ソウル国際女性映画祭

2012年04月 22日 (日) 03:11
ということで、いよいよ、来週からソウルです。

24日(火)にソウルで、自分の映画「すべては海になる ALL TO THE SEA」が上映になります。

というか、今日もやっていたのだ、20時から。

う〜、やっぱり今日から行きたかったなー。

浮き世の仕事でままならなかった。

ソウル国際映画祭のサイトはこちら。こちら。

韓国にお友達のいる方、偶然、この時期、ソウルに滞在する方、

ぜひぜひ、見に来て下さい。 ちゃんと韓国語の字幕もついてます。

これで、英字幕、中国語(台湾)、韓国語を加え、四カ国語のなりました!

うひょひょ。

ソウル、楽しみです。

まったく、全然、準備ゼロですけどね。

ず〜っとず〜っと休みなく働き続けての、ソウル入りです!

辛らつでも真実な。

2012年04月 21日 (土) 04:08
あまりに忙しくて、ブログ書く時間すらなかった。

いかん、いかん。こういう風になっちゃだめだ。

それもあと2日で終わる。

今日はちょっと余裕があったので、家に帰ってから、ツイッターをやっていた。

そしたら、小説家で評論家の小谷野敦さんのアマゾンのレビューを知り、思わず読んでしまったら、これが面白いのなんのって。

というか、基本、超辛口。

歯に衣着せぬっていうんでしょうか、同じ日本の小説であろうと、映画であろうと、名作と言われているものであろうと、向かうところ敵なし、みたいに、ずばすば斬っていくのである。

その小気味良さ。

いやいや、もちろん、斬られているのが自分じゃないから、そんなことを言ってられる、とも思う。

しかし、一方で、常日頃から私も「これは傑作と言われているけど、ホントにそうなの?」と思っていた作品が俎上にあげられているので、痛快なのであった。

それに、あまり知られてないけど、これこそいい作品なんじゃないの?どうして、みんな評価しないの?という作品が、きっちり褒められているので、そこもまた、嬉しかった。

要するに趣味が似ていた(おそれ多いですが)。

えっと、一例をあげると、芥川賞の候補作になったけれど、受賞は逃し、そして、著者はすでに逝去されている、「蝶のかたみ」。

三島由紀夫の愛人といわれた福島次郎さんの作品。

芥川賞候補とか三島由紀夫うんぬんのゴシップとか、関係なく、切なくなる小説だった。男性を好きになり、ぼろぼろの関係のまま続く物語なんだけど、そのちっとも美しくない姿が恋愛の、性愛の本質を描いているようで好きだった。

福島さんは、生前、新宿のゲイバーで1度、お見かけしたことがあり、勇気を持って、「すばらしい作品でした」といいたかったけど、怖じ気づいて近づけなかった。

その他、映画「息もできない」

日本でも韓国でも世界で認められた作品だけど、私はかなりきらいだった。

暴力礼賛だし、映画好きの多くのひとが、「暴力がリアルに描かれているとすごい映画」と思いがちなんだけど、その心をくすぐる作品だったから。

ぶ男で暴力男のくせに、清純な美少女がついてくるところがまた、映画ファンが好きそうなところだけど、ホントむかつく…できらいだった。

ああいうのが褒められちゃう、映画界ってだからきらいだよ、と思っていたら、小谷野さんの評価も辛らつで、胸のすく思いがした。

…とはいえ、自分はあそこまで、正直に書いてないなーとちと、反省した。フィクションならいくらでも、本気で本心で書いてるけど、特に日本の作家や監督のものについては、評価しない場合はあえて書かないってだけにしてきた。

だって、怖いんだもん。

でもさーなんかさーもっと正直に言ってかなきゃなーとは思った。

けどね。私がそのようにあまり辛らつに作品評を書かないでいることを、「もっと正直に書け」と言ってきたひとがいたんだけど、そのひとの作品について、正直に書いたら、突然、冷たくされることになったので、これだから、器の狭いひとは怖いよと思った経験もあってね。

そんなわけで、今夜は、レビューが読めて楽しかった。それに、読んでないもの、見てない映画で、高評価のものは見て見ようと思った。なにしろ、この方の批評、とても納得できるものだったから。

もちろん、同意できないものもあって、それは、キム・ギドクの映画。キム・ギドクは認めないぞー。

ということでおやすみなさい。

いいドラマが生まれる瞬間など。

2012年04月 16日 (月) 02:39
忙しいといいながら、4月クールに始まったドラマを3本ほど見てしまった。

漠然とした感想としては、刑事物が多いなーと言うこと。

刑事物も細分化していて、

コメディ系刑事物…時効警察、ケイゾク、specなど、

シリアス系刑事物…ストロベリーナイト…あ、あと思い浮かばない、

人情系刑事物…おみやさん…?

