お話の分岐点

January 01 [Wed], 2020, 0:00
こんにちは、朱李です。
カテゴリ「散文。」の目次です。

前のブログで書いていたものも載せてます。
書く予定のものも載せてます。
全部気まぐれです。

【長編】Old ↑ ↓ New

◎夢見人(Yume Mi Hito) Start:2011.9.6
読む前に
Opening
act.1 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 (2011.9.20)
act.2 1 2 3 4


【夢見人】 act.1_9

September 18 [Sun], 2016, 17:00
「しまった。携帯忘れた……」
 電車に揺られながら、涼はぼうっと外を見る。
 次に止まる駅を確認して、ポケットに突っ込んでいたデジカメに触れる。
 空飛ぶ少女に会える気はしなかったが、ぜひとも彼女の走っていた町を撮ってみたいと思ったのだ。
 通っている高校の最寄駅から二つほど手前になる駅。中心市街地からやや離れた場所にあり、なおかつ学校等も近くに無いためにやや寂れた印象が否めない。
 小さなゴミの目立つ階段を下り、改札口を通って駅構内から出ると、灰色の町にたどり着いた。
 駅前の商店街のほとんどがシャッターを閉め、時代の流れに取り残されたかのような愉快な看板ばかりが静かに佇んでいる。人の姿が見当たらず車も通らない駅前は、それこそ風の音と歪んだ鉄の階段がギイギイうめく音しか存在していなかった。
 今までこの町に降り立とうと思ったことは一度も無い。何せ、ろくな目的すらも見出せない住宅街の目立つ町だと思ったのだ。実際、寂れた商店街の周りには築三十年を越えそうな小さな日本家屋が並び、どこからか風に乗って流れてきたワイドショーの音が耳にくすぐったくまとわりつく。
 この灰色の町に、少女はいるのだろうか。
「……考えても仕方ない、か」
 涼はデジカメを取り出し、寂れた商店街をモニタに映した。



 歩けど歩けど寂れた風景しか目に映らない町の中で、涼は歩む足を止めた。
「ここ、かな」
 電車の中から少女を見つけたとき、一緒に目に映ったのがとある建設事務所の看板であった。
 その事務所の下にたどり着いたが、景色はまるで先程と変わらない。まだ昼間だというのに活気のない事務所付近は、人の気配もなかった。
 耳を澄ませてみても、何も聞こえない。時々通過する電車の音だけが、長い沈黙を一瞬だけ切り裂いた。
 なんて寂しい所なのだろう。
 涼は心が冷たく、寒くなるのを感じた。

