のほほんしつつ、おおまじめ。 幸せ方面めざしてあることないこと語ります。 退職したから転職日記になるかもね。

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反戦の集い その3 / 2005年03月23日(水)
前回からの続き

この集会で一番心に残った
NGO「Peace One」代表 相澤さんのイラクレポート。
相澤さんは米軍のイラク侵攻前に「人間の盾」としてイラクへ乗り込んだ。
そこで知り合ったイラク人とフランス人とPeace Oneを立ち上げた。
彼らは、ショウガイ者施設にワゴン車を現地調達の上、届けている。
イラク侵攻から2年経過した今、治安はますます悪くなり、
Peace Oneのバクダッド事務局は閉鎖状態、
自衛隊のせいで、日本とつながっているというだけで危険だそう。

相澤さんから素敵な話を聞くことができた。
「人間の盾をしていた時、施設を管理する側のイラク人から、
英語で手紙の代筆を頼まれました。そのイラク人は人間の盾で
来ていたフランス女性に恋をして、気持ちを伝えたいんだけど、
英文の手紙が書けません。
すると、彼の気持ちは見事に通じ、やがて二人は結婚しました!」
「そこでイラン人の彼はこう言いました。
『人間の盾は戦争を止められなかったけど、戦争は二人の愛を止められなかった!』」

素敵な台詞だなあ〜と、クサイと思いつつも、戦場と化してるイラクを想うと
感慨深いなあ〜としみじみ。
というわけで、Peace Oneのイラクスタッフは結婚した二人なのです。
HPでお幸せな二人を目撃することができます
人人の繋がりから始まる支援なんですね〜。

最後に相澤さんは、イラク侵攻翌日に現地で撮影したビデオを見せてくれた。
イラク人達から、爆撃された家族の遺体を捜したいが米軍が許可してくれない、
日本人なら許可がもらえるかもしれないなんとか助けてくれ、と。
恐ろしかったが、米軍と交渉し、遺体がある場所へと向かう。
ぐちゃぐちゃになった車に、無残な死体。
飛び散った手足、内臓がでている胴体。
リアル、日本の報道では絶対に感じられない「本当の戦争」。
「嗅いだことにない強烈な臭いに、みんな吐きながら
遺体を運んでいました。」ビデオではゲーゲーと、声のみ。
「みなさん戦争映画に臭いがあったら見に行きますか?
行きませんよね。」

自衛隊派兵推進、9条改憲を叫ぶ人たちは
あの映像を見たら、何と言うのだろう。
「市民が多少犠牲になっても、日本国が存続できればよい」
とでも言うのかな。


まだつづく・・・
 
   
Posted at 12:23 / なむの考察 / この記事のURL
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反戦の集い その2 / 2005年03月22日(火)
前回のつづき・・・

ご年配の紳士か登場されました。
元日本兵のその方は、中国に派兵され、
そのまま現地の戦犯管理所に収容されたそうです。
でもちゃんと日本に戻ってきました。

『当時は政治的な認識がなく、政府宣伝を真に受けていた。
天皇命令で動くことは当たり前のことだった。』
『日本民族の優越性という言葉で政府に騙され、
戦地では自分の出世を考え上の命令に従い、
これは加害の罪です。
でも中国人に許してもらって帰国できた』

中国人達は国内を日本兵にぐちゃぐちゃにされた。
それなのに日本兵を許した。

逆のことされたら、絶対生かして帰さん!
って思いません?

当時の革命政府はこう人民に説いたそうです。
「本来憎むべきは日本の帝国主義であって、
日本人民(日本兵)ではありません。
だから私達と日本人民はお互いに協力していきましょう」

毛沢東の思想やらは、触れたことがないから憶測ですが、
社会主義的な資本者階級対労働者階級という概念から
上の様な話が出てきたと思います。

けれど、理由はさておき、被害者が加害者を許したという事実が生まれてる。

もちろん、心底からは許せなかったでしょう。
しかし戦犯だからといって殺すことをしなかったのは敬服する。

中国バッシングはよく起きる。
でも日本には中国人に救われた命もある。

80歳前後になると思われる紳士は、
白髪の頭を正面にびしっと構え、
はっきりした口調で過去の歴史を語っていた。

使命があると、人はしゃんとするものなんだ、きっと
 
   
Posted at 00:17 / なむの考察 / この記事のURL
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反戦の集い その1 / 2005年03月21日(月)
「いま歴史を問う〜かつてと今の戦場の実相から」
という集会に行ってきた。

集会というと怪しいとか、
政治臭が漂っていそうで若者受けしないかね・・・

様々な人たちが、様々な集いをしてますが、
要は、会の主旨に応じ、同じような考えを持つ
いろんな経験をしてきた人たちの話が聞ける。
テレビをぼっ〜と眺めてるより、断然おもしろい

