九州へ(4) 

2004年12月31日(金) 10時15分
最終日(小倉〜萩〜小倉〜帰宅)

さて最終日は、念願の松下村塾へ行ってきました。
1.松下村塾は、もともと叔父の玉木文之進の塾であること。
2.松下というところから、吉田松陰の「松」から命名されたと思われているが、「松下」は塾のあったあたりの地名・松本の中国風の読み方「松下」にある塾という意味である。

で、吉田松陰という人、

「身はたとえ、武蔵の野辺に朽ちるとも、留め置かまし大和魂」と辞世の句の読んで刑死した吉田松陰は近代日本をつくった人材を数多く育てました。享年30という若さにもかかわらず、同年代・年上からも終生、師と仰がれ続けられた人物であったといいます。自己顕示欲が強く、肩書きを誇らしげにあちらこちらに寄稿した元勲・山県有朋でさえ、吉田松陰生家跡寄稿には「門下生・山県有朋」としか書いていません。人の才能を見抜き、温かく育てる教育者の鏡ですね。見習いたいものです。その彼は第二次大戦では神国日本の象徴のように祭り上げれれますが、不本意でしょうね。決して右的な攘夷主義者ではなく、故郷を愛し、子弟を愛する「士」であったのです。

で、松下村塾の門下生には、

1.高杉晋作・・松下村塾四天王の一人、革命のために生まれてきた傑物、明治維新の奇跡。奇兵隊を組織し、幕府と戦う。
2.桂小五郎・・四天王の一人、明治維新3傑(西郷隆盛・大久保利通)。
3.久坂玄端・・四天王の一人、その才は上記二人よりも優れていたという。蛤御門の戦いにて戦死。
4.吉田稔麿・・四天王の一人、松陰のおいと言われるのはまったくの間違い。松陰が自分の後継者にと願ったほどの逸材であったが、池田屋にて新撰組により惨殺。
5.山県有朋・・・日本陸軍の元勲。
6.入江九一・・幕末に活躍するが、蛤御門の戦いにて戦死。
7.品川弥二郎・・明治政府の要職を歴任
8.伊藤博文・・初代内閣総理大臣。朝鮮にて暗殺される。
9.前原一誠・・幕末に活躍し、明治政府の要職を歴任。後に不平士族を集めて萩の乱をおこして刑死。

このほかにも各方面で活躍した人材(日本大学を創設した山田顕義)など90人あまりの人材を世に送り出した松陰こそは、幕末明治維新の隠れた立役者でありました。

・・・・・なんか日記ではないな・・・

九州へ(3) 

2004年12月30日(木) 16時48分
佐賀城などを見て回って感じたこと。どこもかしこも幕末〜明治維新のことばかり・・・・龍造寺や鍋島なんてどこにもなかったのがちょっと寂しかった・・・・

ところで佐賀を代表する7賢人というのが佐賀県民の誇りだと、あちらこちらに展示してあった。挙げてみると、

1.鍋島直正
 佐賀藩主、幕末四賢公と呼ばれ、藩の近代化を促進した。
2.大隈重信
 明治政府の要職を歴任、早稲田大学の創始者。
3.副島種臣
 外務卿として、その豊富な漢文知識をもって対中国外交などで活躍。
4.大木喬任
 初代文部卿として、現在の学校教育の基礎を築いた。
5.佐野常民
 技術者として活躍し、日本赤十字社を創設する。
6.江藤新平
 日本にヨーロッパの司法を導入し、弁護士制度などを創設した。
7.島義勇
 札幌の街を開設し、作り上げた北海道開拓の父

おもしろいのは、後に新政府に逆らい逆賊として刑死した江藤新平や島義勇も七賢人に入っていることですね。政争に敗れて刑死したとはいえ、その才能・功績はいつまでも佐賀の誇りということでしょうか。

