山田あかねの一喜一憂日記

大震災のあとに。
(記事数:17)

みんなちがって、みんないい。

2011年04月02日(土) 01:24
日々、迷いながら暮らしておりますが、ツイッターでのいろんな意見を読むと励まされたり、傷ついたり。

自分は、かように迷いの多いものですので、かっこよく言い切ることが苦手であります。

そんなとき、思い出すのが、金子みすゞの詩だったりします。

今、ACのCMで再注目されているようですね。(こだまでしょうか、誰でも…という詩)

明治生まれの女性詩人です。その短い生涯で、独特の詩を書きました。

なかで、好きなのは…

 「私と小鳥と鈴と」という詩です。最後は、「みんなちがって、みんないい」で終わっています。

小鳥は空を飛べる。
鈴は、きれいな音を鳴らせる。
私は空は飛べないし、音も鳴らせないけど、走ることができるし、唄を知っている。

だから、みんなちがって、みんないい…と結ぶんですね。

本当は、全文をここに書こうと思ったんですが、著作権の侵害になるのかもしれず、控えました。

ネットで検索するとすぐ読めますが…。

金子みすゞの世界

ところで、震災後のレスキューについてです。昨日、自分の迷いを書きましたが、それぞれの立場で、なにかされているひとはそれぞれ、立派だなと思います。

まさにみんなちがって、みんないい。

ジャーナリストの山路徹さんは、福島の原発から20キロ圏内に取り残された犬や猫を捕まえて、保健所などへ運ぶ活動をされているみたいです。

「焼け石に水かもしれない」と書かれていましたけど、今、救える命があるなら、救うことは、ちっとも焼け石に水じゃないと思う。批判もいろいろあるのでしょうけど、自分は立派だと思いました。

また、よく読んでいるちくわブログの著者も、ひとりで救援物資を届けに行ったそうです。今頃になって、それをアップしてました。

人柄のよくわかる、正直な日記です。

行く前の気持ち、写真を撮れない気持ち、でも、なにかしたいという気持ち。

すごくまっとうなんじゃないか。…こういうひともいるんだよね。

それから、富士丸の飼い主さんも独自に救援活動を始められたみたいです。

みなさん、立派だなと思いました。

そして、こういうとき必ず、批判されるのが、目立つ犬だけ救う…ことに対する反感。

崖に取り残された犬を番組で取材すると、「飼いたい」というひとがたくさん現れる。毎日、殺処分されている犬がいても、見向きもされないのに…。

それはそうだと思うけど、とりあえず、一頭でも生き延びることは悪いことじゃないと思うし、番組がきっかけで、なにかを始めるひとだっているはず。

メディアのいい面を自分は信じたいと思っている。

そうじゃなかったら、ひとがひとになにかを伝えようとすることが、全部、無駄じゃないか。

たとえ、誰も救えなかったとしても、「救えなかった」と伝えることに意味があると思う。

そうじゃなきゃ、歴史も文学も全部、無意味ってことになるよね。

文化の街、東京に。

2011年03月25日(金) 01:47
京都疎開より、都内に戻りました。

ここ数日、ブログのアクセス数が増えました。

検索ワードを見ると、「京都 疎開」とか「疎開」って言葉でここへたどり着いた方が多いことがわかりました。

そうか、みなさん、疎開に興味があるんですよね。

京都にいて思ったことは、想像以上に東京の方が避難してきているってことです。ホテルのロビーや神社仏閣、居酒屋など、どこへ行っても、「うちも疎開なんです」という人たちと出会いました。

で、しばし、情報交換となります。

私の場合は、高齢の母が一緒だったので、同じように高齢者を連れている疎開組と話すことが多かったです。このほか、子連れ疎開組のひとも結構いて、ママたち同士で話したり、子供を一緒に遊ばせたりしていました。

関西に実家があったり、親戚がいる方はそのお家にいるので、あまり知りあうことはなかったです。ホテル疎開のひとたちとよく話しました。

みなさん、このまま、ホテル住まいでは、経済的に苦しくなるから、部屋を借りようか、それとももう少し様子を見ようかと迷っていました。

不動産の相場、京都も大都市ではありますけど、東京に比べたら、とても安いです。神戸、大阪も。私が知りあった方は、60平米で10万円のマンションを借りたと言ってました。(これ、西宮)

あと、京都だと、外国人の長期滞在者向けのゲストハウスがお勧め…とも聞きました。一泊1000円くらいからあるみたいで、今は、外国からの観光客が減っているので、探せば空いているようでした。

自炊もできるらしく、新しい布団を借りれば、すぐに生活できる…らしいです。ただ、この値段ですから、そんなに新しい、美しい施設ではないようです。…すべて、伝聞ですみません。

自分も一時、京都に部屋を借りたいなーと思いましたが、それは、疎開というより、単に憧れでしたので、実行せず、戻って来ました。

京都疎開、一週間。

結果的に言いますと、お金はかかりましたけど、精神的には安定しました。初めのころは「逃げてきた」罪悪感にさいなまれましたけど、少しすると、気持ちも落ち着き、クヨクヨしていても誰のためにもならないと気づきました。

