私がここにいる理由

October 08 [Thu], 2015, 23:32
読む人への注意事項
・改行少なめ、会話文多め。

・恋愛もどき(甘くない)
・ハッピーエンド? バッドエンド? 読み手様次第です。

それでは、気になる方は続きからお楽しみくださいませ。



「――」
 誰かが、呼んでる。
「――」
 苦しそうに、とても愛しそうに。
 ……でもね、どうしてもそっちに行きたくないんだ。
「――」
 そんな声で今まで呼んだことなんかなかったのに、なんで今、そんなに大切そうに呼ぶの?
 ……お願い。それ以上想わないで。――呼ばないで。



 すぅっと瞼を開くと、それまで静かだった世界は楽しそうな声で溢れて、優しいとは言えない夏の日差しが輝いた。あまりの眩しさに、左腕でそれを遮ろうとしたとき、何かが頬を伝って流れていく。
 こんなに暑いんだもの、汗が止まらなくても仕方ないわ。
 真っ白なバッグから取り出したハンカチでそれをぬぐっていると、申し訳なさそうな声が振ってきた。
「ごめんごめん、おまたせ」
 両手にソフトクリームを持った彼は、私の隣に腰掛け「はい、チョコのミックス」と、片方の腕を差し伸ばす。
「ううん、ありがとー」
 微笑んでそれを受け取り、顎から首筋へ流れていく汗をふいてあげた。
「ふふ、ありがと」
 彼はくすぐったそうに笑った。そして少しだけ頬を赤く染めながら、バニラのソフトクリームにかぶりつく。子供みたいに口元を白く染める彼の横顔に笑みを浮かべつつ、私もソフトクリームにかぶりついた。ほろ苦いチョコと甘いバニラの香りが口いっぱいに広がって、ちょっぴり幸せに包まれる。
「ちょっと待って、むーちゃん」
 彼が口元を手の甲でぬぐおうとしたので、それを制して、再びハンカチで拭いてあげる。
「自分でやるのに」
「いいの、拭いてあげたかったの」
「……ありがと、ハク」
「いえいえ」
 なんだか照れくさくなって、二人して微笑みあった。
「次、どうしようか」
 むーちゃんがコーンをパリパリを食べながら、心地いい沈黙を破った。
「んー、絶叫系行きたいなぁ」
 私の口が絶叫の「ぜ」の字を作った瞬間、少しだけむーちゃんの動きが鈍る。
「……絶叫系?」
「うん、ワーってしてキャーってしたい」
「登って落ちる、あれみたいな?」
 そう言って彼が指差す方向には、まさに頂点から下り落ちるジェットコースターがあった。
「うん。楽しそうでしょ?」
「……俺が苦手なの、分かってていってるだろ」
「うん!」
「……まったく」
 ため息混じりにそう言うと、少し困ったような笑みを浮かべた。
 そしてコーンを口いっぱいに詰め込むように食べて、残った紙をクシャクシャにして握りつぶすと、私の手を引いて立たせて歩き出す。あまりのすばやい動きに、カバンを落としそうになりながら、その背中に問う。
「ど、どうしたの?」
「サクッと行って終わらせよう」
「私、まだアイス残ってるよ?」
「結構並んでるし、その間に食べ終わるだろ?」
「でも、ゴミが……」
「終わってからゴミ箱に捨てればいいよ」
 人ごみを器用によけて、まっすぐ目的地だけを見つめる彼の表情は見えない。ぎゅっと握られた手が嬉しいと同時に、不安が募ってきた。
「……怒ってる?」
「……めっちゃ怖いから早く終わらせたい」
 振り返った彼の困ったような、でもどこか楽しそうな横顔に安心する。
「無理しなくてもいいよ? 他にもいっぱい――」
「ハクが、……ハクが乗りたいやつに、俺も乗りたい」
 ぷいっと前に向き直ってしまったので、また表情が見えなくなってしまう。だけど、なんとなく分かる。きっと変なところに意地張って、決意に満ちた顔を真っ赤に染めているんだ。



