Mさんへ 

January 15 [Sun], 2012, 18:01
前略

@貴方が御覧になっている私の窓は、
当人でも把握し切れない程数ある内の極僅かなものであり、
尚且つその少数の窓も一つとして全開してはいないのです。

しかしあなたは私の窓の全てに
精通しているとお思いになっているのでしょう。


@私も貴方の窓の多くを存じ上げている訳ではございません。

が、貴方より優れた点を申し上げるならば、
私は貴方と異なり僅かな窓しか知らないという事実を自知し、
それを踏まえる事ができている点であるかと。


不尽@@@@@@@@@@@@@



合わせ鏡に映るのは 

January 14 [Sat], 2012, 23:32



ー合わせ鏡を作り呪文を唱えると悪魔が現れるー



なんて都市伝説、聞いたことあるかしら?


ええ、怖いわよね、怖い怖い。

悪魔がいるいない、悪魔を信じる信じないなんて
ちっぽけなことに興味なんてないわよ、私はね。


じゃあなんでこんな話題振ったのかって?

だって合わせ鏡って実際、
ちょっと気味が悪いと思わない?


ね、思うでしょう。

悪魔が現れるなんてお噺、知る以前もやっぱり
合わせ鏡を見ていい気持ち、しなかったわよ。

そりゃ、その都市伝説のせいで
不気味さに多少拍車がかかったかもしれないけど、ね。


それにそんな都市伝説が生まれてこんなに広まるってことは、
皆元々言いしれない気味の悪さを感じていたと。

それが信憑性の根拠にでもならなければ
こんな有名にならなかったでしょ、とかって考えたのよ。


え、煙草が切れた、って?

まあ、いいじゃない。
少し位我慢して私の話し聞いてくれたって。


じゃあ何故合わせ鏡がなんとなく不気味なんだろう、
と思ってね。


そんなことに理由等ないのじゃないかだとか、
要らないんじゃないかとか言って、
話の腰を折るような真似はしないで頂戴。


で、私のある友人なんだけど、
彼女、人の目を鏡代わりにする素振りをよくするのよ。


そう!そこで思ったわけ。

彼女、人の目を鏡代わりにするけれど、
彼女の目だって同じよね?

つまり、目と目を合わせるっていうのは、
合わせ鏡に近いものがあるんじゃないかしら、って。


ほら、こんな諺があるじゃない、
「目は口ほどに物を言う」だったかしら。

他にも目に纏わる諺ってたしか結構あるわよね。


目の見かたによってポジティブな印象を
与えることもできるし、逆もまたできてしまう。

人にとって目を合わせることは信頼を表していたり、
ロマンチックなムードを作るものであったりするけれど、
例えば猫にとっては全くそんな要素ないのよ。

敵対心の表現に他ならないらしいわ。


だから、ね。
目を合わせることは本能的には少しばかりよろしくないのよ、きっと。

さっきの諺がそうだけど、あまりにも相手に対して
明け透けになってしまう恐れがあるものね。


だからその目と目を合わせることに対する本能的タブーが、
合わせ鏡の気味の悪さの根源なんじゃないかしら。

と思ったのよね。



それだけのためにこんな長々と話したのかって?

ええそうよ。悪いかしら?


なに?今度は何よ。

こんな事も知らないのかい、
って何の話しよ。


「目は心の鏡」ですって?


し、知ってるわよそれ位。

私ともっと一緒に居たいからって
つまらないこと言わないで。

仕様が無い人なんだから。

それならほら、貴方のお話を聞かせて頂戴。


珈琲を飲み終えるまでね。

私の平和構想 

January 14 [Sat], 2012, 2:43

偏見や差別はある種、防衛策とも言えるだろう。
自己防衛は生命の本能であろうから、
偏見や差別が生まれるのも当然なのかもしれない。

しかしどうだろう。

防衛せねばならないということは、
自らが攻撃の対象になっている、
若しくはなりかねない状況に置かれているという事で、
尚且つ自分がやられかねない、
と自覚の有無に関わらず、脳のどこかがそう判断しているからだろう。


では何故それらが防衛策と言えるか、であるが、
両者とも自己の正当化なのである。

正当化する事によって、論拠の疑わしい理論を生成し、
相手の攻撃へのシールドにしているのだ。

今までの経験則等から
「あの類いは○○だ。だからそれも、例に漏れず○○だろう。」
といったものが殊にネガティブに働いている場合、
また撞着を考慮せずにそうしている場合にそれを偏見や差別と呼べるだろう。

