「タイムトラベラー──クロノスの裁断」
2012年02月21日(火) 22時50分
時野旅人と名付けられた男の話を聞いたのは、警察学校の同期で交番勤務の友人からだった。
名前も住所も分からなくなったと交番を訪ねてきたのだと言う。
こういうことは日常茶飯事ではないけれど、それほど珍しいのでもないらしい。
心得たものですぐに病院に案内した。
当然警察としても身元を探していたのだが、しばらくして男が実際には記憶を失ってはいないと告白した。
ただ、それから男が語った内容が更にぼんやりとしたものだった。
過去へ行って父親を殺したために世界が変わってしまったと言うのだ。
それでも住所や名前など具体的な話が出てきたので、いくらか調べる手掛かりができた。
もっとも、住所は実在するが男はそこの住人ではないし、まったく縁もない(と彼自身も前もって認めている)。
何も分からないのと同じだった。
彼が記憶している内容から「母親」を見付け出すのに成功したものの、これも上手くいかなかったようだ。
そして今や彼の心は正真正銘、虚ろな状態となってしまっていると言う。
だから元から彼は妄言や虚言を繰り返していたのだろう、と友人は苦笑した。
「大体、機械も使わずに時間を自由に往き来するなんて、あり得ないよな」
俺は「そうだな」と適当な相槌を打ちながらも、その男にかなりの興味を持った。
いや、その男の言葉を信じていた。
何故ならば自分も他ならない「能力者」だからだ。
最初に時間を飛んだのは恋人が殺された夜だった。
俺がデートを不意にして通り魔の警戒に駆り出されたあの日、彼女はその通り魔の手に掛けられたのだ。
自分が一緒にいたら絶対に歩かなかったはずの道で、しかし自分が巡回していたほんの1キロ先で……。
我を忘れて彼女の遺体にすがり付く俺を当時の部長が引き剥がし、近くの公園のトイレへと追いやった。
俺は壁という壁を叩き、号泣した。
通り魔への怒りは勿論、仕事を押し付けた本署への恨み、それをみすみす受け入れてしまった自己嫌悪──そうした感情が身体を突き破らんばかりに満ちて、遂には俺は言葉にならない叫び声を上げていた。
するとふわっと一気に身体が軽くなる感覚がした。
妙にしんとしているように感じて出ていくと、警察関係者や野次馬が消えている。
あっけに取られている俺の耳に聞き慣れた靴音が入ってきた。
公園の前の道を見ると死んだはずの彼女が不機嫌な時の癖である早足で歩いてくるところだった。
声を掛けようとするのだがなぜか足は動かず、声も出せない。
次には彼女とは別方向から走ってくる男に気付いた。
立ち尽くすしかないままの俺から両者が植え込みに遮られた途端、彼女の「うっ……」と呻く声がした。
一瞬に絶望が襲う。
ショックと共にまた軽くなる感じが来て、俺は再び「現場」の喧騒に包まれた。
──何だ、今のは?
錯乱して幻想を見たのだろうか。
──いや、幻想でも何でもいい。もう一度、冬実に会いたい。
強く願うと俺は再び時間を超えた。
以来、俺は事件の起きる度に飛び、その事件を「目撃」することで解決へと導いてきた。
勿論、いきなり「犯人はアイツだ」と言ったところでまともに相手にしてもらえないから、それなりに策を講じなければならない。
とにもかくにも、能力のお陰で俺は今や本部の捜査一課班長を務めている。
異例の出世に風当たりも強いが、いちいち気になどしていない。
端から信じる人間もいないからばらしはしないが、もし能力を使って事件を目撃していると言えば、批判もあるかも知れない。
どうして殺人をみすみす黙って見ているのか、と。
目撃できるのだから寸前に出ていって未遂で済ますのは可能なようだ。
実際、俺も彼女を助けようと何度か試みた。
しかし駄目だった。
あらゆる方法を考えて止めようとしたが、その度に強大な力が働くように現代に引き戻されてしまう(さもなければ最初のように身動きが取れなくなる)。
それで遂には過去に干渉はできないと諦めた。
せめて確実に犯人を捕まえて早期に解決しようと決めたのだ。
しかし、時野旅人は父殺しに成功したらしい。
殺人を実行できて殺人を防ぐのが不可能なのは、随分理不尽な気もするが、こういうことだろう。
通り魔が逮捕されるかどうかは社会を大きく動かす。
それは俺が動くことで成立していて、その大前提が彼女の死なのだ。
だから変えられなかったのだろう。
一方、一個人の親が死ぬかどうかは当事者にすれば大事であっても、申し訳ないけれど、歴史的一大事ではない。
時の修復作業みたいな働きでいくらでも修正が利く範囲なのだ。
もう一つ、時野が「父親」の血を引いていないことも大きかったのだろう。
