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居場所 / 2007年09月08日(土)



居場所ってなんだろう。

やっと見つけた居場所は居場所じゃなかったのかな・・・。


なんであたしはここにいるんだろう。
あたしのこと本当に必要としていり場所ってどこだろう。
 
   
Posted at 01:48/ この記事のURL
ゴミ箱 / 2007年08月25日(土)
いやなことなんて全部忘れられたら良いのに・・・。

くしゃくしゃっと丸めてポイッとできたら良いのに・・・。



胸が痛いよ。
 
   
Posted at 00:13/ この記事のURL
安心感がほしかった。 / 2007年07月21日(土)

あたしは絶対的な安心感を求めて結婚した。
何がずっと一番ほしかったって安心したかったんだ。
だからあたしはあなたと結婚した。

多少の不安はあったけど、絶対的に安心感のほうが大きかった。
あたしの心が救われると思った。
あなたの痛みをわかってあげられると思った。
ずっとずっとこの人といたら安心だと思った。
あたしの心が安心だと思った。



ずっとずっと安心できる場所だと信じてた。
信じて疑わなかった。
今までは少しは逃げ場を作って、人のことを信用なんてしなかったんだけどね。
あなたのことは違った。
あたしはずーっと信じてたんだよ。
これからもずっと信じていたいんだよ。

だけど、今は怖い。
あなたを信じることが怖い。
ずっと信じていたいんだけど、でも同じだけ怖い。
逃げ出してしまいそうになる。


どうして?
どうしてこんなんなっちゃったんだろ??


こんな思いをするなんて思わなかったよ。
信じたいよ。
でも何を信じていけばいい?
今までのこと?
これからのこと?
いま?

言葉だけじゃわからない。
言葉が信じられない。

あたしは信じたいんだよ。

 
   
Posted at 00:03/ この記事のURL
父と会って・・・。 / 2004年09月23日(木)

ある休みの日の昼下がり・・・。
携帯の着信音が鳴った。
久しぶりに聞く着信音だった。
液晶には『パパ』と出ていた。

『もしもし・・・。』私は恐る恐る電話に出た。

父から電話がかかってきたのなんて何ヶ月ぶりだろう・・・。


内容は急な仕事で名古屋に来ていた。
そして、私が仕事が休みということで夕飯を一緒に食べることにした。


私は父に会う前に名古屋名物のういろうと同じお店でカステラを買った。

約束の時間から少し遅れて、父は待ち合わせ場所にやってきた。
父が食べたいと言っていた、そして私の大好物であるうなぎ・・・ひつまぶしを食べた。

話しの内容は最近の仕事の事、先週行っていた沖縄で結婚式を挙げたばかりのはとこの事、家族の事、あとは世間話。
ずーっと父は話し続け、冗談を言い、ご機嫌だった。
私の最近の日常や彼との事は何ひとつ聞かれなかった。
そして、私も話せなかった・・・。


御飯を食べ、お茶をして、タクシーで名古屋駅に向かった。
タクシーの中で渡されたものがあった。
封筒に入って・・・。


新幹線の改札まで父を送った。
私が買っておいた手土産を渡し、
『ありがとう。気をつけてね』私が言うと、
父は笑って『おぅ!』と言って改札に入って行った。
父の背中を見て、
『何も聞かれなかったな・・・きっといろいろ聞きたかったんだろうな・・・』
と思ったのと同時に、
『おいしい御飯を食べさせ、会話なんていつもビジネスの話しばかりで聞いていて面白い会話ではないけれど、そういうことをすることが父が出来る愛情表現なのだ・・・』と思ったら、なんとも言えない感情が沸きあがり、遠ざかる父の背中を見ながら涙がこみ上げてきた。
私の事を何も聞かなかったことに対する父の思いや、それでも娘を凄く心配している父の思い、ここ2ヶ月で一気に老け込んだ父を見て、本当にいろいろな感情が込みあがってきた。

悲しいというのではない。
ただ『ありがとう』と『ごめんね』だ。

少しはこちらから最近の近況を話してあげれば良かったな・・・。
でも、もう少し歩み寄ってくれたらね!
私が話せる空気をもう少し持ってくれたらね・・・!!!
 