そういう意味では気持ちを落ち着かせるために、疎開するのは悪くないんじゃないかって思いました。

それと、切実な問題として、乳幼児がいらっしゃる方は、疎開も選択肢のひとつではないかと。心配するレベルじゃないと言われておりますが、それでも心配してしまう場合は、ムリしないで、安心できる場所へ移ることもアリだと思います。

健康って、身体の問題だけじゃないですもんね。身体に影響はなくても、精神的にやられてしまうことだって、多々あるわけですから。

「大丈夫って言われても、心配してしまう」ってことは充分、考えられる。

自分は精神的に「やられ」やすいです。どっちかというと、身体より、精神が弱いです…とほほ。

…というわけで、「疎開」の話でした。

それから、今日、書きたかったのは、首都分散の続き。

昨日、大企業が大阪へ移動して、東京は単身者の街になる…って想像しましたけど、もう少し整理してみたくなりました。

もともと、東京に一極集中していたのが問題だったようなので、これを期に、用途別に分ければいいですよね。

経済の中心地は、大阪にする。商売人の町ですから、大企業や商社などは移転したらいいと思いました。お金儲けが好きなひとは、みんな、関西へ、行っちゃえ。

政治は、東北地方がいいと思いました。山形でしょうか。仙台や福島はこれから復興でたいへんだから、山形に政治の中心地を移して、復興支援もする。アメリカでいうと、ワシントンですよね。

政治をするひとは、多くのひとの幸せを考えるひとですから、これから復興していく東北に本拠地を置くのが正しいと思いました。

そこで、困っているひとを助ける。東京じゃなきゃイヤだ…なんていう政治家はそれだけ、ダメな奴ですよね。

でもって、東京は、(自分勝手な思いですが)、文化の町にしてほしいです。エンターティメント業界の町とする。

なので、テレビ局はそのままに、出版社、広告代理店、劇場、映画館、IT関係…これら文化中心の町にして、ここへ来たら、なんでも見られる、楽しめる、作れる、スタジオもいっぱいある、安い、役者もたくさんいる…作家も監督もエンタメの仕事を目指すひともたくさんいる。

みんな、ここに住んで、わいわい作りながら、暮らすっていいなーと。

パリとかニューヨークのイメージであります。

(できれば、パリなみの文化支援があったら、いいのに…いや、今は東北の復興が先でした)

おっと、重要な「オタク」さんたちを忘れておった。東京は「オタク」の街でもありますよね。

そういう人たちって、そんなにお金に執着がないし、グルメでもないし、「好きなもんつくれたらそれでいい」ってひとが多いので、地味な街にできると思うんですよね。高層タワーとかいらないし。

小さいけど、おもしろいひとがいっぱいいる街、東京…になったらいい。

そういう風にしたら、電力も分散できて、事故も起こりにくくなるだろうし、地価だって、東京だけがバカ高いってことにならないだろうし。

すでに首都移転の提案もあるらしいよ…って関西で出会ったジャーナリストは言ってました。

そういうカテゴライズがわかっていたら、東北方面から移り住む方も、「商売したいから、大阪にしよう」とか、
「物書きだから東京だ」って選択しやすそうですが…。

…と、素人が書きました。

自分は、大所高所からモノを見る…とか、政治的判断とか、この世でもっとも苦手なので、至らなかったらすみません。

…東京の自分の家にもどって、とてもほっとしています。帰って来たら、「水」が汚染されているかも…なんて物騒なニュースが流れましたけど、それでも、自分の家はいいもんですね。

京都のほうが、安全でしたが、自分の家はやっぱり、安心でした。

ひとの気持ちは、数値では測れないってことでしょうか。

あ、もうすぐ都知事選だけど、こういう公約言っている候補っていないかなー。


東京が変わる…。

2011年03月24日(木) 01:31
京都疎開7日目。その2.

日記を書き終わって、お風呂に入ったんだけど、湯船のなかで、つらつらと考えていたら、未来について、書きたくなったので、書いてみることします。

このさき、東京での放射能問題(水、野菜、空気などをひとまとめにしてとりあえず、こう呼んで見ます)が解決されず、長引いた場合、どんな変化が起こるかを考えてみました。

(…といっても、想像をふくらませて、書いたので、シリアスに受け取りすぎないでくださいね。)