今回は、太平洋戦争でアジアに侵略した事実を認め、
その加害の歴史を二度と繰り返さないと願う二つの会が主催。

ジャーナリスト、斉藤貴男氏の講演。
そう、そうと頷きながら聞いたのは
子供への、子供の、残虐な犯罪が
増えているといわれる状況の中、
警察、学校、町内会から始まる自治体が、
『原因を断つ努力をしないのに監視化を進めている』こと。

隣近所で監視されてたら、「ほっ」とする事もできなくなりそう。
自分の心はすさんでしまいそう。
ビール缶を山のように毎週捨てたら「危険人物」扱い
どんな場所でも、全く知らない人々から
世間が考える正しい人間でいなさいと「管理」されてるみたいだし。

『差別や貧困をなくす社会を創ることが犯罪をなくす』ことです!。

必要があるなら戦争はするべきと言う友人がいた。
人死ぬのに?と反論したけど、
なんでそんなこと言うのかなあと思ってた。

ああ、こういうことか!と妙に納得した。
『東京大空襲、広島、長崎の被害者の歴史は知ってるけれど
太平洋戦争以前の勝ち戦の影の被害(中国等での)を知らない、
だから戦争=被害者になることとしか考えていないのでは?
つまり被害者にならなければ(戦争を)悪いことだと考えない』。

『他人の戦争をエンターテイメントとして捉えている大衆』。

フランスのラジオでは、イラク戦争反対の大規模デモが
アメリカ、日本、トルコ等々で起こってます、と大きく伝えた。
でも同じ日、国内のマスコミでは大きく取り上げられていなかった。
(テレビあんまし見ないし新聞嫌いだし、自分見てないだけ?)

イラク戦争という、「加害の戦争」に反対できない空気は
『はっきりとファシズムといえる状態である』。

ちょび髭オジサンだけの話かと思ってたら、
腕を前方勢い斜めに挙げているのは自分かもしれない
 
   
Posted at 22:56 / なむの考察 / この記事のURL
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「対馬の日」におもう その2 / 2005年03月20日(日)
つづき・・・

どうも腑に落ちない・・・。
日本が朝鮮を植民地化し、厳しい同化政策を行い、
日本への労働のための強制連行、
太平洋戦争のための徴兵・従軍慰安婦等・・・
(「自分達は(支配されている)日本人と対等にやれるんだ!」と
朝鮮の若者は特攻隊に志願したという。
そこまでしないと朝鮮民族の誇りを確認できない状態
にまで追い詰められていったのだろう)

実質の植民地化は1910年の「韓国併合」からではあるけど、
それより前、鎖国していた朝鮮に開国を迫り、断れたから
武力を背景に1876年「日朝修交条規」という不平等条約を締結させた。
以後、日本の朝鮮支配がじわじわと進んでいった。

それから1905年、日本が竹島領有宣言と言っても、
韓国側が納得しないのは当然だと思う。

だって、当時、朝鮮と日本は対等ではなかったし、
(現在でも、アメリカと対等な国はないに等しいから、
イラクが「侵略」されてしまうんですよ)
何よりも、植民地化されたことで被った朝鮮側の痛みについて、
ちょっ〜と謝罪した程度の日本の対応では、
「竹島の日」制定に批判されるのも無理ないと思う。

いじめられっ子に、散々嫌なめに会わされて、
大きくなったら、
「あの頃は悪かったな、な!
お互い大人なんだし、これからうまくやっていこうや〜」
となだめすかされているような感覚を受ける。
なんて喩え話では、賛否両論なのはわかってるけど、
右左とか言う前に、日常感覚の想像力を膨らませられないのかね〜?

竹島の件の解決は、解決にはお互いの理解、
特に日本が過去にしちゃった事を
きちんと認めて反省することから始まると思う。
「竹島の日」制定は、右傾化する日本の時流に乗っただけ。

そしたら韓国の馬山市で「対馬の日」が制定されたけど、
韓国政府が「心情は十分理解するが、不必要な混乱を
誘発する可能性がある」として、撤回を求めた。

どっちが大人なんだか。
日本政府は島根県に対して
「自治体の動きに関与できない」ってほったらかし。
外務省のHPに竹島返還のページ作ってるのにさ。 
 
   
Posted at 13:23 / あえて世の中から浮きたいの / この記事のURL
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「対馬の日」をおもう その1 / 2005年03月20日(日)
去る3月16日、島根県議会は
2月22日を「竹島の日」と制定した。