 —————……っ

 一瞬、風の音だと思った。
 はっとして、耳を澄ませる。どこからか聞こえる、その音に耳を傾けた。
「……口笛?」
 決して上手くはないけれど、空気の擦れる素朴な音色は事務所の向こう側から聞こえた。
 涼は走った。特に意味も無いけれど、そちらに一刻も早く向かいたいと思ったのだ。
 素朴な音色はだんだんと近くなる。近くなればなるほど、その口笛が何を奏でたいのかがなんとなく分かってきた。
 巷で有名な、とあるロックバンドのデビュー曲のようだ。店先などでよく聞く曲だ。
「はぁ……」
 目当ての場所にたどり着いて、深く息を吐く。じわりとにじんだ額の汗を乱暴に服の袖で拭った。
 そこはどうやら廃ビルのようだった。四階建ての縦に長い直方体の箱で、涼が走ってきた道路に面してワンフロア毎に大きな開口部が設けられている。ガラスのはめられていないそこは吹き抜けで、一歩間違えれば下に落ちてしまうだろう。
 そんな廃ビルの四階、窓縁から足を投げ出して人影が見えた。その人が口笛を吹いていたようだ。
「あっ」
 その人影に見覚えがある。
 藍色のスカートが風に舞い、夏の制服のリボンがそよそよとなびく。ストレートのロングヘアが印象的で、逆に真っ白な肌がよく映える。
 彼女だ。
 涼はゆっくりと廃ビルの下まで歩いていった。彼女は涼に気が付かず、そのまま口笛を奏で続けている。
「スカイクリスピーの『Good Home』」
 ぼそりと呟いた。
 風の音がより一層強く感じる。
「その歌、僕も好きなんだ」
 今度ははっきりと、上に見える少女に言葉を投げかけた。
 口笛の音が止まり、ゆっくりと下を見下ろした少女と目が合った。彼女は目を大きく見開く。
 涼は大きめの声で彼女に呼びかけた。
「昨日、君を見たんだ。君と話をしたい! 今からそっちに行くから、逃げないでくれよ!」
 少女の返事も待たずに涼は駆け出した。廃ビルの狭い階段を駆け上がっていく。
 早鐘を打つ鼓動は走っているせいだけではあるまい。収穫物に対する大きな期待に胸が張り裂けそうだった。
 彼女を見かけてからまだ一日しか経っていないというのに、まるで何年も探し続けていたような気持ちが込み上げる。
 彼女と話さなければ。それはただの好奇心だけでは済まされない、何かしらの使命にも似た気持ちだった。
 一気に四階まで駆け上がり、道路に面するオフィスフロアの扉を開けると、がらんとしたコンクリートの剥き出す広い部屋が目に飛び込む。所々に設けられた開口部にはやはり窓ははめられておらず、そこから入り込んでくる風が面白いくらいに部屋の中でくるくると踊った。
 少女がこちらを振り返った。上半身をねじって、警戒するような目でこちらを見ている。
「突然来て、ごめんなさい」
 まずは詫びの言葉を挟む。
「君を見つけて、話さなくちゃって必死になって……突然すぎて、びっくりするよね」
「……君、何なの?」
 少女の第一声は激しい警戒の色を秘めていた。こちらをじっと観察しているようだ。
 涼は手を振って自分が危険な存在ではないことを示した。そして、少しずつ少女に近づく。
「通学中に電車の中で、君が空を飛んでいるのを見かけたんだ。だから、話をしたくて……」
 我ながら、なんとも冴えない文句だと思い、涼は苦笑する。しかし、少女の警戒心はなかなか解けそうにない。
 無理も無い話だ。空を飛んでいるのを見た、と言われて警戒しない人間はいない。
 涼は少女から一定の距離を保って停止した。
「君と、話がしたい」
 他人に対してこんなに興味を持ったのは初めてだった。心に占める感情は、好奇心。自然と目がきらきらと輝く。
 そんな涼に対して、少女は呟くような問いかけをした。
「君は、私のことが見えるの……?」
 それは予想に無い質問だった。思わず涼はぽかんとしてしまい、小首を傾げる。
「え、見えてるよ」
「なんで?」
「なんで、って……」
 彼女の質問の意図を理解することができず、涼は少し焦った。しかし、どちらかと言えば焦っているのは彼女のようにも見える。眉間をきつくひそめて、怖い目つきをしていた。
「なんで私のことが見えるの? 変よ」
「変じゃないよ。君の方こそ、見えてるのに見えないだなんて、変だ……」
 そんな言い合いをして、ふっと涼はあることを思いついた。
 人に見えなくて空を飛べるもの。
「もしかして、君って幽霊か何かなの?」
 ごくりと息を飲み込んでそう尋ねると、少女の表情が変化した。質問に対して、呆れかえっているように見える。
