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ドラマ「悪女について」

2012年05月 05日 (土) 06:00
遅ればせながら、テレビドラマ「悪女について」を見た。(録画してあった)

有吉佐和子原作の昭和の末を舞台にしたお話である。

沢尻エリカ演じる、美貌の宝石商が、ある日突然の死を遂げ、その死の謎を、彼女の長い間の愛人だった男ー船越英一郎が解いていく…というストーリー。

いや、すっかりはまって見てしまった。

演出は尊敬する鶴橋康夫さんで、脚本は池端俊策さんという、日本のテレビドラマ界の重鎮というか大御所による作品。

丁寧に作られた王道のテレビドラマという感じ。昨今はこういう重量感のあるドラマってとんと見なくなった。演出が行き届いているんだけど、それが前に出てない感じて、思わず入りこんで見てしまう。

沢尻エリカ演じる、きみちゃんという女性。美貌を武器にさまざまな男に近寄り、手玉にとって、のし上がっていく…というある種の悪女の典型である。

いや、あるいは、この小説によって、ひとつの悪女像ができたのかもしれない。

男をだます悪い女なんだけど、あまりに美しく、魅力的であるために、男なら1度はだまされてみたい…と感じるような女。

先日、ブログにも書いた、「毒婦」のモデルになった、木嶋被告もある種の悪女ではある。いや、美貌以外はほとんど同じと言ってもいい。

言葉巧みに男に近づき、男に惚れさせ、お金を引き出す…という意味では同じ。

そういうワザができるのは、「美女に限る」と一方的に世間が思っていただけなのだ。

いえ、実は私も…。

それにしても、沢尻エリカはこの役柄にぴったりだった。類まれなる美貌と清純にもふしだらにも、天使にも悪魔にも見える、独特の雰囲気を持っている。

そして、それがいかにも「昭和の悪女」なのだ。

日本の高度成長に合わせて生まれて来たような悪女。

貧しい生い立ちと不幸な巡り合わせで、ゼロ、というかマイナスからスタートしたのに、持てる力とチャンスを全部使って、のし上がっていくのである。

それは日本の戦後からの成功物語のよう。男をだましてお金を取る…といっても、そこには彼女なりの戦略があり、努力があるように思える。濡れ手で泡のごとくにお金を手にしたのではないように見える。

成り上がり方がとても昭和っぽい。

ドラマも終わり方も昭和っぽかったんだけど、かなりの満足感というか、がっつり見た…という充足感があった。これぞ、テレビドラマ…という感じ。

洗練された作品を見ると気持ちがせいせいするね。

自分が好んで見るのは、実は、そういうものではなく、演出家の息づかいが聞こえて来るような、手触りが残るような、あまり完成されていないものが多いんだけど、やっぱり、良くできたものもいいなとあらためて思った。

最近、見るものって、ちょっとやりすぎ…というか、演出家、監督が前に出すぎのようなものが多くて、いわゆる、アートっぽい作品ですね、それらにちょっと食傷気味になっていたので。

というわけで、早朝、テレビドラマにどっぷりはまっておりました。

良質のフルコースを堪能しました。

鶴橋さん、やっぱり、すごい。

いいドラマが生まれる瞬間など。

2012年04月 16日 (月) 02:39
忙しいといいながら、4月クールに始まったドラマを3本ほど見てしまった。

漠然とした感想としては、刑事物が多いなーと言うこと。

刑事物も細分化していて、

コメディ系刑事物…時効警察、ケイゾク、specなど、

シリアス系刑事物…ストロベリーナイト…あ、あと思い浮かばない、

人情系刑事物…おみやさん…?

という風にバリエーションにとんでいる。

そんなにみんな、刑事が好きか。そんなに殺人事件が好きなのか?ってなもんです。

自分は正直、あんまり、刑事物、殺人モノが好きではない。

犯人捜しや、事件のトリックみたいなものに、それほどの興味を持てない。

基本的に「人間ドラマ」が好きなので(今、流行らないけどさ)、犯人あてクイズに萌えたりできない。

もし、殺人ものをやるとしたら、殺人に至る経緯、犯人と被害者の人間関係の細部まで降りていくものがいい。

殺意が簡単に説明されてしまうものに興味がわかないのだった。

……それにしても、長く生きたせいか、たいていのドラマを見ても、構成やストーリーの見せ方がわかってしまう。…わかってしまうと楽しめない。

構成がわかってしまい、企画書の上の企画意図や、会議の様子が想像できるなーというタイプは乗り切れないけど、とはいえ、何度も見たような設定であっても、セリフのちょっとした部分の魅力や俳優さんの演技によっては、知らないうちに引き込まれるから不思議だ。