という風にバリエーションにとんでいる。

そんなにみんな、刑事が好きか。そんなに殺人事件が好きなのか?ってなもんです。

自分は正直、あんまり、刑事物、殺人モノが好きではない。

犯人捜しや、事件のトリックみたいなものに、それほどの興味を持てない。

基本的に「人間ドラマ」が好きなので(今、流行らないけどさ)、犯人あてクイズに萌えたりできない。

もし、殺人ものをやるとしたら、殺人に至る経緯、犯人と被害者の人間関係の細部まで降りていくものがいい。

殺意が簡単に説明されてしまうものに興味がわかないのだった。

……それにしても、長く生きたせいか、たいていのドラマを見ても、構成やストーリーの見せ方がわかってしまう。…わかってしまうと楽しめない。

構成がわかってしまい、企画書の上の企画意図や、会議の様子が想像できるなーというタイプは乗り切れないけど、とはいえ、何度も見たような設定であっても、セリフのちょっとした部分の魅力や俳優さんの演技によっては、知らないうちに引き込まれるから不思議だ。

それをもって、作り手側の力量ってことになるのだろうか。

「きっと、こういう物語だろうなー」と思っていても、知らぬ間に「じん」と来て、熱心に見ることになることもあって、もしや、ドラマって、設定でも構成でも脚本ですらなくて、脚本、俳優、演出すべてがからまりあって生まれる、一回性の奇跡みたいなものかもしれない。

これは、一演出家によって変えられるものでなく、一脚本家によって、描きだせるものではない。

いい場が出来たときに、ふっと生まれるものかもしれない。

もちろん、そういう「いい場」ができるように各分野のひとが努力する…というのは必要だけど。

というわけで、今週もめちゃ忙しいですが、今日は、少し早めに家に帰ることができたので、ちょっとは披露が回復するといいのですが。

正直、疲れマックスで、やってます。

大人計画「ウエルカムニッポン」

2012年04月 15日 (日) 01:37
本多劇場で、大人計画の「ウエルカムニッポン」を見ました。

補助席でしたが、ステージから3列目くらいで、俳優さんたちがとても近くて、かぶりつきというのでしょうか、存在感が迫ってきてよかったです。

舞台は、2011年の4月くらいの設定で、震災にゆれる東京のわだちく(足立区を想像させる)にひとりのアメリカ人女性がやってくるところから始まります。

震災後は、一気に外国人がいなくなった日本にわざわざやってくるアメリカ人。彼女は、ニューヨークの9.11のテロで、自分を救ってくれた日本人に会いに来た、という設定です。

随分、ジャーリスティックな始まりではないですか。大人計画らしからぬ。

やっぱり、震災以後は、「生き方を変えました」という発言をする文化人が多かったし、震災や原発をテーマに作品を作るひとも多かったので、なるほど、松尾スズキさんもか…と思うほどでした。

でも、たぶん、そうじゃないだろなーとはうすうす想像しましたけど、結局、どっちだったかはわかりません。
もちろん、物語のなかに、311の震災や911のテロのことが出てくるのだから、なんらかの「答え」であるという見方もできるけど、たぶん、そうじゃない気もします。

なぜなら、1945のヒットラーの話まで出てくるので、そうなってくると、じゃあ、これはあの戦争がテーマなの?と幼き誤解を生みそうです。

そうじゃないでしょう…と思うところです。

東京のはずれ、すぐそこは埼玉という、あれた町、わだち区に暮らす、ダメ人間たちの物語。これでもかと彼らのダめっぷりが描かれます。日本に憧れ、日本人に救いを求めてやってきた、アメリカ人の女性は、そのあまりのダメっぷりに失望しつつ、それどころか、どんどんひどい目にあうというお話でもあります。

