『ランド・オブ・ザ・デッド』
August 29 [Mon], 2005, 0:59
公開されたばっかりの『ランド・オブ・ザ・デッド』
去年の『ドーンオブザデッド』に味をしめて、ゾンビ物をもう一度、と。
しかも『ランド〜』の監督こそ本家本元ゾンビ3部作の人らしいじゃない。
これは期待しちゃうわ。
一人でレイトショーを見てきました。
…カップル多いな。
ねたばれれ
去年の『ドーンオブザデッド』に味をしめて、ゾンビ物をもう一度、と。
しかも『ランド〜』の監督こそ本家本元ゾンビ3部作の人らしいじゃない。
これは期待しちゃうわ。
一人でレイトショーを見てきました。
…カップル多いな。
ねたばれれ
『ドーン・オブ・ザ・デッド』が人間の陽を描いているとすれば、
『ランド・オブ・ザ・デッド』は陰。
この作品で描かれている世界はとっくに荒廃している。
町はゾンビで溢れかえり、食い散らかされた死体が転がった廃墟と化した。
それでも金持ちの支配層は高級な生活を夢見て
川に囲まれた地形を利用して小都市を形成。
その都市は大富豪カウフマンがトップに立ち、
周りが高圧電気が流れる金網で囲まれ、ゾンビの進入を防いでいる。
傭兵が配置され、また彼らが外に出て行ってゾンビの目をかいくぐりながら
廃墟になった町の店舗から食料や必需品を調達する。
中心に高くそびえるビルを築いて、裕福な人々は豪華な暮らしを送っている。
ビルのふもとにはボロボロの家と服で細々と生きる一般大衆。
主人公ライリーは「ゾンビが閉め出されているのではなくて、
俺たちが網で囲い込まれている。」と言う。
受難の時代に人々に差がつくとしたら、やはり資産の差なのかしら。
そして『ランド〜』の世界ではゾンビの存在がすでに認知されているからか
『ドーン〜』よりも、人が咬まれてしまったあとの対処が早い。
頭を撃ちぬくしかないという現実を受け止めて、諦観の念を抱いている。
だからといって、人々が無機質なわけではない。
それしか方法がないという遣る瀬無さは皆が抱いている。
陰とは書いたが、メインで描かれているのは人間の温かみでした。
やっぱり好きだぁー!ゾンビ映画
しかし『ドーン〜』が描いていた「愛」はシンプルにわかりやすかったが
『ランド〜』はもっと複雑。
上記のような社会批判が込められていたりして一筋縄ではいかない。
上流階級入りを熱望する傭兵のチョロも、悪ぶってはいるが
熱くていい男だ。彼の最後の登場シーンはゾクッとくる。
チョロって名前があれだが… …うちの犬と一緒なの… …。
ライリーと、彼と常に行動をともにするチャーリーとの関係もいい。
命をお互いの手に預けているかのような信頼で結ばれている。
日本の古い言葉でいったら義兄弟か。とても素敵だ。
また悪者的に描かれている金持ち層のトップ、カウフマンもすごいな、と。
まぁ、チョロの気持ちを踏みにじったりライリーに小細工しかけたり、
自分が逃げるために人も殺しちゃうし、大衆の反抗グループ弾圧するし、
基本的に悪人なんだけど、よくよく考えてみれば
安全な都市をつくって、フェンスをつくって、傭兵をやとって、
全部あの人の財力がなしえたことなんだよね。
金の亡者ではあるけれど、一応彼なりのやり方で
人々を保護することも考えていたわけだ。
また、この作品ではゾンビにも心があるようだ。
全部のゾンビがそうかは知らんが、中心ゾンビは憤りや悲しみを感じている。
人間に頭を撃ちぬかれていく仲間を見て、怒りを覚えるゾンビ。
都市に住む人間が、生け(?)捕りにしたゾンビを余暇のためになぶる。
鎖につないで射撃の的にしたり、ゾンビ同士で戦わせて賭博をしたり。
敵だと決まれば、何をしても構わないという図式がなりたっている。
元人間のやりきれない表情が、私たちのそういう考え方に疑問を投げかける。
最後、一段落ついたあと、遠くに彷徨うゾンビを撃とうとする仲間を制して
ライリーが言うのね。
「彼らも居場所を探しているんだ。」
甘いかもしれない。
けどゾンビからすると、主食なのだから人間を殺すのは自然の摂理だ。
自然界の全ての動物と同じく、他のイキモノの命を捕って永らえる。
人間も食われちゃおしまいなので、ゾンビを殺して生きようとするのは当然だ。
しかし娯楽のために、漠然とした不安のためにゾンビを殺すのは?