しかし上記とは異なりネガティブに働かず、
更に矛盾を考慮、例外を念頭に置いている場合では、
それは単に合理性を求めていたりするだけなのである。

そう、つまりそこの重要だが僅かな違いを誤魔化すことで、
正当化が可能になってくるのである。


ここで防衛について考える。

前述した様に、自己防衛は概ね自己よりも強いものから守る時に働くのである。

つまり、自己防衛は相手より弱いのです、
という事を明るみにしかねないのだ。

だから今日可能な限り他者に弱みを握らせまい、
としている現代人のとる行動には相応しくないと思うのである。


また防衛そのものがある意味では虚勢とも言えるだろう。

しかし望んで虚勢を張る者はいないだろうし、
虚勢だと周囲に悟られてしまっては元も子もない。

ならば、どうすべきかはもう必然的にわかるだろう。

そう、無駄な偏見や差別をしないことである。


雲を掴む 

January 13 [Fri], 2012, 17:50
雲の上で寝たい、触ってみたい、食べてみたい。
幼い頃、そうでなくともぼんやりと
空に浮かぶ雲を眺めれば、
そんな空想が頭に浮かぶ事ってあると思います。

ところで曇って掴めないもの?

事実掴めるでしょう。
水滴なのだから。

なのに何故、人は掴めないものかの様に扱うのでしょう。

掴んでる、という実感が湧かないだけなのに。

そう、だから、本当に掴みたいものを掴んでいる時は、実感なんてしないのではないか、とも思えるけれど。

漠然としていて、捉えどころがなく。

でもどうせなら、実感したい。
というより、実感がなければ
掴む意味なんてないも同然じゃない?

意味よ、この手に。


これは一般論での話しになりますが、
日本人は愛の言葉を囁かない、
なんて言いますよね。

これは、実感の湧きにくいものなのだから、
形ある言葉にしてしまっては虚構と化してしまうのではないか、
という心理の表れでは、と私は思います。
そしてこれは、言葉にした瞬間陳腐に思える、
といったものの実体かと。

形骸化に対する恐れです。

しかし、言葉にする事のみで形骸化してしまうのでしょうか?

もしそうであれば言葉なんてもの、
もっと早い内に衰退してしまっているはず。

寧ろ言葉はここまで発達を遂げてきた訳だし、
そもそも言葉は"実感する為の道具"であると思います。

意味合いを齎すことができ、
それは豊かになる事に繋がる。

生理的欲求から派生した人間特有の何かは、
言葉によって意味が生まれ、言葉によって実感するのではないかと。


だからほら、
雲は掴めるのよ!
今雲を掴んでるのよ!
と叫びたい。

雲を掴んだだけの人は、
掴んでいない人と同じ。
掴もうとしていない人の方が幾分もまし。
人間特有の悲しみが残るだけだから。

雲を掴み、それを実感した人こそが、
人間特有の幸せを掴んでいるのじゃないかしら。

初投稿 

January 13 [Fri], 2012, 13:23
はじめまして。
今まで3日と続かなかったブログに
改めて挑戦してみたいと思います。←

幾人から熱烈に勧誘されまして、、(違う?

こういうブログとかっていうのは、
精神的露出欲を満たす働きがあって、
そういった意味では自慰とも言えるかと。

溜まった物をはき出す、という観点でも笑

なので、本当の自分でなく架空の自分を
書き連ねても虚しいだけかと思うのです。

無論、虚勢を張りたい、という心理は
人間には付き物だと思うので、
そういった類いのブログが散乱するのも
至極当然だとも思いますが。

でも私はその虚勢を張らない場所として
ここを活用していきたいな、と。

仰けから酷い文章だわ、これじゃww

ま、でも、今後もこんなノリが
メインになると思われますが!

それでも、と付き合ってくださる方、
よろしくお願いいたします∩^ω^∩
プロフィール
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  • アイコン画像 ニックネーム:ペーパーナイフ
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    ・音楽鑑賞-60's〜80'sの洋ロックメイン、でもジャンル不問かな。ピアソラとかも好き。
    ・活字を追うこと。-本、雑誌、なんでもあり。
    ・ファッション・鉱物・ペンチ-収集したいの。ファッションはモード系。鉱物は庭に転がっているものでも。ペンチはセクシーだと思うから。
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