ポリープスープで ムートングリップ 

2011年10月25日(火) 19時55分
わかった気がする・・
どうしてこんなに作業作業の毎日が苛々するんだろとおもったなら、
いつもは調べるだけ調べてきた内容を、部品にして組み立てるのは一番最後にがーっとしてしまってきたから、
こんなに、何度も何度も書いてはそのたびに消して直して更によいものを、みたいな推敲することがなかったからなんだな・・・
そのたび消さなきゃいけない前の成果が脱皮に見えてこないとだめなんだなああ 
ぼくにはまだ毟られていく毛に見えるよ!
いかに今まで勢い任せだったかっていう。実際、今一から書くんだったら事情はもっと楽に繋がるような気がする。。いいものかは別にして。



卒論うがーばっかりいってて
内容さっぱり人に話したことないことにきづいた
まあどうでもいいでしょうけど。
「マクベス」のなかのmaternal powerとかやってます。
渾沌とした母性が、 襲ってくるよ〜〜〜みたいな内容です。(ひっでえ説明)
母親の支配力ってのは肉体的にも精神的にも恐ろしい拘束力があるよっていう悲劇なんじゃないのってお話です。
実際に母親な人一人しか出てこないけどね、しかも出てすぐ死ぬ



それを説明するためにルネサンス期の迷信たっぷりな医学書・出産関係書を色々あたってました。めっちゃ楽しい〜〜´ω`パラケルススのとんでも医学とかも(役にたちゃせんのに)読みまくる口実を得た・・・
その他ジェンダー理論
ミクロコスモス(肉体)とマクロコスモス(宇宙)≒魔女(超自然)の対応関係を証明して、地母神みたいなことをやりたかったから
コスモロジー本もおいしく頂きました。
そして材源になっている中世宗教劇の「子殺し」についての言及とか・・・


いろいろ、よんだなあ・・・
半分も使うかわからないなんてー 

これまであげた要素がすべて「母」の存在を取り巻き互いに繋がりあってるというのは信じてるんだけど、

なにぶん膨らみすぎだww
脱線半端なくなってほんと


渾沌とした母性について語った混沌とした卒論になるところでしたとも



詰りに詰まって院生の先輩(たいして面識もないのに)に相談しにいってみたらすっごくよくわかった。 
先生に聞いてもどうしてもわからなかったふんづまりなジレンマ全部わかってくださった・・・
先生は基本一切手を出してくれませんので絶賛も批判もしないから・・
ここら辺の調べてきたの一掃したら?なんて言ってくれません。
まあ言わないか・・・



要するにクローズリーディングしなさいって話だ!!



シェイクスピアは特に文化資料をいかにあたらしく読み解くかっていう努力と切り離せないいやだこわいいいいいいいっていうことに怯えすぎた。文化資料ないと何も言えないような強迫観念でなんでも調べまくったけど
それにくらべてテキスト分析が疎かなのだ。


もともこもない!!


今は一転、一語一語かなり丁寧に読んでる・・・
おーそーいーよー!!!!


しかしいまだに悔しい、 あれだけ読んだ文献が・・
論文の筋のために泡沫に帰すというのがね・・・


今日久しぶりにずいぶん前に書いた論文の流れを見たら、なんかまたぐらついてます。
この方が説明しやすいんじゃないかって。
魔女にも母の顔が見られるっていうこと、それに魔女と出産が当時非常に密接にかかわっていたということ。
いいたいけれど、説得力があるのか否かわからない。
でも少し混ぜるのはいいかなって、おもってるんだ。


はあ、がんばロ! 明日に向けて!

うみゃー! 

2011年10月24日(月) 1時39分
うみゃーっ!!

生き返るーう・・・・´ω`


久しぶりに自炊したらおいしいよおいしい 生き返るー・・・
ああ あぶらっぽくてわけのわからない調味料入ってないってだいじなことだあ

なんかうわー血管がいきかえるー

ああよしああよし

頑張って書くぞ〜〜 



そしてようやく、曲がりなりにも『Macbeth』 のArden、Cambridge、Oxford版三冊読み終わった〜
なんとか。・・
注釈全部読んだけどこのあとがんばらねば・・・
寮の院生の先輩に相談に行ったけど そのひとしっかりロゲン賞とってたのがわかっちゃったんで
うわあ畏れ多いことしたなー
頑張ってきたけど、取ろうとろうとおもって取れるものでもないし、
気負いはしたくないけど、むずかしいな・・・
取れるわけないってふけて最初からあきらめてたら とれるものも取れないかもしれないというのも、あるよね、
ここまで頑張ってきたのに。
でもね・・・ それのために時間が消えていくならありのままでいいような気もするんだ。
どっちがいいんだろう。