   
Posted at 08:24/ この記事のURL
母の実家に帰って分かった思い。 / 2004年08月29日(日)
3年ぶりに母の実家である釧路に行った。
祖父と祖母に3年ぶりに会えて、体力の低下は感じたものの、元気そうでとても安心した。

その祖父母の下で小さい頃、私は数ヶ月と上の弟と預けられており、東京育ちの私だが、私の中では釧路が私の育った場所だと思っている。
祖父母の家の前の土手で、毎日走りまわっていた。
父とは数ヶ月会わずにいた。東京で仕事をしていたから。
母のおなかには下の弟がおり、切迫流産をしそうになっていたため、ずっと入院していた。
そのため、私と上の弟は祖父母の下に預けられていた。

この頃の私は今思うと、とても寂しかったのだと思う。
どうして父は迎えに来てくれないのだろうか?
母はいつになったら元気になるのだろうか?
幼稚園に行きたいな。
このようなことばかり思っていた。
それでも、空気の良い釧路はとても好きだったし、祖父母も大好きだし、毎日毎日、
『泣かないで偉いね』
と祖父母に私と弟は褒められ、それはそれでとても嬉しかった。
だからこそ、しっかりしようという姉の自覚をもったのかもしれない。
その時の思いが20年近く立った今、苦しめられているのだけれど・・・。

 
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Posted at 22:40/ この記事のURL
雷が苦手な理由。 / 2004年08月21日(土)

その頃、母はすごい追い込まれていて、その当時しばらくしてから出た検査結果は、脳梗塞を起こした後があった。
毎日母は、痙攣とあえぐ声の毎日で、私と弟2人は毎日コンビニの菓子パンとお惣菜の日々だった。

母が人生で1番弱っていて、追い詰められていた頃、父の態度はとても冷たくて、毎日父は母に、
『掃除をしない』
『御飯を作らない』
そして、
『お前は仮病だ』
と罵倒する毎日だった。

そんな父から母は気持ちがその当時離れたのは確かであり、そんな時母を支えてくれた男性がいたことも確かである。
子供から見た中学生の私でさえ、父の言動には不信感があったし、母のそのような気持ちも少しは分かる気がした。

『離婚すればいいのに・・・』
何度思っただろう。

少し体調が良くなった母の出かける先はその男性が働いている病院で、途中で体調を崩して帰って来れなくなる日は決まって1000円札がなぜか机の上に置いてあり、
またなぜか決まって雨がひどく降る、雷が落ちる日ばかりだった。
 
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Posted at 00:43/ この記事のURL
父へ送った手紙A / 2004年08月14日(土)
パパの言っていることは本当にいつも間違っておらず、正しいと思います。
でも、そこに心はありますか?心の底から思って話してますか?
自分自身を守るためだけの発言を気づかないうちにしていませんか?
自分の話しをする前に、人を認め、尊重したことはありますか?
結果だけを求め、そこまでの過程を認めたことはありますか?
これは家の中でのことです。
正しいからこそ、言えないことはたくさんあります。
私は今まで自分の本当の心の底の声が言えなかった。
それは、パパの言うことに間違いはひとつもないから。
話すことで、否定されるのが怖いから。
きちんと話しを聞いてもらえないのが嫌だったから。
心と心の会話ができなかったから。
どうして、私がこのように思ってしまったかは分かりません。
でも、それを私なりに精一杯打ち破ったのが先月です。
だから、この1ヶ月近くパパの心労と私に対する心配は想像を絶することだったかもしれませんが、否定だけはしないでください。
認めてほしいとは言いません。
だけれども否定だけはしないで欲しいと思います。

先月の話しで私が言っていた『小さい頃の自分が泣いている』
おそらく意味が分からなかったことと思います。
でも、小さい頃の自分が今の私を責め、泣いているのです。
時には怒ることもあります。
○(下の弟)が生まれた時に釧路にいた頃の自分、下の弟が生まれて初めて東京に帰ってきた頃の自分、小学生の頃の自分、中学生の頃ママが病気で大変だった時の自分・・・まだまだたくさんいます。
どうして泣くのかは分からない。
何度、この幼い自分たちに潰されそうになったかは分かりません。
でもこの自分たちと今の私は手を繋いで笑いたい。
だからその為に環境を変えて生活したいと思っています。
それには、家族と離れることがいいのかもしれないと思っています。
事実、先月の旅に出てから格段に私の中で毎日泣き、責めていた小さい頃の私の姿は小さくなっています。


 
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Posted at 22:19/ この記事のURL
父へ送った手紙@ / 2004年08月14日(土)
拝啓
お久しぶりです。
まずは、いきなりの手紙をお許しください。
先月、包丁を振り回すことがあってから1ヶ月近くたとうとしています。
あれから1ヶ月、私は自分自身とても今は先月が嘘のように前向きです。
パパは、心労で大変だったかもしれませんが・・・。

