山田あかねの一喜一憂日記

舞台
(記事数:76)

ブス会「女のみち 2012 再演」

2015年05月31日(日) 15:00
昨日は、ブス会「女のみち」を見てきた。

池袋芸術劇場に2日連続で通ってしまった。(城山羊の会も芸術劇場だったのだ)

ブス会の芝居は、数年前から注目して、リトルモアの地下の小さい劇場で上演されていた頃から見続けて来た。

なかでもこの、「女のみち」は傑作だと思う。

AV(=アダルトビデオ)の撮影現場の一日を女優たちの会話で、つないでいく。

AVだから、最初はぎょっとするような言葉の連発で、全然違う世界の話のように感じる。

が、出てくる単語の過激さとは裏腹に、そこに描かれているのは、ギリギリの女性たちの、心の声みたいなものだ。

アイドルからAV女優に転じたコ、

かつてはカリスマAV女優と呼ばれもてはやされたが、今は、年を重ね、シングルマザーとなり、生活のために続けているひと、

巨乳や潮吹きというスペックを武器に生き抜いているひと、

エロに思想を持ち、貫こうとしているひと、

そして、結婚して引退したが、結局戻って来て、ロリコンから痴女へと路線を変えてもこの世界で生きていこうとするひと。

誰もが普通の社会にもいるタイプの女性たちである。

それぞれがそれぞれに、痛々しい。

でも、この痛々しさは、彼女たちがAV女優という性を売る職業だからだろうか。

もちろん、それもある。いつまでも、男の欲望に奉仕することが仕事になっている世界だからだ。

そんな世界、とっとと逃げ出せ、ということはできる。

けど、戻って来たAV女優がそうであるように、そういう場所で生きることが楽な人だっているのだ。

彼女たちは、「性を売り物にしている」「搾取されている」…みたいに言うこともできるんだけど、彼女たちはそんなこと、乗り越えて、もっとずっと冷めた目をして、エロを見ている。

そこには、彼女たちの本当の「エロ」はない。

仕事の道具、お金を稼ぐためのツールとしての「エロ」があるだけ。

だから、裸を見せようと、潮吹きしようと、それが単なる「ツール」に過ぎないから、そのことで、彼女たちは傷つくことはない。

その荒野のような場所で、明るく冗談をいいながら、表面上は友情をはぐくみつつ、生きている。

…でも、本当かな。

ツールに過ぎないと言い切るには、「性」はあまりにも大きいような気がする。

上野千鶴子さんに近著をいただいた。

「セクシャリティをことばにする」(青土社)の帯には「性的な自由ほど大事なものはない」と書いてある。

彼女たちが、男性の要求する「エロ」を仕方ないものと受け止め、自分でもそれを楽しめるように飼い慣らす姿は、結局のところ、AV業界に限らず、広く、女性たちがみんな受け入れていることでもある。

そのことが、AV業界という、いわば、性を売り物にする最前線で生きる女性たちの姿を通して、くっきり現れてくるのだ。

(多かれ少なかれ、女性である以上は、どこかで性を売り物にするしかないから)