 深い溜息と共に、少女は涼をきつくにらんだ。少し、怒っているようだった。
「私は生きてる。目に見えないものと一緒にしないでよ」
「え。でも、君、なんで見えるのかって……」
 訳が分からず、涼は頬をぽりぽりと掻いた。
 窓縁に座っていた少女は足を室内に向けて、すとんとフロアに立った。涼と対峙する形になった少女は、眩しそうに目を細める。
「一つ聞かせて。どうして私が空を飛んでいて、君は……気味悪がらないの」
 目を細めている少女は、まるで泣きそうな顔をしているように見えた。涼はそんな彼女に対して、あっけらかんと答える。
「だって、見えたんだ。見えたんだから、それが真実だろう?」
 あまりにも当たり前のことのように涼が言うものだから、少女は意味が分からないように瞬きをしてみせた。
 複雑そうな表情の彼女に、涼はふふっと笑いかけた。
「確かに非現実的だとか非科学的だとか言うかもしれないけれど、僕は目に見えたから信じるんだ」
 一歩だけ、彼女に近づいた。
 彼女はもごもごと口元を動かしている。「そんなの、おかしい」と言っているようにも見えた。
 もう一歩近づいてみる。少女はうつむいた。
「じゃあ、僕も聞きたいことが。どうして、自分のことを見えないかって聞いてきたの?」
 近づく足を止めた。彼女との距離、およそ四歩。
 さらりと流れる黒髪が、微かな風になびいた。綺麗だな、と思う。
「……君は、超能力って信じてる?」
 質問を質問で返されるが、涼は特に嫌な顔をせずに回答する。
「信じる信じないって、まず基準がおかしいと思うんだけど……」
「どういうこと?」
「何が現実で何が夢なんだろう。目に見えても信じないって頑に言ったら、それは夢になってしまう気がするよ」
 だから僕は、目に見えるものはきっと真実だって思うんだ。そう思う事にしているんだ。
 その答えに、彼女は顔を上げて呆然としていた。もう一歩近づいてみる。
「超能力云々を信じるって訳じゃないけど、あるんだったら見せてほしい。目に見えるのなら、僕は信じるから」
「……君って、変」
 涼は軽く笑った。少女もほんの少しだけ緊張を和らげた。
「君みたいな人は、初めて見た」
「僕も、空飛ぶ女の子は始めて見たよ」
 ようやく少女は顔をほころばせた。思わず涼は、持っていたデジカメを彼女に向けて構えた。
 しかし、モニタを見た瞬間にその表情が固まる。ばっと顔を上げると、少女は苦笑いを浮かべていた。
「カメラには、映らないよ」
 モニタに映っているのは、窓から見える青い空。少女の姿などどこにも無かった。
「……不思議だね」
 味気ない感想を呟く。
 どういうこと、と涼は彼女に目で訴えると、少女は首を横に振った。
「私には、不思議な力があるんだ」
「力?」
 先程言っていた、超能力というものだろうか。
 黙って言葉を促すと、少女はこちらに背を向けて空を見つめた。どんな表情をしているのか、分からない。
「私は……空気になれるの」
 デジカメを下に下げて、涼は眉間をひそめた。
「空気? 空気って、どういう……」
「人の目に見えない。触れられない。通気性のあるものは通り抜けられる。空を飛べる……そういうこと」
 自嘲気味の笑い声が聞こえた。
 だから彼女は、少女を見ることが出来る涼を不思議に思ったのだ。
「幽霊では、ないんだね」
「そうだよ。生きてる。生きてるけど、誰も気が付いてくれないの」
 くるりと振り返った少女は、どう見ても透けていない。
 何故自分には見えているのか。涼はよく分からない気持ちになる。
「僕は君のことが見えるよ。透けているようにも見えない」
「君にも何か、私と似たようなものがあったりして……ね」
 その言葉に、涼は家を出る前のことを思い出した。苦しむ春の夢を消し去った、自分の手を。
 黙ってしまった涼に、今度は少女の方が近づいた。涼の顔を覗き込むように、少女は軽く体をかがめる。
「どうかしたの?」
「……試したいことが」
 そう言うか言わないかのうちに、涼は少女の腕を取った。一気に縮まる二人の距離に、少女は驚いたように目を大きく見開く。
 しかし、彼女の口から呟かれた声は、涼の確信を突いた。
「何を、したの……」
 わなわなと震える彼女の唇に、涼は理解した。
 自分も、同じだ。
「分からない。分からないけど……」
 すっとデジカメを取り出した。至近距離ではあったが彼女にレンズを向けると、モニタには驚いた少女が映る。
「僕は、君の能力を消したんだ」
 シャッター音が室内に、空しく響いた。
 

