滝沢 

2004年08月25日(水) 18時07分
 タイトルの都合上「滝沢」と呼び捨てだが(一応しりとり形式にしようと思っちょりますので)、今回は滝沢馬琴について。
 「南総里美八犬伝」を書いた滝沢馬琴(滝沢解)のペンネームは曲亭馬琴。これは国語の教科書に出てくる話なのでご存知の方も多いかと思う。
 「くるわでまこと」というのがその由来だそうで、つまり遊郭で真剣に遊女を愛してしまうアホたれってこと。
 近代文学に少しでも興味のある方なら遊郭という言葉から永井荷風を思い浮かべることがあるかもしれない。この永井荷風という人は曲亭馬琴の対極のような生活を送り、遊女に心を奪われることなく遊び歩いていたような人物である。
 どっちが男性の本質か、と問われれば正直者は永井荷風であろう。誰だって一度は夢見る終生の女遊び。それを体現できたということは人生がすなわち文化だったといえる。
 時代が違えば、現代の風俗とそれぞれ当時の遊郭とでは趣も違う。「自主性」が有るか無いか。自主性の無かった昔の(といっても昭和中期まで同じようなもんだが)遊郭は遊女にとっての「生活」であって、ビジネスという感覚が乏しい。語弊が有ると申し訳ないが、結局他人に導かれた世界に生きているからだ。勿論経営者としてのおかみさん連中にはビジネス感覚があっただろう。遊女としても何とか借金を早く返して一般社会に出て行きたいという気持ちがあったと思う。だが具体的に脱出した後のビジョンがまるで見えない状態で夢を見ているといったほうが正確なのではないかと思う。そんなんじゃビジネスに本腰は入らない。
 ひるがえって、今の風俗嬢はビジネスを前提にお股をご開帳する。そう考えて風俗に行くと即物的な性交渉が単なるオナニーになってしまい寂しい。
 だがそれでも通い間男になってしまうのが馬琴で、遊郭から足を洗うのが荷風なのではないか。
 どちらにしても遊女(風俗嬢)は男性にとって、人生を方向付ける指針であり、とても偉大である。

あほ みっくすど ういず ざ ぱすた 

2004年08月22日(日) 23時28分
 科学技術は「戦争」と「エロ」、つまり男性の欲望を満たすために飛躍してきたことは疑いようもなく、また納得できる話である。と同時に思うのは多くの発見や発明の影で「アホ」もまたその懐を深くしていったのではないかということ。 
 判らないことは判らないこととして「神」や「宇宙人」や「呪い」「超能力」「本能」という形而上的概念に置き換えてなんとなく言い訳していた事象が、学問レベルの発達に伴い本質を白日の下に晒し、そのおかげで「神」や「呪い」という言葉自体がアホを指す代名詞になってきている。

 では、科学技術の発展による副産物である「アホ」とはいったい何か。これは「サブカルチャー」と言い換えても当てはまる。60年代アメリカでふくれっ面したバカたれ達が産んだサブカルチャーはほんの少しの間本当の文化であったが、現代風に訳せば「胡散臭いもの」に成り下がってしまった。
 ただ、ここで重要なのは「胡散臭い」ってトコなのだけれど、長い歴史の中で形而上的概念を心底信じていた人間は、例え決定的な証拠を突きつけられて信念をひっくり返されてもなお、心の片隅で信じ続けてしまうのではないか。狂信的なキリスト教徒が未だに地動説を唱えているように、「自分の目で確かめなきゃ間違いを認めません」的な心の拠り所として「アホ」「サブカルチャー」が存在するのだ。

 ホーキング博士がブラックホールから別次元にワープは不可能って最近自説を訂正したけれど、僕はアホなので未だに出来ると信じてます。
ここは、「アホ」とか「エロ」についての散文ページです。
画像とか全然ありません。
あんまり気合も入ってません。
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