だから、最初はAVの撮影現場の過激さに戸惑っていても、ラストにはなぜか彼女たちに共感して、寄り添いたくなる。

あなたたちは自分なんだって思えてくる。

ラストにかかる曲がまた、いいんだ。

女の子のいろんな名前を延々と呼び続ける、JPOP。

みんな知っているよね、ここにいる女の子たちの痛みと強さと笑いを。

そして、彼女たちが自分自身だってことを。

そう、言われている気がした。



城山羊の会「仲直りするために果物を」

2015年05月30日(土) 04:32
今日は、城山羊の会の「仲直りするために果物を」を見てきた。

お弁当ドラマに出演していただいた、松井周さんが出ていたし、山内ケンジさんの作品、興味あるし。

しかし、すっごいハードな舞台だった。

最初はクスクス笑いながら、多少じれったく見ていたのに、物語が進むうちに、どんどん、中身が濃くなって、登場人物それぞれがそれぞれに恐ろしくて。

トルストイの「幸せな家庭とはどれも似たようなものだが、不幸な家庭とはそれぞれに不幸である」のバージョンみたいで、

いい人はだれも似たようにいい人だけど、悪人というのは、それぞれに悪人である、というような。

たったひとりも、「いい人」がいなくて、みんな一様にへんで。

むしろ、最初の頃、「いやな奴だなあ」と思った奴が、終盤、案外、一番まともなんじゃないか、と思えたり。

そりゃあもう、恐ろしかった。

人間のダークな面ばかりを見た気がして、観劇後はちょっとぐったりした。

でも、生身の人間が、目の前で、「悪」のようなものを見せてくれるのには、不思議に惹きつけられる。

どこかでもっと、ひどいことが起こりますようにとも思ってしまう。

でも、作品というのは、どこまでも自由なんだってことがわかって、勇気づけられた。

負けるな、自分。

舞台いろいろ

2014年02月14日(金) 01:26
1月中は、ずっと体調優れず、ぐずぐずしておりました。

風邪がなかなか治らず、本格的に検査までいたしました。

レントゲン撮ったり、CTまで撮ったんですけど、ややアレルギー反応が出ている程度で、重篤な病の疑いはありませんでした。

よかった、よかった…

とはいえ、原因がわからずに、「なんとなく体調すぐれず、風邪っぽい」とは、「さぼり」病なのか、とか、
精神的なものなのか、とも考えられ、すっきりしないものでした。

が、2月の声を聞いた頃より、徐々に回復し、ブログを書くことくらいできるようになりました。

(いえ、他にもいろいろできますが…)

なわけで、さぼっている間に見たモノなどを…。

今日は、シアターコクーンで「もっと泣いてよ、フラッパー」を見てきました。

あの自由劇場の名作、ですね。

松尾スズキさん目当てで見に行きました。

禁酒法時代のシカゴが舞台で、ギャングとフラッパーの、歌あり踊りありのミュージカル仕立ての物語です。

全体、懐かしいような雰囲気なんですが、松尾さんが登場すると一気に、今の笑いっぽくなって、とにかく面白い。いるだけで、いかがわしさやおかしさを漂わせることができる、松尾スズキさんはやっぱりすごいなと思いました。

それと、松たか子さんの歌と踊りと存在感。舞台が「きゅっとしまる」感じがしましたわ。

帰り道、「♬もっと泣いてよ、フラッパー♬」と口ずさみながら歩きました。

その他見たモノ。
やっとこ映画、「ゼログラビティ」。
挑戦的なシーン構成(つまり、ほとんど宇宙ばっかり、とか登場人物ほぼ二人とか)は斬新ですが、だからどうかと問われると…ううむ。

水素74% 舞台「荒野の家」@駒場アゴラ劇場
ここ数年ずっと注目している、「水素74%」。
壊れた家族がいろいろ出てくるのが好きで見ていて、今回も壊れてました、家族。
アフタートークを聞いたら、テネシーウイリアムズについて、主宰演出家の田川啓介さんが、ちらっと触れたので、ちょっとヒヤッとしました。いえ、ここのところ、テネシーウイリアムズ研究してまして。
崩壊家族の元祖ではないかと思うのです。

ブス会「男たらし」@下北沢スズナリ
こちらも注目の劇作家、ペヤンヌ・マキさんの新作。
いや〜面白かったですよ。いつもは女ばかりで、女の痛みやおかしみを描く「ブス会」ですが、
今回は、男子メイン。ゲスな男が描かれます。5人の男がそれぞれに「げす」なんですけど、見ていると、
「いた、いた、こういう奴」という感じで、ひりひりと過去に遡ることができます。

主人公はこれまで、昨今の舞台で輝きを増している、内田慈さん。
ダメダメな女がダメな男にその都度ひどい目にあわされつつも、成長していく…という、じわっとくる女性像を演じてらっしゃいます。

「変わる女と変わらない男」という副題をつけたいほど、殆どの男は、相変わらず「ダメ」で「自分勝手」なままなのに、そういう男に囲まれていても、そいつらに傷つけられても、決して復讐なんてせずに、彼らをうまーく使って、自分なりのやり方で生き抜いていく姿はホント、すばらしかったです。

「やりまん」とか「メスブタ」みたいなネガティブワードを重く扱わずにさらりとかわしていく舞台はこびが、秀逸でありました。
これまでに描かれたことのなかった、ヒロイン像かもしれません。
似たような設定の女性は、日活ロマンポルノはじめとして、多く描かれてきたかもしれませんが、そのステレオタイプを大きく脱して、よりリアルな女性像を描いています…というか、少なくとも自分にはそう思えた。

ポルノに出てくるその手の女性にリアリティやシンパシーを感じたことは1度もなかったから。

というわけで、充実の観劇生活。で、近々に行くのは、三浦大輔氏演出の「失望の向こう側」
これも楽しみ!

