みんなも知ってるタンギー爺さん パリ・イリュストレ

2010年02月01日(月) 23時21分


ご存知ゴッホの「タンギー爺さん」の背後に描かれている浮世絵。三代目歌川豊国(歌川国貞時代)の 「三世岩井粂三郎の三浦屋高尾」だ。

三浦屋高尾とは三浦屋に伝わる高尾太夫のことで、吉原の太夫で一番といわれる花魁。この「高尾」は三浦屋の遊女たちに代々襲名されたもの。彼女は何代目なんだろうか。作品「タンギー爺さん」では、左側で爺さんを眺めているように描かれている。



Paris illustre vol. 4, May 1886(le japon No.45-46)

続いて二人目の花魁登場。

Paris illustre(パリ・イリュストレ)の45-46号は「le japon」(日本文化)の特集で、表紙を飾ったのが渓斎英泉。ごらんのとおり逆版になっている。ゴッホはこれをそのまま書いたんだな、きっと。



渓斎英泉 「雲龍打掛の花魁」

パリ・イリュストレは印刷業者のシャルル・ジロー(Charles Gillot, 1853-1904)が編集の挿絵入り雑誌。この特集の解説のテクストは、日本画商の林忠正氏。



ゴッホ 花魁 (渓斎英泉から)

林氏は帰国後に本格的な西洋美術館を構想していたらしいが理解が得られないまま病死。林氏の貴重な資料やコレクションは処分や海外流出となる。残念というより悔しいな、林氏。




この「花魁」の蛙は歌川芳丸(二代目)「新板虫尽」の部分をゴッホは描きこんだ。左側の大鷺は佐藤虎清か一圓斎芳丸の「芸者」からとも。鶴ならフランスで娼婦の代名詞に使われていたから鶴のような気も。参考記事は「ナナの誕生 ドミ・モンド」から。

でもさ、浮世絵をよく見てるね。こんなに研究熱心だったのに、なんでゴッホが生きているうちにその評価が下されなかったのか。

本当に残念な生涯だったよな、ゴッホ。

さてさてシャルル・ジロー編集の「パリ・イリュストレ」が発行されていた同時代には、1888年5月に創刊された「Le Japon Artistique(日本の芸術)」がある。アール・ヌーヴォーの言葉を生んだパリの美術商サミュエル・ビングが編集。ビングのおかげで日本の柴田是真もフランスで人気だった。

記事「柴田是真 アール・ヌーヴォーとジャポニズム




一番最初にゴッホのタンギー爺さんの背景にある富士山はこの二代目歌川豊国の浮世絵を想像した。そしていろんな本を読むうちに歌川広重の「富士三十六景さがみ川」だと知ったのが、この記事をアップした2006年のことだ。




正直心のどこかで広重の富士山に納得できない自分がいる。専門家がそうだといっているから間違いないが、見れば見るほど富士山が今度は北斎を想像させる。たぶん色なんだろうよ、北斎を想像したのは。




タンギー爺さんのおかげではっきりと浮世絵が見えないが、大きさからはかると広重になるんだろうな。このタンギー爺さんは1887年夏作とされており、2枚のうちの1枚だ。

まずはタンギー爺さんの後ろにある広重の富士山とその右隣にある浮世絵「五十三次名所図会石薬師」をご覧いただきたい。そして朝顔は「東都名所三十六花選 入谷朝顔」という説があった。山口県立萩美術館浦上記念館が所有しているちりめん絵の「東京名所いり屋」を背景に取り入れたとされたのが1999年。また左上の雪景色なんだけど、花魁のようにいろんな浮世絵をみていろんな作品から描いているんじゃない?



歌川広重 「富士三十六景さがみ川」


歌川広重 「五十三次名所図会 四十五 石薬師 義経さくら範頼の祠」


異論もある歌川広重(二代目) 「東都名所三十六花選 入谷朝顔」



こちらがタンギー爺さんの1887年冬の作品。1888年作という説もあり。たぶん浮世絵っておんなじようなものって、結構あるじゃん。こっちの方はこれだ!っていう専門家の意見が少ないなか、ネットの浮世絵ギャラリーには右下の花魁の顔は歌川豊国(三代目)の「今様押絵鏡・芸者長吉」だってあった。
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