あの先月の一件は、ある意味、私がパパへ対しての初めての抵抗だったと自分では、思っています。
今まで生きてきて、私はパパに対して物がはっきり言えなかった。
父親という大きさは親が思っている以上に子供にとってはとても大きく、父親にものが言えなかった。
だから、私は先月の自分のした行為は後悔していません。
私はあの時、とても必死だったから。


ずっとずっと、とても息苦しかった。
どうして生きているのだろう・・・気づいた時から、ずっとそればかりでした。
特に高校生になったあたりからは毎日がそんなだった。
寝て起きて1番に思うこと、『消えちゃいたい』今年の春を過ぎた頃からは特に激しくなりました。
その私の自分自身の行動が、常に薬を持ち歩くことだったり、手首を切るということだったのだと思います。

どうして自分自身がそのような行動に出るかは分からなかった。
でも今思うと、誰かに気づいてほしかったという私の行動だったのだと思います。

先月、話して今の私をパパに理解してもらうのは難しいのかな…と思いました。
『しっかりしろ!』
この言葉が、本当に苦しかった。
私のことを思って心配して言ってくれている言葉がとても苦しかった・・・。
小さい頃から、弟達の面倒をしっかりみようと自然と思っていたし、親たちに手を煩わせないようにという思いが自然と働いていました。
親たちから見たら、出来の悪い娘だったと思いますが、私は自分なりに頑張ってきたつもりだったから。
だから逃げたかった、ただただあの場所から逃げたかった。
その行動が、私が包丁を持って逃げるということだったのだと今は思います。
だからこそ、最後に言われた『しっかりしろ!』と言う言葉は、その時の私には本当に痛かったです。

 
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Posted at 22:15/ この記事のURL
父へ送った手紙へ託した思い。 / 2004年08月14日(土)

父の会社を辞めると言い放ち、旅に出たり、本当に愛せる人ができ、私自身が楽に笑えるように、自分の気持ちに素直に生きていこうと思えるようになった。

父とは包丁を振り回すケンカをして以来、約1ヶ月まともに顔を合わせることも、話しもしていなかった。

手紙を出そうと思った。
きちんと話しをしなければいけないと思った。

私は父に手紙を書いた。
ネットが開通して、メールを送れるようになったら送ろうと思ったから。

父に手紙を書くのには半日以上かかった。
数時間も悩み、言葉を選びながら書いた。
自分の思いを少しでも伝えるために。

メールを送信したのが8月8日。
メールの送信ボタンを押すのにも30分くらいかかったと思う。

私は手紙に今の自分の思いを託した。
少しでもいいから、私の考えていること思っていることを分かってほしかったから。

父へ書いた初めての手紙だった。
 
   
Posted at 22:07/ この記事のURL
旅に出て見つけたかけがえのないもの。 / 2004年07月29日(木)
私の誰にも言えなかった心の本音をなんでも見せられる、話せる、そして私が本当に話したいと思える、心から納得できる好きな人ができた。
前の彼と別れて1ヶ月たってないでできてしまった。
早すぎると言われるのかもしれない、信じられないと思う人がいて当然だと思う。
これは、自分でも驚いているけれど、自分の気持ちを抑える事を辞め、もう自分の気持ちに嘘はつきたくないと思った私には自分自身、どうしようもないことなのだ。
だけどこれは紛れもなく私にとって初めて思った感情であり、とても自分自身嬉しくてたまらない。
これが本当に人を愛することなのだと生まれて初めて思ったから。
こんな風に自分が思う日がくるとは思っていなかった。
恋愛をしてもいつも1歩冷めて、引いていた私。
『愛してる』『好き』だなんて言葉を言った事がなかった。
結婚なんてしないと思っていて、自分の血が憎くてたまらなかった私がそういう風に思える人ができるとは思っていなかった。

私が旅に出てここまで明るく笑えるようになったのはその人のお陰だ。
その人がいなかったら、私は旅に出たとしても自分がここまで変わっていなかったと思うし、母ともいろいろ話せる関係にならなかったと思う。

本当にその人には感謝をしているし、これからも感謝し続ける。
そして今はただただ近くにいたいと思う。
2人で本当に心から笑っていたい、そう思うのだ。

『裏切り』という言葉が存在しない人。
『無理』をしなくていい人。
もう頑張らなくてもいいって思える。
そんな世界を持っている人。
ありのままの私を受け入れてくれる人。
私の心の扉を開放させてくれた人。
離れてても距離を感じさせない、心と心でいつも手を繋いでいると思える人。
今は少しでも離れたくない、一緒に笑っていたい、そういう思いで私は生きています!
 
   
Posted at 12:36/ この記事のURL
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