でも、マクベスほど思い入れと時間をかけて読んだ本はなくなるかもしれない。なにせ一年中マクベスに触れてない時間なかったといっても過言じゃないもんな・・・

なにがだめでなにがよくても、 原書でシェイクスピアをよむという挑戦はずっと続けていたいなあ 
もっと台詞も覚えて、考察加えて。
また先生にレポート見てもらえないかなあ だめかなあ・・・
本当に、そうやって何かべつに目的もなく、考えた成果を誰かに読んでもらうって行為は、
これからもやっていきたいなあ・・それが先生だったらほんとうに、 幸せだけど、
わたしもこれからどうするんだか、苦笑

でもどういうことになっても、先生にお願いしたいな・・・忙しくて本読めなくなっても、その力は失わないでいたいな。。
やっぱり、上智の図書館会員なろうとおもうし。
いくらだって

できるよね。 さびしいとか年取ったなあとか言わなくても、
いくらだって できるよね。

今日はもう寝て明日早い時間を使えるようにした方がいいかもな、

鉢に注いだ珈琲をのみほして、星を見上げる 

2011年10月22日(土) 1時44分
今日はセンセイがおいしい一日だった。にじゅうのいみで

まずは低血圧無睡眠でふらっふらしながらも朝から先生を拝んで幸せを拝借。
きょうの先生の服装がかわいくてかわいくてああ朝からがんばってよかった(((´▽`
薄い色のデニム生地のシャツに赤いネクタイで
寒くもないのにプルオーバーきてた、´ω`
なんかもこもこしてかわいかったのだ・・・ああああああ
ああかわいい!
でも風邪でも引いてたのかなあ・・・
うわあああ卒論いい加減やらないとうばあ!



あとは高校の同窓会。
・・・・どーそーかいだってさ・・・!!! 
いやあなにそれおいしいの。おいしかったよ

なんだかにやにやが止まりませんでした 
だれかもいってたけどいやあみなさん丸くなりましたね・‥´ω`
皆さん一様に「もう絶対会うことはないと思った」という・・w 
まあそれだけ個人主義だったからね・・・w
あまりに協調性と協調性と協調性がなくて変に浮いたクラスだったため 
ほかのクラスからは「軍隊」とよばれていたらしいwww
集団規範の権化じゃない軍隊ってwwと突っ込みたいがすごいなあそのニックネーム

高校といい美研といい、あまりに相手のペースを尊重し自分のペースが侵害されない素晴らしい空間に
居座り続けてきたんだなあとさいきんよくおもうことをあらためて身にしみて感じたよ・・・


と、連絡取るにとれなくなってた友人ともまた連絡を取るきっかけができてほっこりだ。
デザイナーになっている友人とかもいて、はとバスの企画してる人もいて、警備会社で働いてるっていう異色なひともいて、みんなそれぞれですね楽しいです。


某先生は節々に痛みを感じるなどとおっしゃるわりには、休日50キロ自転車とばすとかわけのわからん笑ことをいってたりして要するにお元気そうでしたw 言うほど頭だって後退してないよ!
正直大変お若くみえますぞ。47かあ
愛すべきN先生は38歳だけど、・・・・・なんかそんなにかわんなくみえるもんなあ(をををを
N先生が老け顔ってんではなく某先生が若いのだ。


まあそんな先生をハーレムしているみなさんを写真に収めるのも興が深くですね。
いい写真が撮れました
だって部屋の形がめちゃくちゃお姉さんがいっぱいいるお店みたいなんだもん!!
ほんと両手に花どころの騒ぎではありませんでした。


そして、散々わすれられているだろうと恐怖していたにもかかわらず
私が史学科とまよいに迷ってたことやらなんやらぜーんぶ覚えてて、正直唖然でした
先生という生き物はまったく・・・・感嘆するなあ


某先生曰く、「変わってないってのは大事なことなんだよ」だそうです。
きょういちばんのめいげんであるとひとりで認知。
いやあほんと、原型とどめてない人とか少しはいるかなあとか思ったのにぜんぜんいなかったw


まあとにかくいい日だった〜
さて・・・相棒見てる場合じゃないよ卒論やれ卒論!