それをもって、作り手側の力量ってことになるのだろうか。

「きっと、こういう物語だろうなー」と思っていても、知らぬ間に「じん」と来て、熱心に見ることになることもあって、もしや、ドラマって、設定でも構成でも脚本ですらなくて、脚本、俳優、演出すべてがからまりあって生まれる、一回性の奇跡みたいなものかもしれない。

これは、一演出家によって変えられるものでなく、一脚本家によって、描きだせるものではない。

いい場が出来たときに、ふっと生まれるものかもしれない。

もちろん、そういう「いい場」ができるように各分野のひとが努力する…というのは必要だけど。

というわけで、今週もめちゃ忙しいですが、今日は、少し早めに家に帰ることができたので、ちょっとは披露が回復するといいのですが。

正直、疲れマックスで、やってます。

代理母と売春。

2012年02月 25日 (土) 00:13
NHKで放送していた「マイケル・サンデル 究極の選択 お金で買えるもの 買えないもの」(2月18日オンエア)を録画してありまして、昨晩、見ました。

基本的なテーマは、「命に値段はつけられるか。命はお金で買えるか」ってことでした。

民営化した消防サービスは、お金を支払っていない人の家が燃えても消火しなくていいのか、とか、

成績のいい子にお金を支払う学校があるが、それは許されることなのかどうか、などが話しあわれました。

なかで、引っかかってしまったのが、「代理母」問題。

インドには、7000$払うと子宮を貸してくれて、母胎と関係のない男女の受精卵を宿して、子供を産んでくれるサービスがあるそうです。

女性たちは10ヶ月、その施設で過ごして出産するそう。子宮を貸すのは、貧困層の女性が多く、生きていくためにそのようなビジネスを引き受けているそうでした。

そこまでシステム化されたものがあることにも驚きましたが、技術的には可能になっているのだから、そういうサービスがあっても不思議ではないはずでした。

で、番組では、これを是とするか否とするか…という論点で話しあわれたのですが。

なかで、ハーバードの女子学生が、「代理母は売春と同じで、女性を搾取し、女性の品位をおとしめるものだから、不当である」と意見を言いました。

そうか、そう言われたらそうです。子宮を貸す代理母と、体全体(膣も含む)を貸す売春は、体を貸すという意味では原理的に同じかもしれない。

それを見破った女子学生、さすが!と思いましたが、一方で、彼女は売春にも代理母にも反対なので、そこらへんは私と意見が異なりました。

すると、日本のタレント(シェリーさん)が、「売春と代理母を一緒にするなんて、代理母に失礼。彼女たちはそのお金で勉強したり起業したりするんだから」と言い出しました。

ほう、そう来るんだ…と思った次第です。

たぶん彼女は、「子供を産むこと、母になること」は美しいこと、意味あることであるのに対して、売春は、汚れたこと、よくないこと…と考えているのだろうと思います。わりと一般的な考え方かもしれません。

しかし、ハーバードの女子学生(インド系)も負けておりません。

売春、セックスを売ることで、その相手を幸福にすることもできるのだから、体の一部を売って、快楽ー幸福を売るという意味では同じだ…と言い返しました。お見事です。私もそう思います。

なので、「母」なる行為をお金で代理で行うことは、是であり、性的に「女」である行為をお金で代理で行うことは、否である、というのは、矛盾しているなーと思います。

どっちもダメか、どっちもokじゃないと…。

だって、母なる行為って、性的に女である行為の延長線上にしか、あり得ないわけですから。

いやー、マリアじゃありませんが、「処女懐胎」願望って案外、根強いのではないか…とびっくりしました。

自分はですね…こういう問題って、「自分はどう思うか」ってことが大事ですよね。

主体的な売春については賛成なんです。いつも思うんですよー、どこからが売春なのかって。お金を支払ったら売春ですが、現金じゃない場合は売春と見なされない。けど、広義の売春的行為はどこでも行われているのだから、キャッシュだけとがめるのもどうかと思う次第です。

ただ、「主体的」かどうかにひっかかります。本人が納得してやるならいいと思う。だから、18歳以上とか。
まだ、善悪の基準も主体性もない幼女を対象とした売春はダメだと思っております。

しかし、この「主体性」ってものも、けっこう不安定なものではありますが、たとえば、女子高生の間で援助交際が流行れば、はやりでやってしまう子もでてくる。それも彼女が選らんだなら、「主体的」ってことになるけど、本当に主体的かどうか、曖昧ではある。

まわりがやっているから、私も!…というのを主体的選択と言えるのかどうか。

(日本の同調圧力の強さは半端じゃないですからね)

けど、そんなことを言い出したら、人間の選択なんて、どこまでが主体的かなど決められなくなるので、とりあえず、18歳以上ならアリだと私は思っております。

で、代理母。こちらも主体的ならokだと思う。

ひとつには技術的に可能になってしまっていると、禁止しても必ずどこかで行われ、闇に入れば入るほど、被害を受けるひとが増えると思うから。だったら、管理された環境で白日の元に行われたほうがいいと思う。

