ギター先生登場 

August 08 [Tue], 2006, 13:17
私が小学3・4年の時
某教育大学(東北)から来た新米先生がやってきた。
男の先生だった。

フォークギターを弾いて面白い先生だった。
みんなに「あだ名」をつけたり
天気がいい時は青空教室をやったり
歌を作ったり。

みんなから好かれる先生でした。
ちなみに
私のあだ名は「カンタン娘」でした。
算数の掛け算が得意だったのでいつも
黒板に書かれた問題をその場に解いて手についた
チョークの粉をパンパン叩きながら
「こんなの簡単♪」と言ってしまった私(^^;)

そこから言われてしまったよ。

養護学校〜小学1年生編 

July 07 [Fri], 2006, 15:27
何もかも初めてな頃。
担任の先生が女の先生だった。優しかった記憶が。
同じクラスに仲間入りしたユミとよっちと出会う。
その前に整肢園(幼稚園みたいなもん)に通った同期が
多数いたのだが親同士交流があっても
私自身あまり思い出がなく(^^;)省きます。

ユミとは一番の仲良し。よっちは男だが
同じクラスで一緒に遊ぶ仲間だった。

色々な障害を抱えている仲間達が
自然とお互いできないことを助け合っていくことを
身をつけていったのです。

療育センター其の八 

July 03 [Mon], 2006, 15:44
訓練

昼間のセンター内は賑やか。
母子棟もありリハビリ室は毎日満員御礼。
私は歩行訓練が主で平行棒や階段を使っていました。


階段を下りるときは隣の滑り台で降りるのが
大好きでした。
あとご褒美にシールがもらえるので痛くて辛い訓練も
我慢できちゃうんですよね。

あとセンター内にプールがあるので
プール訓練もありました。
私は水遊びが大好きで終始ニコニコ顔。

中には水嫌いな子がいてギャーギャー大泣き

女帝は怒りながら泳いでいた。
リハの先生も困っていたようです・・・。

療育センターその七 

July 03 [Mon], 2006, 12:54
おおかみと三匹のこぶた

皆さんこの童話ご存知ですよね。
これを劇としてやったんです。

その練習の話

私は動きがいいってことでオオカミ役…

メグと同室の子達はそれぞれこぶた役。

保母さん手製の藁の家・木の家・レンガの家を
書いた紙を順番にフーフーと吹き飛ばす…

私は保母さんの手をひかれて
「apiceちゃんまずはここでフーしてねぇ」
目の前は藁の家…

でも私は (((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

なぜなら私に向かって唾を吐いた例の女帝が
私を見ながら睨んでる…
そう…藁の家に住むこぶたちゃんは怖い。

ビクビクしながら息を吹き込む
ヘタレなオオカミ…な私(^^;)

剥がれた家は次の移動先の家に行くのだが
女帝はおかんむりで保母さんに抱きかかえられて移動。

次の家は木の家…メグだった。
もちろん女帝が怖くて終始笑顔なし…。


もっと酷かったのはレンガの家。
泣き虫おちびちゃんだったので女帝が怖くて大泣き
練習どころじゃなかった…。

療育センター其の六 

July 03 [Mon], 2006, 12:34
同室の子達

私とメグと女帝は同級生
最年少おちびちゃんは2歳…

もうもうおちびちゃんは泣いてばかり。
思い出すのは泣いてばかりいたよねって誰もが口を揃える。
おちびちゃんはみんなのアイドル
夜は夜泣きが酷くナースステーションに移動してたし。

女帝は我侭で気に入らないことがあると
相手を無差別に攻撃する癖があった。
メグと私は被害者。
メグなんて女帝が投げた木製積み木がおでこに当たり
巨大たんこぶができた。
私には唾かけや髪の毛を引っ張られて痛い思いをした。