【夢見人】 act.1_8

September 18 [Sun], 2016, 16:48
 呆然と階段に座っていたが、リビングから聞こえるうめき声に気が付いてばっと顔を上げた。
「春っ!」
 リビングに飛び込むと、ソファに横になった春が眉をひそめてうめいている。脂汗が浮き、手元は胸の辺りを力強くかき抱いていた。
 涼はすぐさま駆け寄って、春に呼びかける。
「春! ねえ、起きてよっ!」
 まさか、調子が良かったはずなのに再び悪夢に取り憑かれるとは。しかも、今まで以上に苦しそうにもがいている。
 手を出そうとすると、逆に振り払われてしまった。春は、何かに怯えるように自分の体を抱きしめ、丸まってしまう。
 こんなことは初めてだ。
 涼は冷静さを欠いて春から一歩離れる。どうすれば良いのか、分からない。

『……涼が昨日手を握ってくれたおかげ……』

「……あ」
 今朝、春が朝を迎えたときにそう言っていた。
 そんな偶然、あり得るはずが無いだろう。脳裏に掠めるその考えをぐしゃりと潰した。
 殴り起こすことだってできるのに、そうする勇気が無かった。夢に囚われたまま、 春が目覚めない気がしたのだ。
 小刻みに震えている兄の姿に、涼も唇をぎゅっと噛み締めた。馬鹿馬鹿しいとか信じられないとか、否定よりも行動するべきだ。そう、自分に言い聞かせる。
 再び振り払われないように、涼は素早く春の頭を両手で掴んだ。
 自分と同じ顔に顔を近づける。
「春、起きてっ」
 今度こそ、夢に飲み込まれるかもしれない。
 嵐の前の静けさと言うか、平穏だった分の反動が悪夢という形で来たのならば、そういう考え方もできる。
 涼は目をつむって春と額を合わせた。
 本当ならば、二人で一人の人間だったのに、どうして分かれてしまったのだろう。このまま額を合わせていれば、一人になれるのだろうか。
 “個人”と“他人”の隔たりに対して、涼の胸の中は突然悲しみでいっぱいになった。彼のことを理解できないことが、何よりももどかしい。
 頭を抱える力を、ほんの少し強めた。
「……目覚めてよっ」
 囁き、叫ぶ。
 そのとき、手元が一瞬、熱を帯びたように熱くなった。
「っ!」
 手元の熱に驚いて、涼は両手を引っ込めた。まるで火に炙ったような痛みにも似た感覚は、生まれて初めて経験するものだった。
 言葉も出ず手元に目を落としていると、春が身じろいだのが目に見えた。
 条件反射で後ずさると、むくりと彼は身を起こし、ゆっくりと瞼を開いた。うつろな目がこちらを一瞥する。
「春?」
 心配になって呼びかけると、彼は何度か瞬きをした後、目を大きく見開いた。
「……お前、今……何をしたんだ?」
 彼の静かな問いかけに、涼は再び目線を下に落とす。
 未だにジンジンとにじむ手の痛みが、春に何かしらの作用を起こしたのではないかと思わせる。しかし、何一つ根拠が無かった。信じるよりも先に、考えてしまった。
「わか、らない……春が苦しんでいたから、僕は……」
「夢が消えた」
 春の発言に、涼はハッとした。
「今まで以上にひどい夢を見た。お前を食うとか、そういうレベルじゃない……それなのに、消えたんだ。一瞬で」
 春の目の焦点は未だに右往左往とせわしないが、口調ははっきりとしていた。しかし、彼が言葉を発すれば発するほど、理解できない出来事が起こったことを物語らせる。
「春の頭に触れたんだ。両手で……そうしたら、手元がすごく熱くなって……」
「なんだよ、それ」
 ぎゅっと眉間をひそめる兄の姿に、珍しく涼は狼狽えた。もごもごと、口元ではっきりとしない言葉を紡ぐ。
「僕にも、何が起こったのか……ねぇ、これって、偶然?」
「偶然だったら良かったけど……不自然だ」
 涼の両手が春の悪夢を消し去った。
 にわかに信じがたいその話に、二人は沈黙する。考えても仕方が無かったが、考えるしかなかった。理論的に説明できる、何かしらの根拠を二人は欲していたのだ。
 しかし、あまりにもはっきりしすぎた物事故に、常識の範囲内で答えが思いつかなかった。
「……超能力、とか」
 涼が苦笑いしながらそう呟いた。もしかしたら、春を助けるための力を持っているかもしれない、と。
「馬鹿言え。そんな能力あってたまるか」
 一方、信じられないと言った顔をしている春は嫌そうに吐き捨てた。
 涼は自分の手を閉じたり開いたりしながら、声を上げる
「でも、これ、使いようによっては春を助けることができるかもっ……!」
「……何言ってんだよ、お前は」
 涼は気が付いた。春は、気味の悪いものでも見るかのように涼を見ていた。つい先ほどまでの、機嫌の良い兄はいない。
 落胆した。何が起こったかも分からず、ただ自分の両手が“何かをしでかした”ことしか分からない。そして、それは恐らく、偶然の産物ではない。
「何も、分からないよ」
 弟の悲しそうな姿を見て、春も少しだけ冷静になる。頬をぽりぽりと掻いて、軽く息を吐いた。
「……言い過ぎた。ごめん。俺も、よく分からないから」
 気まずい沈黙がリビングを漂う。
 先に行動したのは春だった。ソファから立ち上がり、キッチンの方へ向かう。
「腹減っただろ、母さんが買ってきた弁当温めるから。お前は待っとけ」
 一人になったリビングで、涼は手を合わせてみた。何も、感じない。
「……なんだろ、これ……」
 考え込むように、涼は何度も両手のひらを合わせていた。



 黙々と二人は昼食を平らげた。
 生まれてから今までで、こんなに気まずかったことがあったろうか。涼は春の様子をちらちらと窺いながら思った。
 涼の視線に気が付いたのか、春がちらりと涼を一瞥する。
「そういえば、具合はどうなの」
「え?」
「体調。熱とか」
 あぁ、と気の無い返事をして涼は目線を彷徨わせた。
「それが……全然、悪くない」
「だるくないのか?」
「だるくない。いつも通り」
 「奇妙だよね」と涼が言うと、春は迷うそぶりも無く「そうだな」と返答した。少しだけ、落ち込む。
 自分の体に起こっている変化に対応できない。何が起こっているのかも理解できない。
 どうすれば、理解できる?
 そのとき再び脳裏に思い出されたのは、非現実的だと春が言った空飛ぶ少女のこと。彼女ならば何か知っているような気がしたのだ。
 思い立ったが吉日。善は急げ。
 涼は突然食卓の席を立った。さすがに春がびっくりする。
「え、涼、どっか行くのか?」
「……写真、撮ってくるよ」
 突然の行動に春も声が出ず、そうこうしているうちに涼は家を出て行ってしまった。
 

