩手県奥州市水沢区羽田町
ツアー御一行様、”店内案内の図”。建物は工場を改装しておみやげ店に模様替えしたらしく
南部鉄瓶の製造工程を食事前に見学し説明をしてもらった。ガイドさん、南部鉄器について説明の図。おみやげ物の南部鉄器。色々あったよ。
左から2番目の『猿回し』値札は、なんと451,500円也。ツアー客を待つ出発前のバス遠景。昼食及びおみやげ品の購入を終えて13時30分過ぎに
今回ツアーの最終の、盛岡地方裁判所の前庭に咲く”石割桜”見学へと向かった。

東北春めぐり紀行(武家屋敷) 

2006年05月22日(月) 10時50分
桧木内川と道路を一本隔てて隣接する通りに
昔の面影を残しながら武家屋敷が並んでいる。

角館.武家屋敷:秋田県仙北郡角館町
佐竹北家の城下町として栄えた角館町は、
今も当時の面影が残る武家屋敷や古い商家が続くレトロな町。
散策の中心となる武家屋敷通りには、石黒家や青柳家など
江戸時代の雰囲気をそのままに伝える屋敷があり、その内部も見学できる。
黒塗りの塀が並び、しっとりとした小京都の風情漂う町をゆっくり散策したい。
(パソコン検索による)
黒塀に統一された町並みを道いっぱいに広がり思いのままに
歩く人々とまさに桜満開の武家屋敷。5月の連休に一番観光客の訪れるのも角館であるらしいとか。幸運にも、好天の青空に恵まれた散策日和である。角館.武家屋敷、桧木内川堤の観光を満喫し、
おみやげにはガイドさんお奨めの『生もろこし』をGET。

2時間ほどの観光も終わり、
11時過ぎに出発。次なる昼食場所の南部鉄器センターへと向かった。

東北春めぐり紀行(桧木内川堤) 

2006年05月22日(月) 10時50分
刺巻湿原を出発し、バスの車窓から楚々と走る”秋田こまち”にも出会いながら
40分足らずして9時10分頃には角館.桧木内川堤の駐車場に到着した。桧木内川堤(ひのきないがわつつみ):角館市小勝田中川原、北野
桧木内川堤のソメイヨシノは、
昭和9年(1934)に今上天皇御誕生記念 として植えられた。
2kmに及ぶ花のトンネルは、そぞろ歩く人たちに、北国の短い春 を満喫させる。
そして、一斉に散る様は、正に爛漫たる”花の舞”。
清流に映 える夜桜の景観も、見事である。 現在、老化した木々に対しては、
市「文化財課」が中心となって管理、保護を行っている。
桜は手をつくす程にその見事な姿を見せて、人々の心に語りかける。
平成2年、武家屋敷通りと共にさくら名所100選に選ばれている。
(パソコン検索による)風さやかにして、満開の桜と青い空と白い雲、我が世の春の花見客。時は、折りしも”角館桜祭り”真っ最中。三味や笛の音心地いい。カメラのモデルに引っ張りだこの子供達も嬉しはずかし、ちょっと照れ。みちのくの短い春を満喫する景色を眺めて旅の気分もさらに高揚。

人の波をくぐりながら、桧木内川に隣接する武家屋敷の方へと歩いた。

東北春めぐり紀行(刺巻湿原) 

2006年05月22日(月) 10時25分
ホテルプラザ山麓荘に19時頃にバスは到着。
写真は1階エントランスホールの飾り付け。

このホテルは、建物を度重なる建て増しにより水平歩行動線が
極端に長く部屋にたどり着くのに一苦労したのが唯一の思い出。4日目の朝は紺碧の空。
今日も7時40分にホテル出発前の風景。定刻7時40分にバスはホテルを出発し途中、バスの窓越しに田沢湖を眺めるの図。バスは40分ほど走り水芭蕉の群生地、刺巻湿原に到着した。刺巻湿原:秋田県仙北郡田沢湖刺巻
広いハンノキ林にある約3haの湿原に約6万株のミズバショウが群生し、
シーズンには一面白い花を咲かせます。
国道や鉄道路線に近い山間で見事なハンノキ林とミズバショウが
群落しているのは学術上でも貴重と言われています。(パソコン検索による)湿原の細い通路をぐるりと一回りしバスは早々に次の観光地、
角館.桧木内川堤方面へと向かった。