竹島とは、島根県と、韓国は慶尚北道の間にある
ちっちゃな島で、日韓で領有権を主張している。
小さくても、操漁権を取るか取られるかでは大問題。

韓国は何やら、1500年前から先祖代々管理していたと言い、
日本は江戸初期には漁を行ったり、幕府も認知していたと言う。

日本本は1905年に明治政府閣議を経て、島根県告示で竹島編入。
韓国は遅れること1952年に竹島は韓国領海に含むと宣言。

どうやら、島の発見自体は韓国の方が早かったみたいなんだけど、
(詳細は調べ切れてないけど、日本政府は根拠がない!とつっぱねてる)
実質の領有宣言は日本政府の方が早かったよう。

だから「竹島は歴史的事実に照らしても、かつ国際法上
明らかに我が国固有の領土である」(外務省HP)となるらしい。

なんでも、誰もいない島に行政が介入し、漁業権を認めたり、
島の住民に徴収を課したりして「実効支配」をすると、
国際法では、領有権を認める可能性があるようだ。

つづく・・・
 
   
Posted at 11:30 / あえて世の中から浮きたいの / この記事のURL
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見てみ〜!!!その2 / 2005年03月15日(火)
私が師匠と呼ぶ増村監督作品!!!

「しびれくらげ」 (大映 70年)
監督 増村 保蔵
出演 渥美 マリ (むちむち路線!!!)
    田村 亮 (ヤクザ屋さん???)

ストーリー
 ファッションモデルのみどりは恋人美、宏に頼まれて、外人の大顧客に肉体
サービスをすることを承諾する。そして、お父ちゃんのしょうもない借金にやき
もきするはめに・・・。恋人の宏にも借金の魔の手が伸びるが、みどりは素敵
な助っ人、ヤクザに助けられ・・・。

増村監督は、私が崇拝する2人目の監督である、残念ながら
それ以前に、単館系映画へと導いてくれたのは、
紛れものなく、イラン映画の大巨匠、
アッバス・キアロスタミ氏に他ならないからだ。
(友達の家はどこ?で大ブレイク!)

増村監督の出会いは
「くちづけ」、だった。
初々しさと、視線の確かな映像に、惚れた。

さて、今回の「しびくらげ」
も、負けてはいない。

昭和中期の混沌とした色彩の中に
親-娘の生臭い血の関係を濃厚に表現。

今の世の中に欠けているのは、
激しすぎる親子のぶつかりあい。

さて、幸せをつかむのは
一体誰???

お薦め印 ☆☆☆☆☆ だって師匠の映画だから
 
 
   
Posted at 23:43 / むかし映画の薦め / この記事のURL
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おやじ組 / 2005年03月13日(日)
バイト先で知り合った二人の友人がいる。
出会ったのはかれこれ4年前である。
最近頓に会うになった。

というのも、
3人とも、
女なのに、まだ若いと言ってもらえる範疇なのに、
とにかくオヤジくさい
特に言動が。
だいたい最近のはやり歌なんて知らないし、
お気に入りのドラマは頑張ってごくせん。
いわゆる女の子らしく振舞う気もなく、
声のトーンも低め。
最近の若い子は・・・と説教じみた話好きだし、
酒のテーマは
「せちがらい世の中」とくる。

結婚しても働いていたいから、と、
社会について語り合う。

そこら辺のオヤジさんからも
疎まれそうな熱気である

そしたら、一人が、
「久々に会うようになって、ここまで盛り上がるのは、
何かを3人でやりなさいという啓示だ!」
と言い出す始末

というわけで
「暖かい」「非利益追求
の2点を柱に、「何か」を捜すことにしました。

忘れないように、ブログに残しておきましょう
 
   
Posted at 16:51 / 熱い時代 / この記事のURL
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これを観ろ!!!その1 / 2005年03月11日(金)
久々に泣いた映画を見てしまいました。

「処女が見た」 (1966 大映 モノクロ)
監督 三隅 研次 (眠狂四郎・座頭市シリーズ)
出演 若尾 文子 (増村作品にも出演!
    安田(大楠) 道代
    (たけし座頭市 おうめ役!)

ストーリー
不良娘智恵(安田 道代)は、居候先の叔父一家と折り合いが
悪く、尼僧寺に見習いとして入れられる。そこで智英尼(若尾
文子)を目標とし、尼僧になる決心をした矢先、智英尼が行俊
和尚に貞操を奪われてしまし・・・。

女って、男の前では本当に弱い存在なんだと
まざまざと実感させられた。
悲しみ、憎しみが怒りになった。

40年前の映画なのに、
今も同じことが起こっている。
男って進歩してないな・・・

合間に流れるエレキがまた良し。
デンケデケデケデケデケデケ
「エレキの祭典」というネーミングがいいっす

古いものから新しいものへの移行。
だから智恵の行動に拍手を送りたい。
(あんなことしたら、本当はいけませんが)。

現代女性のほうが、智恵よりも
たくましくも、したたかにもなってるけどね
女は日々進歩してるってことかしら

お薦め印 ☆☆☆☆
  
 
   
