福岡の方言の話(前回の続き)

May 03 [Wed], 2017, 18:07
前回更新してから半年以上経ってますがこんにちは。
忙しさにかまけて……あまり更新できるかわからないけれど、本年もなにとぞよろしくお願いいたします。

で、前回の続きと題しましたが、方言集めをしていた件。
とりあえず集めたものをどうにかしたいーと思って、データベースを作ってみました。
標準語・方言・地域などから検索できます。
現在、1225項目(標準語1799語・方言1876語)入ってます。
左側のマイリンクから飛べます(スマホのかたは TOP→プロフィール→リンク集をみる)

【福岡県(筑前)方言DB】
http://gantou.nobody.jp/hougen/


まだ見てない方言の本があるんだよねー確認しないと……
思いついたときにぼちぼち追加します。

あ、2〜3月にかけて、蔵に4本、げへげへに1本短いお話追加しました。
セリフぜんぶがっしゃい言葉で書いてみたい!(読者のことを慮らない)

福岡市内の方言の話

September 18 [Sun], 2016, 21:22
ご無沙汰です。蟻之丞です。
いろんなことをぼんやり考えては忘れていくボンヤリ。
最近やはりまた忘れかけていたけれど、ふと思い立ったので書いておこうと思ったのは方言の話です。



かつて、福岡市内には「がっしゃいことば」と呼ばれる方言がありました。
「がっしゃい」というのは、正式にいえば「御覧じやい(ごろうじやい)」、丁寧表現の補助動詞で、武家が使ったことば、つまり城下町のことばです。
秀村選三先生や、すでに故人となられたかたでは俳優の下川辰平さんが中央区の出身で「がっしゃいことば」を話されていたそうです。
ただ、秀村先生がおっしゃるには、戦後は家庭内でしか使わなくなったということです。何かどこかで「周りの子らと使うことばが違って恥ずかしかったから、外では使わなくなった」ということをおっしゃられていたようなのを読んだ気がするけど見つからなかった……
両氏とも大正生まれ、「がっしゃいことば」を集めるのもそろそろ最後のチャンスかもしれないと思って、しゃべれるかたを探してます(´・ω・`)ダレカタスケテ…
いろいろ立てこんでいて中断しているけど、今のところ筑前地方のことばだけでとりあえず1627語(標準語で1077項目)集めたよ。よい資料や話者のかたをご存知だったら教えてくださいorz

そんなわけで、追記にもろもろ方言のことごと。



おいさ

July 15 [Fri], 2016, 7:00
大雨とカンカン照りとが交互にやってくる季節ですね。
昔にくらべて多く汗が出るようになったので、代謝はよくなっていると信じたい。ありのじょーです。
毎年恒例のー!山笠めぐり!!!今年もまわってきました。
追記にお写真はります。

ぼーん

June 08 [Wed], 2016, 21:27
ご無沙汰です。ありのじょーです。生きてます。
忙しさにかまけてもう梅雨ですね。
らくがきでお茶にごす。



筥崎宮のアジサイが見頃だそうなので、郡あじさい




久しぶりの穂波


6月だから、愚が描けたらいいな。
がんばるます。

更新してますヒッソリ

February 07 [Sun], 2016, 17:35
年明けからというより年末からもろもろあってそれなりに忙しく働かせてもらえててうれしい今日この頃です。
最近寒いですねーーー先日の雪の日は遅延がすごかったけれど、なんと!太宰府行の観光列車「旅人」が大牟田行特急電車になっていてちょっとテンションあがったのでした。
「旅人」になってからあの列車が特急になるのは初めてのことだったらしい……ときいて、写真撮っといてよかったーとか思ったり。内装は「旅人」なのに、電光掲示板には「柳川」とか出てるの!たのしいー

