似たもの同士 

October 29 [Sun], 2006, 6:33
中学校時代からの友人で、「私達似てるね」と話す人がいる。
彼女は良く言えば繊細で、悪く言えば神経質。
言葉を統一すれば、「感受性が豊か」なのであろう。

中学時代は、私を含め8人グループの一人。
私はグループ内で、彼女よりも中のいい友人がいたし、
彼女もそうだった。

高校は別のところへ通ったが、中学以上に仲良くなった時期だった。
そのきっかけはFAX。
当時自宅にFAXのある人は少なかったが、
私と彼女の家にはあって、
「でも、滅多に使わないよね」と話したのが始まり。
それから、今のメールのように、
たわいのないことをFAXで送信しあった。

この時FAXがなければ、彼女とこれほどまでに仲良くなることはなかったのだろうか。
不思議だ。

高校を出ると、彼女は看護学校へ。
私は、大学へ。
彼女は3年間女の園。
私は高校までとは違って、男友達も普通にできるようになった。
私たちは自由な時間が増えたこともあり、今のようにたまに会って遊ぶようにもなった。

彼女は一足早く社会人に。
私は1年遅く社会人に…といきたかったが、3年間アルバイト生活をして、
4年遅れで定職に就いた。
その間も、近況報告を兼ねて、たまには会うようにしていた。

私達のどこが似ているのか。
育ってきた環境や、容姿はあまりにも違う。
なのに、最近の私達は、考え方や感じ方がとても似ている。

というのも。
社会人になって、職場でもそれなりの責任を持たされるようになってきた。
その時に感じることがとても似ているのだ。
上司に感じること、同僚に感じること、後輩に感じること。
仕事の内容や、自分自身に思うこと。
未来への想い・・・など。

彼女は昔から痛々しいほどに、人の反応や言動に影響を受ける。
いい意味でも影響を受けるが、
そのほとんどが「傷ついている」。
「それは考えすぎだよ」と思うこともしばしばで、
現に、意図していなかった風に私の言葉をとられて、
知らず知らずのうちに傷つけていたこともあった。

彼女はそんな自分の過敏さに気づかず、
思ったことを口にする。
口にして初めて、傷つくのだ。
私も彼女も内面ではとても似ているが、
言葉にすることが多い彼女の方が、
傷つく場面も多いはずだ。

社会人になって彼女は多少図太くなり(もちろんいい意味で)、
私は思ったことを口にする機会が増えた。
そして、私たちは同じように傷つき、同じように感じるようになったのだろう。

そんな彼女が、年度末で仕事を辞めるという。
昔からやりたかった思っていたことを今のうちにやるという。
私も常日頃「仕事を辞めたい」と思っているので、
「え!」という驚きより、「きたか」という感じだった。

そしてまた、私達の感じ方は少しずつずれていくのだろう。
でも、その違いがお互いの刺激となることを信じて疑わない。
だって、ツライ時泣きながら電話をできる友人なんて、
彼女しかいないのだから。

感受性 

August 08 [Tue], 2006, 22:30
「感受性が豊か」
昔からそういうのにちょっと憧れていました。
芸術的なものに興味があったからかもしれません。

「私は感受性が豊かかもしれない」
そう思っていた時期もありました。
「傷つきやすい」=「感受性が豊か」
だとすれば。

少し前、実家で物を探していた時に、
私が小さい頃、父の日だか、父の誕生日だかに、
父に宛てて書いた小さな手紙を見つけました。
小さなメモ帳に、鉛筆で書いただけの、
単なる紙切れのような、手紙。

お父さんがいないと家が寂しい。
でも、お父さんが一生懸命働いてくれるから…、
というようなことを書いてあったと思います。
父は、この手紙を会社のデスクマットに挟んでいたそうです。
それにも驚きでしたが、それを保管していた母にも驚きました。
父が亡くなった時に整理した会社のものの中にあったのでしょう。
手紙を読みながら、少し泣いてしましました。

そんな私を見て、母がしてくれた話。
私が幼稚園の年少だった頃、
父の仕事の関係で、苫小牧から札幌へ引っ越すことになりました。
出発まではまだ日にちがあったある日、
アパートの前で母は近所の人と立ち話、
私はアパートの前で一人で三輪車に乗っていました。

当時の幼稚園の先生が、
「お引越しすることになったそうで…」と、
わざわざ家まで訪ねてきてくれたそうです。
それで、母はその先生と話していたのですが、
ふと私の方を見ると、三輪車にまたがった私が、
ハンドルのあたりに顔を伏せているのです。
泣いていたのです。

出発の日でもなく、
先生と直接話していたわけでもないのに、
3歳の私が一人泣いているのを見て、
「感受性が豊かな子なのかな?」
と、母は思ったのだそうです。

「私は感受性が豊かかもしれない」
やはりそうかもしれない、とこの時感じました。
でも、昔のように「感受性が豊かであること」に、
憧れたりはしません。

芸術家ならいいかもしれません。
でも、私のように組織の中で普通に働く人間にとって、
感受性が豊かであることは、
かえって邪魔な気がします。
感じることがとても億劫で、何も感じたくなくなります。
人より色んなことを感じてしまうことに、
後ろめたささえ感じます。

大らかになりたい。
多くのことを感じないようになりたい。
他人の言ったことにも、自分の言ったことにも、
鈍感でありたい。

美しい唄のまち 

July 02 [Sun], 2006, 21:59
私の出生地は北海道の美唄市というところです。
札幌から車で国道12号線を行くと、1時間30分ぐらいでしょうか。
美唄市に入るところに「美しい唄のまち」と書かれた看板があります。
親戚が今もたくさん住んでいるのですが、
最近は滅多に行かなくなってしまいました。

誰でもそうなのかもしれませんが、
住んだことはなくても、やはり、故郷。
行くと何だか落ち着きます。

私は当時登別市に住んでいました。
美唄には母方の祖父母がいたので、
里帰り出産だったのですね。
私の母も美唄で生まれました。
母は、自宅で、私は、病院で。

昔、 聖飢魔Uというロックバンドがいました。
彼らはなぜか毎年のように美唄を訪れ、
ライブを行っていました。
今の叔父の家から玄関を出ると、
普通にメンバーがファンの子達を引き連れて
(正確に言うと、勝手について行ってるんだろうけど)、
前の歩道を歩いてたりしました。

「ピパの湯・ゆ〜りん館」という温泉も人気ですね。
私は行ったことがありませんが、
お土産に温泉饅頭をもらったことがあります。
私が今までに食べた温泉饅頭の中で一番美味しかったです。

他に有名なものといえば、「アルテピアッツァ美唄」。
彫刻家・安田侃の作品が屋外に展示されています。
一度夫と行ったことがあるのですが、
美術館と生活が自然と一つになっていて、
作品で子どもが遊んでいたり、
敷地内に幼稚園(保育園?)があったりして、
人々がそれぞれに好きな時間を過ごせる素敵な場所でした。

私が日常の中でちょっとした非日常を求めるとき、
少しだけ、現実から目を背けたいと心が逃げるとき、
いつでもこの故郷は、両手を広げて待っていてくれる気がします。
だから、何かをリセットしたい、またスタートに戻りたい、と思ったら、
美唄を訪れてみようと思っています。
P R
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