モレスキンの手帳  なんていらないやよくわからん 

2011年10月18日(火) 22時25分
今日の午睡もまた 雨が降っていた。
どしゃどしゃ、 そして石垣の上に家がたくさんある町の谷に位置する川が増水してた。

文学会のひとたちにふたたび会いにゆく夢。
そこで裸のまま、鋭い目つきの独善的な少女や、おかっぱの林檎さんみたいな女性とであった。
何故ぼくだけ裸だったのやら。いたいたしい
そこは古い胡桃色の板張りの不思議な作りの長屋みたいなところなんだ。
建物の内側が不思議にいびつな多面体を作っているような突起や傾斜のある床や壁。

あとは筒状の穴のなかを番号のついた青いウィンナーみたいなものを、加えながらDNA螺旋状に宙に浮きながらくだっていくところもあった。
落ちそうになると、カービーみたいにボタンを押すと空気吐き出してちょっと戻ってこれるの笑

あとは平沢進みたいなDJ電脳機械みたいなのを前に持ってエレクトロニカ流してるおじさんをみて、
ああこんなところまできたか音楽とかおもったおぼえがあるなあ
なんだかマンションを探してた場面もあった。
田舎っぽくて住みづらいけど7万円で住めるにはずいぶん立派な風呂の設備がついた部屋が空いてたみたい、

ああそう言えば前にも見た平べったいドーム状の用水タンクか天然ガスタンクみたいな施設
あれをまた見た気がする。



雨が降ってて、 まるでどしゃぶりの高速道路を 薄暗いガソリンスタンドの観音開きのドアガラスから眺めているような、ワイパーのない濡れた世界に、赤いバックランプが光っていた。




わたしがこんなに、場所を覚えているというのは不思議だ。
同じ夢をみたことは覚えていなくても、 またあの場所に降り立ったって言うのは、においでわかるんだ。



やっぱりむかし、ぼくがおもったとおりなのかもしれない。

学名:ポリフェノール・ジンゾウアヒル 

2011年10月18日(火) 17時40分
今日は仏文の永井先生とお話ができたよやっほい!
いやあ 昔から憧れているだけに緊張したけどやっぱり好きだ〜


ノディエの『パン屑の妖精』が、教養小説的(無垢なものを何ものかが導く構図が多い)な側面を持っているという話が出てきたのだが、時代と言い構成と言い、『アリス』や『リリス』に似ているのでは?と思ったのだ。
やはり似た方向性の関心をもっていた人物なのだろうという話が聞けて、大変おもしろかった。
ノディエは言語学者でもあったようなのだが、(擬音の研究ってめっちゃきになる!)
キャロルもまたやはり数学者であり、言語構造学的なバックボーンがあるからこそあんなナンセンスをうみだしていく。

普遍言語というものがあるのか?

それは(だいたい)同時代のゲーテにも言えることで、彼もまた民俗学的な関心を持ち、地方の言語や説話のなりたちにつよい関心を寄せていたという。
そうした作風、狂気とはなんぞや?本当に隔離すべきアンチ現実とかいう括りなのか?いやちがうだろう
っていう問題提議に関心のあった人たちが、みなこの時代には、同じ方向をすくなからずみつめていたっていうのは
ほんとうにおもしろいなあ


普遍言語ってあるのか、という疑問と擬音のけんきゅうが そういうものと結び付いているのはすごく納得がいくことだとおもった。
私は擬音が大好きです。
擬音ていくらでも作れるから、しかも自然に。べしゃべしゃと ぐしゃぐしゃは違うし、
もにゃもにゃともごもごは違う。それが何故、音の感覚だけでだいたいニュアンスを伝えうるのか。すごく不思議だ。
だから人にたまあに、
言葉で説明するよりも擬音でいったほうが雄弁なこともあるって言ったりしてるのは全く本心です。

何か純粋な最小単位の音(やその組み合わせ)と、人間がそれに対して持つ反応のあいだに、
普遍的な法則があるからそうなるのか?
では「普遍的な意味作用をもった音(節)」というものが存在するのか?