ぼちぼち、本館にしている「蟻の蔵」と、パス付別館「げへげへのしげり」、更新してます。

前者は明治32年春の大庭と郡。郡が嘉穂郡長を辞めて、以後政治や公務にかかわることもやめ郷土史家になる、というあたり。
おもうところがあってずっと書きたかった……メインは大庭と郡なのでこの二人しか出てこないけれど、名前のみ山縣有朋・香月恕経・立花親信・藤金作・多田作兵衛、それから憲政党・憲政本党、福岡日日新聞・九州日報、玄洋社。
ただ、大庭についてはまだ調べきれてない部分が大きい、というか、彼の立ち位置などは当時の新聞やら人脈やらではっきりしているものの、維新前の経歴は相変わらずさっぱり(´・ω・`)
最近ひとつだけ新しくわかったことといえば、明治2年に漢学修行のため薩摩へ遊学していたこと、そのときの名前は大庭景基だった、という話(『筑紫史談』82 25頁)。
そのほか周辺の情報としては、息子に大庭弘雅という人物がおり、このひとが明治32年の水産講究所卒業生のうち唯一の福岡県出身者で、大正時代に「朝鮮海に於ける発動機船鯖巾着網漁業」という文章を書いていること、とか。
大庭は明治36年の衆院選の選挙戦真っ只中に突然死んでしまうのだけど、死因はフグ中毒だったとも脳卒中だったともいい、九州日報ではひどい記事にされていたりする。いっしょにフグを食べていた人びとは約1週間後くらいに告発されていたよ……ここらへん、脳卒中と診断した理由とかフグは誰が用意したのかいろいろごちゃごちゃしているのだけれど、微妙な話題だなあなんて。とりあえず私は大庭好きだー

後者は特に年代特定せずだらだら妄想。通常回転ですいろんなところにごめんなさい

去年の2月は佐賀の乱に一人ウホウホであちこちの峠越えてみたりとかお出かけいっぱいしてたけど、今年はどうしようかな。
19日は松浦愚のお誕生日ですね。これもどうしようかな。
どうするかわからないけれど、今年もぐるぐるまわります。ぐるぐる。

います

December 28 [Mon], 2015, 23:11
たいへんご無沙汰いたしております。ありのじょーです。
いろいろ忙しいというか何というか、じたばたしていたらもう年の瀬ですね。
喪中ですので新年のあいさつはいたしません。
来年はもうちょっと更新できたらいいな……

ひっそりげへげへのしげりのほうを更新してきました。
蔵のほうにも何か書きたい。

明年もよろしくお願いいたします。

山もりもり

July 27 [Mon], 2015, 8:00
すっかり夏らしくなりました。ありのじょーです。
6月頃まで、今年の夏はちょっと涼しいのかなー冷夏なのかなーなんて話もしてたのだけど、7月に入ってみるともう暑くてあつくてタマランですね。

去年の山笠は、風雨がキツくて撤去になった飾り山などもありすべてを見てまわることができなかった……という反省をふまえ、今年はちょっと早めに行動開始。しかし体調不良もあったしやっぱり天気のよくない日もあったりしたので、まわり終えたのは追い山前日の14日なのであった。
追記に写真貼ります。あ、追い山は毎年のことですがテレビでみました(…)
いつか生で見たいとは思っているのだけど、ひとが多いからなぁ……博多の中心部に引っ越しでもしない限り、見に行くことはないかもしれない(耗滅)

イキトルコマル

June 20 [Sat], 2015, 1:42
先月からすごくばたばたしてしまった。ご無沙汰です。ありのじょーです。
楽しいことと嬉しいことと、しんどいことと、いろいろもりだくさんだった5月だったけれど、どうにか今月のうちにぜんぶ過ごせそう。下半期に持ち越さないようにしたいんである。

近況。

いろいろ書こうとしていることはあったけどどうしようかなーと逡巡しているうちにこのていたらく。
とりあえず、といってはなんだけど、生没年グラフを更新してきてみた。

【福岡出身者生没年グラフ】(リンク先は外部サイト)

ぼちぼち追加したり修正したり、もぞもぞ。「????」になっている部分は情報求むます。です。

いじっていじって、最年長は井土学圃になりました。越智彦四郎のお祖父さまです。周磐先生。
井土家の人びと捜索中(´・ω・`) 越智の兄で井土家を継いだ汲孜(分限帳には汲敬とあるけど…)の没年とか特に。
生年は判ったけど、まだいつくらいまでご存命だったかわからないので入れてないです。
実父が安政6年に江戸で急死したため越智は叔父にあたる海妻甘蔵のもとで育てられたという話が西南記伝に出てくるのだけれど、ここらへんもよくわからんので気になってる。出典は何だろう……
海妻の著作はけっこうのこっているので、どっかにそんな話出てこないかなーと思いつつ読んでいるけれど、ぜんぜん。井土家の話はいっぱい出てくるんだけどな。

