薔薇一輪【弐】 

November 17 [Thu], 2005, 10:52
 そんな美しい父の作品に惹かれ、私も次第に文学へとのめりこんでいった。学生時代には同人誌に積極的に参加し、それなりの評も頂いていた。今考えると、「あの文豪の息子だから」という前提での評価だったのかもしれないが、当時の自分はそれを実力だと思っていた。
 しかし父を越えられる筈もなく、学校卒業と共に同じ道を進む事は断念した。其の事について、私は何も悔やんではいない。自分に文才がなかっただけの話だ。少しでも才能が有れば、自然に父を越えようという意欲も湧いてきた筈だ。
 今では、鎌倉駅に程近い商店で経理を担当している。地味な仕事だが、自分には似合っていた。時々、昔参加していた同人誌に付き合いで寄稿する事がある程度で、今後自ら進んでペンを取る事はないだろう。
 
 母が亡くなったのは、旧制高校を卒業してまもなくだった。
 元々体の丈夫でない母は肺を病み、近くのサナトリウムに入っていた。自宅が鎌倉のお陰だったお陰で、父も頻繁に母の許へと通っていたらしい。私も休暇になると実家へすぐに戻り、母を見舞ったものだった。
 母が入院していた当時も、父は例の旅行を止めなかった。
 それが父の創作には重要な事だと、病床の母に付き添いながら私はそう思う事にしていた。
 また、父は母の死に目に会えないのではないか。時々、そんな不謹慎な事を思ったりもした。

薔薇一輪【壱】 

November 15 [Tue], 2005, 13:32
 其の女の名前を、「胡蝶」といつた。本當の名前は、ついぞ分からず仕舞いであつた。
 艶やかに咲き誇る、深紅の薔薇のやうな女だつた。

[昭和十年 鎌倉]

 ずっと父を尊敬していた。
 私は手にした紙片を強く握り締め、憎々しくそう思い返した。
 小説家の父は、繊細で美しい文章を紡ぎ出す人だった。父が初めて作品を発表した時、新鋭の出現に文壇は大騒ぎだったと聞いている。誰もが父の文章を賞賛したが、当の本人は其の様な事には全く興味を示さず、ただ雑誌社に乞われるがままに次々と美しい作品を生み出していた。
 無欲な人だった。
 生活は慎ましく、父と母、そして長男である私と弟の四人で静かに暮らしていた。無口で厳格な父は酒も煙草も手を出さず、娯楽とは縁遠い人だった。
 唯一の贅沢は、月に一度の旅行くらいなものだった。
「一寸、行って来る。」
 其の一言だけ残して、父はふらりと家を出る。母は、取材旅行だと云っていた。家族で旅行になぞ行った事のない私は、独り出掛けて行く父に自分たちも連れて行ってくれればいいのにと恨めしく思ったものであった。
 不満であったのは、それくらいなものだ。
 幼い頃の私は、幸せだった。
 
 私が尋常小学校を卒業しようという頃だったと、記憶している。
 九月の未だ暑い時だった。正午近くに大きな地震があった。
 関東大震災だ。
 我が家の有る鎌倉の揺れも酷く、昼食の支度をしようとしていた母は炊事場から駆け出してきて、居間に居た私を大声で呼び、家の外へと共に逃げた。弟は、近所の幼馴染の家に遊びに行っていた。我が家は火を使っていなかった為に火災は免れ、家の瓦が落ちた程度で済んだのだが、弟が遊びに行っていた幼馴染の家は火事に見舞われ、逃げ遅れた弟と幼馴染は亡くなった。
 其の時、父は例の旅行に出ていて、夕刻に戻ってきた。帰ってきた父は弟の死を聞かされ、「運が悪かったんだな。」と呟いたのを覚えている。
 其の後に発表した作品は、幼い子供を亡くした一家を描いたものだった。
 弟の追悼に相応しい、美しい作品だった。

誰の心も動かさない無知なシエラザード 

November 15 [Tue], 2005, 13:25
 さてさて、此処では自作小説をメインに、読んだ本や観た映画の感想なんぞも載せていきたいと思っております。
 日記はあまりにオタクすぎるので、別のところで公開中(笑)
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