「ふぅー! 楽しかったね!」
「お、おう」
 半ば放心状態のむーちゃんと並んで、人の流れに任せて通路を進んでいく。私たちの順番が近づくにつれて彼がソワソワし出していたそれは、このテーマパークで人気のあるアトラクションのひとつで、西部の開拓時代をテーマにしているらしい。落下速度もさることながら、煙にまかれたり、落ちてくる岩石をよけたりと、とても迫力があって楽しかった。
 その迫力も人気のひとつらしいけれど、最後の落下地点で写真を撮ってくれるポイントがあるのも、それに含まれているんだろう。
「むーちゃん、大丈夫?」
「……おう」
 あまり大丈夫じゃなさそうによろよろと歩くので、次はゆったりできるアトラクションにしようと心に決めた。やがて、壁に複数のパネルが埋め込まれた部屋に出た。写真を見ずに行く人たちに釣られそうになるむーちゃんの袖を引っ張り、パネルの前まできた。
「むーちゃん、むーちゃん」
「んー?」
「ここね、落ちるときに写真撮ってくれてるんだって」
「へー」
「せっかくだから、記念に買って帰ろうよ」
「おう」
「私たちが写ってる写真、見つけられる?」
「おー」
 返事はとっても頼りないけど、画面を見つめる瞳に光が戻ってきているので、心配しなくても良さそうだった。それよりも、次から次へとやってくる人波に流されて、私がむーちゃんからはぐれてしまいそう。でも写真も見つけたい……そう思っていると、ふいにぎゅっと手を引っ張られた。私の後ろを、制服を着た男女6人の学生たちがはしゃぎながら通り過ぎていく。時々人にぶつかり、謝りながら去っていく背中を懐かしく思いながら見送る。修学旅行かな。
「ふふふ、青春真っ盛りって感じだね」
「うん」
「私たちも、ちょっと前まではあんな感じだったよね?」
 なんとなく微笑ましい気持ちになりながらも、なかなか帰ってこない返事に優しく繋がれた手をたどって見上げると、むーちゃんが微笑んだ。
「ハクはちっちゃいから探しにくいだろ? 俺が見つけるから、手、離さないで」
「う、うん。ありがと」
 私は少し気恥ずかしく思いながらも、むーちゃんの手を握り返し、その頼りがいのある腕からはぐれないように、ぴったりと彼について歩いた。
「……あ、あれだ! あったよ、あった」
「どれ?」
 むーちゃんが「あれ、あの5番」と指差した先に、確かに私たちが写っていた。運よく一番前に乗ることができたので、ばっちり写っている。自分で言うのも恥ずかしいくらい飛び切りの笑顔で両手をあげている私の隣で、むーちゃんはこの世の終わりのような顔で縮こまっていた。
「ぷっ」
「ちょ、今笑ったろ」
「わ、笑ってない。笑ってないよ」
 こみ上げてくる感情を抑さえつけつつそう返すけど、抑えきれないものが漏れ出してくる。
「……ふふっ」
「やっぱ笑ってるだろ!」
「だ、だってむーちゃん……。あはは! ちょっと、やめてよその顔!」
 写真のマネをして縮こまり、出来うる限りで再現された顔は、かなり壮絶なものだった。
「ふふふ、じゃあ買って外に出よっか」
「……え、これ買うのか?」
「え? うん」
 今度は私がむーちゃんの手を引っ張って、カウボーイ風の係員さんのところまできた。
「むーちゃんは?」
「俺、リベンジするからいい」
「えっ」
「もう一回な」
 笑われたのが悔しいのか、あんなに怖がっていたのにもう一度乗る気満々みたいだ。
 2,3分で写真は出来上がり、パンフレットのようなものに入れてもらったものを受け取った。そしてむーちゃんがどうしてもと言うので、リベンジしに行ったものの、結果は私が予想していたとおりだった。
「ふふふ、やっぱりしっかり縮こまってる」
「……」
 今度は前から3番目の席で、写真も見つけにくいかと思ったけれど、案外あっさりと見つけられた。
「人違いじゃないか?」
「ううん、あれ絶対むーちゃんだよ。私しっかりカメラ目線でダブルピースしてるもん」
「……」
 とても険しい表情でむーちゃんが低くうなっている。もう一度乗るか、諦めて写真を買うか悩んでいるのだろう。
「……な、なあ、ハク」
「うん?」
「も、もう一回いいかな」
「うん、喜んで!」
 私が笑顔で答えると、彼は震える声で、さらに続けてこう言った。
「今度こそ、ハクみたいにばっちり笑顔で写ってやる」



