追悼、連帯、抗議。

January 18 [Wed], 2012, 20:26
阪髄蜷k災から17年が経ちました。
今でもあの恐怖を、光景をすぐに思い出せます。
取り乱す母親、倒れてきたタンスに挟まれ九死に一生を得た父親、家族散り散りに給水車が来てる場所に水をもらいに並んだこと。
臨時休校のままいつから始まるか分からない学校、ガス漏れの匂い、燃える道路、傾いた家、そのなかで味わったカップラーメン。
しばらく経ってテレビをつけたら、まるで戦場のように燃え盛る街。
僕の知ってる街。
オモチャのように倒れる高速道路、寸断され半分落ちかけの観光バス。
余震の恐怖。
地震前日に見た真っ赤な月。
トラウマにもなった前夜に見た某映画。
数年経っても、草野球して遊んだ広場は仮説住宅で埋め尽くされ、5年生になって一時はプレハブの校舎で授業を受けていた。
そんな記憶。
まだまだある。
が、その衝撃はそれまで生きてきた人生で最大だった。
家や家族や仕事や大切なものを失った、彼ら彼女ら。
本当に辛かった。
数年後引っ越した街は、復興住宅のそびえ立つニュータウン。
顔も知らない仲間ばかりが集まったけど、その団結力は素晴らしかった。
大きな地震がある度についつい反応してしまう。
今でもずっと。
東北の震災には言葉がなくなった。
海外でもハイチやチリやスマトラやニュージーランドやたくさんの地震が起きた。
みんなで支えあう。
そこには国境もなければ民族もない。
日本人なら同じ想いを被災地に向けられるし、共に歩んでいける。
人間は強い。
めちゃくちゃ弱いけど、めちゃくちゃ強い。
だから明日も頑張れる。
当時、表現する手段を持たなかった僕が、今はこうして日記も書けるし、ドラムも叩けて、歌も歌える。
しっかり社会に生かされている。
絶対に無駄にしたくない。
そう思わせてくれる117震災の日。
皆さんはいかがお過ごしですかリーディングホース
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