東北春めぐり紀行(弘前城跡) 

2006年05月22日(月) 10時05分
バスは途中、JRAウインズ津軽の前のドライブインでトイレ休息の後
14時50分過ぎには弘前城跡界隈に到着した。外堀の桜は満開に
心うきうき気を良くし、ガイドさんの引率にて城内へと進む。

弘前城跡:青森県弘前市下白銀町・西茂森・新寺町・堀越外、鰺ヶ沢町種里
慶長16年(1611)完成の津軽氏10万石の居城。西の岩木川、
東に土淵川を配し、南方の久渡寺山側より
北に向かった細長い台地の端に位置する平山城。
城下は藩祖為信によって計画され、築城は2代信枚が
着手、資材に各地の廃城、そして江戸の職人も大量採用されて
2年間で完成した。当時4万7千石だったが、五層の天守を始め、
郭・櫓・御殿・重臣邸など雄藩規模であった。
奥羽地方への備えのほかに蝦夷地鎮護の役割も考えられたのだろう。
現在は文化7年(1810)の本丸隅櫓を改造した三重の天守閣と
追手門ら5門と3つの櫓を残すのみだが、維新後の城郭破壊や火災、
戦火から残った日本の数少ない名城として貴重な存在である。
昭和27年(1952)国史跡と指定され、禅林33ヵ寺の長勝寺構と
最勝院五重塔を含む新寺構も指定された。昭和60年(1985)、
弘前城跡を津軽氏城跡と改称し、弘前城南東4kmの
津軽氏の旧城堀越城跡も追加指定される。
平成14年(2002)年、鰺ヶ沢町の種里城跡も追加指定され、
指定面積は約105万4千uである。(パソコン検索による)城内は出店と観光客で大層に賑わっていた。城内の桜は外堀に比べまだ2〜3部咲き程度で沢山の枝垂れ桜も
蕾みやちらほら状態の中、天守閣前の枝垂れ桜1本だけが見頃満開。生憎の曇り空で天守閣の写真もいまいち。それでも城内は観桜客の人、人、ひとで歩くところ何処も満開状態であった。1時間ほど城内観桜とおみやげ物店で時間が過ぎ16時過ぎにバスは、
宿泊宿のホテルプラザ山麓荘へと向かった。

東北春めぐり紀行(八甲田雪の回廊) 

2006年05月16日(火) 11時05分
奥入瀬渓流センターで昼食を終え、12時40分頃にバスは出発。
国道103号線を走り標高1040mの峠を越え八甲田雪の回廊を通り
弘前城跡へと向かう。
バスは走り出して15分もすると景色は一変してきて道路の両側の
雪がだんだん高くなってくる。雪の壁はさらに高くなり対向車両より遙かに高く始めてみる景色で感動もの。さらに、更に対向するバスの高さより高くなってきた。
ちなみにバスの高さは3.5mを越えるらしい。八甲田雪の回廊を通り過ぎ10分ほどすると前方に大きなアーチ橋が見えてきた。城ヶ倉大橋:青森県黒石市沖揚平地区
日本一の規模を誇る上路式アーチ橋である。橋上から望む城ヶ倉渓谷の
眺めは絶景で、岩木山、青森市街地まで望める。
橋の両側には駐車場も設けてあるが駐車はしなく通過しながら弘前城跡へと走った。

東北春めぐり紀行(奥入瀬渓流) 