幕末の佐賀藩出身の志士達は、志士というよりは官僚型の人物ばかりですが、これはひとつには佐賀藩の強烈な教育制度が関係しているのかもしれません。ご存じ「葉隠」の精神をベースにありとあらゆる学問を幼少より勉強させられ、落ちこぼれた者は所領減額などの厳しい処置があったようです。
幕末に佐賀を訪れた吉田松陰は、「佐賀では道を歩きながら皆、本を読んでいる」と感想を述べています。現代さながらの受験勉強が強制的におこなわれていたようです。
早稲田大学を創設した大隈重信は、この藩の方針を後に激しく攻撃しており、それが慶應と並ぶ民間大学創設になったのではないでしょうか?(ちなみに法政はやや官寄り)

九州へ(2) 

2004年12月29日(水) 17時11分
さて九州へ2日目(嬉野温泉〜佐賀〜小倉)
 
 小倉からは九州自動車道を通れば2時間ほどなどで、これを機会に佐賀へ行って参りました。

でもって佐賀ってところ(なぜ?

 ご存じのとおり佐賀県の面積は小さい。なぜ独立した県なの?と思った方も多いはず(佐賀県の方失礼)。それは当然のことで旧律令体制では長崎県と佐賀県をあわせて肥前の国だったわけで、実際明治以後も長い時期、長崎県に編入されていました。

 ではなぜ佐賀県は独立した自治体になったのか?
これには明治維新が深く関わっています。下のリストを見てみると、

【江戸時代より中心地だった町が都道府県名になったところ( )は旧国名】
 ・鹿児島(薩摩)
 ・山口(長門)
 ・佐賀(肥前)
 ・高知(土佐)
  ・広島(安芸)  など西日本が多い

【江戸時代は中心地なのに都道府県名じゃないところ( )は旧国名】
 ・名古屋(尾張)
 ・彦根(近江)
 ・金沢(加賀)
 ・会津若松(磐城) など東日本が多い

京都・奈良・大坂などは別として、全国の都道府県の多くがこのどちらかの原則にあてはまります。愛知や滋賀・福島などは、江戸時代にはほとんど一般には知られていなかった田舎の地名です。



   それはなぜか?


これは偶然ではなくワザとなのです。すなわち、中心都市名が都道府県名になったのが、薩摩や長州などの明治維新で勝利した側の土地、会津若松(京都守護職・松平容保)や彦根(大老・井伊直弼)、名古屋(尾張徳川家)など明治維新で敗れた徳川家にゆかりの家は、官軍により名前まで辱められるという処遇を受けたのです。盛者必衰は歴史の常とはいえ、むごい話です。
 このときに、佐賀は官軍の中心となった実績を元に堂々と独立した県となることを主張できたのですね。藩祖の鍋島直茂より、常に勝ち組に載って生き抜いてきた佐賀藩は、今またサムライブームにより注目されているわけです。(ご存じのように現在知られている武士道は佐賀藩の「葉隠」が元になっている)

この話を小倉に帰って駅前にある魚町商店街の居酒屋で嫁さんに話すと

 やはり
 
   「ふーん」


しか返ってきませんでした・・・

九州へ 

2004年12月27日(月) 19時46分
義父の49日法要のため小倉へ。なかなかいけない距離なので24日を有給で休み、小旅行も兼ねることにしました。

初日(法要後 木屋瀬宿〜佐賀・嬉野温泉)

 小倉から30分ほど車を走らせると、先日議員達が自分たちの利益だけを前面に出して北九州市との合併を白紙に戻した中間市や直方市方面へむかう遠賀川沿いに、長崎街道の中でも筑前六宿として栄えた木屋瀬宿があります。橋マニアの北九州市長のおかげで目立たなくなった小倉・常磐橋を起点とし、黒崎〜木屋瀬〜直方〜飯塚〜内野〜山家〜原田〜と長崎へ続いていくこの街道は江戸時代を通じての九州の大動脈であり、その宿場は大いに栄えたといいます。木屋瀬宿は近年、北九州市が力を入れている観光地で、戦乱に備えた鍵型の辻や家を道に向かって斜めに建築し、外敵よりの進入に備えるノコギリ型の町並みなどの跡などよく見られます。
 中でも目を引いたのが旧高崎家住宅。昭和初期の放送作家・伊馬春部氏の生家としても知られるこの旧商家跡は、江戸時代の宿場町の様子を現在に伝えています。城下町の商家と違うのは街道沿いに面した正面二階には窓が無いこと。これは参勤交代の時に二階より殿様を見下ろす形になるのが無礼になるとのことからだそうです。この高崎家住宅は伊馬氏が市に寄贈したそうですが、保存のために解体補修をした際に天井の梁より