悩。
以前、某誌に穂波半太郎は馬廻組喜多村家、と書いたのだけど、いまさら、違うかもしれないとか思ったりとか。耗滅。マジ耗滅
荒戸通り丁の喜多村であることは間違いなさそうなんだけど、通り丁には馬廻と大組の2家の喜多村家があって、もしかしたら穂波は大組のほうなんでは……といまさら。ほんまいまさら。しかし根拠らしい根拠がない、というか、馬廻だっていうのも根拠らしい根拠がない気がしてきたりとか。
諱らしきものと、あと家族構成、それから転居の流れなんかからすると大組っぽいかもしれない。馬廻の喜多村家は改姓とかしてないしなっていうのも……むずず。
もうちょっとどうにかしたい。うごうご

書こうと思っていたこと。
久光忍太郎のこと。
ある程度のところまで資料はためたけれど、オチが思いつかないまま半年以上放置している久光フォルダがデスクトップに!耗滅。
戊辰戦争でトコトンやってる間、京都をうろうろしていたらしいことはわかった。本とか買ってた。これが10代の少年の字!?と思うくらい、ほんともうびっくりするくらい達筆。たぶん、こんなにきれいな字はお手本とかでしか見たことないっていうくらいすごい。ヤバい。
しかし、でっていう。どうしようかな。

もう6月もあと10日ほどです。7月が楽しみだね!
昨年の山笠は、大雨やら何やらでぜんぶは回れなかった無念。今年はぜんぶ回りたいです。
いつもギリギリになってしまうから、今年はもうちょっと早め早めに行動……できたらいいな……

彼らの言いぶん

April 01 [Wed], 2015, 19:43
3月下旬に更新しようと思いつつ、何となく元気が出ないままとうとう4月になってしまった。ありのじょーです。ごぶさたです。
4月に入ってからでも……いや、むしろいっそ5月上旬でもよいのではないか、なんて期間のあるをいいことに遅鈍延引上等状態の明け暮れにやる気スイッチを探しつつ(耗滅)福岡の変です。
私の頭は福岡の変でいっぱいだ!\イッパイダー!!/とはいえ、そういえば、福岡の不平士族という人びとは何に不平不満を……なんてふと考えた。

士族反乱というと、教科書によれば、戊辰戦争で新政府軍として戦ったのに政府へは自分たちの意見が通らず、あげく散髪脱刀令からの廃刀令に秩禄処分やらと士族の特権すら剥ぎ取られたという不満と、それから、征韓論が否決されたことで下野した参議たちを担いだ政府の外交政策に対する批判運動……というのがまぜまぜされた感じなんだけども、じゃあ「福岡の変はこういう気運が高まって」というのははっきりしてない気がして。
で、今年の福岡の変についてうだうだ言ってみる企画はタイトルのとおり「彼らの言いぶん」。
追記にたたみます。


福岡県貫属隊時系列@佐賀の乱

February 26 [Thu], 2015, 0:00
こんにちは、ありのじょーです。
今月は2回も更新しちゃうんだぜー!

寒いです。や、寒かったり暖かかったり。福岡って地元より南にあるから、地元より暖かいはずだと勝手に(爆)思っていたのだけど、ちっともそんなことなかった。今さら。もう何年住んでんだって話なんだけど。
そんな寒い寒い2月ですが、今から141年前の明治7(1874)年2月、福岡市南部の山地では戦争してたんですね。佐賀の乱。
ところで、県庁所在地が隣接している県ってめずらしいんだってね。福岡市と佐賀市は隣り合ってます。

話はそれたけど、佐賀の乱です。旧福岡藩士が福岡県貫属隊として従軍していたことはもう何度もここで書いたりとかいろいろしているけど改めて。
姓名のわかっているところで、医師46名を含め1308名、このうち1300名ほどが福岡・佐賀県境の井原山〜脊振山あたりへ出兵していたようです。

大隊長不破豊吉・大隊副官穂波半太郎率いる1隊については、おそらくここに400〜500名ほどの人員がいたのではないかと思うけど全容がわからないので割愛。この隊は田代方面へ出兵していました。当時県官だった衣非観の従軍日誌が『維新雑誌』に抄録されています(『新修 福岡市史』資料編近現代1に収録)。
また、久野藤次郎の懐旧談に小隊長青柳禾郎・半隊長箱田六輔という隊があったという話が出てきているけれど、何大隊なのか何番小隊なのか、どこへ出兵したのかがわからないのでこれも割愛。

で、今日の本題は福佐県境のこと。
あんまりまとめたものがないなーとか、100名も率いてないはずの小隊長である越智彦四郎がなぜかWikipediaでは450名余を率いていたことになっていたりとか、ぼちぼちおもうところもあったので、この方面に従軍した人びとのことを、記録をたどってみてみよう!と思ったのでした。
資料いろいろ。追記にたたみます。


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