ちなみに、現在は、犬の映画の本格編集に入っております。
これが…
これが……
あらためて、ぐっと来るシーンの連続でして。

年内にはなんとか、公開できるよう、命を削りたいと思います。
(なぜなら、取材させてもらった方々が犬のために、本当に命削って頑張っているからです。
 おお)

舞台「ストリッパー物語」

2013年07月13日(土) 02:05
最近、あまり日記を書かなくなりました。

書かなく、というか、書けなくなりました。

以前は深く考えずに思いつくことだけ書いていたのですが、それじゃダメなような気がしてきて、もっと戦略的というか、テーマを絞り込むとか、そういうことしないとダメなんじゃないかと思い始めたらできなくなりました。

ブログのブランディングとか。

うー。

そこで止まっていたらそこまでなんですけど、「よりよきものにしよう」という欲が出るとですね、これがたいていできなくなる傾向がある…ということに今回、気づきました。

この傾向、ブログだけじゃないんですね。仕事一般、暮らし一般、つまり人生一般がそうであったと、自分。

思いつきや好みだけでやっていたことが、仕事化したり、よりよきものを目指そうとすると、考えちゃって、立ち止まちゃって、先に進まない。

仕事だとそれでも、締め切りとか放送日があるので、人一倍責任感が強い…というのは嘘ですが、人一倍気が弱いため、なんとかやるんですが、そうじゃないものはホントにもう…。

ここでこんな話を書いているのはある種の開き直りですね。

もう、いいや。ブランディング。傾向をまとめようとするのやめた。

時々発作的に思うんです。いろんな仕事やってるので、自分がなんだかわからなくなって、これはまずいからひとつに絞るべきなんじゃないかって。しぼってみた時期もあったけど、気づくとまた、広がっちゃってる。

あーあ。

最近見たものを書いておきます。

今日、ポツドールの「ストリッパー物語」@東京芸術劇場

つかこうへい節、ひさしぶりに堪能しました。思ったより、ポツドール色がしなかったです。

なにより、白眉は、リリーフランキーさんの「ヒモ」ぶり。すごいなーこのひと。

映画「凶悪」でもそうでしたけど、この方、プロの俳優じゃないのに、なに、この存在感。映画でも舞台でもすごくリアルなのに、ありえないほど強烈で。

劇中で一人でえんえん、しゃべるシーンがあるんですけど、ここが、すごい見せます。舞台が静まりかえったように。

舞台でいろんな出来事が展開するんだけど、「早く、シゲさん(リリーさんの役名)、出てこないかな」って思っちゃう。悪いひとなのに、見ていたい気にさせる。

渡辺真起子さんのストリッパーぶりもお見事でした。いかにもつかさんのヒロインを演じてた。

男気のある女っていうか。最後は泣くよね。

このほか、ここ最近見たのは、

映画「先生を流産させる会」、「さよなら渓谷」「サラの鍵」「テイク・ディス・ワルツ」「アウェイ・フロム・ハー」などでした。

「テイク・ディス・ワルツ」の痛みと深さについてはちょっと驚きました。こういう映画撮られていたんだなって。しかもこの監督、若いんだよねー。カナダの女性監督。

カナダの映画って鋭いところついてくるなー。

恋愛の先にあるもの、恋愛だけじゃ割り切れないものをきちんと映像化してる。

脈絡なくなりましたが、思ったまま書くとこんな感じなのでした。

うー。





まだ、男なのか。

2013年02月02日(土) 23:42
先日、高円寺の座で上演された劇団宝船「撫で撫で」という舞台を見た。

ブス会のペヤンヌマキさんが演出ということで楽しみに出かけた。

主人公は、二人の対照的なアラフォー女性。

一人は、40を前にして子供がほしくなり、そこそこの男と結婚して、仕事を辞めて専業主婦になった女。

もうひとりは、エロライターとかAVのモザイク消しなどのバイトを続けながら、結婚より恋愛を重視している女。

二人は学生時代からの友人らしく、共通の知り合いも多い親友だ。(二人は同じマンションに暮らしている)。

で、一見、対照的に見える二人の暮らしが交互に描かれていくんだけど、ちょっとショックだったのは、「やっぱり、問題は男なのか」ってことだった。

えーと。

自分は恋愛至上主義が席巻した80年代に青春を送った身である。ロマンチックラブイデオロギーに骨の髄までおかされ、熱病にかかったように、恋愛がすべて(…なんじゃないか?)って感じで人生の前半を送ってしまった。