来日したアメリカ人女性の物語であると同時に彼女を狂言回しにしたてた、「わだちくに暮らすひとたちのダメっぷり」をあぶり出す物語でもありました。

ここで暮らすひとたちは、実際、震災や原発の影響も心配もなかったのように、相変わらずのダメっぷりで生きている。男も女もとことんダメ。

みんなちがって、みんなダメ

どころか、みんな似たようにみんなダメ です。

その人間のくずっぷりが愛おしい…とはいえません。そういう嘘は言えませんよ。

笑うだけです、そのダメぶりに。非人間的な言動に。

震災以後、きずな とか たすけあい とか にほんはひとつ みたいな言葉があふれたことに対する、解答のようでもあります。

そのようなわけで、黒い笑いを楽しんで参りました。

「時代と寝る」メディアみたいな…

2012年04月 14日 (土) 02:13
久しぶりにテレビを見たら、テンションが高くて、ちょっとひいた。

最近はなかなか、オンエアをそのまま見ることがなくなっていたんだけど、疲れて帰って来て、なにげなく深夜の番組を見たら、疲れた。

テレビより、ネットにつながっている時間のほうがどんどん長くなり、主たるメディアがネットになってしまった今、久しぶりに見たテレビは、ハイテンション、情報過多、展開早すぎ…と、ついていくのがたいへんになっていた。

年をとったせい?…ともいえるけど、そればかりじゃないと思う。

インターネットは、中身は広大で無限大とも言えるけど、どこへ行くか、何をするか、どれだけそこにいるかは、全部、自分で「選ぶ」ことができる。

読みたいニュースをゆっくり読んでもいいし、関心のないテーマはさわりもせずに、スルーできる。

じっくり読んで立ち止まることも、途中まで見て、保存して、別の機会にあらためて見ることもできる。

感じたことを書くことができるし、もっと詳しく調べることもできるのだ。

思えば、いつも、自分が主体になれるのだ。

ところがテレビはそうじゃない。完成度が高く、親切で、視聴者思いだけど、一方で、とても独善的でもある。

こっちが選べるのはせいぜいチャンネルだけで、それ以外は、すべて、テレビのお任せだ。その流れを変えることも止めることも、意見することもできない。気に入らなければ、スイッチをオフにするしかない。

いや、自分もテレビを作っているし、そのおかげでご飯を食べてこられたのだけど、ネット慣れした今になると、テレビの過剰さに結構、驚くのだ。

ネットのほうが、メディアとしては最先端なんだけど、そのありようは、案外、古典的な気がする。

ネットは本に似ているし、いくら無限大にサイトがあってもつながれる数が限られていて、それが、「好み」と「一時の好奇心」「仕事上の必要」などに支えられているという意味でも、現実の人間関係に案外近い。

テレビは、こちらが準備してなくても、好きじゃなくても、調べる気がなくても、一方的にだーっと情報を流してくるのだ。しかもその密度が濃い。

自分も作っていてわかるけど、テレビってそれなりに完成度が高いんだよね。ネットだとそうでもないものが結構あるけど、テレビは、プロフェッショナルが集まって、必死に作っているからどの番組も「濃い」のだ。

それともうひとつ。

たまたま自分が見てしまった番組がその感を強くさせたんだけど、テレビに出ているひとというのは、特権的な人なのだ。

普通のひとはなかなか出ることができない。いや、昔に比べたら、テレビに出るなんて、ハードルの低いことになったし、特別な人でなくても、出る場合も多い。けど、お笑い芸人や俳優さんなど、やっぱり、「特別なひと」が出ている場合が多い。

そんな当たり前のことを久しぶりに見せつけられた気がした。

たまたま見てしまった番組に、ものすごーく「権威」の匂いをまき散らしている人が出ていて、その威張りぶりにびっくりしてしまったのだ。わー見たくないもの見てしまった…という感じ。

しかもその番組では、その権威を振りかざすひとを、あえて奉るような作りになっていて、それもイヤだった。その威張りっぷりさえも番組にしようとしている意図はわかったけど、そこまでして、作らなくていいじゃないか…と思った。

その姿勢にある種のテレビの現場の意地汚さを見てしまった。

権威をふりかざす振る舞いも、それからですら、なにかをいただこうとする姿勢もとてもイヤだった。

番組名もその時出ていたひとも書かないけどね。

というわけで、テレビというメディアが担ってきたものが、確実に終わりに近づいているのを実感してしまった。

ブランドものより、ユニクロやギャップなどの、手頃な価格で、着やすくて、日常的なものが主流になっているのと似て、「特権的なひと」だけが、発言するテレビより、誰でも言いたいことが簡単に言えるネットメディアの方が、より、時代にマッチしているんだと思う。