 天保六歳
 四月朔日斧立

  (中略)

  棟上ヶ客案内分二百人
  之外ニ加勢人家内共ニ
  三百人前揃申

 棟梁     和田甚五郎
 惣世話    和田太三郎

  (後略)

と書かれてあったそうです。
私も昨年家の棟上げをしましたが、大工さんをいれても10人そこそこが現在の棟上げの姿ですが、この高崎家住宅は身内、手伝いなどを入れると総勢500人もの人が参加していたことがわかり、当時の宿場町の繁盛ぶりが伺えたのが興味深かったです。

夜、フグや佐賀牛をつつきながら、嫁さんにこの話をすると

 「ふーん」

で終わったのは悲しかったですが・・・・

 

新撰組最終回 

2004年12月13日(月) 0時42分
大河ドラマの「新撰組!」が最終回でした。
最初見るに見かねた香取慎吾の縁起も不思議なことに終わる頃には、なんとなく堂に入って見えたから 役は人を育てるものなのですね。

さて、新撰組。なんでこんなに人気があるのでしょう?
史学という観点から見れば、実はさほ大きな役割を果たしていない彼ら(せいぜい池田屋の変が維新の導火線の原因のひとつになったぐらい)ですが、数年単位で繰り返される幕末ブームではいつも人気上位を占めます。勝者であるはずの薩長を抑えて。

おそらくは、節をまげずに武士道に殉じて死んでいった彼らの逝き方が、節操なく自らの文化を捨てて舶来コンプレックスまるだしで、見苦しいまでに形だけの国造りをした薩長と比べると美しく見えたのでしょうね。

現在の我が国の形はいうまでもなく明治維新によってつくられたわけですが、維新がなったとき、新撰組をはじめ、坂本龍馬や高杉晋作など一流どころはみな死に、伊藤博文や山県有朋などの思想的にも哲学的にも二流の者達が元勲などとして国造りを行った結果、いたずらに西洋を上位に置き、アジアであることを卑下するような国になってしまったのではないかと、たまに思うことがあります。

新撰組は時代に捨てられた集団ではあったけども、節に殉じて死んでいった彼らは、幸せだったのかもしれません。

Pismo復活 

2004年12月11日(土) 10時56分
先日逝ってしまった愛機Pismo。
しかし、その美しい黒の筐体に見せられた私は、なかなか手放すことができず、修理してみることにした。

といことで、Macのパーツを扱う通信サイトでHD(日立製 HTS548040M9AT00)を購入。5400回転の40Gの製品です。本当は80Gぐらいの容量は欲しかったけれど、忘年会の続くこの時期に私のこづかいではこれが精一杯・・・・。それでも4600回転の4Gの容量しか無い現HDに比べると、全然快適です。

とりつけはいたって簡単、ノートパソコンの分解となると難しそうに思えますが、やってみると10分〜20分程度の作業時間で簡単にできます。一部星形のネジがあるので、トルクスレンジ(T8型)を買いに近くの24時間ホームセンターへと車を走らせたぐらいです。(値段は350円ほど)

さて、HDをとりつけ、ついでにOsXなんてのもいれてみる。ドキドキの電源を入れる瞬間・・・


 「ジャーーーン」


おなじみに起動音とともにPismoは再び立ち上がる。。
無事OsXへの移行も成功!

正直涙が出た・・・・(大げさか)
OsXも普通に使えるレベルなので、これならまだまだメイン機として使えそうな感じだ。メモリを増設すれば(320M さすがにメモリまで買えない 結婚した身の財布状況はこんなものよ・・・)、もう少し快適になるであろう。

Dreamweaverやフォトショップは少々重いが、Pismoにがんばってもらうためには、我慢我慢。

なにはともあれ、Pismo復活に乾杯!

