悲しい反省 

2005年05月15日(日) 1時37分
親父は、外泊許可をもらって帰ってるらしい・・・
また例のわがままぶりを発揮して兄ちゃんに連れて帰ってもらったんだな。
お兄ちゃんもそんなんに付き合わされて大変だよ〜〜〜

なので、親父に説教たれるべく電話した。

「なんでもう少し我慢できへんの」
「お兄ちゃんも休みの度に呼び出されてしんどいねん」

すると父は・・・・・弱々しい声で
「ワシもわかっとるんじゃけどのぉ・・・どうしてか我慢できんのんよ」
「お兄さんがその度に怒るんじゃ・・・・」と悲しそうに言うてた
「お兄ちゃんには迷惑かけとるのぉ・・・・」と。

すき放題生きてきて、今頃になって反省してるって、、、、


自分でも認識してるんだね。。。

悲しいね、お父ちゃん。あんな悲しい声を聞いたら説教する気も無くなった。
一番辛いのは、お父ちゃんなんだよね、それなのに、私ときたら
迷惑かけられてって、プンプン怒ってたんだ。ゴメンね。

お金がなくて貧乏してるから、仕事しなきゃなんて・・・・
ホントは車の運転も無理なんは、私から見ても解るんだよ・・・・「商売は無理だ」
でも、それは言えない。親父の希望をなくすような気がしてとても言えないんだ。

退院して、徐々に色んな事を諦めなきゃいけない時が
やがて来る。その時、親父はどうなっちゃうんだろう。想像しただけで私も
心が痛い。。。。。生きる希望までなくしてしまったらどうしよう。。。。

私は親父に何を言ってあげられるんだろう・・・・・

我慢しろってば! 

2005年05月13日(金) 23時08分
お父ちゃん、入院してる時くらいおとなしくしててください。
何度も何度も外泊したいって言わないでくださいよ。〜〜〜

私も兄貴も仕事持ってんですから、休みの度に振り回さないでよ!
あなた、先週外泊したばっかりじゃないよ。
まだ退院許可も出てないのに、そう何度も外泊なんて・・・・
我慢が足りないわっ!!!

お母ちゃんなんか、なんも言わずに入院生活我慢しとんねん。
なのに。。。。なんでおとうちゃんは、わがままばっかり言うねん。
今まで好き勝手してたからやな・・・・

ほんまにもぉ〜〜〜〜〜
こんな調子で、兄貴も疲れるっちゅうねん。

リハビリ1 

2005年05月12日(木) 13時06分
急性期を終えたらリハビリ生活の始まりです。
動きたくて仕方なかった親父はこの日を楽しみにしてました。

まずは、車椅子から立ち上がり、座るという動作。これさえもフラフラする
父を見てると、なんか弱々しく見えて、まだまだやなぁ〜〜と思う。

体のリハビリが終わると次は頭のリハビリで、簡単な計算や、暗記などが行われます
昔からお勉強がもっとも苦手だった父は、これが一番嫌っぽい・・・・
先生の話を聞かないし、勝手にペラペラ喋り始めると、止まらないので
先生も困惑してました。ハァ〜〜〜
どうも、周りの状況理解に欠けるようで、お見舞いの人が来ても一応は普通に
対応してるんだけど、一つの事柄が気になると、そればっかり考えちゃって。
途中で質問した事は頭に入っていないようです。

入院生活1 

2005年05月12日(木) 12時37分
親父が3月15日に入院してから、3月いっぱいは実家で父親の看病をしてました。

母親の時と違って、大して治療する事もなく・・・・
血液をサラサラにするお薬を点滴で流すだけ、あ、あとは不整脈を整える
服薬かな。そんなもんだから、親父は自分的に全く大丈夫という意識しかなく
1週間位で退院できると思ってる。って、違うんですけど・・・・・

あなた左半身麻痺してるんですよ。そう簡単に動くわけないじゃないですか。

急性期まではベットでおとなしく寝てなきゃ〜〜〜

で、もともと味にうるさい親父は、病院の食事がまずいと文句たれて
あれ、食べたいから買って来い、これ食べたいから買って来てとうるさい!!
入院してる時くらい我慢しろっての。
まぁ・・・・・母親の時よりはずっと楽ですけどね。
おしっこは尿瓶で取れるし、その点、女性より楽だよ。でも、大の時はやっぱり
大変、簡易トイレに移動する時、骨が太いから、重いんです・・・・
看護士さんはコツが解ってるから、上手に出来るんだけどねぇ・・・・