そんなことを考えながら急におもったのは
「ジャヴァウォッキー」っていうのはまさに、 言語・音節の化け物なんじゃないかと。
否、それと似た実験過程に生まれた音の混乱の化け物なんじゃないか。


キリキリのわしゃわしゃが〜してみたいな、
でもそんなにこんがらがりながらもわたしたちは何とかその化け物の正体をヴィジョン化しようとしたり、想像しようと必死にあたまをぐるぐるさせる。
でもわからない。!でもがんばる!想像したい!!
「こんなものわかるワケがない」って当然のことだと割り切って諦めることは、むしろ逆に言葉を理解しているっていう思い込みや、傲慢の類と似ているかもしれない。
それは「言葉っていうのはこんなものだ」とか「言葉はそんなものじゃない」とか「言葉の領域を越えてる!」とかいってしまうのと同じだ。

そうじゃなく、まさにそれを想像しようとする作業工程が言葉なんではないか。

いや、・・・・・・・・・・・・・・・
記号論てそうかそういう・・・・・・・・・
シニフィアンとシニフィエ・・・・・で言うと、 シニフィアン(記号)をさらに視覚記号と音記号が、まったく異質なものだということになるんだろうか?
うああああむずかしいあたまどうなる!

この辺であきらめようか。
要するに私は何の根拠もなく「普遍な音(節)」があればいいなあってとこでそれ以上考えたくない人なんです。





でもさ願望にゆがめられない論理っていうのはどうなの?あるの?
だって身近な例で行くと論文書きながらだって、何か感動に基づく結論と、それを論理立てて説明する材料になるものは、確かにいくつか証拠としてみつかるからその論文書こうとするだろうけど、
それだけでできるなら論文でもなんでもないでしょ。 骨格を一つなぞり方をみつけたってことだけでしょ。
それに肉をつけるのは、結論を無駄なく客観的になるように持ち上げる作業でしょう。

でもそれだって結論に結び付けたいっていう願望に本当に左右されないってことは、
果たしてできるものなの?私はいまんとこできないとおもってる。
知識が多い人ほど、そぎ落としていった空気肉がいっぱいあって、それをそぎ落とした結果を「客観」てよぶなんて、
あまりにお粗末じゃないか。

先生は書くって決めたら書けるものだといったけど、
自分の論理を推してくれるものはもちろんたくさんあるけど、それを違う視点からって言ってしまえばそれまでだけど批判する、破たんさせようとしてくるものっていうのはあるわけでしょ。
それに対しては別の証拠をあげればいいの?
それは客観と言うの? まるで法廷みたいじゃないか。

わたしはだから、人体の形をしているのかも暗闇のなかで見えない人体模型(仮)を、指で一筆書きでなぞっていって一周したら、輪を描いたらあるいは終わりまで行ったと思ったら、それは間違いじゃないんだから、
ひとつの「なぞった真実」だとおもう。
でもそれを、客観だどうだっていうのはどうもしっくりこない。だってそれは小説って形をしているらしいっていうことや、随筆って形をしていたり、人体模型らしいって形をしているらしいってことを、
でもたぶんその人体模型も骨がありえないほど出っ張ってたり、しっぽ生えちゃってたり、ってことが、小説や随筆にも起きてくるでしょう。 
それを暗闇のなかでなぞってるのに、尾っぽを感じとったひとがそれは客観的に真実だって言おうとしたり、
骨盤がない??ってことを客観的に真実だって言ったり、
それはどれも正しいはずだけれど、客観的にっていうのは・・・やっぱりしっくりこない。


とにかく、普遍な音(節) あってほしいな。
普遍記号ってものは存在しないんじゃないかって思う。そういう意味で。
そこにはやっぱり文化の洗礼が必要だと思う。

記号は伝播するものだし、・・・・うん。
ああ、言うのやめよ。
〇ってどうなのよとか考えちゃった。


でもってその関連で、
最近まだ読みかけだけど、『虐殺器官』をよみながら、
「言語は人の思考を規定しえない」っていうような会話が出てきて、
「言語は人間が進化・環境順応をくりかえしていくなかで、
内臓なんかの体の仕組みがそれに合わせて進化してきたように、 人間の器官(organ)なのだ」っていう。
だから今人間が地に満ちて覇権を握っている(ようにみえる)からって、
もし人間以外の生き物が進化して地に満ちていた世界があるとしても、
高等知能や文明をもつ生きものは言語をもっている、言語を理解しうるっていう前提は
まったくの思い上がりに過ぎないと。
カラスの文明があったらカラスのくちばしがなければ生き物は進化しているとは言えないと言うのと同じだと。
そして自分の器官が発達しすぎたことによって滅びた生きものもいるじゃないかと。(サーベルタイガーのように)