そのほうがいらぬ偏見や罪の意識を生むことが少ないのではないかと思うからです。

代理母をやとってまで、自分のDNAを持った子供がほしいとは、私は思わないけど、それを渇望するひとを止める哲学を私は持っていない。私はやらないけど、やるひとを責めない。

…といったところです。

「女性は搾取されている、そのことによって、品位を落とす」という意見が、アメリカの女性から出てくるところが新鮮でした。搾取…って言葉を女性に使うひと、日本だとかなり少なくなってしまっているのではないかしら。

この世にはお金で買えないものがあり、お金で買ってはいけないものがあることは知っている。けど、それに歯止めをかけることって果たしてどれだけできるのだろうか。

できずに闇商売になるより、基準を決めたほうがいいように思うのです。今の私はそう思っている。

売春はどの国でもどの時代でもあるとしたら、それを認めて、そこにまつわる、物語、解釈について、クリアにする方がいい。逆にお金で解決できる問題なのだ…ということで、問題そのものを軽くすることができるのではないか、という逆転の発想もあるのだ。

…というのは、今日、韓国映画「ポエトリーアグネスの詩」を見ました。これは、数年前韓国で起こった、10代の女子学生が、同じ学校の男子数名から数ヶ月にわたってレイプされていたあと、自殺した事件をベースにした映画です。

映画そのものはともかく、この事件のことを再び思い出し、暗澹たる気持ちになったのです。

つまり、レイプされていた女子学生は、本来になら怒りをぶつけるはずの男子学生を告発することなく、「そういうことをされた自分」に耐えられず、命を絶ってしまったわけです。亡くなった彼女の気持ちは本当のところはわかりませんが、レイプされたこと=致命的なこと、という解釈そのものが、彼女を追い詰めた部分があると思うからです。

女性がそういう行為を受けた場合、回復不可能である…身体的暴力以上に精神的に打撃を受ける…ことは事実なんですが、そこに、常に「回復可能である」という強いメッセージを発することも必要だと思うわけです。

いってしまえば、「お金で解決できるくらいの問題なのだ」と言い切ることで、絶望から生き返ることだってできると思うからです。

もちろん、実際の体験による傷は深いと思うのですが、いわゆるセカンドレイプというか、「それは回復不可能なほど、あなたを汚した」という解釈はさらに被害者を追い詰めることになると思うから。

売春、代理母にもつながっていくんです。女性限定とまでいいませんけど、女性についてまわる問題だからです。

私は、売春しても代理母になってもレイプされても、決して汚すことのできないものが、ずっと存在し続ける、本人はなにも変わらない、その価値に傷をつけることはできない、決して…ということをおさえておきたいんです。

そんなことでは、ひとを汚すことはできない。ということを言いたいのでした。




「旅のチカラ 柳楽優弥 ハリウッド俳優修行」再放送

2011年10月 12日 (水) 22:31
昨日、オンエアだったんですけど、おかげさまで、たいへん評判がよく、スタッフ一同、喜んでいるところです。

ちなみに、再放送は以下の2回になりました。(昨日の日記から変更があります)

「旅のチカラ 柳楽優弥 
   
  21歳の決心 

  ハリウッド俳優修行」


  10月15日(土)午前7:45〜


  10月29日(土)午前7:45〜 





ぜひ、ご覧ください。(あるいは、早朝なんで、録画予約して見てくださいね。

そして、感想は、でお送りください。
メールアドレスは、このHPに載せております。





フツウのひとがおかしい…その2

2011年09月 18日 (日) 02:57
昨日も書きましたけど、ホントに、フツウのひとがおかしい、おかしくなっているというのが、今の日本なんだと思いました。

昨日、NHKスペシャルで、「生活保護」についてやってました。働ける世代で生活保護を受けるひとが激増しているとのことです。

生活保護費は一ヶ月11万〜12万くらいで、最低賃金でも、一ヶ月11万円くらいだそうで、金額だけ比較すると、そりゃ、汗水たらして働いても、なにもしなくても同じだったら、なにもしない方を選ぶんじゃないかって想像できますけど、でも、たぶん、お金だけの問題じゃないですよね。

生活保護は戦後の大変な時期に始まって、加入者は最初がピークだったそうですが、それがだんだん減っていったといいます。

これが、最近、また増えてるって話なんですけど、戦後すぐの生活保護費と最低賃金がどれくらいなのかわかりませんが、たぶん、生活保護を受けるひとが減って行った背景には、「働いたほうが儲かる」っていう金銭的な理由だけじゃなかったと思います。

やっぱり、働くことはいいことだって考え方と、働くことに希望が持てたんだと思います。それがなにもわかりやすい「やりがい」がある仕事じゃなくても、働くことに希望とか誇りが持てたのだろうと想像します。