それはそれで特別に悔いもないんだけど、昨今の人たちを見ていると、もうすぐオンエアになるEテレ「オイコノミア」(2月5日、12日、23:30〜見てね!)でも触れたけど、20代、30代で恋人のいないひとは、男6割、女5割である。

そのうちの半分が「恋人いなくてもいい」とさえ、答えている。

だから、今のひとは、「恋の病」を克服したんじゃないかってちょっと期待していたのである。

人は、ほしい時に手に入れられなかったものをずっとほしがる。

私の父の時代は、子供の頃、戦争があって、美味しいものが食べられなかった。だから、いくつになっても美味しいものへの執着があった。「おいしいものを食べる」ってことが幸せの象徴のようであった。

しかし、自分の世代は、食うに困ることはなく、世界中のものがいつでも食べられる日本に(東京に?)育ってしまったので、特別、食べ物に執着がない。

一方、自由恋愛に関しては、じょじょに規制が緩やかになった時代に育ったゆえ、ずっと憧れや飢餓感みたいなものと生きてきた。

ところが、今の子たちは、小学生の頃からステディだのつきあうだのやっているから、私たちの世代が持っていたほどの恋愛に対する強い思いがないように思ってた。

恋愛で他人と深く関わるより、アイドルや二次元で自分だけの世界に生きるほうが楽って思っているのかと。

女子会とかやって、気楽に女子だけで盛り上がっているのかと。

でも、ちがうのか。

もちろん、「撫で撫で」の主人公たちはアラフォーなので、いわゆる若者(20代とか)とも違うのだろうが、

それでも自分より年下の世代だから、もっと男から自由になっていてほしかった。

彼女たちの一喜一憂は男によって決まるのだ。

彼女たちにとって、人生とは男なのである。

専業主婦の女性は子供がほしくてしかたない。

しかし、なんで?なんでそんなに「結婚して子供を持つ」っていうスタンダード(とされているもの…すでにスタンダードじゃないけど)にこだわるの?

そして、もう一人の女子。

東大出の売れないミュージシャン・ニートとのずるずるした関係。でも、その男を切れないし、その男との結婚を望んでいたりする。その次に知りあう23歳の男。こいつともつい、うっすら「結婚」を考えてしまう。

ええ!!そんなに!

今でも、そんなに、「子供を持つ」とか「結婚」ってタームはそれほど魅力的で、女性をしばりつけているの?

その両方に必要なのは、「男」である。

つまり、彼女たちの最大の関心事は、「まだ、男のなのか?」ということ。

それがちょっと残念というか、悲しいというか。

どっかで自分より下の世代はもっと自由になって、結婚や子供や男は、人生のなかで考えないといけないテーマの一つではあるけど、最大の関心事でもファーストプライオリティでもない…ってなっていてほしかった。

どっかでそういう憧れがあった。

もう、「飢え」の記憶は克服したのかと。

70年代に世界的ベストセラーになった、アメリカの女性作家・エリカ・ジョングの小説「飛ぶのが怖い」にこういう一説がある。

男の問題は、男である。

女の問題も、男である。



もしかして、時代はちっとも変わってないの?

そういうことを思いながら、舞台の上で、その渦中にいる、必死の彼女たちを見ていた。

東大出のアーティスト系ニートのダメ男(岩瀬亮さん演じる)が、あまりにも既視感あって、(つまり、いたいた、こういう奴って意味)、痛々しかった。

そして、そういう男にひっぱられてしまう、優しい女とダメだけど、こういう奴の魅力もわかる…って気がして、ジリジリしながら見てた。岩瀬さん、はまり役!

なんか、根本から、この負のスパイラルから抜ける爆弾が見たかった。

それとも、そんなの、やっぱりないのかな?