好きな言葉じゃないけど、「時代と寝る」みたいな言い方すると、テレビが時代と寝ていたときは終わったんだな。

そんなことを思ってしまいました。

自分もつくっていていうのは、なんですけれどもね。

それを自覚してやってゆこうと思います。

なにも時代からはずれたからって、それをやめるということではないのでね。

当然、映画も本も時代の先端じゃないけど、好きな分野は好きですもの。



成熟するツイッター

2012年04月 13日 (金) 03:41
ツイッターもやってるし、facebookもやってるし、未だにmixiも一応やってる…笑。

どれだけ、sns好きなんだ、ってことですが、基本、好きだし、自分にはとても向いているメディアだと思ってる。

そこで、最近、気づいたことを。

ツイッターも、最初の頃は、悪意のあるツイートをされることがあった。

こちらが何気ない気持ちで書いたことを、ねちねち突っ込まれたり、「作家としてどうよ」と言われたり、とあるアーティストのファンと称するひとから、「勝手に書くな」と言われたり。

かつてmixiに日記を書いていたときなんて、一日に何十件も、悪意あるコメントを書かれ続けたことがあった。

このブログにしても、コメント欄を設けていたときは、いや〜な感じの書き込みをされることもあった。

で、コメントできないシステムにしたし、ツイッターでもイヤな感じの場合はブロックするなど、対応には務めてきた。

そのせいかと思っていたけど、ふと、気づくと、いやなツイートを返されることがほとんどなくなった。

ツイッターを始めた頃より、圧倒的にフォロワーは増えているんだし、利用者も増えているんだから、悪意のあるツイートが増えてもいいようなものである。

でも、来なくなった。

これは何を意味するんだろうか。

あきれ果てて、嫌味を書き込む気がなくなった?

「ツイッターで論争はしません」と時々、申し開きをしているせい?

いいえ、どっちも違うと思う。

なんか、みんな成熟したんじゃないでしょうか。

というか、ツイッター上の、WEB上のマナーが向上したんじゃないかな。

もちろん、相変わらず、悪意全開で、悪口を書いているひとは時々見かけるけど、それでも、著名なひとで言論好きなひとのツイートを見ても、一時より、圧倒的に、「言い合い」は減っているように思える。

なんか、そういうの、無意味だよねーって共通の認識が生まれたんじゃないかな。

さっきも書いたけど、利用者が成熟したというか。

マナーが育つ…には普通時間がかかるものだけど、そこは、ネット社会は、早いのかもしれない。

これまでなかった世界だけに、少しでも住み心地をよくしたいと、結局のところ、みんな思っているから、痛いツイートをした後に、自分も傷つくことがあったんじゃないかな。

そんなわけで、意地悪されることもなくなり、自由にのびのびと、好きなこと書いてる。

これは楽しーことだ、いいことだ。

いろいろたいへんなことはわるけど、インターネットという世界の出現は、限りなく、自分にとっては、「よきこと」だった。

電話でつながる世界より、ずっといい。

そして、ひさしぶりに今夜テレビみたら、ちょっと不快な気分になり、つくづく、自分はこっちのネットの世界のが好きだなー気楽だなーと思えた。

このことについては、ツイッターにも少し書いたけど、また、別の機会にあらためて書くことにする。

今日、1本テレビ番組を作り終わり、そして、明日から次の1本の編集が始まる。

うー忙しいけど、とにかく、4月23日のソウル行きまで、頑張る。

ソウルでは、自分の小説の韓国の翻訳者を会える予定。うれし。

世界はフラットへ。

2012年04月 12日 (木) 03:16
小さなことだけど、最近、気になったことなど…。

昨晩は久しぶりに、六本木のシシリアに行った。老舗のイタリアンレストランである。

イタリアン…といっても、今、都心にあまたある、おしゃれで本格的なレストランではなく、「昔のイタリア料理」的な店である。

ピザやスパゲッティが一皿800円くらいで、何より、深夜2時くらいまでやっているのが魅力だった。

かつては、夜ご飯を食べ損なって深夜になってしまった時、よくお世話になった。それに普通の時間帯に行くと並んでいたりするほどの人気店だったのだ。

それが。

昨晩、久しぶりにいったら、「24時閉店」になっていた。早じまいになったなーと店のひとに聞いたら、深夜の客が激減したそうである。週末でも夜中に客は来なくなった…と。