Posted at 23:56 / むかし映画の薦め / この記事のURL
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おめでたい日 / 2005年03月08日(火)
親友の結婚式がありました。
いや〜赤坂のホテルでしょ、やっぱり素晴らしいのよね。
雰囲気も良いし、豪華な感じが、一生に一度のイベントにぴったり。

結婚式は人前式という、初めて聞くもの???。
これはいいなあ〜と思ったのは、
西欧でも国産の神の前でなく、
集まった親御さん、親戚、友人達が結婚の証人になること。
神さんより、目の前にいる密な関係がある人間だよね。

またね、新婦が綺麗でして、いつもキレイな子なんだけど、
凛として式に臨んでいた姿に惚れてしまいますわね。
・・・普通にパクパクお食事してたのには笑ったけど、
そのくらいのマイペースが彼女らしくてほほえましいのです。
彼にも初めてお会いしましたが、
目がお優しい〜な素敵な方でした。

披露宴も派手な演出ないものの、
暖か〜い空気に包まれてましてね、うっとり。

自分は、その時がくるならば、披露宴なんて絶対嫌だけど、
人様の披露宴に出席さえて頂くのはとってもいいもんですね〜。

ただね、興ざめしたのが、
旦那さんは防衛関係の方なのだが、
純ちゃん名義の電報が来たこと。
はぁ〜、ですよ。
どこの階級までの公務員に祝電を送るのか知りませんが、
(ちなみにウチの親も公務員だがノンキャリだし、
当時は下っ端だったし、そんな話聞いたことない。)
まさか防衛関係だから特に送るのかは確認してないけど、
それって公費なのか?
どうせ各省庁内の総務が手配するんだろうけど、一体年間いくらになるの?
情報開示請求すれば分かると思うけど、
だいたい個人同士の結婚に対して、「両家」という言葉もふさわしくない
と思うのに、どうして国の、しかも首相が介入してくるのか・・・。
納得が全然いきません。
イメージ作りとしか思えないし、そんなことに大事な式を利用して欲しくない!

と、また熱くなってたけど、さすがにおめでたい席なので
もちろん大人しくしてましたよ。

それと、もう一つ。
旦那さんの同期の方達が万歳三唱でお祝いしてくれましたが、
最後の万歳が、「日本国 万歳!!!」
ですよ、溜息しか出なかったよ・・・。
二人のこれからの素敵な人生に万歳してよね、
なんで「国」なのですかね・・・。

とっても素敵な結婚式に出席できて嬉しかった。
おめでとう、そしてお幸せに!
 
   
Posted at 16:09 / あえて世の中から浮きたいの / この記事のURL
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ゴーゴードラマ / 2005年03月01日(火)
ネット、あらためてその便利さに鼻息が荒くなる。

昨日朝まで古着屋さんサイトを覗いてたら
あるわあるわ60’s、70’sの素敵な子たちが

昨日は石立ドラマ「気になる嫁さん」の最終回で
もうそのラストにぐっっ〜ときて涙していたとこでした。
普段のお茶目なコント演技はどこへやら、
最後の最後で渋っな石立兄やんが見れて感激

ちなみに、石立さんとはご存知の通り、
50年代世代以降にはわかめすきすき〜で
おなじみの石立鉄男氏であります。

家族全員で家族全員の喜怒哀楽に右往左往
昔の、日本が高度成長期絶頂の頃のドラマの
暑苦しい人間関係が大好き。

お手伝いさんが成人した子供達をたしなめ、見守り、
明治生まれのお父さんは文句言って怒鳴りながら
心の中では子供達の幸せを願い、
死んだ息子の嫁は、嫁ぎ先のみんなに愛される。

でもね、最終回。
線路拡幅のため、電鉄にお家を明け渡し、
それをきっかけに家族がそれぞれ独立していく・・・。
高度成長が終わり、バブルがきて資本主義がもたらす
孤独感を象徴していたように思えて、深い〜

で、そのドラマで榊原るみとか、富士真奈美とかが
着ているワンピがかわいくて
ドラマが好きだけじゃあ、もったいないし、
熱く語るためには、先ずは形から、ということで、
70・60’sなファッションに身を包んでみたらいいのかね
これでベルボトムにメットかぶれば安保な気分か?
(時代考証はご勘弁を)
 
   
Posted at 23:32 / 熱い時代 / この記事のURL
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P R
しょうかい
あだ名                なむ
好きなもの                映画監督増村 保蔵                ドラマ「男たちの旅路」                松本 清張熱読中                音は70年代ものサントライタリアンetc
お家                珍しいのが一匹
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