実際のところは不明だけれど結果が何より物語っている。
彼が実子だとしたらやはり過去を変えることなく、現代に引き戻されたに違いない。
父殺しに成功したことが幸せだったのか不幸だったのか……やはり不幸だったのかも知れない。
彼は「母親」さえも失った。
当人は随分ショックを受けているようだが、早い話が彼は「母親」の血も引いていなかったということだ。
前世(面倒臭いので父殺しをする前に彼がいた世界をこう呼ぶ)で彼は養子だったのだろう。
だから本当の両親は他に存在していて、現世でも時野は存在し得たのだ。
但し、前世のように「両親」が結婚しなかったために、彼は「母親」の子にもなれなかった。
それよりも俺が興味を惹かれたのは、時野が父殺しをしたために能力を失ったということだ。
しかも「父親」を殺してすぐに能力を失ったのではなく、現代に帰ってくる(正確には現世に転位する)ことはできている。
一見矛盾があるようで「やはり虚言か」と疑ったが、考えてみれば寧ろ自然なことなのかも知れない。
彼が「父親」を殺した30年前の世界に彼は本来存在していない人間だ。
だからそこからいなくなる必要がある。
それで最後の一度の時間移動は可能だったのだろう。
現世に来てピースが収まったので能力は消えてしまった。
もう一つ気になるのは、彼が前世の記憶を持っている点である。
ピースに収まるのならば現世に合った記憶に入れ替わりそうなものだ。
これはもしかすると安易に過去を変えた者への罰なのかも知れない。
存在そのものが消えてしまえばそれまでだが、自分が溶け込めないままその世界で生きていかねばならないのは、相当の苦痛を伴うだろう。
現実に時野旅人は遂には精神を壊してしまった。
しかし神様のような者がいたとして、罰を与えるくらいならば最初から過去を変えさせなければいいように思う。
俺に関しては明らかに「変えさせない力」が働いている。
果たして時野旅人は本当にタブーを犯したのだろうか。
名前も住所も分からなくなったと交番を訪ねてきたのだと言う。
こういうことは日常茶飯事ではないけれど、それほど珍しいのでもないらしい。
心得たものですぐに病院に案内した。
当然警察としても身元を探していたのだが、しばらくして男が実際には記憶を失ってはいないと告白した。
ただ、それから男が語った内容が更にぼんやりとしたものだった。
過去へ行って父親を殺したために世界が変わってしまったと言うのだ。
それでも住所や名前など具体的な話が出てきたので、いくらか調べる手掛かりができた。
もっとも、住所は実在するが男はそこの住人ではないし、まったく縁もない(と彼自身も前もって認めている)。
何も分からないのと同じだった。
彼が記憶している内容から「母親」を見付け出すのに成功したものの、これも上手くいかなかったようだ。
そして今や彼の心は正真正銘、虚ろな状態となってしまっていると言う。
だから元から彼は妄言や虚言を繰り返していたのだろう、と友人は苦笑した。
「大体、機械も使わずに時間を自由に往き来するなんて、あり得ないよな」
俺は「そうだな」と適当な相槌を打ちながらも、その男にかなりの興味を持った。
いや、その男の言葉を信じていた。
何故ならば自分も他ならない「能力者」だからだ。
最初に時間を飛んだのは恋人が殺された夜だった。
俺がデートを不意にして通り魔の警戒に駆り出されたあの日、彼女はその通り魔の手に掛けられたのだ。
自分が一緒にいたら絶対に歩かなかったはずの道で、しかし自分が巡回していたほんの1キロ先で……。
我を忘れて彼女の遺体にすがり付く俺を当時の部長が引き剥がし、近くの公園のトイレへと追いやった。
俺は壁という壁を叩き、号泣した。
通り魔への怒りは勿論、仕事を押し付けた本署への恨み、それをみすみす受け入れてしまった自己嫌悪──そうした感情が身体を突き破らんばかりに満ちて、遂には俺は言葉にならない叫び声を上げていた。
するとふわっと一気に身体が軽くなる感覚がした。
妙にしんとしているように感じて出ていくと、警察関係者や野次馬が消えている。
あっけに取られている俺の耳に聞き慣れた靴音が入ってきた。
公園の前の道を見ると死んだはずの彼女が不機嫌な時の癖である早足で歩いてくるところだった。
声を掛けようとするのだがなぜか足は動かず、声も出せない。
次には彼女とは別方向から走ってくる男に気付いた。
立ち尽くすしかないままの俺から両者が植え込みに遮られた途端、彼女の「うっ……」と呻く声がした。
一瞬に絶望が襲う。
ショックと共にまた軽くなる感じが来て、俺は再び「現場」の喧騒に包まれた。
──何だ、今のは?