まず、都内の不動産価値が下がりますよね。

あえて、買うひとは減るだろうし、借り手だって、減るだろう。

かわりに、関西の地価は上がるでしょう。

すでに、グーグルは本拠地を大阪に移したというし、大きな企業が移ってきたら、そこにすむひとは増えるんだから、地価はあがる。

企業だけじゃなく、子供、子供がいるひとは、関西などに移住する確率が高まる。だって、「幼児に水を飲ませないで」ということになっているのだから。

つまり、子供と女(子育てをするのはほとんどが女性だから)が、東京からいなくなる。

そうなると、塾なども移動するだろう。子供が東京からいなくなるんだもんね。

そして、大学だって危ない。

東大じゃなくて、京大にしよう、とか、慶応じゃなくて、同志社にしょうってひとも増えるんじゃないか。

これで、大学生も減る。

マスコミも関西を本社に移すかもしれない。もともと、大阪が本社だったところだって、あるし。

東京は支社になるかもしれない。

銀行や商社について、あまり知らないけど、事情は同じじゃないかしら。

すると、どんどん、ひとびとが関西へ移る。東京の人口激減。

東京には、独り者や単身赴任者の男ばかりになるかも。(一部、キャリア女性は残るかな…)

となると、彼らを癒す人員として、キャバクラ や風俗は増えるかもしれない。

同じく、キャリア女性を癒す人員として、ホストも残るかもしれない。

あるいは、わりと投げやりな気分の若者も残るかもしれない。

…なんか、アニメに出てくる、失われた街みたいだ。

毎日、放射能予報が出て、停電があって。それが日常の街。

映画館も復活するかもしれないな。

ひとりで楽しめる娯楽だから。

そんな風に、東京の未来を想像してみました。

地価が下がる…くらいは、リアルなこととして想像したけど、そのほかは、アニメやSFの世界のように、想像したので、流してくださいね。

それが、現実にならないことを祈って。



どうなる、東京。

2011年03月23日(水) 23:50
京都疎開7日目。

そろそろ、東京に戻ることにしました。

このままホテル暮らしを続けられるほど、裕福ではないし、東京でやらないといけないこともありまして。

明日には都内に戻ります。…ということで、今日は、多少、京都観光をしました。

抜けるような青空でした。



金閣寺に行きました。



北野天満宮では、梅が満開。



咲き誇る、梅を愛で、



色鮮やかな椿を楽しみ、



夕暮れ時に、陰陽師・安倍晴明を祭る、晴明神社を訪れました。



ほんとに、この、星のマークがいたるところにありました。

しかし、神社そのものは、全体的にきれいで新しく、恐ろしい感じ、どろどろした感じはしませんでした。

そうです、昨日、「堀川中立売」という映画を見たので、行ってみたくなったのです。

映画の舞台になった、「戻り橋」も行ってきました。

日が暮れていたせいか、この橋の上だけ、突風が吹いて、異常に寒く、すこし怖かったです。

ここは、なにかが「交差」する場所のようで…。

あまりに体が冷えたので、晴明神社の近くにある、豆腐料理の店へ。



ここでは、自分で湯葉を作って食べることができます。



こんな感じ…。あつあつで、なめらかで、できたて、湯葉、おいしかったです。

…というわけで、すみませんでした。楽しんでしまいました。

夜、再びテレビを見ると、東京の水が結構、大変なことになっていると知りました。

水!

水は大事ですよね。自分は普段、ペットボトル入りの水は買わず、水道水に「炭」を入れて、飲んでいます。炭を入れるだけで、ずいぶんとおいしくなるので、愛用しておりました。

(お金もかからないし、ペットボトルを捨てる手間がなくて、よかったのです)

しかし、そうも言ってられないようですね。

水までとは…。どうなる、東京。

夜になって、同じく関西に疎開してきている、ジャーナリストと電話で話しました。拠点を関西に移すかどうか、迷っているとのことでした。

実際、疎開しているひとは結構います。著名な方々も。罪悪感とバッシング怖さで、あえて、言わない方が多いですけれども。

昔、京都在住のとある、おばあちゃんに言われたことがありました。

「東京に首都が移って、せいぜい、300年じゃないか。京都は千年以上前から都だったんだよ」と。

もしかして、また、「都」は、京都に戻るのだろうか。

あるいは、東京と関西(京都・大阪・神戸)で、首都機能が分散するのだろうか。

悲観も楽観もできない、この毎日。

自分のゆくえは自分で決めないとならないですよねー。

しかし、京都と東京にふたつの拠点を持って、行ったり、来たりしながら、仕事したり、生活したりするのも、案外、楽しそうだと思うのは、自分が今、旅行気分だからでしょうか。

新しいライフスタイルが生まれるのかもしれない。

新幹線、めちゃ、利用者、増えそうだなあ。

日本がこんなことになるとは……。

ゆきすぎた豊かさのツケが回ってきたような気がします。

夏にも節電するらしいと聞いて、実はそんなにショックをうけませんでした。

だって、夏の冷房事情、ゆきすぎだと思っていたので。

夏でもほとんど、クーラーを使わない身からすると、どこも寒すぎたと思う。一時的な猛暑以外では、もう、いいんじゃないかと思っていた。

「…すぎた」ことが、見直されるんだろうなあ。

自分のことも見直してみたいと思います。

では。明日の夜は、東京です。



自然を相手にすることのたくましさ。

2011年03月23日(水) 01:35
京都疎開6日目。その2。

さっき、ふるさととはなにか…について書いたけど、震災報道のニュース番組を見ていて、思ったことがあるので、それを書きます。

被災地近くでは、ほうれん草から放射線の影響が現れ、海水にも放射線物質が通常より多く含まれていた…という報告があり、それを受けて、ほうれん草を育てる農家の方、そして、影響の出た海近くで漁をする漁師の方のインタビューを放送していた。(番組名はわからないです。TBS系だと思う)。