そうなんだ−と、ビルの改築とともに随分キレイになった店内を見回し、しみじみした。24時までいた、私たちが最後の客だった。

店から出ると、六本木には、牛丼250円の看板の光る店がたくさんある。安くすませようと思えば、いくらでもできる。

もちろん、昔だってファストフードはあったけど、なんだか様相が変わってきた。

これをひとことで、「不況だから」とまとめるのはちがうような気もする。

人々の気分が変わったんだろうなーと思う。洋服も車もブランドモノを持つひとが減り、自分の身の丈にあった、そこそこのもので、満足するひとが増えたのだと思う。

夜通し遊ぶひとも減り、用もないのに繁華街をぶらついたりしないのだ。

家族のもとに帰って行く。

こういうのを、市民的成熟っていうのかな。落ち着いた、平和で静かな暮らし。それを望むひとが増えたんだろう。

ADさんを見ても、穏和なひとが多いし。自己主張が強いひとが益々減り、男子も女子もさほど差がないくらい、フラットになっている。男らしさも女らしさも、同時にゆっくり失われた。

思えば、この「男らしさ」とか「女らしさ」という根拠のない決めつけに双方の性が困らされてきたのだ。

そう思うと、いい時代になったのだ。服もユニセックスになったし、いろんなことが平板になった。

先日、ロケにいった時、カメラマンだけが男で、VE,AD、そして私の3人が女子だった。この四人で地方都市でロケをしていたのだけど、夜になり、食事をしていたとき、「女に囲まれているってことに、まったく気づかなかった」とカメラマンがふと口にした。