移転 

2004年12月07日(火) 2時51分
こちらへ移転しました。サーバ移転、HP整理が終わるまでお世話になります。

Mac購入計画その後 

2004年12月02日(木) 2時57分
移転の後、記事を抜粋して貼ったので日時や前後の流れがおかしいのはご容赦。さて、私のMacだが、喪中の葉書を作成中に愛機・Pismo400(Apple社Mac Powerbook 2000年モデル)が逝ってしまいました。最後に爆弾(Macのシステムエラー時に出る恐怖の画像)を残して・・・・・

今年に入ってから二度修理をしていたので、さすがにもう限界かと思ったし、その様子を見ていた奥さんより「さすがに買い換えね」とすでに稟議書が通っているibookの購入を勧めてくれた。
 
不幸事があったので、延期になっていたibookだが、さすがにPismoが逝くと購入が現実のものとなる(一応Win機はある)。

さっそくネットよりAppleStoreのページを開く(どこのPCショップでもMacは値引きが無いので、教職員や学生ならエデュケーション割引がある AppleStoreがオススメ・・・)。メモリを増設しても120,000少々か。横を見ると奥さんも頷いている。これで念願のG4だ!(G5は?というつっこみはおいといて・・あくまでノートなので・・)

・・・・・・しかし、何か釈然としない・・・。まったく反応をしなくなったPismoを見ながら、これでいいのかな?と疑問がもちあがる。この Pismoを購入したのはもう4年半も昔。今でもPowerBookは高価だが、デフレが進行したここ最近ではずいぶん安くなったという印象だ。当時はまだ独身で大阪で一人暮らしをしていたのだが、30数万という金額はかなりの冒険だったといえる。

その後、仕事にプライベートに文字通りフル稼働してくれたわけであるが、何年たっても色あせないそのデザインに十分な機能(OSXを入れればさすがに遅いのだろうが、私はまだOS9.22)、Win機はあくまで道具として割り切っているが、道具として割り切れない愛着があるのです。(おそらく Macを使う人の共通した感情だと思う)

しばし悩む・・・・そしてまた悩む。


・・・・最新のG4ノートかそれとも・・・・・・


私は静かにAppleStoreの画面を閉じた。そしてパーツ取り扱いのショップのHPを開いたのである。


もう少しつきあうよPismo。だから起動してきれ(・_・、)

Mac購入計画 

2004年10月25日(月) 2時54分
写真は我が愛機であるアップル社のPowerbookG3(Pismo 2000モデル)です。長年愛用してきた(また愛用できるところがMacのいいところ)Pismoですが、仕事にプライベートに酷使しすぎたせいか、今年に入ってからは絶不調で先月には入院とあいなりました。一時はHDD増設+ MacOSXの導入も考えたのですが、現実には無理があり断念!



現在はMac再び入院のため、しかたなく家のPCであるwindows(マウスコンピュータ)を使用しているのだが、やはりMacに比べるとあらゆる面で使い勝手が悪く、しかも最近は配偶者の方の仕事での使用が増えたため、なかなか思うように使えない(メッセンジャー等で応答がないときは、オン寝かログオフにて配偶者の方が使用していると思ってください)。

☆☆☆
そこで思いきって新ノートPCを購入する計画を立ててみる。一応、今勉強している通信大学を卒業したらご褒美にPowerMacG5(こちらはデスクトップ)を買うと決めているので、今回は持ち運びも手軽で値段も手頃なiBookを選んでみる。
家の無線ネット環境に対応するために、Airmacを装備して、メモリを追加すれば120,000なり。

☆☆☆
さっそく事情を配偶者の方に話す。
いつもならここで「ダメ!」の一言で終わるのだが、今のノートPCが4年経過していて故障がちなこと、配偶者の方自身がPCを使うことが多くなってきていることにより、意外と感触はいい!
これならいけるかな?と思い、「どうかな?」と聞いてみると、

「安い買い物ではないから、明日までに計画書を提出して! 納得したら買ってもいいよ」

とのこと。
まさか一回で許可が下りるとはおもっていなかったので(条件つきとはいえ)、さっそく計画書作りに取りかかったのでありました。

さて、どうなる新Mac購入計画!?
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