錯乱して幻想を見たのだろうか。
──いや、幻想でも何でもいい。もう一度、冬実に会いたい。
強く願うと俺は再び時間を超えた。
以来、俺は事件の起きる度に飛び、その事件を「目撃」することで解決へと導いてきた。
勿論、いきなり「犯人はアイツだ」と言ったところでまともに相手にしてもらえないから、それなりに策を講じなければならない。
とにもかくにも、能力のお陰で俺は今や本部の捜査一課班長を務めている。
異例の出世に風当たりも強いが、いちいち気になどしていない。
端から信じる人間もいないからばらしはしないが、もし能力を使って事件を目撃していると言えば、批判もあるかも知れない。
どうして殺人をみすみす黙って見ているのか、と。
目撃できるのだから寸前に出ていって未遂で済ますのは可能なようだ。
実際、俺も彼女を助けようと何度か試みた。
しかし駄目だった。
あらゆる方法を考えて止めようとしたが、その度に強大な力が働くように現代に引き戻されてしまう(さもなければ最初のように身動きが取れなくなる)。
それで遂には過去に干渉はできないと諦めた。
せめて確実に犯人を捕まえて早期に解決しようと決めたのだ。
しかし、時野旅人は父殺しに成功したらしい。
殺人を実行できて殺人を防ぐのが不可能なのは、随分理不尽な気もするが、こういうことだろう。
通り魔が逮捕されるかどうかは社会を大きく動かす。
それは俺が動くことで成立していて、その大前提が彼女の死なのだ。
だから変えられなかったのだろう。
一方、一個人の親が死ぬかどうかは当事者にすれば大事であっても、申し訳ないけれど、歴史的一大事ではない。
時の修復作業みたいな働きでいくらでも修正が利く範囲なのだ。
もう一つ、時野が「父親」の血を引いていないことも大きかったのだろう。
実際のところは不明だけれど結果が何より物語っている。
彼が実子だとしたらやはり過去を変えることなく、現代に引き戻されたに違いない。
父殺しに成功したことが幸せだったのか不幸だったのか……やはり不幸だったのかも知れない。
彼は「母親」さえも失った。
当人は随分ショックを受けているようだが、早い話が彼は「母親」の血も引いていなかったということだ。
前世(面倒臭いので父殺しをする前に彼がいた世界をこう呼ぶ)で彼は養子だったのだろう。
だから本当の両親は他に存在していて、現世でも時野は存在し得たのだ。
但し、前世のように「両親」が結婚しなかったために、彼は「母親」の子にもなれなかった。
それよりも俺が興味を惹かれたのは、時野が父殺しをしたために能力を失ったということだ。
しかも「父親」を殺してすぐに能力を失ったのではなく、現代に帰ってくる(正確には現世に転位する)ことはできている。
一見矛盾があるようで「やはり虚言か」と疑ったが、考えてみれば寧ろ自然なことなのかも知れない。
彼が「父親」を殺した30年前の世界に彼は本来存在していない人間だ。
だからそこからいなくなる必要がある。
それで最後の一度の時間移動は可能だったのだろう。
現世に来てピースが収まったので能力は消えてしまった。
もう一つ気になるのは、彼が前世の記憶を持っている点である。
ピースに収まるのならば現世に合った記憶に入れ替わりそうなものだ。
これはもしかすると安易に過去を変えた者への罰なのかも知れない。
存在そのものが消えてしまえばそれまでだが、自分が溶け込めないままその世界で生きていかねばならないのは、相当の苦痛を伴うだろう。
現実に時野旅人は遂には精神を壊してしまった。
しかし神様のような者がいたとして、罰を与えるくらいならば最初から過去を変えさせなければいいように思う。
俺に関しては明らかに「変えさせない力」が働いている。
果たして時野旅人は本当にタブーを犯したのだろうか。