ほんでまた、尿瓶でするよりトイレに座ってする方がスッキリ感があるらしく
簡易トイレでしたがるもんで、その度に移動させるのが大変だよ〜〜

パワフル父ちゃん 

2005年05月12日(木) 12時08分
昨日まで元気に働いてた親父が突然こんなになっちゃって、、、、
やっぱり、商売と介護の両立がしんどかったんだろう、無理が祟ったんだろうね。
けど、親父は絶対介護が大変だったとは言わない。母への愛情がそうさせるんだ。

突然倒れた親父の心の傷はどんなに深いだろう、私には想像がつかないくらい重い、けど
親父の無念さは私の胸にもビシバシ伝わってくるんだよ。
元気に猟に行ってた時の話しを泣きながらして、
クレー射撃の難しさを私の旦那ににも見せてやりたいと泣く父、
今は亡き愛犬ロッキーの勇姿を語る父、
自分が魚を売らなきゃ皆が困ると心配してる父、
桜が咲いたら母親を花見に連れて行きたかったと泣く父、
大阪城に一回行ってみたかったと泣く父はすっかり弱気になっている。
でもゴメン、変わってあげたいけど、私は変わってあげれない・・・・。
「元気になったら商売も猟も射撃もできるようになるよ」と励ますのが精一杯なんだ。

なんでこうなっちゃうの!! 

2005年05月12日(木) 12時04分
3月15日、親父が脳梗塞で倒れた。急いで病院に駆けつけた私の目に移ったのは
弱々しくベットに横たわり、片方の顔だけで泣いてる親父の姿であった。
MRIの写真に移った親父の右脳は真っ白に壊死していて、もう治療する術が無く
重い障害が残るでしょうと主治医に言われた。そう、発症して病院に搬送されるまで
時間がかかり過ぎてたんだ。側で寝ている母も障害をかかえる身なので
全く気がつかなかったらしく、毎朝来てくれるヘルパーさんが救急車を呼んでくださった
そうだ。
親父の左半身は全て麻痺している。回復するには辛いリハビリしか無いのだ。

ほんまに、、、、もう、なんで?なんでやねん?
昨年の11月に母が脳出血で倒れて、最近やっと元気になってきてたとこやのに!!
頑張って介護してた親父はそろそろ退院祝いでもしようかと思ってた矢先にこれだ。
なんて酷な事だ。もう、神様なんていない。でも、現実を呪ってももう仕方ない。
事実を受け止めなければ。

暫くは要介護5の母親をショートステイで預かってもらう手続きをしなければならないが
幸い、ケアマネージャーさんの多大なる協力のお陰で、母親を3ヶ月預かって
頂ける施設を紹介していただけた。ありがたい事である。
母親も父の事が心配で仕方ないんだろう、いつもはショートステイに行くのは
とても嫌がるんだけど、この時ばかりは「私はどこにでも行くよ」と了解してくれた。
知らない場所に連れて行かれる母も不安だろうに、、、、、精一杯の元気を出して
「私は大丈夫、頑張るけぇ、お父さんの事よろしく頼むね」っていう母が
悲しい。施設の車に乗せられて手を振る母を見て、涙が溢れた。
「お母ちゃん、絶対この家に帰って来ようね。いや、絶対帰って来るんだ
それまで頑張って辛抱してな」

一方親父は、突然倒れて左半身麻痺になっちゃったのがいまいち納得できなく、
(そりゃそうだよね)寝ぼけては「一週間くらいしたら退院できるじゃろ」
とか言う。やはり脳にダメージを受けているので入院してる事自体を時折忘れて
しまうのだ。しかし、全く言うことを聞いてくれない身体を実感し、そして
絶望の淵に追いやられていくようだった。

ちょっと進歩 

2005年05月12日(木) 11時49分
2月末に帰省した時
父親の賢明の介護のお陰か、母親は少し元気になってた。
薬くれくれ病?も改善して、調子のいい時はベットから降ろしてあげると
這い歩きで台所まで行けるようになってた♪(嬉しい!!)
私が帰省すると、父親は「今日はワシが風呂に入れてやるけぇ、上がったら
あまえが拭いてやってくれぇの」って言うて嬉しそうにお風呂に入れてあげてたんだよね。

お母さんも「気持ちえかった、やっぱり家で風呂入るのんは気持ちがえぇわ」
って喜んで。久しぶりに家族3人、食卓に座って食事出来たのがとっても嬉しかったんだ。

「日にち薬」という言葉があるけど
それってホントだなぁ・・・・・


でも、1月に私が帰省した事も、入院してた時の事も全く覚えてないそうで・・・
トイレも簡易トイレに移動した時にはもう出てるんだよ〜〜〜
感覚がわからなくなってきてるのかな・・・・・。曜日や日にち、時間、の認識も薄いし、
認知症の始まりかもしれない。