【夢見人】 act.1_7

September 18 [Sun], 2016, 16:39
 朝のバラエティ番組を適当に聞き流しながら、リビングのソファに双子は座っていた。
 ぼうっとした涼とは逆に、春はずいぶんと調子が良さそうにしていた。ハミングすら自然に出てくるようだ。
 涼はテレビよりも窓の外に目がいった。
 ソファに首をもたげて、空を眺める。雲一つない真っ青な空に、雀が二羽飛んでいた。
 空を飛ぶとはどんな感じなんだろう。
 そこまで考えて、涼は昨日見た少女を思い出した。
「ねえ、春」
「ん、何?」
「昨日さ、空飛ぶ女の子を見たんだ」
 「へぇ」という空返事の後およそ数分の沈黙、春が訝しげな顔で振り向いた。
「……ん? ごめん、意味分からない」
「空飛ぶ女の子を見たんだ」
「そう、それ。意味分からないんだけど……空飛ぶ?」
「うん」
 あまりにも涼があっけらかんと言うからか、春は若干戸惑ったように涼を見る。
 何も言わない二人の間に、テレビの笑い声だけが静かに響いた。あまりにも平和な光景に、逆に違和感ばかりを春は感じる。
「熱で、おかしくなった?」
「いや? 至って普通だよ」
 「あ、そう……」と、涼の返答に春はまたもや戸惑う。そんな兄の様子に、涼も顔をしかめた。
「信じてないでしょう?」
「そりゃ……」
「学校行く途中の電車の中で、空を飛ぶ女の子を見たんだ。ふわふわ浮くとかそういうんじゃなくて、走ってた」
「空を走ってたのか?」
 まさか、という顔をしている春。涼はどうしたものかと考えて、ふと今朝見た夢を思い出した。
「そういえば、夢を見たよ。父さんの」
 春は訝しげな顔から不機嫌そうな、少し怖い顔をした。あまり父の話が好きではないのは知っていたが、空飛ぶ少女の話をする上で重要なことを、父は夢の中で話していたのだ。
「父さんがどうしたんだよ」
「言ってたんだよ。『不思議な事が起こっても、まずは信じろ』って」
 様子を窺うように、涼は春の表情の変化を探る。しかし、その表情は「馬鹿なことを言うな」と語っている気がした。
「夢の中だろ。しかも父さんの言い分だろ。信じられるわけが無い」
「父さん、デタラメばかり言ってたもんね」
 これが息子たちの父に対する信頼の程度だ。幼い頃にいなくなった故に、父との思い出は呆れるほど衝撃的なものが多い。
「たとえば、幼稚園の運動会三日前とかひどかったね」
「三日前から場所取りのために幼稚園の脇道で野宿するなんて、とんだ迷惑だったな」
「実際の運動会もひどかった」
「親子対抗障害物リレーなんて、思い出したくもない」
「他の親に、父さんがハーフだって喧嘩吹っ掛けられたときも大変だったね」
「意味の分からない言い分で、むしろ自分が恥ずかしくないのかって思ったな」
 二人だけが知っている、父の呆れた言動を一つ一つ思い出すと、妙に顔がほころぶ。決して口に出して言えた思い出ではないが、それでも当時の二人にとって父の存在は大きかったのだ。
「でも、バイクに乗ってる姿は……超かっこ良かった」
 春が元気無く呟く。涼もうなだれた。
 やはり父のことは思い出すべきではなかった。すでに涼の熱に浮かされた頭からは、空飛ぶ少女の話すらすっ飛んでいた。
 ふと、頭にぽんぽんと触れる春の手を感じる。
「ぼーっとしてるぞ。熱出てるんだからさ、ちゃんと休めよ」
「うーん……それもそうだね」
 春は溜息をつく。悲しいような切ないような、きゅっと胸の辺りが痛いように感じた。