そう。そうなんだ。あまりに自然なことなので、「女のなかに男がひとり」という違和感が生まれなかったんだと思う。

男女という性別の個性より、それぞれの個性が際だち、性別など、小さな差異にしか感じられなかったんだと思う。

私もそう感じた。

世界はフラットに向かっている…そう信じたい。

もちろん、その陰で、すごい勢いで、格差が拡大しているのかもしれないけど…

民のかまどは にぎわいにけり…で

真実は私には見えていないのかもしれないけど…。



依存症の時代に。

2012年04月 09日 (月) 18:43
毎日新聞の女性向けのサイトに、映画「SHAME」の感想を書きました。

毎日プラクティス

セックス依存症の兄と恋愛依存症の妹の、壮絶兄妹の物語です。

ツイッター上で、「90年代の女性マンガっぽい」という評価もありましたけど、そう言われてみたらそうかも。

それと、この記事を書いたあとで思ったのは、今って、ほんと、「依存症の時代」というか、「萌え重視の時代」というか、とにかく、みなさん、なにかにはまってしまう。

はまってしまうことを肯定的にとらえるのはいいけど、はまりすぎると残酷な結果に。

この兄妹はまじめだからこそ、はまりすぎて、常軌を逸するんだよね。

いい加減なひとであれば、恋愛もセックスも適当に流すことができる。

でも、まじめなひとは、とことんやってしまうの。

その痛さ…。

そのことがよーくわかる映画。

「モテていいな」とか言ってられなくなる痛さです。

「モテる」とは結局、やりたい女とすぐやれることだと思ったら、こういうかたちになってしまう。

極限を描いてみせることで、この本質をあぶり出すという、まことに私の好きなタイプの作品であります。

適当になんでも流して、楽しむの、できないし、苦手なんだ。

だから、そういうドラマや小説も苦手で…。

でもはまりすぎる話は嫌われがちなので、道は険しいです。

なんでも、ゆるふわが好きな、このニッポンのエンタメは生きづらい。

業界用語と仕事の慣れ。

2012年04月 09日 (月) 02:18
ツイッターで、「ご飯」とは炊きたてのお米のことをさし、冷めたものは、「飯(メシ)」と言うと知った。

だから、朝ご飯、昼めし、夕めしとなるって。

へえ、なるほどなー。

ところで、自分がいるテレビ業界では、ご飯のことをよく「めし」と言う。

さらに、業界用語も加わって、「シーメ」とか言ったりもする。

けど、言葉の正しい意味でいうと結構合っていることになる。

だって、スタジオ収録やロケの時はお弁当を食べることが多いから、ご飯はたいてい冷えて「めし」となる。

けど、女性としては、どうかと思う、語感でもある。

「さ、めしにしよう」とか「メシ、喰った?」なんて言葉を習慣で日常的に言ってしまったりするのだ。

よくないわね。

最近、自分が習慣と思っていることに、光を当てようというか、顧みようという気持ちになっている。

というのは、先日、とある新聞記者の方とロケに行き、話を聞いて、はっとしたからである。

この方は、取材などで世界中を飛び回っている。飛行機のマイルがじゃかじゃか貯まっているそうである。

そういう場合、飛行機のなかですることと言ったら、「寝ること」、せいぜい、映画見まくるくらいになるはずだ。少なくとも自分はそう。

でも、好きな映画を機上の小さなモニターで、見るのはあまりいただけず、よって、飛行機に乗るのはいつも面倒くさいし、あんまり好きじゃなかった。

ところが、この記者の方は「飛行機に乗るのが大好き」と仰るのである。

なぜなら、「この飛行機は何型かな」とか、「どんな航路を飛ぶのかな」「今日は窓から富士山が見えるかな」とか、とにかく楽しむことがたくさんあるから…という。

飛行機のタイプについても詳しいし、航路も調べたりしている。窓からの景色を熱心に見るそうである。

それをまた、生き生きと語られた。

ああ、すばらしいなーと思った。

人生を重ねて、いろんな経験を積んでも、(ちなみに、その方は私より年上)、身近なものを何度でも楽しみ、新しい魅力を見つけていく。

それって、とても豊かなことだなあと思った。

自分など、すっかり、飛行機はじめ、車移動、電車移動、すべてこれ、睡眠時間と考え、その道中を楽しもうなんて、これっぽっちも思わなくなっていた。

飛行機はいつも通路側で、出入りのしやすい場所を選び、よく眠れることがもっとも目指すべきことになってしまった。

思えば、自分だって、窓から空を見ることを楽しんでいた時代もあったのに。

すっかり、いろんなものから受けるはずの感動から遠ざかってしまった。

ご飯を「めし」と呼び、仕事中は、メシならなんでもよく、さっさと食べられればいいと思うようになっていた。

移動は早くて楽が一番…とか。

もちろん、仕事人としてはそれでもいいけど、ちょっとさみしくないか。

すさまないか、心よ。

……自分の言葉づかいもはじめ、もう少し、丁寧に生きてもいいんじゃないか、と思い直したのでした。

とはいえ、ここ数週間、とても忙しいので、なかなか、優雅なこともゆってられないんですけれどもね。

やっとこ、明日は、ちょっと休み〜。うれし〜。

才能は隠れていない。

2012年04月 08日 (日) 01:01
忙しい上に、風邪もひいたようで、弱り目に祟り目というやつである。

ふー。

でも、喜ばしいこともあって、劇団ハイバイの岩井秀人氏が、向田邦子賞を受賞されたそうだ。

めでたい。

岩井秀人氏は、数年前に、舞台を見に行って、「すごい面白い!なんで、今まで知らなかったんだ」とおのれを悔やんだほどだった。

以来、欠かさず舞台を見ているけど、劇作家としても俳優としても特出して面白いと思っていた。

が、私のまわりではまだまだ知らないひとも多かった。

しかし、やはり、才能というものは必ず外に出て行くものだなあーと思う。

ここ数年、メジャーになりつつあったけど、今回の受賞でさらにその名をとどろかすだろう。

自分が「これ!」と思ったひと、作品が世界に伸びていくのを見るのは楽しい。

自分の審美眼に自信が持てるからね。

もちろん、自分がいいと思っても、世の中でさほど受けないもの、当たらない作品もあったりする。

それがなぜなのかはわからないけど、しょうがないよね。

ひとことだけ言わしてもらうと、自分はいつも少し早い。

時代に先んじてしまうの…自慢かよ。

でも、だって、そーなんだもの。

いつも少し早い。

生まれるのも早すぎた気がするし。

なんなら、まだ、10代で良かったわ。

……な暢気なことを思いながら、これからも好きなものを見つけて、めでていこうと思ふ。
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