言語が人格や思考を規定しうるかっていうのはほんと構造学っぽいなあ
構造学はうんっていっちゃうよねたぶん。いや詳しくないんだけど。


つねに言語で思考してしまうこと・・・「思考言語:日本語に切り替えます!byえヴぁ」てきな、
つねに親しんだ言語で思考してつねに頭ん中喋りっぱなしっていうのが、
言語が内臓と同じような人間の器官だからだなんて考えたこともなかった。 


いやまだ色々考えないと答え出せません。でも
言語記号が先行しているというよりは、
やっぱり、もともとツールとして内側から生まれたはずのものである言語が、それを発することによって、記すことによって、自分に攻撃や影響として跳ね返ってくるっていうほうが、わたしには受け入れやすい。
そこにはいつの間にか記号の宇宙ができあがっていて、わたしたちよりも膨らみすぎたような感はあったとしても、
やっぱりもともとはわたしたちとともにあったものだっていうことの方が。
そういう意味では、私たちのなかに何億もいるっていう一部は害がある細菌とにたものがあるだろうか

なんだか新しくて感動したから引っ張られている感もあるけど。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

・・・・ははは
おかしいな、なんでこんなに思いつくままにしゃべってるんだ;

そうだね、あと先生とは「リア充」についても話をしたな。
未来のイヴ的な願望と、今のアンドロイドロボットとかアイドルマスター的なものとか、
媒体は違うかに見えるけどやってることはむかしっから変わらないねえっていう。

わたしはリア充ってことばがオタクを名乗る人が使うのもいわゆるリア充がうらやま的に使うのも大嫌いで。
だってリア充のリアルもオタクのリアル(非現実)も変わんないじゃないか。
それをオタクは非リアルのせかいに入り込んでるとかいうの馬鹿みたい。

リアルってすごく相対的だし、
オタクが二次元に見ているものだって私はある種のリアルだと思っている。
それを二次元二次元って言葉を使って「現実」ってものとなんとか乖離して、乖離していることで自分を保っている部分もある。オタクはリアルがないと二次元と言うリアルを得られない。
それは要するにもっと大きな意味でどちらもリアルなのだ。
どちらが高尚もなにもない。
二次元の世界のすごさをまっこうからだめっていうやつは勿論馬鹿だと思うけど、
似たような作用を期待する、おれはリアル充実してないから・・・みたいなことをほざくのはもうほんと嫌い。
だからどっちもおんなじだってのって思う。

リアル充実してないから・二次元が充実してるからっていうことは、そういうリアルを充実させているっていうことでしょうが。  オタ充とかいうけどもうほんとにいらいらする。
現実逃避の形だと自覚しているならまだわかるけど、 リアルが充実していないということでリアルを遠ざけて、二次元を見つめているという癖にそれはリアルではないと。

なんて都合よくカムフラージュされてなにものも選んでいないのに、まるで何か他人とは異なるものを選んでいるかのような錯覚を引き起こす。
二次元がいわゆる現実の世界と違う素晴らしさを持ってるっていうのはぜんぜん問題ないけど、
リアルを退けることで何かを選んだふりをして実際はそのリアルにしがみついているのをやめてくれ。
吐き気がする。 
それならいっそ  非リアルと言う名の自分にとっての現実なんだと認めておもいっきり妄想すればいいじゃないの。


なんかわかりやすく言うためにまるでオタク責めてるみたいになってるけど、
ようするにいわゆるリア充がリア充っていうときはお宅の世界を乖離することによってたもってるんだ
やってることはどっちも同じでどっちも卑怯でどっちも馬鹿だ。


と、こんなつよい口調では話してないけど、
先生と話してたのはそんなことで。  二次元とリアルについてまったくわかってないっていうならいえばいいが
そう言うこと自体がおかしなプライドに包まれていて、アイデンティティーであって、
こっちが何もわかってないなと言いたいところ。

だってだれだって、快楽的なのはどっちの世界もかわらないじゃないか
そしてそれでいいじゃないか、みんな美しいこと充実してることは好きなんだ。 嗜好とパターンの問題なんだから。
P R
プロフィール
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  • アイコン画像 ニックネーム:古戸 臣
  • アイコン画像 性別:女性
  • アイコン画像 誕生日:2月23日
  • アイコン画像 血液型:O型
  • アイコン画像 職業:大学生・大学院生
  • アイコン画像 趣味:
    ・読書
    ・妄想瞑想夢想一輪草
    ・絵(描くのも見るのも
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