 ソファに座ったままうとうととしていると、テーブルの上に置いておいた携帯電話が鳴った。まどろむ意識の中、携帯電話に表示された名前を見て涼は体を起こす。
 ソファの隣を見ると、春が寝ていた。時刻は昼頃。昼休みだ。
 リビンクから廊下に出て、携帯電話をもう一度見る。メールかと思ったら、着信のようだった。
 着信ボタンを押し、受話器部分を耳に当てた。
『斉藤君っ?』
 開口一番、焦ったような少女の声が聞こえた。涼は、廊下に座り込む。
「……やあ、梓」
『今日、学校に来てないから、心配で……大丈夫?』
 心配な様子の声に、申し訳ない気持ちが沸き上がる。彼女に対して、正直になれない自分がもどかしい。
「大丈夫だよ。梓こそ、昼休みに電話して大丈夫?」
『私は大丈夫。先生に見つからないように電話してるから……』
 原則、校内での携帯電話の使用は禁止されている。しかし余程涼のことが心配なのか、彼女は声を潜めながらも涼に電話をしていた。
『風邪でも引いたの? 具合は?』
「あぁ、うん。ちょっと調子崩しちゃって。でも、今はそんなに……」
 そう梓に対して答えてから、涼はハッとした。
 本当に、なんともない。
 軽く立ち上がって見るが、熱っぽさや体のだるさが全く気にならない。そもそも、具合が悪かったのが嘘のように、通常通りの体調に戻っていた。病み上がりのような具合でもない。
『そっか……お大事にしてね。看病とかが必要なら、行くよ?』
「……ううん。その必要はないかな。兄さんがいるし」
『え、お兄さん? お兄さんがいたの?』
 涼は顔をしかめた。そして、一つずつ言葉を選ぶように、彼女に話しかける。
「うん。ごめんね、言ってなかったね」
『……いいの。全然気にしてない』
 軽い溜息をついた。彼女に聞こえたかもしれない。
 涼の頭の中には、「本当に僕で良いの?」という問いがいくつもぐるぐると渦を巻いていた。そればかりに気を取られていたこともあり、彼女と知り合って早数ヶ月、彼女に伝え忘れていたことばかりが蓄積している気がする。
 春のことだってそうだ。春には梓のことを言うのに、梓には春のことを言い忘れていた。
 言う必要が無いと、そう思ったのだ。
『あ、ごめん。そろそろ切るね』
「うん。わざわざ電話してくれて、ありがとう」
『ううん。……明日は、学校に来てくれる?』
「もちろん」
 そう言うと、顔を見なくても分かるほど明るい返事が返ってきた。
『良かった! 明日会えるの、楽しみにしてるね!』
 そうして切れた電話は、ツーツーという寂しい音だけが残る。
 涼はしばらく受話器部分を耳から離せずにいたが、ゆっくりと携帯電話を耳から離した。
 自分の一言で彼女が一喜一憂する姿に、複雑な思いを抱く。
「本当に、僕で良いのかな」
 何度も思った疑問を、何度も口元で呟いた。
 