岩井秀人トークラジオ

2012年12月23日(日) 18:39
昨晩は、六本木の果てにある「新世界」で劇団ハイバイの演出家である岩井秀人氏のトークラジオを見てきました。

自作を語る…ということくらいしか事前情報を持たなかったのですが、主に、前作「霊感少女ヒドミ」の種あかしでした。

種あかし…という言葉が的確かどうか迷うところですが、ちょっと変わった舞台であった「ヒドミ」がどのようにして発想され、俳優陣にはどのように演出したかを非常に具体的に話すので、種あかしというのが、似合うと思いました。

普通、なかなか、創作するひとは、自分の作ったものがどこから来たかをあそこまで赤裸々に、いや、正直に語らないものじゃないか…と思いましたが、そこが岩井秀人さんの魅力でありましょう。

ネタ元を楽しそうに愛しそうに語る姿は、逆に大物感がありました。

「霊感少女ヒドミ」は、映像と舞台が奇妙にマッチングした、不思議な舞台でしたので、舞台というより、インスタレーション…なんつうか、舞台の上で繰り広げられる人間と映像とそのほかのなにかの融合みたいな作品だったので、その出自がわかったことは興味深かったです。

どのような構造になっているかというと、霊感のあるヒドミという女性が暮らす部屋に、霊2名…霊の場合、どう数えるのかわかりませんが…、男の霊ふたりが住み着いていまして、この霊とヒドミとヒドミの彼氏が繰り広げるやりとりのなかに、霊の夢?ヒドミの夢?などがぐるぐるにからみあって、ストーリーはかなり破滅的なんですね。

ストーリーラインを追おうとすると混乱するし、わからなくなる。それより、ワンシーンワンシーンを楽しめばいいじゃないか、という感じを受けました。

で、実際にそのことに作者も自覚的で、主人公が成長しなくてもアリじゃないか、という問いかけもあって、そうかもしれないなーと思いました。

「主人公が成長する…」というのは、テレビ、映画などのシナリオ・構成段階で、非常につよく要求されるものであります。

ドラマに限ったことでなく、ドキュメンタリーでも教養番組でも、「これじゃあ、前に説明したことから進んでない」と言われたら、そこは、「直し」の意味なんですね。

とにかく、30分とか1時間の間に、番組や映画は「進まないといけない」んです。

見ているひとを移動させないといけない。そして、ラストシーンでは最初に見た時に感じたところから別の場所に運んで行ってあげないといけないわけです。これはエンタメ系の小説でも同じで、最初のシーンで殺人事件が起こったら、ラストには犯人がわらかないといけない。なんで事件が起こったか読んだ人が理解できないといけない。

最後まで犯人がわからずじまいだと、「つまらん」とされてしまうわけです。

なので、一般的なエンタメワールドでは、最後にはなにかがわかったような気になる、「オチ」がつくものがメインです。

前衛的な小説などでは、(時々芥川賞の候補になるような作品)では、犯人がわからないどころか、ますますわからなくなるだけで、読者を放置するようなものもありますが、ほんの一部であります。

ですが、このような定番にある種の「飽き」を感じることは確かです。岩井さんも言っていたように、現実はそうそう成長しないし、変わらないのではないか…。実は自分もそう思います。

が、しかし。

多くのエンタメを楽しむひとたちはこの「成長した感」「見終わった達成感」「まるで自分が成長したかのように感じることのできる二時間の旅」みたいなものを見に来るんじゃないかと思ったりもします。

しかし、一方でこのような王道の構成はすでに王道すぎてなにも伝えることができなくなっているんじゃないかと思いもします。

さきほど、1960年の映画「アパートの鍵貸します」を見ていました。ビリーワイルダーによる、よくできた作品です。

脚本がすばらしく練られており、どのセリフ、どの小道具、どのキャラもそれぞれが物語を引っ張っていくように実にうまく計算されています。ラストまで見ると、「あっぱれ!」と思います。

が。

すでに自分のように多くの物語に触れすぎた身にとって、この映画を見て思う「あっぱれ」は、よくできた脚本だなー、小道具の使い方うまいなー、キャラ設定から小さなエピソードまでよくできているなーという、物語の構造にたいする感動であって、物語そのものが連れてくるなにかに感動することではないんですね。

脚本の出来に感動している。

それでいいのかな?