「はぁ〜、楽しかったぁ」
「もう一生分くらい乗った気分だけどな」
「ふふ、さすがに大げさだよ」
「ま、リベンジ大成功したしな!」
「3度目の正直だったねぇ」
 そう、また最前列になって、むーちゃんは絶望しかけていたけれど、写真を撮るタイミングだけ無理やり両手をあげさせたのだ。おかげで、表情の方はとてもひきつった笑顔になっていたけれど。
「次来るときは、満面の笑みできるようになるといいね」
「今回は心の準備をしきる前に、ハクに手をあげさせられたからな」
「だってむーちゃん、「今だよ!」って教えてあげても縮こまってるんだもん」
「だから心の準備が……」
 なんてやり取りを何度も繰り返した。
 むーちゃんが絶叫系はもうこりごりだと言うので、日が傾くまでゆったりと動くアトラクションを中心的に周ることにした。子供向けの小さな乗り物や、テーマパークをぐるっと回るゴンドラに乗ってみたり、室内で行われる小さなショーも見た。
 楽しい時間は本当にあっという間で、もうだいぶ辺りが暗くなり始めていた。お昼頃の賑わいも少し落ち着いて、お店の傍に用意されたベンチでぐったりしている人や、夜のショーのために場所取りする人がよく目に付くようになった。
 それでもまだ、夕食にと予約していたレストランに入るにはまだ早かった。
「う〜ん、どうしよっか」
「そうだなぁ、乗りたいものには乗れたし……」
 お土産を扱う店が立ち並ぶエリアをぷらぷら歩き回りながら、時間を潰すにも限界があるように感じる。
「こうなったら……再々リベンジ?」
「うっ」
 冗談で言った言葉に低い呻き声を上げたむーちゃんは、頭をぽりぽり掻きながら視線を泳がせた。「冗談だよ」と笑うと、少しすねたような顔をして彼はほんの少し歩調を速める。けして追いつけない速さではないものの、隣に並んで歩くには少し早いくらいなのが彼らしい。
「ちょっと待って――」
 伸ばした腕がするりと彼の裾を撫でたとき、言葉に出来ない悪寒に襲われて歩みを止めた。
 頭のずっと奥のほうで、誰かの声がする。叫び声のような、悲痛な声が。
 急に私を包み込む空気だけが冷たくなったみたいに、全身に鳥肌が立つのを感じた。凍えるような寒さに、無意識に体を護るようにぎゅっと抱きしめて座り込んだ。唇が震えて、愛しい人の名前も紡げない。鈍い頭痛に襲われて目を瞑ると、声は大きくなっていって、訴えかけるような暗闇に何か映像が浮かんだ気がした。
「――ク! ハク! ……あぁ、よかった、大丈夫?」
 片膝をついて、心配そうな顔をしたむーちゃんが歪んでいる。その優しい声が頭の中で響き渡る声を掻き消して、両肩に置かれた温かい手が私の体に体温を取り戻していく。
 何度か深呼吸を繰り返し、今度ははっきりと見える優しい彼に微笑んだ。
「ありがと、大丈夫だよ。……ちょっとはしゃぎすぎちゃったかな」
「それなら、いいんだけど」
 心配そうに眉が下げて言う彼の手を、ぎゅっと握った。
「ほんとだよ、むーちゃんと色々回れて楽しかったもん」
 瞼を閉じて浮かぶのは、キラキラと輝く時間。それを思い出すだけで、自然と笑みがこぼれる。そんな私とは裏腹に、むーちゃんはどこか悲しそうな微笑みを返した。
「むーちゃん?」
 不思議に思って声をかけると、彼は何も言わずに私の頭をくしゃっと撫でて立ち上がる。
「……そろそろ入れるはずだし、レストランに行こうか」
 私は、「さぁ」と差し伸べられる手をとるしか出来なくて、彼が隠した何かを問い詰めることは出来なかった。