【夢見人】 act.1_6

September 18 [Sun], 2016, 16:21
 夢を見ていた。遠い遠い昔の、あるクリスマスの夜の夢だ。
 クリスマスにはサンタクロースがプレゼントを持ってくる、と母から聞いていたので、涼は双子の兄である春と二人でサンタクロースを待っていた。
 しかし、いつの間にかやんちゃな兄はすうすうと寝息を立て始めてしまったので、結局弟一人でサンタクロースの来訪を待っていたのだ。
 去年も一昨年も、サンタクロースは来ていた。大好きな戦隊物の人形や鳥の図鑑、大きなぬいぐるみなど色々なものをサンタクロースは持ってきてくれた。しかし、お礼はともかく挨拶すらできていない。
 今年こそはサンタクロースに感謝の気持ちを伝えよう、と幼い涼は思った。
 勢い込んだが故か、眠気は全く訪れない。変に目が冴えてしまい、逆に退屈になってしまった。涼は、眠っている兄の頬をつねった。
 夜も十一時を過ぎた頃、何者かが階段を上ってくる音に気が付いた。
「サンタさん、かな……」
 わくわくと胸を高鳴らせ、涼はベッドの中に身を隠した。眠ってなければやって来ない、と聞いていたのだ。
 かちゃり、とドアが開く。
 涼ははやる気持ちを抑えて、掛け布団の隙間から扉の方をそっと覗き込んだ。そして、来訪者の姿を見て、もそもそと顔を出す。
「……お父さん?」
 ぎくり、という音が聞こえそうな勢いで来訪者、父親が振り向く。
「涼? 起きてたのか」
「どうしたの?」
 ベッドから出て、涼はちょこんとベッドの上で正座した。
 父がちょっと頭を振るたびに、栗色の猫っ毛があちらこちらにそよそよと動く。アメリカ人と日本人のハーフである父の目は美しい空色で、涼はその目の色を見るのが好きだった。残念ながら、双子の二人は母の黒目を引き継いだため、アメリカ人の要素はあまり残っていない。
 父は引きつった笑いを浮かべながら、両手を体の真後ろに回す。何かを持っているようだ、と涼は気が付いた。
「ねえ、何持ってるの? サンタさんは?」
「あ、あー、サンタさんね。えーと、」
 何か隠し事があるとき、父さんは鼻の上を掻くのよ、と母に聞いていたことを思い出す。実際、父は鼻の上を軽く掻いていた。涼は訝しげな顔をする。
「何か内緒事あるでしょ!」
 びしっと父を指差すと父は一瞬頬を引きつらせ、その後すぐにふふっと笑った。
「もー、なんでバレちゃうかなぁ。鋭いなあ、涼は」
 父は、どちらかというと大人げない人だった。子供っぽいと言っても良いかもしれない。そんな無邪気な雰囲気は、“父”というより“兄”のようだった。
 隠していた物をもそもそと目の前に提示され、涼は目をぱあっと輝かせた。
「それ、どうしたの?」
「ふっふーん、教えなーい。サンタさんと家の前ですれ違ったから受け取っておいたんだ」
 差し出された物は、その年に発売された新型の小型ゲーム機。色違いで兄弟の分が揃っていた。
 サンタクロースのことなど頭の中から吹っ飛んで、涼はゲーム機を震える手で受け取った。発売当日に品切れになった物だったので諦めていたのだが、プレゼントという形で手に入るとは。
 涼はあどけない笑顔を父に向ける。
「ありがとう! サンタさんに伝えておいて!」
「お、おー。サンタさんに伝えるよ。あー、でも、それ買ったのはお父さん……」
「どうしよう、春も起こそうか? 春、これ欲しがってたの!」
「それは、駄目だよ」
 ふっと呟いた父の声に、興奮していた涼はすぐにハッとした。
 見上げると、父は優しい笑顔を浮かべていた。それなのに、何故か寂しそうにも見える。
「どうして?」
 春も、きっとこれを見たら大喜びで、今日一日眠れなくなっちゃうよ。
 そう言おうとしたが、父が口を開いたので涼は声が出なかった。
「せっかく春が、こんなに気持ちよく眠っているんだから、起こしたら悪いだろう?」
「う、うん……」
 しかし、父が言いたいのはそれだけではなさそうに見えた。何故なら、いつもは子供っぽく大騒ぎする父であるのに、何故か今日は大人みたいに見えたのだ。
 どうしたの、お父さん。
 涼は目だけでそう尋ねた。父は、すぐに不思議そうな表情の息子に気が付いて、苦笑した。
「あのなー、大事なお話があるから、よく聞くんだぞ?」
 涼は大きく頷いた。父は嬉しそうにその頭をわしゃわしゃと撫でる。
「これからお父さん、お出かけするんだ」
「どこに?」
「んー、遠いところ」
 そういえば、父の服装が寝間着ではない。革のジャケットに黒いマフラー、ダメージの目立つジーンズを履いていた。ちらりと見える部屋の扉の脇には、ヘルメットが置いてある。
「バイク、乗るの?」
「そうそう。バイクに乗って、ビューンとね」
 双子の二人は、父のバイク姿が大好きだった。まるでテレビのヒーローのように、風を切って走る姿に憧れを抱いていた。
 その姿を見たい。そう思った涼は目を爛々と輝かせる。
「ねえ、僕も連れてって?」
「それは、できないなぁ」
 父は困ったように笑った。なんで、と首を傾げる。
「お父さんしか行っちゃ駄目なんだ。ほら、涼がいなくなったら春や母さんが心配しちゃうだろ」
「いつ帰ってくるの?」
「んー……すぐに、帰れたら良いなぁ……」
 父の返事は曖昧だった。しかし、涼はそれがどういう意味を持って発せられているのかよく分からず、訳が分からないまま頷いていた。
 手元のゲーム機が、冷たく感じる。どうしてだろう。
 ぽんぽん、と父の大きな手が頭を二、三回触れた。
「それと、涼。お父さんと約束してほしいことがあるんだ。できるか?」
「うん、良いよ。何?」
 また涼の目が輝いた。
 父との約束を守ると、守った後に何かしらご褒美があるのだ。以前、父の約束を守ったときには大好きなアイスクリームを買ってもらった覚えがある。
 父は「よし、良い子だ」と言いながら、約束事を伝えた。
「お父さんがいなくなっても、春と母さんを守ってやってほしいんだ」
「……? どういうこと?」
「あー、それともう一つ。もしも何か……そうだな、自分では理解のできない不思議な出来事が起こっても、常識に当てはめて無いものにしたりしないで、まずはそれが“事実である”と信じること。理由はその後考えたら良いんだ」
「え、待って? 何言っているのか、分からないよ」
 涼は顔をしかめた。父の言っていることが、まるで宇宙の言葉のように感じた。
 しかし、父は微笑みを浮かべたまま手を離した。その手が、なんだか幻のように感じた。
「大丈夫。涼は俺の子なんだから、いずれ分かるよ。今は分からなくても、後で分かれば良いんだ」
「……分からないよ」
「考えるよりもまずは信じろ。な?」
 そう言って、父は部屋を去ろうとした。
「ねえ!」
 涼は、不意に父がどこかに消えてしまうのではないかと思った。このまま引き止めてしまえば、どこにも行かないような気もした。
「……世の中ってもんは不条理で理不尽で、常識だとか非常識だとか、そういう枠組みに則って作られている。けれどな、本当に正しい事や本当に必要な事ってのは、その時にならないと分からない事ばかりだ」
 今日の父はまるで、大人ぶって宇宙人みたいに難しい言葉を喋っている。
 心に焦りのようなものが生まれて、涼は手を伸ばす。
「俺に何があっても……母さんを頼むよ」
 父は振り返らなかった。涼の手は、空を掴んだ。
 そして宵も更けた深夜、父は事故で死んだと伝えられた。