自分としてはもっと、「わーこんなことってあるんだー」「ひとってすごいなー」「心をわしづかみにされたわ」的な感動にもっていかれたい。

やっぱり、見たことものないものを見たいのでした。

…それにしても、先日みた「ブス会」といい、今回といい、舞台を上映して、作り手が語るという手法が最近増えて来ましたね。手軽にpcによって、映像が再生できるからだと思います。

新しい演劇の楽しみ方といいましょうか。舞台をその場で演出家が解説してくれるので、とても贅沢なものだと思いました。

ブス会イベント

2012年12月16日(日) 01:23
そんなわけで、マメに更新。

今日は、先週行った、ブス会のイベントのお話。

ブス会を知ったのは、かのポツドールがらみで、数年前から通うようになりました。

前にも書いたけど、この「ブス会」というネーミングにたじろいで。

そのストレートさとゆるぎのなさに。

けど、実際の舞台では、小劇場系ではかなり美しい人が出演されていて、全然、ブスじゃなかったです。

物語のほうは、女性の本音炸裂というか、普通、男性には見せないような、女性同士でも隠しておくような出来事をこれもまたストレートに描くという潔い舞台でした。

で、イベント。

2006年に上演された「女の道」という芝居を映像で見て、その後、演出のペヤンヌマキさんとav女優さんやライターさんがトークする、というもの。

この2006の舞台は未見だったので、見られてよかったー。

AVの撮影現場の控え室で、AV女優たちが繰り広げる、群像劇です。

ベテラン女優あり、崖っぷち女優あり、新人、売れっ子、ひと言でAV女優といってもさまざまであり、その差異を描くことで、女性たち一般に通じる、女の性の悲哀や笑える部分が浮き彫りにされておりました。

そうしてみると、AVという特殊な世界がそれほど特殊じゃなく見えて来て、そこにいるのは、身近な女たちとなにも変わらない女たちであるということが、ひしひしとわかってくるんですねー。

ここらへんは、前回見たポツドールの「夢の城」に通じるところがある。

過激な世界を描いているようでいて、ていねいに繰り返し、細部を見せることで、その過激さを漂白していく。

暴力やセックスで驚かせたり、それが異常なことであるようには見せていない。

それと、「女の道2006」はやはり、女性の本音と男が求めるもののズレをくっきりと描いていましたね。

なにしろ、AVですから、男性を萌えさせるために作っているわけです。

まるでそれがリアルな女性の性欲であるように撮しているけど、実際は、演じている、はなからリアルを見せていない。そこらへんをかなり辛らつにさらりと描いています。

彼女たちは嘘を演じているんだけど、その嘘が現実を侵食してくるようなところがあって、それが悲しくも痛いところでもあり、また、面白いところでもあるんですねー。

その数日後に、上野千鶴子さん、信田さよ子さん、北原みのりさんのトークイベントに行きまして、そこで少しだけ、AV女優の話題が出ました。

援助交際は女を傷つけるのか…という問いかけのなかで、会場の若い女性から「今はAV女優でも自分の仕事に誇りを持って、堂々とやっている女子がいる。そんなに傷ついていないのでは…」みたいな意見がありました。

果たして、本当に女性たちは、売春やAVに出ることを平然とやってのけられるようになったのでしょうか。

体を売り物にしたことを、ステイグマとして背負うことはなくなったのだろうか。

「女の道」に出てくるAV女優たちが外の世界でどうふるまい、どう扱われているかまではわかない。控え室は彼女たちが自由にふるまうことのできる、ある種安心できる世界だから。

このあたりのことは自分にとっても、大きなテーマなので、じっくりもっと考えてゆきたいと思っております。

今夜はこのあたりで。



松尾スズキひとり芝居「生きちゃってどうすんだ」

2012年12月15日(土) 02:26
ここのところ、いろいろ興味深いものを見に行っていたのに、なかなかブログを書く時間がなくて、失礼していた。

先週は、松尾スズキさんのひとり芝居「生きちゃってどうすんだ」を見ました。

いやー濃い内容でした。

「ひとり芝居」というものに偏見というか、ある種のパターンを想像していて、それは、演技に自信のある俳優さんが、「俺(もしくは、わたし)の芸を見せてやる!」みたいな印象があって、その芸を見に行くような感じがちょっと苦手でした。