一生懸命育てた農作物や牛乳を売ることできなくなるとか、その海では漁ができないってことは、死活問題であるし、非常につらいことだ。

昨日も書いたけど、それは、自分の仕事に置き換えると、……なにごとも、自分に引き寄せて考えてみないと、わからないというか、実感がわかないので…すみません……一生懸命、作った番組や本が、「汚染されている」という理由で、誰にも見られることなく、読まれることなく、廃棄されることと同じだ。

理不尽だ。

非常につらいことだ。なので、被害を受けた方のことを想像すると、胸が痛む。

が。

テレビのインタビューを見て、ちがう感想を持った。

なんか…とても、「たくましさ」を感じたのだ。

ほうれん草が出荷できなくなった農家のひと(多分、群馬県の方)は、カメラに背を向けながら、「ここは津波が来たわけじゃないし、地震も軽かったから…」と言った。

実際に、すごい被害を受けているというのに、感傷的にならず、怒りを爆発させることもなく、呆然としながらも、「よかったこと」(=津波の被害はなかった、自分たちは無事だった)を数えているのである。

そんなこと、並みのひとにはできないよ。

それから、漁師の方。

苦笑いをしながらも、『廃業でしょう。魚とっても売れないしね」と言った。せっかく船は助かったのに…。どれだけ無念だろうと思うけれど、ハイレベルで、諦観しているような、たくましさを感じたのだ。

その表情に、恨みがましさや憎しみは感じられず、事実を受け止めている感じがした。

わたしは勝手に、被害を受けたひとの痛みや苦しみを、感傷的に想像していたけど、当人たちは、もっと冷静であるように見えた。

もしかしたら、(想像ですけど)、農業、漁業、酪農など、「自然」を相手にする仕事のひとたちは、日ごろから自然というものが、自分たちの自由にならないこと、思っても見ないことをしかけてくることを知っているんじゃないか…それに対して、うらんでも、憎んでもどうにもならないことを知っているんじゃないか。

…ここまで書いて、反論されることが予想できる。

まず、津波はともかく、放射能の被害は、「自然災害」ではない。原発がなければ、起こらなかったことだ。

自然をうらむことはできないけど、原発を作ったひと、作ることを許したひと、恩恵を受けた人(=東京に住む私)をうらむことはできるはずだ。

それから、あくまで、テレビのインタビューである。被害を受けた方、全員に聞いたわけではない。ディレクター側の意思で、「落胆しすぎていないひと」「怒りをぶつけてこないひと」を、あえて選んだのかもしれない。そのような演出は可能だ。

(このあたりは、慎重に説明しないと誤解を招くので書きますけど、インタビューする相手を選ぶことはできる。それは、結局は、恣意的なものになる。全員からアンケートをとって、一番多い意見を探す…というのを短時間で行うのは難しいので、答えてくれたひとのなかから、「選ぶ」しかない)。

(しかし、それは、現場に行って感じた、「多くのひとが抱くであろう気持ち」を一番代弁してくれるひとを選ぶ。選ぼうとする。ほとんどのひとが、怒りにふるえ、泣き叫んでいたら、そういうひとの声を収録するだろう。少なくとも、自分はそうする。

特別な少数の意見を、それがほとんどであるように紹介したりはしない。多くのテレビ・ディレクターはそうしていると思う。なので、それを前提とさせてください)。

なので。

このような反論…原発は自然ではない、テレビのインタビューは恣意的なものである……これらを意識した上で、もう一度、インタビューを思い出しても、そのひとたちから感じたのは、「たくましさ」だった。

うらみごとを言うのではなく、これからできることを考えようとしている姿勢。

日ごろから、自然という巨大なものを相手にしてきたひとたちの、たくましさと、未練がましくない態度に、目を見張った。

スケール、大きいなーって思ったんだ。

そのことを書いておきたかった。

(自分なんてねー、テレビ番組ひとつ、途中で、「編集直し」をくらったりすると、ムキになって闘うし、負けると未練がましく、いつまでも、思い悩むし、相手を、世界を、運命を恨むし、「小さい、小さい」人間なんです。)

国にきちんと補償してほしいし、一刻も早く、牛も魚も野菜も回復できますように。


帰りたい、ふるさとって…?