 ふわりと体が浮上する感覚に、意識も徐々に覚醒していった。そう言えばこの感じ、今日二度目だなと涼はぼんやりと思う。
 ゆるゆると瞼を持ち上げると、あまり見慣れていない天井が目に入った。電灯の位置が違う。
「……春?」
 そうだ、ここは春の部屋だ。
 涼はベッドから身を起こした。しかし、春の姿が見当たらない。
 立ち上がって部屋を出てみると、一階のリビングからテレビの音が聞こえた。春よりも遅く起床したことに、涼は妙な気分になる。
 階段を下りると、珍しいほど動き回る春を見かけて呆然とした。
「よお、起きたか。具合は?」
「体調、大丈夫なの?」
 質問に質問で返すと、春は苦笑いを浮かべた。
「今日は調子が良いんだ。悪夢も見なかったし、全然立ち眩みも息切れもない。心配なのは、涼のことだけだな」
「僕は……大丈夫」
 ふふっと微笑むが、春は心配そうに顔をしかめた。大げさに腰に手を当てて、まるでいつもと立場が逆だ。
「大丈夫なわけないだろ。突然倒れるし……最近、疲れてる?」
「ううん。疲れてなんか無いと思うけどな……変だね」
 春が珍しく兄貴面だ、とか思いながら涼は言う。
 未だに全身がだるく、若干の熱と頭痛があったが、涼はそれを表情に出すことはなかった。むしろ春が手こずっていた朝食の準備を手伝おうとし始めた。
「え、何これ」
 キッチンに立つと、涼は不思議そうに首を傾げた。後ろで春の乾いた笑い声が聞こえる。
「……やっちゃった」
「いや、これ、何。分かんない」
 恐らく春は目玉焼きを作ろうとしていたに違いない。しかし、涼の目の前にあるフライパンの上には、黒い物体がくすぶりを上げながら鎮座していた。なんだこれは。
 小さな溜息をつき、涼は後ろを振り向く。
「春は待ってて。僕が作るから」
「いや、駄目だ。病人は寝とけって」
「断るよ。僕の方が料理は上手い」
 すると、春は頬を膨らませてキッチンを出て行ってしまった。ぶつぶつと文句が聞こえるが、聞こえない振りをする。
 フライパンを洗おうと、謎の物体をゴミ箱に捨てようとして手を止めた。春の渾身の力作を簡単に捨てていいのだろうか。
 謎の物体を見下ろして、涼は思わず含み笑いを漏らしてしまった。
「……懐かしいなぁ」
 父がいなくなった十数年前から、母は突然生き甲斐を無くしたように元気が無くなってしまった。やっと小学校に上がった頃だったが、涼は母のために料理を始めたのだ。
 確かに最初は、春のような謎の物体を大量に作っていた。それを思い出して、思わず笑む。
 これは記念に取っておこう。後で食べよう。絶対に体に悪いだろうけれども。
 涼は皿に謎の物体を取り、フライパンを洗った。しかし、頭がふわふわと浮いている感じは否めない。
 懐かしい夢を見たせいか、父との思い出が沸々とよみがえってくる。ふわふわとした頭で思い出を思い返していると、後ろから春の声が聞こえた。
「涼! 何分フライパン洗ってんだよ!」
 ハッと気が付いてキッチンの時計を見ると、すでに十五分程度時間が経っていた。
 駄目だ、調子が悪い。
「……トーストで、良い?」
 結局妥協してしまった自分に、恥ずかしい気持ちも相まって不思議な笑いがこみ上げた。
 
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