 アジアンテイストのレストランでは、テーマパークのキャラクター全員が、それぞれの夏を満喫している内容のショーを見ながら、次から次へと運ばれてくる料理を食べることが出来た。料理もショーの内容に合わせているらしく、盛り付けも変わっていて目でも楽しめた。
「一品ずつの量は少ないなって思ったけど、数があるからお腹いっぱいになっちゃったかも」
「俺は最初は足りるかって心配だったんだけどなぁ」
 今目の前にあるのは、夏の海をイメージしたというデザート。私には濃厚なマンゴーのソースが夕日に照らされる海と、甘さ控えめの真っ白なババロアを白い砂浜見立てたもの。むーちゃんにはビターなガトーショコラが木の船で、ラズベリーソースの滑らかな線を吹き抜ける風に見立てたものが届けられた。
 正直、ここにたどり着くまでの道のりで「これ以上食べられないかも」なんて思っていたけれど、やっぱりデザートは別腹みたいだ。相手のも気になって、ちょっとずつあげたりもらったりしていたら、デザートのお皿は綺麗になっていた。
「もー、無理! 今度こそ無理っ。ごちそーさまー」
「あはは、ごちそうさまでした〜」
 丁寧に両手を合わせたむーちゃんも、満足そうにふぅ〜っと息を吐いた。
 キャラクターたちの夏のひと時も終わるようで、みんなでキャンプファイアを囲んで歌ったり踊ったり、楽しそうにしていた。
 ナレーション兼補佐役らしいスタッフさんの手拍子に釣られて、客席からもちらほらと心地よいリズムが上がり始める。私たちもちょっと控えめに手拍子を始めると、キャラクターたちが客席へ降りてきた。
 いくつかのテーブルを囲んだり、ぐるぐる回ったり。どうやら一緒にキャンプファイアを囲もうと誘っているようだった。
「うーん、俺はちょっと恥ずかしいな……」
 むーちゃんの口から零れ落ちた本音は、彼らには関係ない。私の大好きなキャラクターの双子のネコが、狙いを定めたかのようにこちらへやってくる。
「ど、ど、どうしよう」
「ハクだけでも行っておいで」
「むーちゃんも一緒に行こうよ」
「お、俺は遠慮しとく……」
 ぎこちない笑みを浮かべる彼は、本当に恥ずかしいらしい。ちょっと大げさなくらいの手拍子をしながら、ネコたちは私たちの席の周りを回り始めた。たしかにちょっと恥ずかしい気もするけど、折角だから一緒に踊りたい。むずむずしていると、むーちゃんがふふっと笑って言った。
「行っておいで」
 彼の一言に背中を押された私が席を立つと、もこもこな手がそれぞれ両手を握って、ステージまで連れて行ってくれた。他のお客さんも同じように次々と連れられてくる。みんな少し照れながらもやっぱり楽しそうで、キラキラ輝いて見えた。
 ノリの良いリズムに、思わず足が動き出す。たくさんの人の笑顔からあふれ出す幸せが、私にも笑みを分けてくれる。ここに彼も、むーちゃんもいたら、もっと楽しいのに。隣に居てくれたら、――。
 その瞬間、胸がぎゅっと締め付けられた。
「――!」
 声になれなかった言葉が、眩しすぎる光にかき消されてしまう。
 私、今なんて言おうとしたの? なんでこんなに……苦しいの?
 周りの音が聞こえなくなり、自分の早打つ心音が、さらに不安を掻き立てた。
 『彼と離れちゃいけない』。それだけが強く頭にこびりついた私は、いつの間にかショーが終わっていることにも気づかなかった。
 早く戻らなくちゃ、むーちゃんの傍にいなくちゃ。
 半ば走るようにむーちゃんの元へ戻り、暖かな笑みを浮かべる彼の胸に飛び込んだ。
「わっ、とと……!」
 むーちゃんはバランスを崩しかけたものの、震える私をしっかり抱きとめてくれた。
 むーちゃん、行かないで。私と一緒に居て。お願いだから、お願いだから――。
「……どうしたの、ハク」
 愛しい声が、優しく降り注ぐ。彼の背中に回した手を、ぎゅうっと握り締めた。
「ハク?」
「……」
 私の口から零れ落ちた音は、あまりにも小さすぎて、周りの幸せに呑まれて消えてしまった。
 ぽん、ぽんと、優しく頭を撫でてくれたむーちゃんは、何も言わずに優しく抱きしめ返した。