けど、その夢はもう壊れちゃったのね。

働いたところでなんもいいことないって知ってしまったわけです。だから、稼働世代であっても、生活保護を受けるひとが増えちゃう。もちろん、ものすごーく儲かる仕事ばかりになれば別でしょうが、現実的にそんなことはないだろうし、だいたい、儲かる仕事っていうのは過酷だと思うし。

この悪循環。というか出口のない状況。

ざっくり考えたけど、70年代って政治と経済の季節で、そこに若者は夢を抱いたと思うんです。学生運動とか、高度経済成長とか。一緒にするな!って怒られそうだけど、どっちも、「社会は変えられる」って気分に支えられていたんだと思う。

けど、先に政治が失速し、(学生運動の失敗)、次に、経済がメインテーマになる。で、80年代まで、突っ走る。

と同時に出てきたのが、「恋愛」だよね。恋愛の季節になる。幸せになるには、政治に期待してもだめってことがわかって、お金と愛さえあれば大丈夫って言い切ったのが、80年代だと思う。

あの頃のテレビドラマはそれを象徴している。みんなが、恋愛至上主義で、でも、一方で、三高といって、恋愛するなら、高収入の相手がよいとされた。

それが、90年代に入ると破滅する。バブルと一緒に、経済的な夢が消え、同じように、恋愛のバケの皮もはがれた。

そのあとです。そのあとはもう、なにもない荒野が広がるだけ。

お金あっても幸せになれないし、だいたい、お金もない。

恋愛なんて、そんなに長くもたない。家族はとうに崩壊しているのに、メディアのなかでだけ、幸せ家族が描かれてる。

90年代以降ってほんと絶望的なんだよね、きっと。

だから、恋愛する若者は減り、仕事意欲も減り、引きこもったりするんだ。

一方で、女子は気軽に体を売るようになり、鬱病も増え、自殺も増える。

この絶望的な空気をどうにかしないと、「生活保護でいいや」ってひとを減らすことなんてできないだろう。

昨日の番組にでていた地道な努力をしている大阪市役所の現場のお兄さんとかはけなげだと思うけど。

地震と原発で、この絶望感に一時、風穴があいたようにも思えた。のんびり絶望してる場合じゃないでしょ。リアルに困っているひとがいるんだ…ってことで。

でも、それも半年たって、逆に絶望を強めることになってないかな。

「稼働世代で生活保護を受けるひとが増えてる」「フツウの子がAVに出る」「引きこもる」「結婚しない」「子供生まない」

こういうのは、みんな、底の部分で同じ根っこでつながっている気がする。

だから、どうしたらいいかなんて、私にはちっともわからないけど。

なぜなら、自分もいつもうっすら、絶望感に包まれているからであった。

離婚式、その後。

2011年08月 02日 (火) 00:47
昨日、「離婚式」について書いたら、アクセス数が増えた。

興味のあるテーマなのかな。

それと、ツイッターで、情報を寄せて下さった方もいて(ありがとうございます)、新情報もあるので、続きを書きます。

新情報というのは、離婚式をやったカップルは復縁することが多い…というものでした。

ええーっ!てなもんですよね。

「別れます」と宣言しておいて、やっぱりやめました…って、そんな…。

しかし、よく考えて見ると、離婚式ができるってことは、二人の状態が完全にさめてしまったわけではなく、憎しみあっているわけでもない…というかなり復縁しやすい状況なのかもしれない。

離婚の場合、「顔を見るのもイヤ」とどちらかが思うこともあるだろうし、だいたい、人を招いてイベントをする…というのには、結構パワーがいる。(お金もいるぞ)

招待客を選んだり、場所や料理を決めたり、スケジュール調整したり。昨日の番組によれば、「離婚ドレス」みたいなものもあったから、衣装合わせなどもあるかもしれない。

そのような、いろんなことに対処するパワーって、たいていの離婚の場合、残っていないのではないかしら。

結婚式の準備だって、かなり大変だけど、あれを乗り切ることができるのは、それが「楽しいこと」「夢のあること」「ウキウキすること」だから乗り越えられるのであって、「苦しいこと」「悲しいこと」「痛いこと」とわかっているもののために、わざわざ、時間と体力をさけるだろうか。

自分など、離婚前後は、生きているだけで精一杯だった。その上、ハードな仕事も抱えていたので、余計なことはいっさいやりたくない…と思っていましたもの。

仕事を休んで、ゆっくり落ち込みたい…とか思ってたし。

(それはそれでよくない…ってことは後になってわかりました。忙しいほうが気が紛れてよかったのね)。

そんな状況のなかで、たとえ離婚コンサルタントがいたとしても、「離婚式?え?どうでもいいです。それと誰にも会いたくないので、隠れていたいです」となってしまうような気がする。