2006年05月16日(火) 10時50分
十和田湖で1時間ほどの観光した後、バスは10時40分過ぎには
十和田湖畔の子ノ口から奥入瀬渓流へ。奥入瀬渓流
十和田湖の子ノロ(ねのくち)から流れでる奥入瀬渓流は、
奔流となって苔むした岩を洗い、あるときは瀬を速み、
あるときは淵に淀み、途中多くの滝を左右の絶壁から
迎え入れながら、やがて広い河原をおだやかに流れ焼山に至る。
静的な十和田湖の湖水美に対し、深い自然林におおわれた約14kmの
奥入瀬渓流には、千変万化の水の流れが生む躍動感あふれる景観が展開する。
そして両岸に迫る断崖は、軽石や火山灰が高温の状態で堆積し、
熱と自重によって生成された溶結凝灰岩といわれるもので、
奥入瀬の景観に迫力をもたらしている。
十和田湖が流量を自然に調節することから奥入瀬渓流には大きな洪水が起こらず、
繊細で優美な独特の渓流美が昔から維持されている。(パソコン検索による)バスは子ノ口の水門を通過しいよいよ奥入瀬渓流の始まりである。
バスガイドさんの話し口調も軽妙に...
”左手、万両の流れに千両岩、
さらに左手奥に五両の滝、
いま渡る橋がが百両橋、
全部合わせて、ジャン!11,105両となります。”てな調子で右を向いたり
左を向いたりあわただしく説明は続き、左手に屏風岩を眺めてバスは
石ヶ戸でトイレ休息となった。石ヶ戸(いしがと)
『ヶ戸』とはこの地方の方言で小屋を意味する。
つまり『石ヶ戸』は石で出来た小屋、いわゆる岩屋を意味している。
実際、大きな岩の一方がカツラの巨木によって支えられ
岩小屋のように見える。
昔、鬼神のお松という美女の盗賊がここを住処とし
旅人から金品を奪っていたという伝説がある。(石ヶ戸案内看板より)
トイレ休息&小休息をしてバスはふたたび渓流沿いにぶなの林を走り、
本日の昼食場所の奥入瀬渓流センターへと向かった。

東北春めぐり紀行(十和田湖) 

2006年05月16日(火) 10時33分
平塚果樹園でおみやげ&トイレ休息の後、9時ごろに出発して
発荷峠を越え9時40分過ぎには十和田湖の周辺を走りながら
十和田湖を半周したところでバスの駐車場に到着。十和田湖:青森県十和田市大字奥瀬
典型的な二重式カルデラ湖で、海抜400m、周囲は約46.2km、
湖の最深部326.8mと日本第3位 の美しい藍をたたえた神秘の湖です。
「山は富士、湖は十和田湖、広い世界に一つずつ」と、
かの大町桂月が絶賛しました。波静かな湖面 では、
湖上遊覧船やボート遊びができ、また湖周をめぐるサイクリングや
ハイキングも楽しめます。新緑や紅葉の季節はもちろん、
雪の十和田湖も新鮮な味わいです。(パソコン検索による)天候は曇りで、流石に湖岸はちょっと寒く冷え冷えとする中も
ツアー全員の記念撮影を撮るために湖岸を歩くこと5分ほどで
『乙女の像』をバックに記念撮影の整列を見守るガイドさん。ツアー記念写真撮影の後、我等もついでに記念のツーショット。乙女の像
十和田湖畔の美しい砂浜、御前ヶ浜にたたずむブロンズ像は、
高村光太郎の晩年の傑作。十和田湖のシンボルとなっています。
正面から見れば、像の中心部がとっくりの形に見えるが、これは
お酒好きな高村光太郎の思い入れが作品に込められているとか。

巷では、乙女の像は別名”太めの像”とも呼ばれているらしい。バスガイドの”奈々ちゃん”も...ハイポーズ(上手くきまりました)

もと来た湖岸をブラブラともどり、おみやげ店で
熱いあさりスープのサービスを受けお土産にガイドさんお奨めの
いちご煮の缶詰めを買ってみた。