療育センター其の五 

July 02 [Sun], 2006, 22:18
隣のベッドのメグと私は仲良し。

おもちゃで遊んだり
歯磨きも一緒にしたり
テーブルもとなり。

お互いの親が面会にきて楽しく過ごした後
親が帰るとき

メグと私は
病棟の玄関の前で「帰っちゃだめ〜」って
見送るつもりが二人して大泣き

親も辛かっただろう・・・。

センター退院してから
メグはセンター付属の養護学校へ
私は某養護学校へ。
メグが中学の時私が通う学校に転校してきて
9年ぶりに再会できた。

向こうも二度と逢えないだろうと思ってたらしい

療育センター其の四 

June 30 [Fri], 2006, 14:24
共同スペース

共同スペースといえば
洗面所・トイレ
おもちゃやテレビが置いてあるプレイルーム

テレビはなぜかいつも
ロボットアニメ系…
年上組(小学生がいる棟)が優先される毎日。

おもちゃがいっぱいあったけど
通称ジャイアン系の女の子に取られる。
私に向かって唾を吐き出す ( ゚ 3゚)≡@ ペッ!!
追っかけられて看護士さんがいるナースステーションに
避難していました。(弱いな…)

自分のスペースはベッド上。
両側に柵がつけられている(転落防止)
毎週日曜日になると家族が面会に来てくれる。

林檎の形をした顔人形オルゴール
ヒモを引っ張ると「どんくりころころ」の
メロディーが流れる。
目玉が右左と横向きに動くので
とてもかわいいとは思えない人形であった…

療育センター其の参 

June 30 [Fri], 2006, 1:04
10時のおやつと3時のおやつと食後のおやつ♪

育ち盛りな子供たちが病棟内大騒ぎ。
10時のおやつと3時のおやつと食後のおやつ♪を
楽しみに待っていたのは私。

いち早く準備してお手手洗って食堂にある
自分のテーブルに座るか保育士さんの後をくっついていた。

食欲はいやしんぼうである(今も…ゲフンゲフンw)

思い出すおやつ

カラメルソースのないプリン(センター手製)
小さいバームクーヘン(円形)
アイスクリーム
ベビーカステラ

皆で歌を歌ってから食べるのです。

お当番制でお手伝いをするのですが
よくできたら「お手伝い表」に
ニコニコマークをつけてくれます。

結果はどうだったかなぁ…(^^;)

療育センター其の弐 

June 29 [Thu], 2006, 22:44
去年30年ぶりにセンターに診察したんですが
当時私のようなタイプは珍しかったそうでカルテに書いてあって
医師が見せてもらいました。

当時の3歳?4歳かな?の記録に載せてある写真。
上半身裸でパンツはカボチャぱんつ…
髪はおかっぱwまるで「ほたるの墓」の節子のようだ(笑)

首も肩もカチカチになってて足は不安定…。

当時は「脳性麻痺」は治ると信じてた時代でしたから
リハビリもあれもこれも「荒」に近いような感じでしたね。
私は当時のリハビリは痛いことだと幼児ながら感じてた。

リハビリよりもっと嫌いなことは採血。
センターは病院なので検査のために採血。
どこにするかというと耳たぶ。
これがすごく痛かった。いつもお昼寝の時間に狙って
看護士さんに抱っこされて連れてかれるのだ。
そして…
ぐちゃぐちゃな泣き腫らした顔で戻ってくるパターン
お気に入りの大きなウサギ人形にしがみついてお昼寝再開。

同室の子達は色々な障害を抱えている。
未熟児だったり事故で怪我したり…
難病だったり…
隣がナースステーションだったから
明るくて広い部屋だったのは覚えています。

療育センター其の壱 

June 29 [Thu], 2006, 0:01
幼少時代の思い出といえば
某療育センターに入院してたことかな。
アルバムを見てみると思い出す。

一緒に入院してた仲間も今でも交流してるのも
別に珍しくないと思う。
なぜならこういう世界(障害者の)は
広いようで狭い。

私が知らないと思ってた人が
実は違う病棟にいたっていうのもあった。

これから何回か分けて
その当時の思い出を語ってみたいと思います。
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