それでも、離婚式をやってみよう、自分たちの結婚を見直そうと思えるカップルというのは、あきらかに、復縁の見込みあるよね。裁判じゃなくて、調停に持ち込める感じ…というか、いろんな余地あり…のような。

なので、そういうカップルがいたすのはよろしいかとは思うけど、う〜ん、だったら、他人を巻き込まずに、自分たちだけで、なんとかできないものなんでしょうか…と言いたいところ。

自分の想像する離婚式は、お互い、別れることにすっかり同意して、

「これまで楽しかったけど、ここから先は、別の人生がいいと思う。ありがとう、そっちも元気で」

みたいに言いあえるオトナの離婚ですな。さらっとした感じ。財産分与も親権も養育費もいっさいもめ事なし。
そんなクールで理想の離婚…。

でも、そんなのホントにあるのかな?

そんなにすっきり別れられるなら、最初から、それほどの関係じゃなかったんじゃないの?と思ってしまうぞ。

自分の想像するリアルな離婚式は、開催当日、どちらかが遅れてきて、べろべろに酔っぱらったり、途中で、お互いを罵倒しあって、会場混乱。

さらに、どっちかの浮気相手、もしくは、再婚予定相手がなだれこんできて、乱闘に。

仲裁しようとした友人まで罵倒され、壊さなくてもよかった友情にまでヒビが入り、たまさか駆け付けた、仕事先のひとは、「プライベートはこんなに荒んだひとなんだ。もう、取引中止だ」と決意し、仕事も失う。

あーなんで、こんなことになったんだ、思えば、全部、おまえが悪い!

いーや、浮気したあんたこそ、すべての原因だ、責任とれ!

知るか!

帰れ!

誰がおまえなんか!

…などと、凄まじいものになりそうな予感。

これではせっかくのうるわしい結婚の思い出も台無しに。

それと費用が気になるよね。離婚するとき、お金の問題はかなりシビアなことになるので、二人で折半しないといけないイベントなどするのは、かなりリスキーかと。

それともなー。

そういうトラブルがあったとしても、自分たちの結婚を終わらせるにも、「ひと」や「イベント」がないとできないってことなのだろうか。

ひととの関係を作る能力が、ものすご〜く劣化してしまって、ふたりで解決するなんて、とうていできない!ということ?

カウンセラーや精神科医に相談する…というのはアメリカ映画によくでてくるけど、日本だとなかなかそのスタイルが根付かないから、一気に、離婚式=儀式に飛ぶのかな。

わからない。

結婚式にしろ、お葬式にしろ、儀式に過剰な思い入れをするのは、どんな心境の反映なんだろうか。

自分たちふたりが納得していれば、まわりのひとがどう思うと関係ないように思うけど、今や、劇場型というか、インターネット型といおうか、なんでも、公開して、ひとに知らせたい、評価を受けたい…という気持ちの強まりなんだろうか。

自分の思いよりも、外からの評価のほうが気になるのかな。

ふたりだけでする結婚式があるように、ふたりだけでする離婚式があってもいいような気がする。

あ…わりと、自分たちは、短く二人だけで離婚式っぽいことしたかもしれないな。確か、クリスマスイブにね。
そして、そのまま、離婚届を出しに行ったのだった。ははははは。

…ということで、離婚式について考えたことを書きました。

特定の個人を批難するものではありません。ツイッターで情報をお知らせ下さった方、ありがとうございました。

離婚式に対する、自分の正直な気持ちでした。

傷つける言葉があったら、ごめんなさいね。

離婚式

2011年08月 01日 (月) 03:08
NHKの教育テレビを見たら、「離婚式」なるものを取材したドキュメントを放送していた。

離婚式とは、離婚する夫婦が、関係者を招待して自分たちが離婚することを知らせる行事である。

かつて、「離婚式」という小説があったと思う。

それはともかく。

概念としては「離婚式」を知っていたけど、本当にやっている人がいる…というのにまず、驚き、よしんば、離婚式をやったとしても、それを、テレビに取材させる実際の夫婦がいる…ということで、2度驚いた。

なので、たいへん興味深く見てしまった。

(取材に応じられた方、すみません)。

私も離婚をしているけれど、離婚というのは本当に大変な出来事である。心身ともに疲れ切り、こんなに大変なら、もう2度と結婚しません、すみませんでした…という気分になるものである。

(もちろん、そんなマイナスを背負わずに、スイスイ離婚できる方もいらっしゃるだろう。そういう人は、関係ないので、スイスイ生きていってほしいと思う。私には理解できないけど…)

