遊牧民族王朝の結婚事情

October 05 [Wed], 2011, 15:48
劉聡(?‐318年、在位310年-318年)は五胡十六国の一つ・前趙(304年-329年)の第3代皇帝です。

彼は匈奴の単于(遊牧民族の首長のこと。「ぜんう」と読むのが一般的)から前趙の創建者となった劉淵の3男(4男とする説もあります)で、母は側室の張夫人(光献皇后)です。母張夫人は涼公・張寔(ちょうしょく、271-320年)の一族でしたが、彼は前涼(現在の甘粛省あたりを支配した国)の支配者で、れっきとした漢人でした。異母兄に廃帝劉和がおり、同母兄に劉恭がいます。



匈奴に限らず遊牧民族は家柄や血筋を重んじる傾向にあり、首長の結婚相手は家柄重視で決められました。そのせいか、漢民族の中華王朝から下嫁された皇女が閼氏(首長の正室)になることも多かったのです。また彼らは漢族と違って閼氏を一人とは定めませんでした。メル友ギャラリーで一人と決めないのと同じですね。中国の歴史に登場する遊牧民族国家では、複数の皇后を立てる皇帝が何人も出てきます。これは一夫一妻多妾制を取る漢民族の価値観ではまず考えられないことでした。それは遊牧民にとって女も労働力として重要であり、そのために漢民族と比べて女性の社会的地位が高めだったからと思われます。遊牧民族国家においては、深窓の妻というものは存在しません。妻も妾も同じように放牧や交易などの諸活動に従事すべき存在でした。



また、遊牧民族ではしばしばレビラト婚が発生しました。これは一家の主人が死んだときにその妻妾を、その息子又は弟が(実母以外の)娶るというものです。これは漢民族の価値観では野蛮とされましたが、婚姻によって結ばれた両家の関係を断ち切らないようにするため、あるいは一家の大黒柱を失った女たちの保護のためということもあり、それはそれで彼らにとっては重要な意味を持っていました。
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