唐津城石垣地鎮の土師器。

July 08 [Fri], 2011, 3:16
唐津市教委は21日、唐津城の石垣再築整備事業に伴う文化財調査で、本丸西側から石垣修復時に行った地鎮の痕跡を示す土師器はじきが2枚見かったと発表した。皿には陰陽道おんみょうどうの文字や記号が墨で書かれており、このような地鎮を示す土師器が発見されたのは、県内で初めてという。山田和男西側の石垣は、今回の調査で江戸時代に少なくとも6回修復されているのが確認された。城が唐津湾に面した満島山43メートルに造られており、勾配が75度前後と急峻きゅうしゅんなため、石垣が自然災害で崩落したと考えられている。土師器は昨年11月、3度目に石垣を修復した箇所の盛り土層を約1メートル発掘していたところ、発見された。直径127センチ。口縁部同士を重ねる合わせ口の状態で水平に置かれていた。盛り土の最終工程で据えられ、さらに約20センチの盛り土が行われていた。皿は技法から京都で製作されたもので、内面に、陰陽道で相手を強める影響をもたらす関係を表す相生そうじょう、相克の関係を表したなど5種類の文字、記号が記されていた。市教委文化財担当の坂井清春さん35は城で一番大事な本丸を守りたいとの願いを込めた地鎮だろう。京都製の土師器が使われていたのも、当時の人、物の交流を探るうえで重要と話している。市教委は今回の発掘成果にいて、26日午前11時、午後2時の2回、現地説明会を開く。集合場所は城の中段広場。説明は1時間程度。読売新聞佐賀地域版年月日付記事より引用引用元の記事には、出土した土師器左が上の皿、右が下の皿の写真や、土師器が出土した場所を示す坂井さんの写真も紹介されています。城を守りたいとの願いを、陰陽道の祈願を利用して建てているところもおもしろいものです。こうしたものは、現代も家を建てるときの地鎮祭にも通じるものがあると思います。YKIにゃん
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