2011年03月22日(火) 22:22
京都疎開6日目。

ほぼ一週間、京都に滞在していると、やはり、日常にもどりたくなる。

はて、自分にとっての日常ってなんだろう…。

都内にいても、仕事以外ではほとんど外出せず、日がな家にいて、パソコンの前か、DVDを見ているか、本を読んでいるか、である。

あとは、映画や舞台を見に行くくらい。あんまり友達にも会わないし、友達、いないし…。

というわけで、日常に戻るために、今日は、京都シネマに「堀川中立売」を見に行ってきた。

京都シネマ……いい感じの映画館だった。広さと雰囲気はユーロスペースみたいだけど、入っているビルや近所のたたずまいは、もっとおしゃれっぽいというか。

一階はインテリアショップ・アクタスだし、文化の香りのする場所だった。

いいなー。こういう映画館にかけてもらえるような映画撮りたいです〜。

で、鑑賞した映画「堀川中立売」はとても奇妙な映画だった。よってたつ世界観は結構、好みだけれども、なんとも、型破りの演出に、目を見張る。監督は、非常に変わったひとなんじゃないかと思いました。

映画の舞台は京都であり、安倍晴明なる昔の(平安時代の?)陰陽師が、ホームレスとヒモを手下につかって、悪(?)と闘うお話。

今の時代、悪と闘える資格があるのは、資本主義からもっとも離れた場所にいる、ホームレスとヒモってことのようだ。「敵」とは、消費者金融業者をはじめとする、資本家たちのようでした。

ものすごく、「お金持ち」を敵視してるんですよね。

でも、出てくるひとたちは、貧乏なのに、みんな、楽しそうだったけどね。

反権力、反資本家…。

そこに妙に、京都らしさを感じました。平安時代とつながっている…って部分もね。

普通に生活している場所に、「霊的な場所」がたくさんある…とか。京都っぽいと思いました。

ちがっていたら、すんません。

で、京都シネマで映画見て、烏丸から河原町まで歩いて、うろうろしていると、これはこれで、この地で暮らしていけるなーと(当たり前だけど)、思いました。

芝居の数が少ない、映画館が少ない…この2点に不満がありますが、そのほかは特に問題なく、仕事が見つかれば、なんの問題もないなーと。

果たして、自分は、『ふるさと』といういもの、特定の土地に、こだわりがあるのだろうかと、考えました。

自分は、新宿区の生まれで、人生の全部を東京で過ごしてきました。仕事で、海外、国内問わず、かなり旅行しましたけど、基本、住まいは都内でした。

じゃあ、東京に、郷愁ってあるのか。必ず、帰りたい場所なのか。

今は、仕事があるのと、家族のようなひとがいるので、東京に戻るわけですが、ほかの場所でも仕事があれば、そして、家族のようなひとも一緒に移動できるなら、案外、どこでもいいような気もしました。

こら! 京都みたいな場所なら、誰だってそういうよ…と言われたらそれまでですが。

しかし、自分にとって、「ふるさと」とは、ようするに、「ひと」ではないか…。

自分は法律的な意味の「家族」を持っておりませんが、大事にしている「ひと」はいます。以前は、大事にしている「犬」もいました。

自分にとって、「ふるさと」とは、なにかと問われたら、それは、「大事なひとや生き物のいる場所」だと思いました。

大事なひとと犬と暮らせる場所であれば、どこでも大丈夫のように思いました。(仕事があるかどうかは、難しい問題ですが、雇ってもらえたら、なんでもいいような気もします。)

日本語の通じる場所なら、なんとかなると思うし。(言語はやはり、重要ですから…。)

今の時期、たくさんの方が、大事な場所やひとをなくされて…つまり、ふるさとをなくされているようなので、不謹慎かと思いましたが、自分にとってのふるさととはなにかを、問うてみました。

漁師さんや農家の方たちは、海や畑といった、「そこでなくてはならない場所」と結びついていらっしゃるから、そう、簡単に「場所」を離れることはできないのだろうと思うと、心苦しいですが。

もうひとつ…。

じゃ、自分にとって、「大切なひと」がいなかった場合、すでに失ってしまった場合、自分はどこをふるさととするのだろう。どこを帰りたい場所とするのだろう。

実際にそうなってみないとわからないけれど、そうなったら、与えられた場所、いることができた場所で、なんとか、やっていくような気もします。

大切なひとが見つけられなかったら、犬を見つける。犬は…すぐに、「大切な犬」になりますから。

のんびりしてすみません。

2011年03月22日(火) 00:42
京都疎開5日目。

今日までの日々を多少の写真で振り返ってみます。

17日朝、新幹線に乗って、京都に来ました。



途中、雪景色が美しかったことを覚えている。

でも、道中、とても不安でした。



比叡山を臨む円通寺、近くのホテルに入りました。



少し歩くと、上賀茂神社もある、京都のはずれです。

こういう場所のほうが、のんびりできると思ったからです。

それと、25年くらい前に、同志社高校のアメリカ人の先生のドキュメンタリーを作ったことがあって、(自分の初めてのディレクsションでした)、このあたりには親しみがあったのです。