物語好きの自分としては、物語<俳優、みたいなのがちょっと…。

が。

松尾スズキさんの舞台は、私が思っていた「ひとり芝居」を完全凌駕していました。

「ひとり」であることや、それが「松尾スズキ」という俳優であることを忘れさせる、そのまま面白い舞台だったからです。

幕が上がると、昨秋亡くなられたシルビアクリステル演じた「エマニエル夫人」が愛用していたような椅子の上に、妙齢で奇妙な女性が座っている。

いわゆるオネエ言葉で語り始め、おまけにシャンソンまで歌う。実はこのあたりで、やばい?と思ったんです。この場合の「やばい」は悪いほうのやばいです。

美輪明宏さんの物まね風だったから、もしかして、このまま、「ものまね」オンステージみたいになるのだろうか、だとしたら、やだなーと思いました。

とはいえ、歌もたいへん、聞かせる歌いっぷりだったので、歌謡ショーなら歌謡ショーでそれでもいいか、みたいな軽い開き直りで見ていたら、こちらのそんなゆるみをひっくり返すような、骨太な物語が展開しはじめたのでした。

まずその物語の豊かさというか、単純に面白さにしびれ、さらにそれを構成する映像やら装置やら、そしてもちろん、何人もの登場人物を演じ分ける巧みさにどんどん引き込まれていきました。

ある種、舞台でしか演じられない、強烈なストーリーであり、セリフであり、演技。

ゆるみなし!

いききっているというか、こじゃれた物言いなら、「エッジの効いた」舞台。

満喫しつつ、エリをただす思いがしました。

つまり、「貫く強さ」に身が引き締まる思いがしたのです。

強烈さを貫き、ヒューマニズムやあまい同情やキズナやらを吹っ飛ばす力。

こういうのって、ある種の若さが必要だけど、よわい50歳の松尾スズキさんが、前衛であり続ける感じにひれふしたのでした。

かっちょええ。

あの舞台見て、行けるところまで行ってみようという気になりました。

その後、見に行ったのは、「ブス会」の2005年の舞台映像+トークイベント、「東電OLから木嶋佳苗まで」のトークイベントの2つ。どっちも濃いぜよ。

その間に、久しぶりに千葉県の動物愛護センターにロケも行って、ずいぶんと改善された様子を撮影してきました。

「ブス会」と「毒婦。」イベントについて、明日以降でちゃんと感想書こうと思います。

年末に近づいてるけど、やる気出てきた。

おせーよ!

ポツドール「夢の城」

2012年11月30日(金) 02:41
先週、池袋の芸術劇場にて、劇団ポツドールの「夢の城」を見ました。

ポツドールは、ここ4,5年はずっと注目している劇団でして、「愛の渦」とかマジ傑作だし、とにかく、欠かさず見ております。

この「夢の城」は再演とのことで、未見だったので、たいへん楽しみでした。

ざっくりとした内容を書きますと、東京の某所、車の騒音が聞こえて来る、都心のマンションの一室に、どんな関係かわからない若い男女が数名で暮らしている。(男4,女3くらい)