で、離婚式を取材した番組を見ていて、ちょっとだけ、「離婚式」の意味が理解できたのである。

それは「お葬式」に似ている。

お葬式も儀式の一つである。あの儀式を行ったからといって、亡くなった人が戻ってくるわけではない。

なぜ、そのような儀式が存在するかと言えば、死はあまりに衝撃的な事件だから、死に接したひとは、尋常ではいられなくなる。その尋常な状態を少しでも緩和したり、まわりのひとと共有したりするために、儀式は存在する。

もともと宗教の始まりにはそういう部分がある。死の恐怖から逃れるため…というか、死を解釈することで、生きる指針を見つけるためとか。

根っこには、死への恐怖…恐れがある。

で、そのようなどうしようもない感情に対しては、儀式が有効であったりする。

祈る、捧げる、供える…などの行為を通して、気持ちを落ち着けていくのだ。

お葬式などはやはりその効果があると思う。時間が稼げるという部分もある。

で、話を離婚に戻す。

離婚もまた、死にも近い、辛い別れである。この別れを受け入れるのはなかなかきつい。

知り合いの女性で、離婚後、熟女AVに出てしまったひとがいる。離婚の痛手を引きずって、それから解放されるために出たようだ。

私も、離婚の痛手から小説を書いた。離婚とは全く関係ない青春モノを書いたけど、この「書く」という行為によって、いくぶん、深い闇から抜けられたように思う。

かように、離婚による痛みから抜け出すには、なにかが必要なんだと思う。もちろん、離婚して、すぐ次の人と再婚、しゃーわせ!というひとはそれでいい。

でも、この世には「そうはいかない」人がたくさんいて、傷を抱えたまま、何年も右往左往するのだ。

そういう人にとって、「離婚式」という儀式は少しは意味があるかもしれない。儀式には、心を決めたり、整理をつけさせたりする効果があるから。

そういう意味でこの番組は新鮮だったし、取材を引き受けた夫婦はあっぱれだと思う。よくぞ引き受けた。

けれども。

番組の終わりで、この夫婦、離婚式をやったことで、結婚を見直すことになり、「もう一度やり直すことに決めました」といったような報告がされていた。

ええ?

それはちょっと違うのではないかしら。

ここに、結婚=よいこと、離婚=悪いことの図式がちょっと見えた。

確かに離婚はつらいことだけど、そういう選択をしないといけない時だってある。なにも結婚し続けることだけがいいこととは思えない。

離婚を受け入れるための「離婚式」じゃなかったのか。

復縁するためのものだったら、「離婚式」をする動機がぶれる。まだ、そんなに未練があって、修復可能なら、離婚式以前にやることあるんじゃないか…と思ってしまう。

それとも、復縁も込みで、「離婚式」をすれば、結婚を見直すことができる…ってことなんだろうか。

でもなー。

結婚を見直そうとしているカップルの気持ちを定めるために、パーティーが開かれて、招待されてもなー。

でもって、後日、「やっぱり、離婚はやめました」という連絡を受けてもなー。

そんな夫婦げんかにまわりを巻き込むなよなーという気分になるのではないだろうか。

もう別れるしかありません!という決意のもとにやってほしいな、離婚式…と思うのでした。

長い人生のなかで、離婚してよかったのかどうかは今もわからない。けど、その時はそうするしかなかったんだと今でも思う。

離婚したことでなくしたこともいろいろある。

でも、離婚しなければ、たどり着けなかったこともいろいろあるのだ。

いつも思う。

別れは最悪の結末ではない。

「結婚していること」はもはや、それほどの意味はない。そこにあまりに大きな意味を求めすぎると、結果、痛い目にあうような気がする。

…そんなわけで、離婚について、久しぶりに考えてしまいました。

舞台「平成戦後少女」

2011年04月 17日 (日) 23:20
今日は、高円寺の座まで、舞台[平成戦後少女」を渋谷昶子監督と一緒に見にいった。

作・演出は、映画監督で友人の高原秀和さん。

今回の舞台は、2006年の旗揚げ公演の再演。

この時も見ている。この時の主役の女子を気に入って、当時連載していた「MISS」の小説のモデルをやってもらったほど。

その後、彼女は、某制作会社に入って、今は、元気にテレビ番組作っているけどね…。美人ADとして…。そのまま女優になればよかったのに…と思わないでもなかったけど…。

…と話題がそれました。

今日あらためて見て、まず、設定がとてもうまいなーと思った。

ざっくりあらすじを説明すると、77歳になる初音(はつね)という女性が、主人公のひとり。

初音は戦争中に青春を過ごし、女とはがまんすること…と教えられて生きていた、ある種典型的な“おばあちゃん”である。

夫は浮気を繰り返し、それでも我慢して、子育てと家事をやってきた。夫が亡くなり、やっと自由になった頃にはすでに老女になっていた…わけである。

そんな初音がある日、突然、20歳の肉体を手に入れる。

初音は、孫のジュン(女子)を頼って上京し、孫の家に同居する。孫は、女子大生で、気に入った男とはすぐにやってしまうような女の子である。しかし、スレているわけでも、とりたてて不良なわけでもない。ただ、それでいいや…と思っているような、達観した、今ふうの女の子である。