その後も、ロケで京都には何度も来ていますが、初めて作ったテレビ番組で訪れたときの印象が鮮烈で、「とにかく、静かで緑にあふれていて、気持ちのいいところ」と強く感じていました。

だから、今回、避難のようなかたちで京都へ行くと決めたら、自然とこの地域のホテルに予約をいれておりました。

しかし、それも昨日まで。連休で宿泊代があがってしまったので(昨日、書きましたが)、市内のビジネスホテル系のところへ移動してきました。

移動してすぐ、いろいろトラブルがあったのですが、(詳細は昨日の日記で)、トラブルといっても、現在の日本にとっては、「ちゃんちゃらおかしい」レベルのトラブルですね。小さいことです。

しかし、市内に移動したら途端に、昨日までいた自然が懐かしく、駅近くのあわただしさに耐え切れず、夕方近くなってから、
「詩仙堂」へ行って来ました。

初めてでした。住みやすそうな、小さな庵。小さな…といっても、現代から見たら、広いですけれども。

こじんまりした庭にたたずみ、抹茶をいただきました。



連休中でしたが、夕方だったせいか、それほど、ひとはいなくて、ひっそり、静かでした。



庭のいたるところに、椿が、咲き誇っておりました。

…とても、ゆっくりした午後を過ごすことができました。すみません…。

夜、ホテルに戻ってテレビをつけると、被災地では、コンテナのなかで生活するひと、車で寝泊りするひとがいるそうで、胸を打たれました。

さらに、野菜や牛乳から放射能が検出された…というニュース。

もし、自分が苦労して作った番組や映画や小説から、「放射能が検出されたので、全部、廃棄してください。絶対、誰にも見せないでください」って言われたら、どうだろう。

けど、酪農家にとって、農家にとって、そういうことなんだろうと思いました。

一生懸命作ったのに、誰にも見せることなく、封印される作品があったとしたら…。

あなた、および、あなたのスタッフから放射能が検出されたので、以後、仕事をすることはできません、安全のために、解散してください…って言われたら?

そういうことですよね。ミルクや牛は、酪農家にとって、かけがえのないスタッフ、仕事仲間みたいなものですよね。

牛たちの未来も考えると、本当につらいことだと思いました。

やっぱり、報道は見ておかなくては。

気持ちだけでも共有しておきたい…と思いました。

のんびり、お茶が飲める日がみなさんに戻ってきますように。

牛が笑えますように。

洗濯モノとタバコの匂い

2011年03月21日(月) 01:00
京都疎開4日目。

今日はホテルを移動しました。

昨日までいたところは、部屋も広くて、近くに緑の多い公園もあって、快適だったのですが、連休に入って、値段が跳ね上がり、同じ部屋なのになんだかなーという気分になり、京都市内の、わりと便利なホテルへ移動して参りました。

ここは駅のそばであるし、連休でもあるので、すごい賑わいです。チェックインするのに、30分かかり、ランチを食べようとしたら、レストランも30分待ちでした。

とにかく、ひと、ひと、ひとであります。

しかも、部屋はよく確認して予約しなかったため、「喫煙ルーム」。

禁煙の部屋はすでに満室ということで、タバコくさい部屋であります。

昨日までのリゾート気分はふっとび、出張サラリーマンのようです。

しかし、奇妙なことですが、昨日までいたリゾート風のホテルでは、有料チャンネルに、一般映画はなく、全部アダルトチャンネルでした。しかも、2系統もあった…。

そして、今日のビジネスホテル風では、ちゃんと映画チャンネルあるんですよー。不思議ですねー。なんで、昨日までいたところ、アダルトしかなかったんだろう。

リゾートホテルで映画見る人っていない…という真実でしょうか。需要がなければ、そうなりますよね。

そんなわけで、にわか「ホテル批評」をしてもしかたないですが、今日は雨でしたし、引越しだけで疲れたので、部屋で洗濯をすることにしました。

ホテルのランドリーに出す…という方法もありますが、この「節約気分」「自分だけ助かろうとしてすみません」気分の自分ですから、そんなことはできませんでした。

日ごろは、ロケに行くときに、洗濯しないですむように全日分の着替えを持っていくような、足りないと現地で買えばいいと考えるような、本当に、浪費と怠惰のまざりあったような自分であります。

しかし、今は生まれ変わったのです。

というわけで、洗剤を買いにいって、バスルームで洗濯を始めました。

すると…。

これが案外、楽しい。

もともと、働きものですので、労働を始めると、その世界につい埋没したくなるのでございます。

最初は、靴下と下着だけ洗濯するつもりだったのですが、

「洗えるもの」は全部洗いたい…という欲望が生まれてきて、まずははいていた靴下を脱いで、洗い始め、次にTシャツも脱いで、洗剤槽に放り込み、ついに着ていた服を全部脱ぎ…一時は全裸となり…(バカか)、寒いので、ホテルに備え付けられている浴衣に着替えて、全部洗ってしまいました。

