科学的精神が一つの思想

August 10 [Fri], 2012, 20:53
科学的精神が一つの思想として、社会的実在性を有つ時には、之は科学の専門家だけによる反省的所産でばかりあるのではない。勿論専門家の科学研究をば指向的に貫くものであると共に、夫は歴史的経緯の結果として、同時に、人間生活全般を貫く大衆の生活意識の基調でもなくてはなるまい。

生活全般・文化形態全般・が科学という文化の一ジャンルに解消して了うのでない限り、科学的精神なるものの思想的な抽象性と普遍的な流通性とには、実際上の意義があるのだ。そうでないとすれば「思想」というものを一般に否定する他ない。思想が犯す浮き上りの弊害、或いは寧ろそういう必然的な誤謬の故に、思想の抽象的流通性そのものの実在性をさえ、観念的に無視したり否定したりする結果となってはいけない。この必然的な誤謬を克服して行くという課題の実行の内にこそ、思想の真実が実現するのだ。

この点現代の科学(自然科学と社会科学)の専門家乃至科学アカデミシャン達の一考を要する処であり、同時に彼等の社会的な位置と役割とに関する問題だ。――単にブルジョア科学者のことだけではない、唯物論的傾向にある科学者達に於てもだ。唯物論の「具体化」の名の下に、擬似ブルジョア・アカデミシャニズムに陥り込んではならないのである。

所謂科学論(之は勿論ブルジョア哲学と密接な関係があって発達して来た)というものも、科学に就いての思想的な所産なので、そこに一応相対的に独自な史的発達を有つ或る理由があったのである。云うまでもなく夫々の時代の科学と科学論とは密接な連関を持っている。だがこの連関が機械的に割り切れるようなものでないのが事実であったし、今日でも亦そうだ。

それ故今日までの科学論が、主として専門の科学者ではない処の、而も夫々の専門科学の付近で物を考えた処の、哲学者達によって試みられたことには、或る充足理由があったわけだ。

子育てキレイ日記
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:りょう2wa6
読者になる
2012年08月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
ヤプミー!一覧
読者になる
P R
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
http://yaplog.jp/ameowari1/index1_0.rdf