まぁ、実際にゾンビいたらたまりませんが。マジ勘弁。
被食者にはなりたくない
自分を守るためなら迷わずゾンビを殺す確信があります。
だから銃は持ちたくない。
ゾンビもいないのに快楽のためや特に意味も無く殺人を犯す人がいる、
現実世界ってどんな映画よりも恐い。
残酷描写がある映画も平気で観れてしまうのは
現実世界よりかはマシ、っていう考え方があるからかも。
ところでこのゾンビ映画には、余裕があればほのぼのに見える箇所がある。
ゾンビ達は人間だったころの気持ちが抜けきれていなくて
のどかに車に給油したり、楽器を持ち、音楽にはなっていないが音を出したり
チアリーディングの格好でポンポンを持っていたりする。
ゾンビが草食ならば、死者が甦っても共生できる気がしてしまった
『ランド・オブ・ザ・デッド』は陰。
この作品で描かれている世界はとっくに荒廃している。
町はゾンビで溢れかえり、食い散らかされた死体が転がった廃墟と化した。
それでも金持ちの支配層は高級な生活を夢見て
川に囲まれた地形を利用して小都市を形成。
その都市は大富豪カウフマンがトップに立ち、
周りが高圧電気が流れる金網で囲まれ、ゾンビの進入を防いでいる。
傭兵が配置され、また彼らが外に出て行ってゾンビの目をかいくぐりながら
廃墟になった町の店舗から食料や必需品を調達する。
中心に高くそびえるビルを築いて、裕福な人々は豪華な暮らしを送っている。
ビルのふもとにはボロボロの家と服で細々と生きる一般大衆。
主人公ライリーは「ゾンビが閉め出されているのではなくて、
俺たちが網で囲い込まれている。」と言う。
受難の時代に人々に差がつくとしたら、やはり資産の差なのかしら。
そして『ランド〜』の世界ではゾンビの存在がすでに認知されているからか
『ドーン〜』よりも、人が咬まれてしまったあとの対処が早い。
頭を撃ちぬくしかないという現実を受け止めて、諦観の念を抱いている。
だからといって、人々が無機質なわけではない。
それしか方法がないという遣る瀬無さは皆が抱いている。
陰とは書いたが、メインで描かれているのは人間の温かみでした。
やっぱり好きだぁー!ゾンビ映画

しかし『ドーン〜』が描いていた「愛」はシンプルにわかりやすかったが
『ランド〜』はもっと複雑。
上記のような社会批判が込められていたりして一筋縄ではいかない。
上流階級入りを熱望する傭兵のチョロも、悪ぶってはいるが
熱くていい男だ。彼の最後の登場シーンはゾクッとくる。
チョロって名前があれだが… …うちの犬と一緒なの… …。
ライリーと、彼と常に行動をともにするチャーリーとの関係もいい。
命をお互いの手に預けているかのような信頼で結ばれている。
日本の古い言葉でいったら義兄弟か。とても素敵だ。
また悪者的に描かれている金持ち層のトップ、カウフマンもすごいな、と。
まぁ、チョロの気持ちを踏みにじったりライリーに小細工しかけたり、
自分が逃げるために人も殺しちゃうし、大衆の反抗グループ弾圧するし、
基本的に悪人なんだけど、よくよく考えてみれば
安全な都市をつくって、フェンスをつくって、傭兵をやとって、
全部あの人の財力がなしえたことなんだよね。
金の亡者ではあるけれど、一応彼なりのやり方で
人々を保護することも考えていたわけだ。
また、この作品ではゾンビにも心があるようだ。
全部のゾンビがそうかは知らんが、中心ゾンビは憤りや悲しみを感じている。
人間に頭を撃ちぬかれていく仲間を見て、怒りを覚えるゾンビ。
都市に住む人間が、生け(?)捕りにしたゾンビを余暇のためになぶる。
鎖につないで射撃の的にしたり、ゾンビ同士で戦わせて賭博をしたり。
敵だと決まれば、何をしても構わないという図式がなりたっている。
元人間のやりきれない表情が、私たちのそういう考え方に疑問を投げかける。
最後、一段落ついたあと、遠くに彷徨うゾンビを撃とうとする仲間を制して
ライリーが言うのね。
「彼らも居場所を探しているんだ。」
甘いかもしれない。
けどゾンビからすると、主食なのだから人間を殺すのは自然の摂理だ。
自然界の全ての動物と同じく、他のイキモノの命を捕って永らえる。
人間も食われちゃおしまいなので、ゾンビを殺して生きようとするのは当然だ。
しかし娯楽のために、漠然とした不安のためにゾンビを殺すのは?
まぁ、実際にゾンビいたらたまりませんが。マジ勘弁。
被食者にはなりたくない

自分を守るためなら迷わずゾンビを殺す確信があります。
だから銃は持ちたくない。
ゾンビもいないのに快楽のためや特に意味も無く殺人を犯す人がいる、
現実世界ってどんな映画よりも恐い。
残酷描写がある映画も平気で観れてしまうのは
現実世界よりかはマシ、っていう考え方があるからかも。
ところでこのゾンビ映画には、余裕があればほのぼのに見える箇所がある。
ゾンビ達は人間だったころの気持ちが抜けきれていなくて
のどかに車に給油したり、楽器を持ち、音楽にはなっていないが音を出したり
チアリーディングの格好でポンポンを持っていたりする。
ゾンビが草食ならば、死者が甦っても共生できる気がしてしまった
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