ジュンのまわりにはいろんな子がいる。幼なじみで、イケメンなのに、簡単に女子と寝たりしない男。不埒な男にお金を貢いでいる女子。ジュンを熱愛しているバイセクシャルのAV監督の女性。それから、「普通が一番」ととなえる、宗教団体のような奇妙な女子だけのグループ。

さらに田舎からジュンの母親が上京する。彼女もまた、がまんして、妻・母の役割りを演じてきた女性である。夫は風俗にはまっていて、すでに関係は冷え切っている。もはや、女の時間はわずか…と考え、「熟女AV」に出演すべく、東京に出てきたのである。

このような三世代の女子が同居して、それぞれの恋愛観…いや性愛観かな…を吐露していく。

ふうむ。この設定はとても秀逸だと思った。

肉体が若返っても、気持ちまで変えることはできない初音。AVに出て吹っ切れていくその娘。母親がAVに出たとしり、動揺するジュン。

非常にフェミニズム的問いかけに満ちた作品だった。

高原氏は、AVの監督もやっているので、AVの現場を描かせるとさすが…である。エロスを追求する場でなにが起こっているか、どんな人たちが集まっているのか…ってことへの視線が深いのである。

やっぱり、「性愛とはなにか」ってテーマになっていたんじゃないかな。

見終わって、渋谷監督(79歳)としばし、女性の人生について、話しあった。

渋谷監督は、最近新しい会社を立ち上げたばかりだし、夏にはイタリアロケに行くし、NHKのドキュメンタリーや、映画の制作も現役でなさっている方なので、この舞台の主人公のように、「がまんばかりしてきた、おばあちゃん」ではない。

それでも、女性が生きることの大変さは熟知されているので、触発されていろいろ話せて楽しかった。

作・演出の高原さんは、ホント、女なんじゃないかって思うほど、時に、女性を上手に描く。女の側にいると見えない部分に不思議と目が行くようだ。でも、その視線が、いわゆる“女ぎらい=ミソジニー”ではなく、やさしいんだよな。

ま、女好きなんだと思いますが…。

そんなわけで、作っているひとは作っているなーと最近、さぼり気味の自分も啓発されました。

ちゃんとしなきゃ…w。





「Breaking Bad」再び

2011年03月 09日 (水) 02:03
アメリカの人気テレビドラマ「Breaking Bad」に再びはまっているので、その話。

「Breaking Bad」はアメリカ南部のスラングで、「不良になる」みたいな意味らしい。ツイッターで教えてもらった。

主人公はごく普通の50歳の高校教師。この教師が、メス=合成麻薬づくりに手を染めていくお話だ。

普通だったら、高校教師が麻薬作りをするはずはない。やくざとか刑事とか、せいぜい、業界人など、麻薬の近くにいそうなひとならともかく。

けど、この「絶対やりそうもないひと」が麻薬作りをするからこそ、ドラマが盛り上がるわけですね。

普通のやくざが(やくざに普通も特別もあるのか、わからないけど)作るんだったら、ちーとも面白くないし、そんな発想、誰でもできる。

このドラマの素晴らしいところは、高校教師と麻薬作り…という結びつかない線を結びつけたところ。企画と脚本のセンスが光る。

けど、この「普通の高校教師」というのが実はくせものだ。ちっとも「普通」じゃないからだ。

…と書くと、日本だとよくある、元・ヤンキー、元・やくざ、実家がやくざ、など、元々裏社会に近い人だった…と想像しそうだけど、ノー。

では、bb(breaking badの略)の主人公の普通じゃないところをあげてみよう。

まず、彼は、元々ノーベル賞レベルの化学の研究をしていたひとである。彼の発見した物質によって、巨万の富を得たひともいるのだ…つまり、彼は普通の化学の教師ではなく、「天才的」な化学の知識と技術を持った男なのである。

さらに。

彼は、末期の肺がんにかかっている。これだけで、日本なら難病ものとして一本できるネタだ。

さらに。

彼は末期ガンで、18ヶ月の命と宣告されているのに、妻が妊娠中である。しかも、40歳という高齢である。これも充分、普通じゃない。

さらに。

彼の17歳の息子は、「脳性麻痺」を煩っている。自力で学校に通うことはできるが、足は不自由だし、言葉もやや不自由だ。これもまた、普通ではない。

さらに。

彼の妻の妹は、万引きの常習犯だし、その夫は、DEA=麻薬取り締まり捜査官なのだ。

こんなにたくさんの負荷というか、キャラクターを主人公に与えている。企画書だけで考えたら、「ちょっと載せ過ぎじゃないか」と思うくらい。

が。それがちっとも不自然じゃなく、ドラマが機能してる。

たぶん、それは、このドラマが、セリフや説明で見せるのではなく、すべて、登場人物の行動によって見せるものだからである。

彼の息子が脳性麻痺である…ことは、ごく自然に描かれている。特別、それを説明するシーンはなく、何気ない会話のなかで、言葉づかいの不自由を見せ、最初から松葉杖をついて登場させることで、「足が不自由」であることが自明のこととして、見せられる。