 夕食の後、アトラクションを楽しむ気になれなくて、人通りもあまりない静かな川沿いのベンチで、ただ水の流れを聞いていた。街灯の淡い光が水面に反射して、キラキラと輝く。エリア全体に流れているゆったりとしたBGMが、柔らかい雰囲気を醸し出している。私はむーちゃんの右肩に頭を預けて、ずっと目を閉じていた。彼がお気に入りの歌を、少しズレた鼻歌で歌っている。
 華やかではない幸せな時間の中で、ずっと、今までずっと、遠ざけていた『声』が、大きくなっていくのを感じている。
 このままゆっくり時間が流れて、また始まってくれればいい。
 だけれど、そんな淡い私の望みを、優しい彼は壊してしまう。
「……なぁ、ハク」
「分かってる、分かってるよ、むーちゃん」
 分かってる、そう何度も繰り返して、むーちゃんの右腕をぎゅうっと抱きしめた。彼は何か告げようと薄く開いた口を震わせて、吐息だけを漏らすとぎゅっと唇を噛み締める。そしてまた、歌の続きをゆっくりと紡いだ。
 少し筋張った腕、規則正しく繰り返される呼吸、ほんのりと伝わる体温は、確かにここにあるもの。笑ったり怯えたり、照れたり戸惑ったり、いつまでも見ていたい彼の表情はニセモノなんかじゃない。
 だって、この私が、『望んだ』世界だもの。
 時々音の外れた歌が終わる。居心地のいい沈黙を、自分の声がやぶった。
「ねぇ、むーちゃん」
「ん?」
「どうしても、ダメなのかな」
「……」
 彼の答えが出るより先に、私は言葉を続ける。
「私は、このままがいい」
 いつまでも寄り添っていたい。『今』がここにある、たったそれだけで幸せなの。
 でも、むーちゃんは優しく微笑むだけで、肯定も否定もしてくれなかった。
「嫌だよ……」
 たとえ、この『世界』が偽物だったとしても。想いは同じだと信じていたい、信じたいから。
「いかないで」
 零れ落ちるこの雫も、全部、全部本物だから、どうかお願い。
「いかないで、むーちゃん」
 震える私の声が、川のせせらぎに流されて消えていく。少しだけ残った寂しさをかき消すように、残酷な言葉がすべてを切り裂いた。
「……ごめん」
 声の主を見上げると、決意に満ちた瞳が私を射抜いた。
「ごめんな、ハク」
 とても愛しそうに私の名前を呼びながら、彼は謝った。彼は何も悪くないのに、何度も、何度も。
 ぎゅっと握り締めていた私の腕を、指をするすると解いたむーちゃんは、少し勢いをつけて立ち上がり、私に背を向けたまま言葉を続けた。
「……もう、だめなんだよ」
 振り返った頼りなく眉を下げる彼の顔が、街頭に淡く照らされていた。
「ハクは、戻るんだ。戻らなくちゃ」
「嫌だよ、嫌だよむーちゃん!」
 私の『望まない』言葉を、自分に言い聞かせるように紡いでいく彼をさえぎった。
「私はここがいい、むーちゃんがいる、ここがいいよ」
 むーちゃんを追うように立ち上がると、彼は数歩後退して、近寄らせてくれない。
「ハクがよくても、俺がいいとは思わない」
「……でも、でもむーちゃん、私……」
 上手く言葉が出てこないまま、追いかけても、追いかけても、追いつけない。あの時寄り添ってくれた温かい手が、あんなにも遠い。
「頼むから、お願いだから、駄々をこねないで」
 辛そうなむーちゃんの声に立ち止まると、少し困ったように笑っていた彼の表情は、酷く歪んでいた。
「俺は……!」
 むーちゃんは右手で前髪をぐしゃぐしゃに掻き、そのままぎゅっと髪を握り締める。
「俺は、もう一緒に戻れないよ」
「そんなことないよ、戻ろうよ。戻れるよ、絶対に」
 だけど彼は、首を横に振った。
「ハクは『生きている』から、戻らないといけないんだ。俺は一緒にいけない」
 彼は小さく、「ごめん」と呟く。
「謝らないで……」
 むーちゃんが謝るたびに、どんどん『現実』が近付いてくるようで、無理やりにでも戻されてしまいそうで、怖かった。
 気がつけば、周りの世界に白いヒビが入り始めて、徐々に崩れてきていた。笑い合う声も柔らかい音楽も、壊されていることを知らないように、ただ消えていく。
 思い切り体当たりするつもりでむーちゃんに走り寄ると、不意を突かれた彼はなされるがままに、もう二度と離すまいと抱き締める私の腕の中におさまっていた。
「嫌よ! このままでいいって言ってるじゃない、消えないでよ!!」
 叫びにも近い声は、壊れていく世界の彼に届いているだろうか。
 そして、きつく瞼を閉じて祈った。『世界』に届け。壊れるな、戻れ、戻れ、戻ってよ――。
「……まったく」
 聞き覚えのあるため息混じりの声が、暗闇に優しく降り注いだ。その陽の光に誘われるように瞼を押し上げると、くしゃくしゃな顔をした愛しい人が、笑っていた。
「ハクにねだられると、断れないよ」
 むーちゃんは強く私を抱き寄せて、肩に顔をうずめた。
「でも、今回ばかりは俺がどうこうできることじゃないから、聞いてあげられない、叶えてやれない。
 くそ……俺、どうしたらいいんだろう」
 分かんねぇよ、消え入りそうな声が耳元でそう言った。
 そっか、むーちゃんも『望んだ』世界にいて、『望まない』ところへ行かないといけないんだよね。
「傍にいて。それだけでいいよ。それ以上望まないから、これ以上のことはないから」
 理解しても、やっぱり望んでしまうよ。
「お願い、いかないで」
 指の感覚がなくなるくらい、強く抱きしめた――はずだった。温もりを感じない指先が、ほろりほろり崩れ落ちて、星屑みたいに空へ吸い込まれていく。この世界は、私たちが『望んだ』ものは終わろうとしている。
 それでも、もう少し、あと少しを望んでしまう私は、欲張りなのかな。
 『私』は『ここ』にいるようで、もういない。眠りから覚める前のような、ふわりとした感覚が私を連れて行く。
「ね、ハク」
『なに?』
 声が出なかった。あぁ、もうサヨナラをしなくちゃ。
 顔を上げたむーちゃんが私と向き合う。その真っ赤に染まった頬を撫でようとした腕は、とうに消えてしまった。
 ジェットコースターが苦手で、ちょっぴり意地っ張りで、私のワガママを困った顔で聞いてくれる、世界一優しい大好きな人は、いつものように微笑んで、
「――」





