心のケージvol.1 

April 30 [Sat], 2005, 19:51
 もどかしくてもどかして、胸に当てた手で、シャツを掴んだ。もし、この手を、自分の肉体に差し入れて、じかに心臓を掴めたら、少しは落ち着けるだろうか。

「会ったところが会ったところだから、そんなふうに思うんじゃないの?」

 目の前の僕を素通しして、記憶をさかのぼるような目つきで、彼女はつぶやいた。右手にはバージニアスリムのロゼ。その切れ長なまなざしが、大人に錯覚させるが、彼女はまだ23歳だ。その純粋な心を結晶にしたような瞳は、ふと醒めた炎をたたえているように映る。そのまなざしに、射貫かれる心持ちは、経験したものでないとわからないだろう。

 彼女がいつの記憶を脳裏に描いていたかは定かでない。でも、僕と彼女に振り返れる過去はそんなに多くない。出会った場所というのは、彼女が働いている風俗店で指定された、古いマンションの一室。鉄の扉が開くと、そこにブレザーの制服姿の彼女がいた。もし運命が扉をたたく音があるなら、このとき、楽聖の調べの序曲が鳴っていたのかもしれない。しかし、このとき、まだ僕はただ一時の捌け口に、彼女を訪れる「客」の一人に過ぎなかった。


心のケージvol.2 

May 01 [Sun], 2005, 15:56
 shadow-0214moon@というメルアドで最初のメールが届いたとき、ずいぶん細心な綴りだな、なにかそれ以前の携帯メールで嫌な思いをしたのかなと思った。泥棒に入られた家が鍵を何重にもするのと同じで、最初から、こんな複雑な綴りにする理由は見当たらないからだ。

 shadow-0214moon。このなかに、彼女の素顔の一端が刻まれているものなのか。あまり答えは期待せずに、尋ねてみる。

》影、バレンタインデー、月って、なんのことなの?
》shadowとmoonは、前に好きだったバンドの曲。

 僕の仕事はこうした謎掛けを解くのにはうってつけだった。翌日、編集部で、音楽誌で仕事をしている菅原高志に会った。

「shadowって曲とmoonって曲をやってるバンドを知らないかな」
「shadow of the moonなら、ブラックモアナイトですけど」

 菅原はそれが何に必要か、自分が一枚加われそうかを判断してからでないと、真剣に記憶の引き出しを開けそうにない。それがまあ、この業界のしきたりみたいなものだ。彼が悪いわけではない。

「スピッツあたりかと思ったら違うんだよね。5年くらい前に女子高生が好きだったバンドで心当たりない?」
「女ですね? 隅に置けないなあ」

 口の端を少し上げると、菅原はそばにあった編集部共用のディスクトップの検索ソフトのキーをたたいて、

「shadow、moon。両方ヒット。TSFYですよ」







心のケージvol.2−2 

May 04 [Wed], 2005, 0:44
「TSFYって何者?」
「いやだなあ、ビジュアルパンクのバンド。ホントに知らないの?」
「知らない」
「そういえばヒット曲ないかも。でも、武道館のキャパが埋まるクラスですよ」

そう言いながら、菅原はTSFYのオフィシャルHPを検索して、クリックした。『The Song For You』というのが、正式なバンド名だとわかる。武道館ライブの告知がいきなり立ち上がる。

「あれ、メンバーの顔、出てないの?」
「そういうバンドです。こういうひとりよがりなの、僕はあまり好きじゃないけど」

 いかにもファンだけを対象にした閉鎖的なサイトを前に「役にたたないよ、これじゃ」と、菅原は乱暴にそのページを閉じた。ギター小僧がそのまま、四十歳になった風貌の菅原の世代は、「TV出演拒否」がかっこよかった時代のアーチストがいかにファンを裏切るか、目の当たりにしてきた。そんな彼らにとって、閉鎖的なHPそれ自体が、ただのかっこつけに見えるのだろう。隠すのは、見られたらそこが浅いのがバレてしまうからだと、僕も思う。しかし、あまりバンドの横顔を見せてしまうと、彼らが身にまとう耽美主義的な香りが希薄になってしまうのだろう。どんな天才的マジシャンでも、自宅でマジックを見せたら驚きが小さいように。

「どんな曲をやってるの? 聴いたことある?」
「デビューのころはプロモ盤が送られてきたけど、そうですね、ここ2〜3年は聞いてないかな。でもショックパンクだから、枇杷島さん、きっと引くと思います」

 そういい残すと、菅原は仕事中のデスクに戻っていった。溺れる者、藁をもつかむ。まさに、彼女の海で溺れている気分だな。そんな自分に、思わず笑みがこぼれた。草のなかを分け入って、振りかえると、踏みしめた後が残っている。それが人生だとしたら、いつも溺れているようなものだ。ときには、自分から溺れてみるのも悪くない。僕は彼女にメールした。

》TSFYが好きだったんだ?
》バ、バレた! 卒業するまでずっと好きだったんだよ。最近は聴いてないけど。

 選んだ鍵が一回で鍵穴にはまった気分。さっきの菅原の口ぶりからすると、チケットの伝手はありそうだ。

》武道館のライブのチケットが手に入ったら、いっしょに行く?
》行ってもいいかも。でも、枇杷島さん、きっと引くよ。

 鍵は開いた。

心のケージvol.3 

May 05 [Thu], 2005, 0:20
 春の細かな雨が舞っていた。咲き誇る千鳥が淵の桜も、煙のような驟雨のなかに色を失って霞んでいる。

「ひとつひとつの花は桜も、可憐なんだ」

 ぽつんと、太い幹にじかに一輪だけ花をつけた花弁に顔を近づけながら、紫音が言う。雨のしずくをたたえて、ほんのりとした桜色があざやかだった。

 傘を持つ手が少しかじかむほどの花冷えがする午後。早めに、九段下の改札で待ち合わせたあと、あいにくの天気ではあったが、お堀に沿って、ボート乗り場の近くまで、桜を求めてやってきた。水際の桜は花が鮮やかだという。これだけの花を咲かせるのに、どれほどの水を地下に張った根が吸い上げているのだろう。

「まさか、今年の桜をいっしょに見れるとは思わなかった」

 言葉というのは、口をついて出たとたんに、陳腐で月並みなものになってしまうものだな、と、僕は苦笑した。本当は、桃の花でも、梅の花でも良かったのだ、彼女とこうしてひとつ傘のなかから愛でられるなら。ふと、鼻先を彼女の髪に近づけると、淡くフローラの香りがした。
かさかさとした心が、少しうるおう思い。こんな些細な香りで、心が充足した気分になるのは、いまの自分の内部に、大きな欠落があるのではないかと思う。鼻の奥まで、髪の匂い吸い込んでみる。水を吸い上げている桜の木の根になったように。

「匂い、変わったでしょ? シャンプー変えたんだ」
「そうか」

 満開の桜の下、もう少しこのまま髪に鼻先をうずめていたいんだよ。そう言う代わりに、僕は、あいまいにうなづきかえした。
 
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