…前後の見境なく…。

その結果、よるご飯を食べに行くのに、着ていく服がなくなり、(いえ、ジーパンは洗わなかったのであるし、ウールのセーターを洗うのはさすがに、はばかれたのでやらなかった、エマールがあれば、別ですが)、素肌にセーターというちょっとセクシーな(バカか)姿に、ダウンを着込んで出かけることになりました。

靴下はなかったので、母親に借りました。

というわけで、洗濯物のたなびく、タバコくさい部屋で、本当に愚か者だなーと思いながら、これを書いています。

せっかく、洗ったけど、このタバコ臭が全部、張り付くのではないか…といまさら、気づくおろかさであります。

疎開の夜はこのように更けてゆきました。

物語の力を信じて。

2011年03月19日(土) 23:47
京都疎開3日目。

今日から、ポール・オースターの「オラクルナイト」を読んでいます。

こんな誰も予想できなかった大災害が起こってしまったら、フィクションの力なんて、吹き飛んでしまうのではないか…と思ったりもしましたが、いえいえ、そんなことはなかったです。

震災前と変わらず、いや、震災前より熱心に文字を追いかけました。

書かれている内容は、ちがう国の(アメリカの)、ちがう都市の(ニューヨークの)、ちがう時代の(1980年代)のお話ですから、震災とはまったくかかわりがなく、震災の被害や、原子力の脅威とは無縁に話は進むのですが、ゆるぎなき魅力を持って、読むもの(=わたし)に迫ってきます。

(まだ、読みはじめだから、全貌はつかめてないので、初見ですが…)。

大きな事件が起こると、それによって、芸術全般は影響を受けます。受けると思います。けれども、それは、多くのひとの漠然とした考え方に影響がでるからで…なんというのでしょう、世界観というか、世間というか、漠然とした集合知みたいなものが影響を受けるような気はします。

たとえば、原子力発電所をこれから続けていくのは以前より困難になるでしょうし、一方で、自衛隊や米軍に対しては、目線が優しくなるのではないでしょうか。これは、ツイッターを見ていて漠然と感じたことです。

公共広告機構(AC)のCMに不快感を持つひとがいたり、「不謹慎」という言葉を使って非難するひとがいたり…これらは、確実に『空気」としてあると思います。

でも、それって、たくさんのひとが漠然と感じることであって、そのことと個々の作品とは別の問題のような気がしました。

というのは、芸術とは世論じゃないからです。テレビ番組の一部、小説の一部、映画の一部は限りなく、世論に迎合しがちですけれども、それはいつの時代も同じだし、大きな事件がなくても、そういうもんだと思います。

けど、一方で、世論とはちがうものを出していくこと…ちがうものを創造することは、大きな事件があってもなくても、同じなんじゃないか…とふと思ったんです。

エジプトで革命が起きたから…大震災が起きたから…原発が事故を起こしたから…ということだけで、描くものが変わっちゃうとしたら、なんだかうすっぺらいと思いました。

それは作品ではなくて、感想文だからです。

とはいえ、自分が小説を書き始めたのは、1995年なんですね。95年といえば、1月に関西大震災があり、5月にはオウム真理教の事件があった劇的な年でした。

年明けからの大きな事件の連続に、自分は、なんだかわからないけど、「このままじゃだめだ」と思い、テレビの仕事をすべてキャンセルして、小説を書き始めました。出版のあても、発表の場もなんのあてもなかったんですが。

そういう意味で、大きな事件に影響は受けたのですが、かといって、書いたものが、「自然災害の脅威に立ち向かうひとびと」でも、「カルト宗教」にからむ物語でもなかったです。

テーマは全然関係なかった。

ある種の危機感が、なにかを作らせた…とは思いますが、テーマは実はその前から持っていたものだった。それを創作するきっかけがなかっただけだった。

…だから、今回も同じようなことを思いました。

この災害によって、作品の内容が変わってしまうなんて、ちがうだろう…と。もっとゆるぎないものであってほしいと。

それと、フィクションとノンフィクションについてもあらためて考えました。

以前、ここで書いたかと思いますが、先輩の映画監督、渋谷ノブコ(旅先のpcのため漢字表記ができなくてすみません)さんが

「フィクションもノンフィクションも作り方は同じ」

と言っていたことを最近リアルに感じられるようになりました。

なにかを描くときに、フィクションとして描いたほうがいいときもあるけど、ノンフィクションとして描いたほうがいいときもある…というとても単純なことのように思えました。

今回の震災をテーマにするとしても、フィクションでもノンフィクションでもアリですよね。手法は違うにしろ。けど、結局のところ、なにかを描こうとする姿勢は同じなんだなと思うわけです。

事実の積み重ねによって、テーマに迫るか、テーマを描くために、フィクションのシーンを重ねていくか…という手法の違いのみであると。

…そのようなことを考えつつ、読書を楽しんでいます。

やっぱり、東京を離れたせいで、気分が落ち着き、本を読むこともできるようになった気がします。いろんなことを冷静に考えることができるようになりました。

こういう選択ができた自分の幸運に感謝しつつ、(つまり、偶然、金銭的余裕、時間的余裕があったからできたことを感謝しないといけない…)、災害にあった方たちへの想像力を失わないでゆきたいと思うのでした。