 私が目を覚ましたのは、事故から1週間後のことだった。線路の劣化が招いた、最悪の脱線事故とニュースでは大きく取り上げられていたらしい。夏休みのシーズンとあって、犠牲者が多く出たとか、住宅地に突っ込んでしまったからだとか。私は数少ない生存者の中の1人で、頭を強く打ったことで、意識を失っていたらしい。多少の打撲等はあったものの、他に目立った外傷もないままなかなか目を覚まさなかったので、両親も担当のお医者様にも大変心配をかけてしまったらしい。
 「らしい」「らしい」としか言えないのは、全部両親から聞いたことだったから。
 ぼうっと銀枠で切り取られた空を眺める。優しい水色にふわふわと白い雲が流れては千切れていく。
 私は、彼のいない世界に、帰ってきた。
「白井さん、お薬の時間ですよ」
 おっとりとした声に目線を白い部屋へ戻すと、見慣れたナースさんが柔らかく微笑んでいた。銀のトレーと、水の入ったコップをテーブルの上に置いた彼女は、私と同じように銀枠の空を見上げた。
「今日は良いお天気ですね」
「そう、ですね」
「お散歩したら気持ち良いでしょうねぇ。……あ、まだ一人で出歩かないでくださいね? もしものことがあったら困るので、私を呼んでください」
 にこにこと白衣の天使は微笑むけれど、つまりは「もしものこと」を起こすなと言いたいんだろうなぁ。
 錠剤を2つとカプセルを1つ、ぽいっと口に放り込んで水で押し流す。
「のみました」
「はい、じゃあ安静にね」
 パタパタとサンダルを鳴らしてナースさんが出て行くと、私はまた空を眺めた。
「ぽっかり、穴が開いてる」
 大きな雲に、不自然な穴が開いている。白から覗く空の青が、酷く遠く感じた。
 もっと近くで見たい。そう思った私は、ベッドから降りてスリッパを履いて、病室を後にした。