彼らのやることといったら、セックスしてゲームしてマンガ読んで食べて寝て。ほとんどこの繰り返し。

時々、外に出て行くので、少しは働いているのかもしれませんが、いい加減な服装から働いているとしてもまともな仕事であろうはずはありません。

要するに都会の片隅に生息する、クズな、というか、かなりダメな男女たちです。

で、セリフはなし。

ひたすら、目前で繰り広げられる乱交めいたセックスと、じゃれあいのような殴り合いと、だらしない寝姿。

とにかく、それがなんの言葉もなく繰り返される。

俳優も女優も半裸になって交わりますから、最初に見たときはびっくりするわけです。

その乱交ぶりやだらしのなさに。

まさに「ケモノ」のような暮らし。荒んだセックスと暴力。一見すると、恐ろしい世界のように見える。

が。

これが目前で繰り返されていくと、唖然として恐怖を感じた彼らの無軌道な暮らしが、ちょっとずつ、当たり前のことに見えてくる。

無謀なセックスがケダモノのよう…というより、生き物らしい、というか、特に恐ろしい感じがしなくなってくる。

舞台が続けば続くほど、始まったときに感じた、彼らに対する驚きや恐怖や嫌悪がなくなり、むしろ、愛らしくさえ思えてくる。

途中で、ほんの少し、彼らの人間らしさや心を見せる動きがあるのですが、それがなくても、彼らの暮らしが、どれほどのものか、という気持ちになる。

つまり、暴力やセックスの力を無化していく。それがどれほどのものか、と問われているような気がする。

一部の日本映画や韓国映画に、激しい暴力やセックスシーンを描き、「どうだ!」と言わんばかりの作品があるけど、そういう作品とこの「夢の城」は一線を画す。

最初は、「どうだ!恐ろしいもの見せてやるぞ」と演出されているように見えるけど、そうではなくて、暴力やセックスの力をなしくずしにしていく。激しいシーンを演出していながら、決してそれに酔っていない。無軌道な不良たちの暮らしなんて、この程度のものだ、ちっともたいしたものではない。

むしろ、平凡な生活なのだ、と思えてくる。

そこがすごくいいと思った。

もちろん、「愛の渦」などのようにちゃんとストーリーとセリフがある作品のほうがずっと好きですが、「夢の城」の、自堕落な彼らの生活から、その力を奪ってしまう演出がうまいなーと思いました。

これを見て、過激だ!と驚いたままではいけません。繰り返すことでその過激さを奪ってしまうところが、見所だと思うのでした。


劇団ハイバイ「霊感少女ヒドミ」

2012年11月10日(土) 02:09
昨日は、岩井秀人作・演出の「霊感少女ヒドミ」を見ました。

諸般の事情で少し遅れて見たので、それがとても残念でした。

霊感を持った少女ヒドミが、霊や現実の人間とかかわるお話ですが、なんといっても、秀逸だったのは、映像とのコラボレーションでした。

舞台でも映像を使う作品はもはや普通になってきて、タイトル出したり、エンドロール出したりという、映画やテレビみたいな使い方から、もっと内容に深くからむも場合も多いのですが、この舞台での映像の使われ方がとても新鮮でした。

霊が現実界に現れてちょっとしたいたずらをするような時、映像と実際に舞台にいる役者とが、重なったり、増えたりして、それが面白かった。というか、よく出来てました。

映像を使っているのだけど、映像だけの世界では成立しないというか、舞台ならではの映像の使い方で、それが効果的でした。映像を使いこなしている、というか、映像もひとつの俳優みたいな感じになっていて。

技術として面白かったです。

物語については、始まりを見損ねたので、なんとも言いがたいですが、もっと見ていたかった…というか、物語の部分は少し食い足りない気さえしました。

ちょっと青春回想劇なども入って、それは映像でできてるんですけど、生身の人間がいる舞台より、映像のほうが感傷的に見えるのが不思議でした。

岩井秀人氏のナレーションというか、モノローグもよかったなー。

ここでも、失恋をきっかけに命を落とした男が出てきて、ホントに恋愛って一大事なんだよなーと今更ながらに思いました。

昨日の「終の信託」の続きですが、あの映画を見ていて、強く思ったのは、いくら信頼しているとはいえ、他人に自分の生死の決定権を託すのは、あまりに他人に荷が重いのではないか、いくら相手が医者でも、託したりしてはいけない…と思ってしまいました。

だって、すごく迷惑をかけることになるよね。

生死を託されて、その思いに忠実に動いた医師は、殺人罪に問われてしまうのですよ。それはあんまりだよね。

頼まれてそれを実行することでさえ、充分荷が重く、重いから故、「妻には頼めない」出来事であり、それを実行してもらった上に、罪まで着せてしまうとしたら、安易に他人に(この場合の他人とは、家族との対比の他人ではなく、自分以外の人間すべてを他人とする)そんな重いをことを頼んではいけないと思いました。

頼むなら、覚悟をもって、迷惑がかからないように、きちんと文書で残すとか第三者を入れるとかしないと、死んでいく自分はいいとしても、頼まれた人はたいへんなことに巻き込まれるよね。

…ということを今日になってもぐじゃぐじゃと考えてしまいました。

それにしても。その時は医師の判断に納得していたのに、あとから蒸し返す家族というのは、どのようなものだろうかと。自分にもその選択を行った責任があるだろうに。どこまで他人まかせなんだよ、とだんだん、腹さえたってきました。フィクションなのに。

というわけで、見終わった後にもずっと残り続ける強さのある作品というのはいいよなあ、と思いました。
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:山田 あかね
読者になる
作家・TVディレクター・映画監督
趣味・犬・海
2015年05月
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31