一事が万事そういう描き方である。

シナリオの定石では、主人公に負荷をかけろ、という。主人公が困れば困るほど、見ているものは物語に惹きつけられるからだ。

そういう意味では、このドラマはシナリオ作法の定石通り。主人公に化せられた、負荷がたくさんある。

だから、本当は善良な高校教師が、せっせと麻薬を作ることになってしまうのだ。

そこらへんが、うまいのね。

…ということで、毎晩、DVDを見ていて、ちょっと寝不足気味であります。

明日も午前注から、始動なので、今夜は諦めて寝ることにする。


早く見たいけど…。

TVドラマ「Breaking bad」

2011年02月 24日 (木) 03:48
アメリカのテレビドラマ「Breaking Bad」が面白い。

某人気脚本家さんがはまっているという噂を聞いて、すぐに入手。

そしたら、同じくはまったー。

ツイッター情報によれば、スティーブン・キングも褒めているらしい。

ざっくり、内容を説明すると、主人公は50歳の冴えない化学の教師。高校で生徒にバカにされながら、授業をしている。

でも、彼には、優秀な研究所にいた過去があり、化学の知識は半端ない。

そんな化学教師が、とある偶然から、麻薬づくりと関わって、人生が変わっていく…というお話。

合成麻薬ですからね…つまり、化学なわけです。優れた化学者はぶっ飛びのブツを精製する…。

まず、この設定にしびれるでしょ。ちょっと思い出すのは、映画「太陽を盗んだ男」ね。

あれも冴えない化学教師が主人公だった。ただし、沢田研二が演じていたので、今なら、若きイケメン教師ってことになるけど。

でまあ、「breaking bad」の話。

主人公が麻薬にかかわって、いろんな事件が起きてくるんだけど、彼のパートーナーになる、元・教え子のジャンキーもなかなか、よくできたキャラクター。

これを見て、しみじみ思う。

面白い!新しい!って思える作品は、まず、主人公や主な出演者のキャラクターが新しくて魅力的ってことだと思う。

これまでに主人公になったことのないタイプ。

これまでに見たことのないタイプだからこそ、物語がどんな風に展開していくか、想像しにくくできている。

それゆえ、ストーリー展開もユニークになる。見たことのないものになっていく。

それと…

このドラマを見て感じたのは、アメリカも、もう、「マッチョ」ばかりが主人公を演じる国ではなくなったのかなーってこと。

もちろん、これまでだって、へなちょこだったり、ダメダメだったりの主人公は、いた。いつもマッチョでイケメンだけが、主役だったわけじゃない。

でもさ。

昨今の「ソーシャル・ネットワーク」や「キック・アス」や「ダークナイト」やなんやかやを見ているとですね(…といっても、全部自分の好みなので、偏ってるけど)、マッチョばかりが主役じゃないんだなー。

気が弱かったり、クラスでは目立たない方だったり、おたくだったりする。もちろん、モテない奴も多い。そして、イケメンでもない奴が、主役になるんだよね。

これって、やっぱり、そういう主人公のほうが、観客がシンパシーを持ちやすいからじゃないかな。

アメリカ人も、「ダメな奴」に共感するようになってきたのかも。ようするに、自信を持てないひとが増えている…。

だって、そんなスーパーヒーローになれっこないし、そんなスーパーヒーローがいたら、お金も女も独り占めしちゃう…というのがリアルだろうから。

これは日本も同じだろうな。

だって、今更、超前向きなひと、うざいでしょー。

怪しいし。空回りしているように思える。

おっと、女性だと、超前向きな勝間和代さんとかが流行ったから、「前向き」志向が減ったわけではないか…。

ふむ。

そんなことはともかく、「breaking bad」とても面白い。

現在、エピソード1の4巻まで見た。実はうちにすでに、8巻まであるんだけど、つまりあと4巻。

あと4巻なら、これからぶっ通しで見たいところ。普段ならやる。

しっかし、本日、身内の引っ越しを手伝って、疲労困憊の上に明日も、手伝ってやらないといけないので、遊んでいる場合じゃない。

本当は、dvd見て、勢いをつけて、シビアな企画書1本仕上げるつもりだったんだけど、ストレス過多により、諦めることに。

まあ、とある荷物を背負っているので、たまに仕事に支障が出たりします。

これも人生ってことだね。

とほほ。
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