 屋上へ行く扉に鍵がかかっていないのは、問題じゃないのかな。真っ白なシーツが干されているコンクリートの地面を歩きながら、さっき見た穴の開いた雲を探す。
 しばらくキョロキョロと探し回ったけれど、それを見つけることは出来なかった。少し疲れてフェンスに背中を預け、ずるずると腰を落として膝に顔をうずめた。
「ねぇ、本当にいないの?」
 問いに答える声は、当然ない。分かってるんだ、でも、でもね。
「答えてよ……」
 顔が見たい。声を聴きたい。困ったように笑って、「こんなとこで何してるんだ」って怒ってよ。いつもみたいにさ、私に手を差し伸べて、
「帰ろうって、言ってよ」
 情けないくらい震えた声は嗚咽に変わり、誰も抱いてくれない肩が、とてもとても寒い。どんなに自分でさすっても、抱きしめても、温まらないんだよ。
 まだ信じられない、テレビにむーちゃんの名前が『被害者』として流れていたことが。大規模な嘘ならもう十分だから、そろそろ出てきて、大丈夫だよって微笑んで欲しい。
 気がつけば、フェンスを越えていて、目線を下げれば、遠い地面に小さな人たちが寄り添いあって歩いていた。
『ハク』
 一番聞きたい声が、頭の中に蘇る。もう聞くことの出来ない声が、私の名前を紡いだ。
 傍に君がいない世界に、私は居たくない。優しい声の聞こえない世界は、とても物足りなくて居心地が悪いから。
 呼んでも答えてくれないのなら、なんでもなかったみたいに姿を見せてくれないなら、私は――。

「きゃっ!」
 一歩、踏み出そうとしたとき、猛烈な風が私を包む。目も開けていられないようなそれに、両腕で顔をかばうように蹲る。
『……まったく、敵わないなぁ』

「むーちゃん……!?」
 ハッと顔をあげたときには、私はフェンスの内側に戻ってきていた。でも、そこにはさっきと変わらず冷たい世界が居座るだけで、この瞳に映したい姿はどこにもない。何度も名前を呼んだ、何度も探した姿は、どこにもない。
「どう、して? ねぇ、むーちゃん。なんでよ……」
 こみ上げてきた涙を、優しい風が撫でていく。包み込んで、抱きしめてくれるような、温かくて柔らかい風が。
 それがまるで、むーちゃんみたいで――。
「……っ!」
 違うよ、むーちゃん。私が望んだのは、こうじゃない。
 傍にきて抱きしめてよ。
 もう一度、私の名前を呼んで。
 最期に言ってくれた言葉を、何度も、何度でも聞かせて。
 私の望みと違うのに、さっきと違う涙が溢れ出して止まらない。熱い涙を、風が優しくさらっていく。
 言葉になれなかった音が、空いっぱいに響き渡っていった。
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