京都疎開の日々1

2011年03月19日(土) 01:29
昨日、京都に疎開してきたことを気に病んでいる…と日記に書きましたら、数々の方々から、あたたかく、やさしいメールをいただきました。

そんなに罪悪感を持たなくていいですよ…というメール。

ありがとうございました。

メールを開くたびに、こわごわしていたのですが、非難するものはひとつもなく、あー自分のブログを読んでくださる方は、みなさん、心が広いのだなー、優しいのだなー、私の弱さを知ってくださっているのだなーと泣けました。

おいおい、おひとりずつに返事を書きたいと思います。すごくほっとしました。まず、ここでお礼を言っておきます。

そんなわけで、京都疎開2日目です。

今、ぼんやりと思いましたが、たとえば、戦争のとき(いわゆる太平洋戦争のとき)、多くのひとが疎開したと思いますが、そのときも、「うしろめたさ」や「非難」ってあったんでしょうか。

「贅沢は敵だ」とか「非国民」とかという揶揄があったことを聞いていますが、「疎開」についてはどうだったんでしょう。そんなに否定的なものはなかったように思います。

戦時中と一緒にしてもいけないとは思いますが…。

今日は午後から近所のお寺に行って、庭など見てまいりました。ここは京都のはずれなので、観光客もいず、どこも閑散としています。

静かに日常が流れているようです。テレビやツイッターを見なければ、東北があんなに大変なことになっているなんて、想像できないくらいです。

ホテルでは、卒業式あとの女子大生と見られる、華やかな集団が、大きな声で笑いながら、記念撮影をしていました。

目をつぶってしまえば、なにもなかったように思えるかもしれません。

でも、そうはいきません。

夕食は、四条河原町に出て、おばんざいの店で食べました。

たまたま、隣に座った方も横浜からの疎開組でした。

普段、自分は人見知りであり、見知らぬひとと積極的に話すほうではありません。(仕事などの必要がないと、何気ない日常会話や世間話が苦手です)

けれども、京都に来てからは、疎開組の人に会うと、よく話すようになりました。

やっぱり不安だからでしょうか。同じ思いを共有できる相手を探しているからでしょうか。

今夜、話した方は、90代(!)と80代のご夫妻とそのご子息。

小さなカウンター席の店で、隣同士でした。

92歳のおじいさま、いわく、

「90まで生きて、いつ死んでもいいので、横浜にいると言ったんですけど、息子が心配するので、若いひとの足手まといになってはいけないと、こっちに来ました」

この方、90代とは思えない、元気でしっかりした方でした。元・海軍大将だったそうで、激戦地ラバウルにいたこともあるという、強運の持ち主。

戦争体験を聞いたり、これからどうするのかなどを話しました。

(疎開していると、今後、どうするか…というのがテーマになります。とりあえず、来てみた…ってひとが多いんですよね。私もそうですが…)

このご家族は高齢なこともあって、すでに関西に部屋を借りたそうです。

ぼんやりしていないで、不動産やめぐりをしたらいかがでしょうかとアドバイスされました。

納得しながら、一方で、東北から東京に避難してくる方もいるというのに、複雑な思いでした。

こちらが疎開してあいた部屋を東北から疎開してきた方に貸す…こともできると思うのですが、でも、じゃあ、こっちの疎開の意味はなんだ…?という気にもなりました。

というわけで、今日もゆらゆらです。

けれども、ひとつ気づいたことは、自分にわずかでも役割があるとしたら、「広報」ではないかと思いました。

広報…というと宣伝みたいですが、そうじゃなくて、広く伝える…という意味です。

だいたい、文学や映像作品も、「その世界で、ひとはなにを思って、どう行動しているか」ってことを伝える役割がありますよね。

「世界をどう見ているか」「どう見えているか」

知り合いのひとだけの話し合いも大切ですが、「ひとはこういう風にも考える」「こんな行動もとる」ということを、書いたり、描いたりすることも大切だなと思った次第です。いまさらかしら。

今のような、「未曾有」の事態にあって、「ひとはどんな風に考えているか」を知りたいひとは多いはずです。

過去の文学作品や映画にももちろんありますけど、リアルタイムで、「こんな風に感じ、こんな風に行動しています」と告げることは、無意味ではないと自覚しました。

それが、弱きものの行動であったとしても、世界は強きもの、立派なものだけでできているわけではないので。

いろんなひとがいる…ということだけでも、伝える意味はあるのではないかと。

疎開者の気持ちを正直に書こうと思いました。あと、こちらで出会った疎開者の行動も、テレビなどではなかなか報道されないと思いますから、情報としても有効なのではないかと判断しました。

事実として、そうある…ということであります。

自分としては、母親を安全な場所に置いたら、都内に戻りたいのですが…。




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