どこかおかしい 

2005年05月12日(木) 11時03分
退院した母親は、やっぱどこかおかしかった。
私は実家にいなかったので、後で聞いた話しだけど・・・・
退院したその日、ベットへ移動する時に、つまずいて腕をひねったらしいのだけど
イタイイタイとそりゃもう大騒ぎして、救急車呼んでくれだの、
頭が痛いからセデス飲ませろだの大変だったらしい。で、あんまり騒ぐもんで
父と兄も「もしかしたら骨折か?」と心配になって救急車を呼んだんだ。

(母親は太ってる上に、以前から要介護3で歩くことが出来ないため
自家用車に乗せるのも大変なんですわ・・・)フゥ・・・・

診察してもらったら、ただの捻挫やったそうで、兄と父はもうグッタリ〜〜〜

その後も自宅療養してた母親は
頭が痛いから薬飲ませろと騒ぐ。けど、食事も摂らないのでそうそう鎮痛剤ばかり飲ませられない。
薬を飲む→胃が荒れる→胃腸が悪いので食事も喉を通らない
という悪循環で体も衰弱し、結局年明けの1月はまた入院してしまった。

荒れまくり 

2005年05月10日(火) 17時06分
術後の母親は
何故、自分が病院にいるのかも解らなくなってきて
自分のいる場所が病院である事もわからなくなってきました。だもんで、
絶対安静しなきゃいけないのも納得できなかったようです。不安からなのか、
病気がそうさせるのか、
次第に荒れた気持ちになり、「帰るんじゃけぇ、点滴はずしてくれぇ」
「ご飯炊かにゃ、いけんのんじゃけぇ」とうわごとを繰り返し、勝手に点滴を抜こうとしたり
頭に通してる一番大事なチューブまで抜こうとします。
ーーーーーーーーーーーーー
そ、それだけは抜いちゃダメですからーーーーっ!!!それ抜いたらまた
緊急手術しなきゃいけないんだよ!!おとなしく寝ててよ、お願い。
て言うても、とうの母親は全く聞く耳持っちゃいない。あんまり暴れるもんで仕方なく
ベットに紐で縛りつけたんだけど、これは正直きつかった・・・・
自分の親を紐で拘束するなんて・・・・・「ごめんよ、ごめんなぁ」と言いながら
心を鬼にして紐を結ぶやるせなさってば、今思い出しても辛い。
母親からは
「これはずせぇ!親の言うことが聞けんのか!」と罵声をあび
あげくにお茶を吹きかけられて・・・・・
まったく、あの時の母は別人だったよ。目もすわってて、ホント何かがのりうつったのかと
思うほどやった。見えないおにぎり、おにぎりの幻覚まで見ちゃって
空をつかんで美味しそうに食べてたり、「小松のおばさん呼んでくれぇ」とか言うて・・・
てか小松のおばちゃん、もう死んでるし!!

まぁ、そんな状態が1週間ばかり続いただろうか。
自分の思うように行動できないイライラが募り、時折暴れたり、また時には
ひたすら眠ったりで、全く目が離せない状態。私達家族は、兄、父、私、私の主人の
4人で交代しながら仮眠をとってやり過ごした日々でした。

やがて、大事な頭からのチューブを抜くことが出来、母親のストレスも軽減され
やっと家族は少しだけ安心する事ができたのです。


その後、後は父親に任せ、私と広島市内に住む兄は仕事の為に自宅へと
戻りました。この時は父親に任せっきりで、その後、重大な事故が起ることなど
想像もしていませんでした。

不運の始まり 

2005年05月10日(火) 16時06分
最初の不運は昨年11月に母親が脳出血で倒れた時から始まった。
私の広島の実家は両親だけで小さな魚屋を営んでいて、その日も
いつものように父親を行商に送り出し、母親はこまごまとなんかの集計を
していたらしい。しかし、その日は朝から調子が悪く、異常に頭が痛くなった母親は
「こりゃ尋常じゃない!」と悟って自分で救急車を呼んだんだ。

救急車が到着した時にはすでに意識レベルが下がっていて、すぐに
脳外科に搬送されたあと、緊急手術。

広島ー兵庫と遠方に住む私の元に連絡があったものの
そうそうすぐにいける距離じゃない。それどころか気持ちが動転して
何を用意したらいいかも全く頭に浮かばないほどの動揺ぶりだった。
なぜか、永遠の別れになるような気がして・・・・・道中の車の中で何度も
泣きそうになる自分がいた。

午後、病院に到着するともう手術は終わっていて、母親は出血したところに
なにやらチューブを入れられていました。(隋液を流す為に)
腕には点滴、尿道カテーテルを装備して横たわった母親は意識もハッキリしていて
自分が倒れた経緯を事細かに説明してくれていたんですが、
次第に母は母で無くなっていきました・・・・・。

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