みなさんは憶えているだろうか、かつてこの長岡という街に関川寅雄さんがいたことを‥。
関東町にお住まいになられ(別名 釘屋敷)グレーっぽい作業着を身にまとい、何やらいっぱいつまったスーパーの袋をいつも持ち、曲がった腰でショップイン大手やヨーカドー付近を元気に歩いていたおじいちゃん。
10数年前になるが小生がまだ高校生だったころ、ダイエーの地下のピー〇ック

で小島さん(旧長崎屋の達人)の指導の下でバイトしてたんだが、その時よく来ていただいて小生の作るオムソバをいつも美味しそうに食べていらっしゃいました。
支払いはいつも旧札の五百円札だったなぁ
(あとで自分のお金と交換してだいぶ集まりました♪)
一緒にプリクラもとったこともあったっけ‥。

その頃からなんと年賀状をいただけるようになりました。
…………………
確か7年前の春、ショックなできごとかあった。
体調を崩され入院、そして海の方にある老人介護施設に入所された。
その年、一度会いにいったのだがちょうど外出中で残念ながらお会いすることができなかった。
元気でいらっしゃるのだろうか‥。
入所されたことで、栄養のある食事をとることができ、お仲間も増え不自由のない生活を送ってられることだろう。
きっと大好きな絵もいっぱい書いているのかな。
だけど関東町のUSA前を通過するとき、なんだか切ない気持ちになる。

2000年の年賀状に書いてあった
「此の先頼みます」
これはいったいどういう意味だったんだろうか‥