まだ夏の暑さの残るある日のこと。
「ふたりで広島に行っちゃいましょうよ?」と、まるで近所にたばこを買いもとめに行くように、Oさんはさらりとほうぷさんに言った。
Oさんは、介護職を生業としている女性で、ほうぷさんの友人である。
「最近、おとうさん(ほうぷさんのご主人)の犬の散歩に付き合うのだってしんどいのに、無理よ〜」とほうぷさんは会話を流していたのに、Oさんはいつの間にか車椅子が運べるレンタカーの手配を済ませ、秋の連休の勤務もきっちり空けて、プライベートでほうぷさんと遊びに行く準備は完了してしまっていた。
「わたしは介護のプロですよ?ほうぷさんが旅行に耐えられる体かどうかくらい判断してから話してます。それに、宿泊予定のぴより邸の下見は前の年に済ませました。屋内の移動には、全く問題ありません!」
屈託のない笑みを浮かべるOさんの目は、揺るぎない決意と自信に満ちあふれていた。
「もちろん、広島には行きたかった。あの日からずっと、ずーっと想い続けていたんだから!」
ほうぷさんの胸の内で、3年間抑え続けてきた感情がよみがえった。
ほうぷさんが夢の中で何度も歩いた”あの丘”
2006年8月、ひろしまドッグぱーくにボランティアの人々がレスキューとして突入した。
500頭を越える犬たちがネグレクトを受け、次々と餓死していることを知ったほうぷさんは、瞬時に体中の血が煮えたぎり、総毛立つのを覚えた。
「わたしが自由に動けるのなら、この足が立つのなら、どんな病身を押してもレスキューに行かせてもらうのに!」
ほうぷさんは、この日ほど我が身が切なかったことはなかった。
「わたしにだってできるお手伝いがたぶんある。わたししかできないことだってあるはず!」
血が出るほど奥歯を食いしばり、ほうぷさんは死にものぐるいで考えた。
物資の支援、疲弊しているボランティア個人へのネット経由でのはげまし、犬たちの追跡、検証。錯綜する情報の整理、などなど。ほうぷさんは、寝る間も惜しんで思いつく限りのありとあらゆることをやった。
事態が収拾に向かってもなお、ほうぷさんはドッグパークの犬たちの幸せを想わぬ日は1日もなかった。
文字が削られた壁
ほうぷさんの来広がきっかけとなり、ドッグパーク跡地でオフが開かれることとなり、はるばる大阪からやってくるほうぷさんのためにと、土地所有者の方が慰霊碑に至る門を開いてくれた。
何度も映像で見たあの建物に、ほうぷさん一行は入っていく。
左)ほうぷさんを連れてきてくれたOさん 中央)ほうぷさん
ほうぷさんは、いままで遠くからずっと、旅立った犬たちの魂が安らかなることを想い続けていた。スリムな身がさらに削がれてなくなるほどに、鎮魂の祈りを捧げ続けた。
犬たちの慰霊碑
犬たちのかつての壮絶な苦しみは、どうやったってなかったことにはならない。けれど、「あなたたちのことを忘れてないよ」と、ほうぷさんは思いの丈を直接伝えることができた。
慰霊碑横の広場に、かつて多くの犬たちの亡骸がゴミのように埋められていた
ほうぷさんの想いに呼応して集まった者たちに、新たな友情が生まれた。パークから旅立った犬たちは、遠くなった故郷に、本当の意味での卒業を告げた。
丘から見下ろす風景はあの日のまま止まっている
ほうぷさんの動けない足は、この日たくさんの出会いと奇跡を運んだ。いまはまだ小さい人々の輪、犬たちの輪だけれど、ここが起点となり、各々の縁も活動も広がっていくだろう。
ほうぷさんは、3年がかりでほうぷさんにしかできない仕事を成し遂げた。それがハンディキャップを諦める口実にしなかった彼女への、神さまからの小さな贈り物だったのかもしれない。